#05 三度の大喧嘩

 美姫が販促になって数週間が経ち、仕事にも慣れて本社のメンバーとも仲良く話すようになった。席が近い女性たちや山田部長、総務部長はもちろん、美姫のPOP作成のセンスが良かったようで、各部バイヤーからも奈津子ではなく美姫に依頼が来ることも増えた。

「仕上がり綺麗やしな、なんせ早いねん」

「私もそう思うわ。若いからパソコン上手いこと使うし、細かいとこまで見てるよな」

「まぁでも、大人としてはまだまだやな」

「……どういう意味ですか? セクハラですか?」

 大人の女性としてまだまだだ、とは聞かなかったけれどバイヤーはそう言いたかったようで、失言に気づいて美姫に謝った。傷ついたけれどそれは事実でもあるので、美姫はそのまま仕事を続けた。

 浮気性だった彼氏と別れてから、美姫にはまだ新しい恋人はいない。家と会社を往復する日々で、合コンの誘いもない。仕事中に見るのはほとんどが一回り以上年上の既婚男性で、恋人ができそうな気配は全くなかった。同期の肇とは顔を合わせれば話はするけれど恋愛対象には見れなかったし、祐宜は外見や立ち振舞いは良かったので良いなと思った時期はあったけれど、接点が無さすぎてプライベートが何も分からなかった。

「知らんよそんなん、自分で聞きーや聞けば?。……普通の子やで。……はいはい、やっとくわ。え? 代わるん? うん?」

 総務の川原かわはら里美さとみが電話で誰かと話をしていた。誰かは分からないけれど、美姫の話題になっているらしい。彼女が砕けた言葉を使う相手は限られているので、その中から美姫に用事がありそうな人を思い浮かべ──一人しかいなかった。

「岩瀬さん……これは何の絵やろな……? 私には分からんわ」

 里美が美姫宛のFAXを持ってきながら首をかしげていた。FAXには何かの絵が描いてあるけれど、それがPOP依頼のイメージ図なのは間違いないけれど、何の絵なのかは美姫にも分からなかった。

 美姫は笑いながら保留されていた電話に出た。

『FAX見てくれた?』

「見てるんですけど、これ何の絵ですか?」

『分かるやろ? 大掃除してる人やん。はたきで叩いてる人と掃除機かけてる人と……』

「ああ……なるほど……」

 年末大掃除の掃除用具コーナーに飾るポスターを作ってほしいらしい。作成ソフトに希望通りのイラストは存在しないので似たようなものを使うことにはなったけれど、彼はそれで満足してくれた。

 彼とは美姫も新入社員のときに会ったことがある。研修店舗を離れて別店舗に行くことが何日かあって、彼はそこの店長をしていた。美姫より一回りほど年上だったけれど若く見えたし、話しやすかった。数年前のことなので、彼が覚えているかはわからない。

「岩瀬さんて彼氏いてるん?」

「え? ……いてないです」

 聞いてきたのは隣の席のレジトレーナーだった。彼女はあまり本社にいないけれど、店舗でレジをしていた頃から会ったことはある。年齢は聞いたことがないけれど、おそらく美姫より一回りくらい上だ。

「今度さぁ、ご飯行けへん?」

「二人でですか?」

「ううん、四人。私らと、あと○○さんと、店長。店までは私の車で、途中で○○さん拾って行って、帰りは店長が送ってくれるんちがう?」

 これはもしかしなくても、と思って迎えた当日、やはり美姫は店長に連絡先を教えることになり、いつのまにか付き合うことになってしまった。ちなみに○○さんは美姫が店長と出会った店舗のパートだ。

 店長は数年前に美姫と会っていることを覚えていたらしい。もちろん当時は何の気もなく、気になりだしたのは美姫が本社に来てからだ、と里美から聞いた。彼は用事で電話をしてくる度に美姫のことを聞いていたらしい。レジトレーナーも彼と連絡を取っていて、美姫と会わせてほしいと頼まれた、と打ち明けてくれた。

 美姫と店長のことは、おそらく限られた人しか知らなかったけれど。店長は浮気性の元彼より年上で話が合わないことが多すぎて、性格も合わなくて月に一回は大喧嘩をしていた。特に隠してはいなかったけれどバレることもなく、三度目の大喧嘩で別れることを決めた。

 その後、異動の時期に彼はバイヤーとして本社に転勤してくることになったけれど。

 初めは顔をひきつらせていた美姫も、いつの間にか普通に笑って話す相手になっていたけれど。

 レジトレーナーも○○さんも美姫のことを心配してくれたけれど、もちろん別れた日は落ち込んだけれど、立ち直るのは意外と早かった。だから仕事に影響が出て残業が増えることはなかったし、逆に集中できて定時まで時間が余るようになった。

「岩瀬さん、これまたお願い。急げへんで」

 バイヤーたちが依頼してきた仕事も、一週間ほどと言われる期限を待たず数時間で仕上げ、それならこれも、と仕事はどんどん増えていった。

 学生の頃に同世代の男性と何人か付き合ったけれど、そのどれもうまくいかなかった。男性には安心を求めてしまうせいか、同世代はどうしても年下に見えてしまった。もしかするとそれは、高校が女子校だったせいで自分でできることは自分でするようになったので、同じレベルの男性では満足できなかったのかもしれない。当時は身近な男性は年上の先生しかいなかったので、その頃から同世代への興味が薄れていたのかもしれない。

 だから同期の肇は格好良いほうではあったけれど恋愛対象に見ることができず、美姫はまた恋人のいない寂しい時期を過ごすことになった。

「あれ? こんな日に残業か?」

 珍しく美姫が奈津子と一緒に残業していると、総務部長が話しかけてきた。

「残業て珍しいよな? 朝倉さんはともかく、岩瀬さんまで残らなあかんて」

「ちょっと部長、それどういうこと? なんで私は良いん?」

 奈津子はキーボードを叩いていた手を止めて部長のほうを見た。

「いや、今日はクリスマス前の週末やし……若い子には酷やろ?」

「ああ……ごめんな、予定あったら帰って良いで?」

「……予定ないです」

 美姫は今まで、恋人とクリスマスを過ごしたことがない。一人寂しく家で過ごすか、女友達だらけで集まるかのどちらかだった。出向中のクリスマスは恋人がいたけれど二人とも仕事を休める日ではなかったし、関係は既に崩れ始めていたので何の予定もなかった。

「それなら……せめて珈琲奢ったるてあげるわ」

「やったぁ、岩瀬さん、おいで」

 普段は普通の珈琲を飲んでいるけれど、疲れていたのでカフェオレをいただくことにした。自販機からカップを取り出して美姫が振り返ると──。

「あっ、部長、いっぱい並んでますよ」

「なに? なんやおまえら? 呼んでないぞ?」

「ありがとうございます!」

 事務所にいて美姫たちの様子を見ていたバイヤーたちも、部長に奢ってもらおうと列を作っていた。

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