#07 ホワイトデー ─side 肇─
僕は学生の頃、バレンタインにチョコレートを貰ったことがない。
と言うと非モテだったように聞こえるが、そんなわけではない。彼女ができても長続きしないことが多くて、バレンタインの時期にたまたまいなかっただけだ。
就職してからは、会社の女性たちがくれるようになった。それ自体は嬉しかったが、誰も本命ではなかったのが結構残念だった。甘いものは好きなので全て美味しく頂いたが──、本音を言うと初めて貰うのは好きな子が良かった。
来年こそは、と思っていたとき、美姫が本社に異動してきた。美姫のことは面接の頃から気になっていて、入社式で再会したときは思わず喜んだ。一緒に面接を受けた咲凪のことも気になっていたが──、彼女と会う機会は減ってしまった。
美姫と話をしていると、祐宜との関わり方が分からない、と何度か相談された。兄から話は聞いていたが、本当に、仕事中に雑談をしないらしい。僕や先輩たちは貰ったお菓子を机に入れて時々食べているが、そんなことも一切ないらしい。
「岩瀬さん──気になるん?」
「えっ、違う違う、ほんまに、何考えてるんか分かれへんというか」
美姫は慌てて否定していたが、顔には〝気になる〟とはっきり書いていた。今後どうなるかはさておいて、兄情報によると、祐宜のことを気にしない女性はほとんどいないらしい。美姫は出向中に恋人ができて今は別れていることは、風の噂で聞いた。
身近にいる同年代女性は店舗アルバイト──本社は大型店舗の二階にあった──を除くと美姫だけなのもあって、いつの間にか彼女のことを好きになっていた。だから会えばいつも話しかけたし、たまに昼休憩に近所の喫茶店に誘った。奢ろうかと思うこともあったが、悩んだ末に別勘定にした。奢るのは特別な日だけにしようと思った。
美姫が異動してきて最初のバレンタイン、やはり彼女は僕にチョコレートを持ってきてくれた。同じ部屋にいた先輩にも同じものを渡していたので、きっと義理チョコだ。
「佐倉、嬉しそうやな」
美姫が部屋を出ていってから、先輩が僕の顔を覗き込んできた。
「そりゃ……大きい声では言われへんけど、一番若いし……」
「確かにな。同期って言ってたよな」
「はい」
「まぁ、岩瀬さん可愛いけど……女性は年上の男を好む傾向あるからなぁ」
美姫の元彼は噂では十歳くらい上だったらしい。浮気性だったのは良くないが、それだけ上だと包容力もたっぷりあったのだろうか。それとも、美姫のほうが守りたいと思われたのだろうか。
バレンタインに贈り物をしてホワイトデーにお返し、というのは日本独自の文化らしいが、僕はそれに乗っかることにした。バイヤーたちの大半は何のお返しもしないらしいが、それはあまりにも失礼なので僕はいつも進物用のお菓子を女性たちにまとめて渡していた。美姫とは休憩時間が重なったので、喫茶店に誘った。
「あのお菓子、美味しかったよ。ありがとう」
「いや、お返しやし、気にせんといて」
喫茶店は本社に近いので同僚を見かけることがたまにあるが、この日は近所の住人が数組いるだけだった。
「岩瀬さん──あの──」
「ん? どうしたん?」
「バレンタインにくれたの、義理やって分かってるんやけど、付き合って、もらわれへん、かな」
言ってから美姫を見ると、ものすごく困惑していた。食後に出てきた珈琲を飲もうとして、飲まずにカップを置いた。
「もしかして──彼氏、いる……?」
「ううん。いないけど……」
返事が遅いということは、美姫は今のところ、僕と付き合う気にはなっていないらしい。空気が重くなるのは嫌だったので、明るく話を続けた。
「ごめん、急やったよな……。返事は今度で良いから。全然、急げへんし。もしあかんかっても、恨んだりせーへんし」
それから僕は話題を変えて、美姫にも笑顔が戻った。仕事の話や同期たちの噂話をしているうちに、休憩時間は過ぎていった。
美姫には、急がない、と言ってはいるものの、本当は不安で仕方なかった。会えば今まで通りに話してくれるが、告白の返事はなかなか貰えなかった。フラれるだろう、と覚悟しながらも、待ちすぎてため息が増えてしまった。
「ふぅ……」
「佐倉、どうした? ため息ついてるやん」
気分転換に休憩室で珈琲を飲んでいると、祐宜が現れて声をかけてきた。彼も缶珈琲を買って、僕の向かいに座った。
「仕事、大変か?」
「まぁ、そうなんですけど……」
「何かあったんか?」
「いや──、堀辺さん──、岩瀬さんのこと、何か知ってますか?」
「──え? 岩瀬さん?」
僕の発言は想定外だったらしい。
一瞬迷ってから僕は、美姫とのことを祐宜に打ち明けた。面接の頃から気になって気づけば好きになっていたこと、ホワイトデーに告白して返事が貰えていないこと。──美姫が祐宜との関わり方に悩んでいることは、とりあえず置いておく。
「なるほど……」
「堀辺さん、岩瀬さんと席近いから……何か言ってなかったですか?」
「いや──、俺もあんまり席におらんしな……」
「今は彼氏いないとは聞いたんですけど、好きな人いるんかは不明で……。先輩も、女の人は年上が良いらしい、って言ってたし、元彼もだいぶ年上やったって聞いたし……。返事もらえたとして、あかん気はしてるんですけどね」
僕が言うことを祐宜は黙って聞いていた。美姫のことは本当にあまり何も知らないようで、僕のことを彼女がどう思っているかはさっぱり分からなかった。
「堀辺さんは、お返ししたんですか?」
「ああ、したよ。部長らは店で売ってる普通のお菓子の大袋を渡してたけど、さすがにそれはどうかと思ったな」
兄から〝祐宜は女性に冷たい〟と聞いていたが、それは違うらしい。あまり表面には出さないだけで、本当はとても優しいのかもしれない。
「……俺の顔に何かついてる?」
「あっ、いや」
いつの間にか祐宜を見つめてしまっていた。ちなみに僕の恋愛対象は女性だけだ。
「佐倉は──、岩瀬さんからは〝本命〟と思ったん?」
「いや、義理です。貰ったのも先輩と全く一緒の、よくあるアソートの四個入りのやつやし……。全員義理、って言ってました」
「ふぅん……」
「堀辺さんもですか?」
「いや──、もしかしたら、俺が甘いの苦手って話してるの聞いたんかな。ビターなやつしか入ってなかったわ」
少しだけ祐宜に嫉妬したが、そんなことを気にしても何も変わらない。
「まぁ──、頑張れとしか言われへんけど……、あの子はどうなん? 同期のもう一人の──中野さんか? 仲良さそうやったやん?」
咲凪とは研修以来会っていないが、ときどき連絡はしていた。十人ほどいた同期のうち既に半分ほどが辞めてしまって、他に数名が辞めそうな気配なので貴重な仲間だ。彼女のことはいまだに気にはなっているが、美姫以上に状況がわからない。ちなみに咲凪も出向解除になって、自宅付近の店舗で楽しく働いているらしい。
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