#08 職場恋愛
就職してから四年目の春になって、美姫は三年ぶりに咲凪と会うことになった。一瞬、肇も誘おうかと思ったけれど、女同士の話をしたかったのでそれはやめておいた。
待ち合わせに選んだのは、若者に人気のカフェだ。アクセスしやすい場所なので週末はなかなか入れないけれど、平日だったので席を取ることができた。
温かい日だったので、二人で同じ桜風味のフラッペを注文した。美姫はホワイトチョコレートはあまり好きではないけれど、見た目が可愛い飲み物にはつい手が出てしまう。
「美姫ちゃん、本社はどう? 年上ばっかやろ?」
「うん。四十代とか五十代とかの人ばっかり。近くても十歳くらい上やし……」
「佐倉君も一緒じゃないん?」
「一緒やけど、違う部屋にいるからなぁ。咲凪ちゃんはどうなん? 店やったら若い人多いやろ?」
美姫が聞くと、咲凪は少しだけ顔を歪めた。
「確かに若いけどな……何ていうか……、ないわ」
「ない?」
「うん、あっ、みんな良い人で楽しいんやで。でも、何ていうか、男の人……イケてないねん」
「はは!」
出向していた店舗よりもフレンドリーで話す分には楽しいけれど、恋人候補として見られる男性は今のところいないらしい。美姫が出向前にいた店舗にも若い男性はたくさんいたけれど、良いなと思う人はいなかった。
「美姫ちゃん──噂で聞いたんやけど、出向してたときに彼氏いてたって、ほんまなん?」
「えっ、誰から聞いたん?」
「今の店のチーフ。美姫ちゃんが前いた店のチーフと仲良いらしくて」
咲凪の同期に誰がいるのか、という話になったとき、美姫の名前を出すと〝聞いたことある〟と記憶を手繰り始めたらしい。美姫は出向中、以前いた店舗に何度か遊びに行って、彼氏のこともチーフに話していた。
「今はいてないん?」
「うん。あ──ちょっと、聞いてほしいんやけど──佐倉君ってどう思う?」
「佐倉君? 別に……普通やと思うけど……何かあったん?」
ホワイトデーに告白されたと話すと、咲凪は少し驚いてから『やっぱり』と笑った。
「やっぱりって、どういうこと?」
「だって、研修のとき美姫ちゃんのことずっと見てたやん?」
「そうなん?」
気づいていないのは、同期の女性では美姫だけだったらしい。
「付き合うん?」
「……断ろうと思ってる」
肇のことは、嫌いではないけれど。
どちらかと言うと好きではあるし、顔を合わせれば話をするし、ときどき昼休憩も一緒だ。だから、この延長でもしも付き合ったら──と想像してみたけれど、どうしても現実になるとは思えなかった。
「年上のほうが安心できるんよなぁ。最近の彼氏はみんな十歳くらい上やったから、年下とか同年代は考えられへんなった」
「ふぅん……。あっ、もしかして、人事の堀辺さんのこと気になってたりする? 同じ事務所におるんやろ?」
「あ──あの人……微妙かなぁ」
第一印象は良かったし、本社に異動してからも悪い印象は今のところない。冷たい、という噂はあるけれど肇は〝良い相談相手だ〟と言っていたし、美姫もホワイトデーの件で彼に対する好感度が大幅に上がった。だから会話は増えるだろうか、と少し期待したけれどそんなことは一切なく、今までと同じように出退勤の挨拶と用があるとき以外に話すことはなかった。
「格好良いんやけどなぁ。残念ながらやわ」
「バレンタインはあげたん?」
「うん。出勤してた人全員にあげた」
当日は珍しく緊張しながら出勤し、美姫は他の女性たちが動き出すのを待った。その集団の後ろについて男性たちに配って回り、何人かはお礼が長かったので祐宜のところに行くのは少し遅くなってしまった。
既に彼の机の上には箱がいくつか置かれていて、祐宜はそれをどうしようか考えているように見えた。
「堀辺さん、これ、どうぞ」
「……この店、どこにあった?」
「え? デパートの、催事ですけど……」
「ああ……。あ──ごめん。ありがとう」
祐宜はそのまま美姫から顔を背け、もらったチョコレートを机の中に入れた。
美姫はバレンタインの数日前に、たまたま祐宜がバイヤーとチョコレートの話をしているのを聞いた。バイヤーは〝甘いものは好きだから何でも嬉しい〟と言っていたけれど、祐宜は甘いものは苦手だったらしい。
それなら彼には他のお菓子にしようか、と考えていると。
「大学のときやったかな、俺より甘いの苦手な奴が〝俺が食べれたからおまえもいけるはずや〟ってくれて、それは確かにいけたわ」
「何やったん?」
「メーカーは忘れたけど、砂糖使ってない、噛んだらハチミツ出てくるやつ」
その情報だけを頼りに美姫はデパートの催事場を彷徨い、条件にあうものを見つけた。店員は〝甘いものが苦手な人にお勧めだ〟と言っていたし試食させてもらうと確かに美味しかったけれど、彼との関係が変わることはなかった。
ホワイトデーのお返しが美姫だけ違っていたことは、とりあえず秘密にしておいた。
「佐倉君にもそろそろ返事せなあかんし。断ったとこで他に良い人もいてないんやけどな……」
「年上かぁ……おらんなぁ……同級生か、店の人しか知り合いおらんからな……職場恋愛って、ちょっと憧れはあるけど、やっぱ大変?」
「いろんな意味で大変やわ。隠すのにも限界あるし、喧嘩してたら気まずいし。隠してなくても、周りがうるさく言うやろうし」
美姫が本社に来て周りの会話を聞いているうちに、職場恋愛の末に結婚した夫婦が何組かいると知った。仲良くしているところは良いけれど、子供がいるけど家では夫との仲は最悪だという本社従業員もいる。美姫はその夫のことを知っているけれど、彼も同じことを話しているのを聞いたことがある。
「この会社、男の人のレベル低いよなぁ?」
「あー、確かに……」
「親会社のほうがレベル高かったわ。もう行きたくないけど。美姫ちゃん──もし、彼氏できたら教えてな? 私も教えるから」
それから数日後、美姫は悩んだ末に電話で肇に告白の返事をした。付き合うのは無理だと言うと悲しそうにはしていたけれど初めから想定していたようで、同期としてこらからもよろしく、と最後は笑っていた。
『岩瀬さんの元彼って、だいぶ年上やったんやろ?』
「なんで知ってんの? まぁ良いか……十歳上やったかなぁ」
『そんな上やったん? 七か八って聞いたような……浮気されたって』
「あ──そっちか……」
『そっち、って? まだいてるん?』
「その、うん。……どうかしたん?」
『いや──、堀辺さんくらいの年齢の人が良いんやなぁと思って……』
「そうやなぁ、年齢は……。でも、あの人とは無さそうやけど」
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