第2章 願い事

#04 本社での再会

 本社勤務の初日の朝、美姫は入社式以来の緊張をしながら電車に乗っていた。三年目の秋ではあるけれど本社のメンバーとはほとんど会っていないし、一年半は出向して親会社に勤務していた。人事部長と総務部長の顔はさすがに覚えているけれど、他にどんな人がいるか、なんていう情報は出向解除前に教えてもらったけれど、メンバーの顔は記憶の彼方に置いてきてしまっていた。

 異動が決まってから、美姫は肇に久々に連絡して本社の最新の情報を教えてもらおうとした。けれど、彼は他のメンバーとは違う部屋で働いているようで、特に用事がない限りは部屋から出ないのでシステム以外の従業員のことはあまり知らないらしい。

 本社に到着して美姫が事務所のドアを開けると、上司になる朝倉あさくら奈津子なつこがちょうど目の前に立っていた。彼女とは面識はなかったけれど、母親くらいの年齢だったのもあって緊張せずに話すことができた。

「出向どうやった?」

 奈津子から仕事内容を簡単に聞いていると、後ろから先輩女性たちが話しかけてきた。店舗とは違って本社はほとんどが社員でパートは数名しかいない。

「風当たり強い、って店の子らがよく言ってたけど」

「全然、そんなことなかったです。みんな優しくしてくれて」

「良かったやん、帰りたくなかったんちゃうん?」

「それは……」

 帰りたくなかった、といえば嘘になってしまうけれど、美姫はとりあえず笑ってごまかした。

「そういえば、〝岩瀬さんが店に遊びに来て、楽しそうな顔してた〟てレジチーフ言うてたな。あの会社やったら格好良い男の子いっぱいおったやろ?」

 女性たちは笑っていた。

「まぁ……はい……」

「へぇ。彼氏いてるん?」

 聞いてきたのは奈津子だ。仕事を教えるのは一旦やめて、雑談を楽しむことにしたらしい。

「いえ……」

 元彼が浮気性だったのは別れてからパートたちに聞いた。彼は若い女性を見るとすぐに目を付け、声をかけていたらしい。美姫が出会ったときも実際は、レジチーフに先に目をつけていたらしい。けれど彼女は恋人がいたので諦めた、とは本人から聞いた。元彼にされたことは許せなかったけれど、美姫には同年代よりも年上が良いと気付かせてくれたことには感謝していた。

「ところで岩瀬さん、何歳?」

「……二十五です」

「若っ! 平均年齢下げたな」

 美姫が来るまでは四十くらいが平均だったようで、それが急に下がったと何度も言われた。システム担当に同年齢の肇がいることは、とりあえず言わないでおいた。

 朝九時になり、朝礼が始まった。別の部屋にいた肇も上司と一緒に顔を出し、部屋の隅に並んで立っていた。軽く片手を挙げてくれたので、美姫も小さく手を振った。

「えー、それでは、出向解除で今日から販促の──岩瀬さん、挨拶」

 前に出るように促され、美姫は簡単に自己紹介をした。と思うけれど、緊張しすぎて何を言ったかはあまり覚えていない。大勢の人の前で話すのは苦手な上に全員が年上なので、余計に話せなくなってしまった。

「そのうち慣れるわ。変な人ばっかりやから、あっ、噂をすれば」

「なに? 変な人とは人聞き悪い」

 朝礼のあと席に着いてから奈津子が笑い、通りかかった総務部長が反論していた。

「みんな変でしょ? あ、女の子らは別ね。部長ナンバーワンやん」

「なんで俺や、一番は山田部長やろ」

「あ、ほんまや、じゃあ部長は二番やな」

「む……、まぁええか……、ちゃうちゃう、朝倉さん、あんま変なこと教えたあかんで、岩瀬さんも信じんように」

「なんでよー、部長二人でツートップやん」

 応戦してきたのは、やはり女性たちだ。

 どうやらこの事務所では、肩書きはさておいて女性たちのほうが部長たちよりも口が達者らしい。美姫は口論を心配そうに見ていたけれど、これはいつものことだから、と笑う奈津子と一緒に仕事に戻った。

 その日は午前中に会議が集中していたようで、午後になってから改めて奈津子が本社メンバーを紹介してくれた。販促は各部からPOP作成依頼があって、意外と仕事量に影響するらしい。

 およそすべてのメンバーを紹介されたあと、美姫は奈津子が言っていた〝変な人ばかり〟の意味がなんとなくわかった。何十人もが真剣にパソコンと向き合っているので最初は怖いと思ったけれど、話をしてみるとそうでもない人ばかりだった。

「あ──今度は人事がおれへんかったな。まぁ良いか、知ってるよな? そこのパートさんと、部長と堀辺君」

「はい。……堀辺さんって確か、佐倉君のお兄さんが知ってるって」

「そうそう。いまだに分かれへんねん、なんで佐倉君が仲良かったんか……。私ら雑談してたら部長とかは話に入ってくるけど、堀辺君はないんよなぁ。誰も詳しいことあんま知らんねん」

「そうなんですか……」

「見た目は良いんやけどなぁ……なぁんか、冷たい感じ」

 それからしばらくして人事のミーティングが終わり部長と祐宜は事務所に戻ってきたけれど、彼らはそのまま自分の席へ戻って仕事の話を始めてしまい、美姫も奈津子も声をかけることはできなかった。入社式のときほどではなかったけれど、祐宜にはなんとなく話しかけづらい雰囲気があったし、何かを諦めているようにも見えた。

 もちろん彼は、話しかけられたときは丁寧な対応をしているけれど。美姫も何度か話しかけたけれど。

「私、嫌われてるんかなぁ……」

「そんなことないと思うけど……岩瀬さんだけじゃなくて、みんななんやろ?」

 廊下で肇に会ったとき、祐宜の話になった。美姫や他の女性たちが祐宜に関係しそうな話をしている時でさえ、彼は会話に入ってこようとしない。部長たちは遠くにいたとしても、無理にでも会話に混じろうとしてくるのに。

「単に雑談したくないだけちゃう?」

「そうなんかなぁ……」

「岩瀬さん──気になるん?」

「えっ、違う違う、ほんまに、何考えてるんか分かれへんというか」

 バタン、と音がして事務所のドアが閉まり、祐宜が出てきたのが見えた。コートを着て鞄を持ち、どこかへ行こうとしていた。

「堀辺さん、お疲れ様です。……店行くんですか?」

「あっ、佐倉か。部長も一緒に行くから、何かあったらパートさんに言っといて。今日は直帰するから」

「はい。わかりました」

 祐宜は肇のほうを見て言って、そのまま行ってしまった。少ししてからバタバタと足音が聞こえ、今度は山田部長が走りながら美姫と肇に挨拶して祐宜を追っていった。

「ほら……私には何も言わんかったやろ?」

「確かに……でも、悪い人ではない、はず」

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