第24話 嘘が本当で本当が嘘

 森高が自宅にガサ入れされている頃、飛鳥はその様子をテレビで見たいた。だが朝食を作りながらだった為、番組の内容までは気付いていなかった。そこに、靖久が着替えながらやって来る。

『ヤス君、今日もカフェオレ?』

『うん、俺いつもカフェオレ〜。』

手早くサラダを盛り付けて、飛鳥はテーブルに運びながら言った。

『んっと、あれ?この間の投資詐欺だって。ほら、誰か捕まえに行ってるよ。』

靖久は、ネクタイを締めながらテレビの方を向いた。

『んん〜?何だっけ、それ?』

『ほらぁ〜ヤス君に、騙されちゃダメだぞって言ってたやつ!』

飛鳥は、口を尖らせて言った。すると、靖久は呑気な事を言って返す。

『ヘェ〜、やっぱ良い所に住んでらっしゃいますなぁ〜。詐欺師ってのは、儲かるんだねぇ。』

『コラ!そんな事言ってると、本当に騙されちゃうんだからね。それにしても、こんな感じの生中継放送ってなんか楽しいねっ。ドラマみたい!』

二人は席に着いて、トーストを齧りながらテレビを見る。

『おっ、コイツかぁ〜。何か、冴えない感じの奴だなぁ。こんなもんかねぇ。』

『違うよ!その人警察の人じゃん。それで、・・・こんなもんかねぇってのは何?』

飛鳥が面白そうに聞くと、靖久がニヤリとして応える。

『詐欺師ってさぁ、口上手くちじょうずって感じすんじゃん。だから何となくさ、よく喋りそうな顔した奴かなぁって思ったんだ。』

『よく喋りそうな顔って・・・・・どんな顔?』

『え〜・・・・何となく・・・・・あんじゃん!』

この森高の家宅捜索により、靖久の離婚への障害が減っていく事になる。だがまだそれを知らない、ささやかな朝の時間であった。




 その同じニュースを、本匠は自宅のソファーで煙草を吹かしながら見ていた。森高の家宅捜索を、リポーターが矢継ぎ早に生中継している。本匠が怖いくらいの薄笑みを浮かべ、もう一服吸い込んだ時にスマホが鳴った。

『もしもぉ、どうしたこんな朝早く?』

『いやぁ、今テレビ見てっか?』

『ああ、勿論。』

『なぁ、恭介。可笑しいと思わねぇか?』

『何がだよ。こうなる様に、俺達がやったんじゃねぇかよ。』

『そうだけどさぁ。何でこんな最高のタイミングで、テレビ中継が出来るんだよ。まるでさ、待ってましたかとばかりによぉ。』

『あっははは・・・・』

『何が可笑しいんだよ・・・・・。おい、恭介。』

煙草を大きく吸い込み、煙を天井に向けて吹き上げながら本匠が応える。

『悪ぃ〜悪ぃ〜、そんなに怒んなよ敬。』

『ああ・・・・・でも、不思議じゃねぇか?まるで、・・・・・前もって知っていたみたいにさぁ。』

そう言う陣内を、あおる様に本匠が言った。

『知ってたんじゃねえのか?』

『何だよそれ、・・・・・知ってる訳ねぇじゃん。』

本匠は、ニヤけながら言った。

『じゃあ、他のチャンネルに変えてみろよ。』

『・・・・・ん?あれ・・・、ん・・・・?』

陣内は、他のチャンネルでは生中継をやってはいない事に気が付いた。

『おい恭介。これって・・・・』

『そうだよ。六本木テレビの独占生中継だよ。スッパ抜きってやつだな。』

『何でだよ、なんで六本木テレビだけなんだ?ますます可笑しいじゃねえか?警察関係にしても、一局にだけに教えるって事はしねぇぜ?六本木テレビは、どこから仕入れたんだよこのネタ?』

訝しげに言う陣内に、ゆっくりとした口調で本匠が問い掛ける。

『朝の八時前からのガサ入れだし、ネタ元はよっぽどの関係者だと思わねぇか?もしかしてそのネタ元、家宅捜索の日時をしっかりと把握しているんじゃねぇのか。』

『ああ、そうだな。するってぇと南州製薬の誰かか?んっ・・・・いや、待てよ。それじゃあ、家宅捜索の正確な日時なんて分かんないかぁ。じゃあ、誰なんだ?』

『・・・・クックックックッ・・・・・。』

『だから、何で笑うんだよ。』

『クックッ・・・・俺だよ。クックック・・・・・。』

『・・・・何が?』

『だからぁ、・・・・・俺なんだよ。』

『・・・・はぁ?』

『六本木テレビに、ネタ流したのは・・・・オ・レ!』

『はぁ?・・・・何で恭介が?お前、・・・・・何か企んでんな?』

『ああ、勿論!まぁ、これは睦とも練ってた事なんだ。』

『そうか、睦とも・・・・・。』

『でっ、・・・・睦の容態はどう?』

一呼吸置いて陣内が応える。

『まだ・・・・・意識は戻らねぇ。それに、・・・・誰がやったのかさえもなっ。』

吸っていた煙草を揉み消し、本匠が吐き捨てる様に言った。

『敬、心配すんなよ。やった奴は、大体の目処が付いた。』

『なっ・・・・誰なんだよ、そいつは。』

『恐らくだが、奥村の舎弟だ。投資詐欺の件で、睦と面識がある。そんで睦が被害に遭った夜、二十時頃恵比寿駅の所でウチの若いのが見ているんだ。睦と一緒に居ると言うか、けてたっぽい所をな。』

『でも、何でそいつが睦を?』

『奥村が警察さつに引っ張られて頭に血が上ったのか、自分に手が回る前に口封じをしようとしたのか。まあ状況を考えると、こいつしかいねぇって事だな。』

陣内は、慌てて聞き返した。

『そっ・・・・・そいつ、まだ生きてるのか?』

『人聞き悪り〜なぁ。生きてるよっ!ちゃんとっ!五体満足でっ!まだ、身柄がらは押さえてねぇんだよ。まあ、じきに押さえるけどな。まだ・・、生きてるよ。』

『アッハッハッ・・・・悪りぃ恭介。クックックッ・・・・・・。』

『本っ当〜に、失礼な奴だなぁ。俺は一般社会の堅気の皆様に、愛されてる極道なんだよっ!まったく。』

『嘘つけっ!クックックッ・・・・。』

本匠が、声のトーンを少し落として言った。

『そいつにはまだ、やってもらわなきゃいけねぇ大事な事があるからな。』

『えっ、・・・・・何だって?』

『何でもねぇよ。そんで、瞳ちゃんは?』

『ん〜・・・・実は、・・・・・まだ姉貴には睦の事言ってねぇ〜んだよ。』

『ああ、・・・・・そうなんだ。』

『ああ、そうなんだ。これから離婚に向けて話し合いを再開しようって時に、この事知ったら姉貴また滅入めいっちゃうだろうしさ。少なくとも来週末以降、話し合いが再開した後に教えようと思っているんだよな。』

『・・・・・そっかぁ。』

『恭介、・・・・お前も気を付けろよ!』

『おぉ、ありがとな!』

『睦の事は、逐一連絡すっからよ。』

『ああ、頼むわ。・・・・じゃっ。』

『ああ、またなっ。』

陣内からの電話を切って、本匠は大きく溜め息を吐いた。




 その頃森高の自宅では、呆然とした森高の視界に捜査官達が溢れている。昨夜飯田社長との会食後、最愛の石川の事件を聞き打ちひしがれていた。そして目が覚めると、いきなりコレなのだ。森高は、明らかに動揺していた。

『如何いう事なんですか?一体何なんですか?投資詐欺って・・・・』

そう呟く森高に、捜査責任者の男が応えた。

『森高さんさぁ、正仁会の奥村って男御存知でしょう?』

『・・・・・・・。』

宙を見ているかの様な森高を見て、捜査責任者が続ける。

『それで先日正仁会事務所に家宅捜索をした際、面白い物が沢山出てきましてね。それで、今日お邪魔する事になったんですよ。』

今だに森高は、宙を見ているかの様にボォ〜っとしている。そんな時、捜査官数人がワインセーラーに手を掛けた。

『ちょっとちょっと、待って下さい。ワインを全部移し替えてからにして下さい。大切なワインなんですからね。落とさない様に、そして振らない様に。もうちょっと大切に扱ってもらえませんか。本当に、物の価値が解らない方々ですねぇ。そのワインセーラーには、貴重なワインを入れてあるんですから。』

急に目覚めたかの様に、森高が捜査官達に言った。

『まあまあ、落ち着いて落ち着いて。おい、ワインは関係ないから丁寧に扱えよ。肝心なのは、ワインセーラーの本体なんだから。』

『おやおや、中身より外側の方に興味がおありなんですか?絵画の額縁じゃないんだから、そんな著名な人にあつらえてもらった物ではありませんよ。』

普段の嫌味ったらしい森高の喋り方で、捜査責任者に見下した視線を向ける。捜査官達は、ワインセーラーに収められていたワインを全て丁寧に出した。そして、空になったワインセーラーの分解を始める。

『ちょっちょっと、・・・・何をしているんですか?ワインセーラーを、壊してしまってどうするんですか。本当に・・・・、何をしたいんだか・・・・。』

『まあまあ森高さん、すぐに解りますよ。兎に角、大人しく解体作業を見てて下さいねぇ。すぐに、面白い物が出てきますから。』

そう言う捜査責任者の顔を、森高は小馬鹿にしたように見ている。そして、飲みかけの珈琲を一口啜った。みるみるうちに解体されていくワインセーラーを見ているうちに、森高は背板の裏側にある物体に気が付いた。

『んっ、何なんですかあれは?』

森高は、声にならな位の小さい声で呟いた。それに気付いた捜査責任者が、被せる様に説明し始める。

『我々が入手している情報で、非常〜に面白いものが御座いましてねぇ。』

先程の仕返しとばかりに、捜査責任者が嫌味たっぷりに話す。

『ワインセーラーを加工して、とんでもない物隠しているって事なんですよ。』

そう言いながら、捜査責任者がワインセーラーに近付いて行く。そしてワインセーラーの背板部分から、顔を出している物体を手に取った。新聞紙で包み、その上から透明なラップで綺麗に梱包されている塊。それを捜査責任者は、森高の眼前に突き付けて聞いた。

『不思議な物体ですよねぇ。森高さんは、これが何なんだかお分かりですよね。御自分が所有されている特注のワインセーラー、その背板部分に入れられていた物ですもんねぇ。』

青ざめた表情に、薄っすら笑みを浮かべながら森高は応えた。

『しっ・・・・知らない。・・・・私は何も知らない!購入してから何もしてはいないし、こんな物があったなんてずっと知らないよ!私は、何も知りません!』

あからさまに取り乱す森高。それを見て捜査責任者は諌める様に、そして見下した様に言い放った。

『私なんか、こういう仕事柄いろんな方にお会いするんですがね。そうやって、皆さん仰いますよ。私は、知らないって言うんですよ。たとえ、どの様な容疑がかかっていてもね!』

その後方で、次々に出てくる物体。それを見ながら、捜査責任者が続ける。

『森高さん。この中身を、・・・・御存知ないと仰るんですか?』

捜査責任者は、森高の青ざめた顔を一瞥して物体のラップを剥がした。次に、新聞紙を剥がす。すると新聞紙の下から、一万円の札束が出てきた。

『森高さん。当然これは、・・・・・御説明していただけますよね。』

写真を撮る様に部下に指示を出し、捜査責任者は森高に聞いた。

『この部屋の、他の家具にもこんな細工されてます?』

『なっ・・・・、しっ知らないんですよ私は!』

森高は顔を背け、バスローブのままで玄関の方へ向かった。その森高の腕を、捜査責任者が力強く掴む。そして、最大限の作り笑顔で言うのだった。

『森高さん、もう少ししましたら警視庁に同行していただきます。勿論任意でと言う事になりますが、必要でしたら直ぐに手続きを取りますけど。』

『・・・・・。』

『捜査官立ち合いでは御座いますが、お着替えの方を済ませといて下さい。』

そして振り返り、部下の捜査官に言い放つ。

『おい!森高さんには、後でたっぷりと説明してもらうから。お前、着替えさせた後抑えとけ!何するか解んねぇからさ。』

部下にそう指示を出すと、捜査責任者は他の家具の解体に取りかかった。

『おい、壊すんじゃねぇぞ!あくまでも解体・・だかんなぁ!それと、壁裏の方も始めるから道具持って来て。』

それから三十分位経過した後、壁裏からも同じ様に梱包された物体が出てきた。

『じゃぁっ森高さん、御同行していただけますよねっ!』

そう言うと憔悴した感じの森高の両脇を、部下に抱えさせて連れて行った。




 出社した飛鳥は、いつもとは何か違う空気を感じながらデスクに着いた。すると、直ぐに駆けつけた相沢恵美からのニュースに衝撃を受ける。

『飛鳥さん。聞きました?』

囁きながら、相沢が飛鳥に擦り寄って来た。

『どうしたの恵美ちゃん?』

『朝のニュースって見ました?』

『んっ?・・・・何?』

相沢が、悪戯っぽい笑みを浮かべながら言った。

『六本木テレビでやってた、家宅捜索の生中継ですよ!』

飛鳥は、通勤の間にすっかり忘れていた朝のテレビニュースの事を思い出した。

『ああ〜あれねっ!見た見た。なんか凄かったねぇ。』

『そうですよね!凄かったですよねって・・・・。という事は、まだ知らないんですねぇ?あれが誰の家なのか。』

飛鳥は、キョトンとした顔をして相沢に聞いた。

『誰〜?・・・有名人なの?・・・・芸能人か誰か?』

相沢は口元を緩ませて、耳打ちをする様に言う。

『あれって、・・・・・森高本部長の自宅マンションらしいですよっ!』

飛鳥はこれでもかっていう程、目を見開きながら相沢を見て聞く。

『嘘だぁ〜・・・・・マジで?』

相沢は、笑いを堪えながら返す。

『飛鳥さん驚き過ぎ!クックッ・・・・でも、マジなんですよこれが!』

『だって、確か今朝のテレビって・・・・投資詐欺でって言ってたよ?本部長が?』

不思議そうに聞く飛鳥に、相沢が得意げに親指を立てて言った。

『秘書課の友達からの情報なんで、絶〜対に間違いないです!』

『ええっ〜・・・・!』

絶句している飛鳥に、これでもかと相沢が畳み掛ける。

『これもその友達の話なんですけど、実は数週間前から弁護士やら石川さんやらの出入りが激しかったそうなんですよ。それは、この前言ったじゃないですか。それでその時にはもう、副社長や森高本部長の名前が漏れ聞こえていたらしいんです。』

『うんうん。』

飛鳥は、真剣に聴き入った。

『一昨日の、石川さんの件があって加速したって。それで、今朝に至ったみたいなんですよ。しかも森高さんが疑われている、その投資詐欺の被害者が・・・・・。』

と言って、相沢が急に話すのを止めた。

『何よ・・・・ねぇ、恵美ちゃん。・・・・・教えてよ。誰なの?』

悪戯っぽく微笑んで、相沢が言った。

『その被害者が、副社長らしいんですよ。』

『ええっ〜・・・・・!』

飛鳥は、口を押さえながら驚いた。

『なっ・・・・何で社内でそんな事になってんの?しかも、森高本部長って副社長派の筆頭だったじゃない。』

『そうなんですよ。それで秘書課のの話だと、副社長に愛人がいる事は上層部では周知の沙汰だったそうです。それでその愛人も、副社長と一緒に騙されちゃったらしいんですよ。』

『・・・・・・!』

また口を押さえたまま驚いている飛鳥に、相沢が目を細めながら言った。

『そして、その被害額が・・・・なんと数億円らしいんですよ!』

『んんっ〜・・・・・!』

飛鳥は心底驚いていた。森高という男の黒い噂は、ある程度前から囁かれていた。しかし同性愛者だとかバイセクシャルだとか、そんな陰口の様な話しばかりで詐欺だ何だと言った話しではなかった。むしろ、仕事は出来るし頭の回転が早いというのは有名であった。どちらかと言うと、妬みややっかみを持たれての陰口だ。瞳の素行調査の時に、売春の周旋までは聞いていたが今度は投資詐欺?同じ犯罪なのだろうが、飛鳥は変な違和感を感じていた。

『それって、・・・・・本当に?』

『マジなんですって飛鳥さん!昨日秘書課とか他の課の娘と、同期数名で女子会やったんですよ。その時に秘書課の娘が、最近遅かったんだって愚痴ってたんです。そこで聞いた話だったから、今朝のテレビを見てビックリしちゃって。だって、昨日の今日でしょう。』

飛鳥は頷きながら話を聞いていたが、ふとさっき相沢の言った事が気になった。

『恵美ちゃんさっきさぁ、石川さんの件で専務達の動きが加速したって言ってたんだけど。石川さん、何かあったの?』

相沢は、少しビックリしながら返す。

『えっ・・・・・、飛鳥さん知らなかったんですか?』

『・・・・何を?』

『石川さん誰かに刺されちゃって、・・・・・意識不明の重体らしいですよ。』

『ええっ・・・・!』

飛鳥は、また口を押さえて驚いた。筒井瞳の人生に長く関わっていた二人に、一体何があったのか・・・・・。

飛鳥は、ただ々言葉を失って驚くだけであった。




 その頃瞳は、弁護士の呆気に取られた顔を落ち着いて見ていた。翌週末に控えた靖久との話し合いに向けて、離婚協議書作成にあたり弁護士と打ち合わせをしていたのだ。瞳の言った言葉に、弁護士は驚きのあまり聞き直した。

『えっと〜・・・・・養育費の請求だけで、慰謝料の請求はなされないって言うのですか?財産分与は、如何するおつもりですか?』

瞳はゆっくりと、そして落ち着いて応える。

『養育費だけで結構です。財産は半分ずつという事で、よろしくお願いします。』

そう言うと瞳は、深々と頭を下げた。

『まぁ・・・・・珍しいケースでは御座いますが、奥様がそれで良いと仰るのでしたらそれで話を進めましょう。』

弁護士は少し間を取って、自分を落ち着かせる様にゆっくりと話し出した。

『それでは・・・・・金曜日に養育費の金額と、話し合う流れを確認するのに来ていただきけますか。何時頃がよろしいですか?』

瞳は、少し考えて応える。

『ではお昼過ぎ、十三時に・・・・・よろしいですか?』

『解りました。では、金曜日の十三時にお待ちしていますんで。』

 瞳は、会釈をして弁護士事務所を後にした。物思いに耽りながら歩道を歩く瞳の前に、一人の男子高校生が俯きながら歩いている。色白の細身で、頼りなさそうな感じの男子高校生が。何やら独り言を言いながら、寂しそうに歩いている。そう、まるで初めて会った時の石川睦の様な感じで。瞳は、体が震えるのを堪える為に立ち止まった。睦が・・・・・。あの頼りなく、今にも壊れてしましそうで抱き締めてあげたくなる睦が。いつの間にか、頼もしく成長していた。そして自分を助ける為にと骨身を削り、今は病院のベットで眠っている。テレビのワイドショーで南州製薬関連の特集を見て事件を知り、慌てて陣内に確認した瞳は愕然とした。自分に出会いさえしなければ、石川は命の危険に晒される事はなかったのではと自分を責めていた。靖久にも睦にも、子供達にも陣内にも。周りにいる皆んなに、迷惑をかけている自分の事を責めた。自分を責めて責めて責め抜いて辿り着いたのが、子供の将来に影響しない様に養育費は靖久に支払ってもらう。それ以外は、何も要求しないという結論だった。他人が聞くと何を今更と罵られるだろうが、これが瞳の正直な気持ちであった。初めの頃は、父親に対する軽い反抗だった。父親が嫌がる事を知らない所でやっている、そういう秘密が思春期の瞳のプライドなっていた。そうしているうちに、いつの間にかそれが当たり前になってしまった。その界隈で顔が売れ出すと、そこに金が蠢き出して快感に変わった。

そこからの自分は、何をしていたんだろう・・・・・。

『ふぅ・・・・』

瞳は溜め息を吐くと、懺悔の炎に身を焦がしながら歩き出した。




 奥村が厳しい事情聴取を受けている頃、森高も同じく事情聴取を受けてはいた。だが受けてはいたが、森高の体調を考慮してそれほど厳しいものではなかった。森高は石川の窮地を知らずに、社長との会食に気を取られていた自分を責めた。自虐的になり、少々鬱気味になっていたのだ。

『森高さん!聞いていますか・・・・?』

『・・・・・。』

『森高さん・・・・・?貴方が、世田谷区に借りているトランクルーム。ここのキャリーケースに、約七億円がありました。自宅の分と合わせて、ん〜約十億円くらいの大金になります。この事について、そろそろ教えてもらえませんかねぇ?』

『・・・・・。』

『参ったなぁ〜。森高さんさぁ、実は後がつかえるてんだよねぇ。』

宙を見ていた森高が、やっと視線を落とした。

『森高さんねぇ。貴方には今お聴きしている、お金に関しての件での正仁会の奥村との関係。それと、その奥村とやった投資詐欺の件。同じく奥村とやっていた、売春クラブの件についてもお聞きしなければならないんですよ。何でもいいんで、話してくれませんかねぇ?』

『話すも何も、私は知らないんですよ。・・・・何も。・・・・知らないんです。』

『そうすると森高さん!貴方が御自分で購入されたワインセーラには、初めっから背板の裏に加工がされていたって言うんですか?しかも、そこに一億円が勝手・・に隠されていたと。そしてそれを、たまたま購入したと言うんですか?貴方はその特殊なワインセーラーを、何も知らずに使っていただけだと仰るんですねっ?』

『・・・・・。』

『羨ましい話ですなぁ。私も是非、そんな夢みたいなワインセーラーが欲しいもんですよ。』

『・・・・・。』

『でもねぇ・・・・・ふぅ〜。・・・・・メーカーに問い合わせても、販売店に問い合わせても。なぜか笑われるだけでしてねぇ〜。どうしてなんですかね?』

『・・・・・。』

『メーカーさん曰く、そんなワインセーラ作ってもないし売ってもいないって言うんですよぉ。まぁ、そりゃそうなんですけどねっ。一億円も、入れるくらいだったら使ってるってね。メーカーの職人さんも、販売店さんもみんな欲しがってましたよ。』

『・・・・・。』

『森高さん、・・・・・そんな夢みたいな話、誰が信じるって言うんですか?どうしてこんな大金が、貴方の身の回りに溢れているのか。いくら南州製薬の本部長さんだとしても、お金がねぇ・・・・あり過ぎるんですよ。何のお金なんですか?』

『私は、・・・・・本当に知らないんだ。』

『じゃぁ、トランクルームのお金は?』

森高の事情聴取は、なかなか進展しそうになかった。



 

 奈々美は、自転車で日比谷公園のそばを走っていた。内村に南州製薬関連の話しを聞かれて、本匠からのネタとそこに辿り着くまでの経緯を事細かく説明していた。そして、やっと内村から開放された帰りなのだ。奈々美は都会の中のオアシスを気持ち良く流していた時、反対側の車線に数台の車が止まっているのが目に入った。そしてその中に、見慣れた顔がある事も。

『あれって確か・・・・、うん本匠さんのとこの人じゃん。』

公用車の様にまっ黒で目立たない車を、丁度発進させるところで相手は気付いてなさそうだ。奈々美は、辺りを見回した。

『ここら辺って、合同庁舎?そこって、検察庁の合同庁舎じゃん。まさか、・・・・まさかそこまでは。』

そう言いながら、奈々美は六本木方面へと加速させながら考えた。本匠の、異常なまでの交友関係広さと深さを。

『まさか、ゴッドファーザーじゃあるまいしネェ。』

そう呟きながら、奈々美は瞳の事を考えた。最初は離婚に向けての素行調査から始まったのだが、直ぐに頓挫せざるを得なくなった。恵比寿警察署の本多刑事に待ったをかけられたからである。売春周旋の容疑がかかっているから、絶対に接触はするんじゃないと。そしてあれよあれよという間に、まさかまさかの急展開なのである。

『本当っ、どえらいデビュー戦になっちゃった。』

これから最後の報告書を仕上げて、靖久に提出しなければならない。そして今、瞳が石川睦の事件を知ってしまって落ち込んでいる事も。瞳の心理的な側面が、大きく離婚の話し合いに影響するであろう事は想像出来る。それが悪い方向に傾かなければ良いのだが、もしもの時に対応出来る情報を整理して報告をする。それが自分の、探偵としての仕事だと奈々美は自覚している。

『さぁ、帰ってまとめますかぁ!』

奈々美は、事務所へと急いだ。



 コンコンコンコン・・・・

『おう、入れっ。』

『失礼致します。』

『おう、どうだった?』

『はい。総長の伝言を伝えましたら、了解しましたとお伝え下さいとの事です。』

『そうか、お疲れさん。』

本匠が煙草を咥えると、服部が素早く火を着けた。

『ふぅ〜・・・・・。』

溜め息混じりに煙草の煙を吐いていると、本匠のスマホが激しく震えた。

ヴゥーヴゥーヴゥー・・・・・ヴゥーヴゥーヴゥー

『お疲れ様です。本匠です。・・・・・はい。・・・・・はい。御心遣い有難う御座います。若頭かしらの御尽力のお陰で、上手くいっています。流石ですよ、まさか検察にも顔がきくなんて思いませんでした。・・・・・はい、もう少しで決まりますんで。良い報告が出来そうです。・・・・・はい。失礼致します。』

本匠は短くなった煙草を揉み消し、もう一度煙草を咥えた。服部に火を着けさせ、大きく吸い込む。

『ふぅ〜・・・・さて、もうアイツらに逃げ場はねぇぞ。』

本匠は、天井を睨み付けながら煙草の煙を吐いた。




 陣内は会社の喫煙室で、声と怒りを抑えながら電話をしている。石川睦が入院して以来、手続きやら何やらでバタバタしていた。その間何度連絡しても連絡が付かずにいた、石川の家族と連絡が取れたのである。

『ええ解りましたって返事だけで、一向に病院にはいらっしゃってくれないじゃないですか。睦は、意識不明の重体なんですよ。』

『ええ、解っていますって。』

『アンタの弟だろ?睦は死ぬかもしれないんだぞ。それなのに・・・・』

被せる様に、相手は怒気を強めて言った。

『解っています。ですが、こちらにはこちらの生活と都合があるんです。貴方に、何が解るんですか?好き放題やった挙句に、久しぶりに連絡がと思ったら事件に巻き込まれて刺されましたって・・・・。どれだけ私達を掻き回せば気が済むの?貴方達は好き放題騒いで、「そろそろ落ち着こう。卒業だ!」で良いんでしょうけどね。私達は、それを黙って笑顔で迎えなきゃいけないの?私達が弟や貴方達の陰で、何も苦しまないで生きて来たとでも思っているの?どれだけ自分勝手なの貴方達は!「昔はヤンチャしてたけど昔は昔、今はちゃんと落ち着いています。」って、世の中生きているのは貴方達だけじゃないの!ふざけないでよ!もう、電話してこないでいただけます。』

ガチャッ・・・・

一方的に電話を切られた陣内は、言葉無く煙草を大きく吸い込んだ。

『ふぅ〜・・・・・久々に、・・・・こたえたな。』

 陣内は、煙草を吸いながら物思いに耽っっていた。今まで考えもしなかった、石川の家族の感情や生活の事を。言われて初めて気が付いたのだ、自分達と反対側の人達の事を。自分や本匠には、気付く事の出来ない現実。若い頃だったら自分達だけを被害者だと言い切り、その周りの人の苦しみや悲しみも全てを否定しただろう。だが年齢を重ね、異母姉弟の子供とはいえ優樹と葵の可愛らしさを知ってしまった。今となっては石川の姉の言葉が陣内の胸に突き刺さり、掌がジリジリ痺れる程の感情に駆られる。今回の瞳の件で、優樹と葵の心理的影響を考えさせられただけに尚更だ。陣内は溜め息混じりに煙草の煙を吐きながら、石川の姉の事を思い出していた。

 石川が南州製薬の内定が決まった頃、父親が心筋梗塞で倒れそのまま他界した。五十代での早すぎる訃報に、金属加工業を営んでいた石川家は大混乱になった。石川を社長にとの意見もあっのだが、三十歳までは外で勤めて社会経験させると言っていた父親の意を汲んだ。そして、母親が社長に就任する事となる。それから二・三年が経ち、姉の結婚で状況が変わる。婿養子を迎え専務に就任させ、数年後に息子を迎えるべく体制を整えたのである。だがしかし、そうは問屋が卸さなかった。婿養子は、そんな都合の良い奴ではなかったのだ。弟睦の身辺を調査させ、それをネタに石川睦の社長就任に反旗を翻した。そして、自分の社長就任を要求したのである。そのネタの内容に、母親と姉は驚愕し軽蔑した。陣内は、直接見聞きした訳ではないので掘り下げた事までは知らない。だが、石川家はこの事で崩壊した。まぁ石川がそのまま南州製薬に残った事を考えれば、母親と姉に縁を切られたという事である。姉夫婦は一男一女を授かり、弟の事など何もなかったかの様に平穏に暮らしていた様だ。様だというのは、推測の域を出ない話だからだ。

其々が落ち着いた頃、今度は母親が癌で亡くなった。その時の葬儀で、垣間見えた姉夫婦の闇。母親の看病で大変だったにしろ、あまりにも窶れた姉の顔と対照的な婿養子の艶やかな顔。弔問客のヒソヒソ話しが、式場に花を咲かせた。「社長の愛人が弔問に来ているらしい。」やら、「社長は殆ど家に帰らないので、奥さんはアル中になった。」だとか。「薬物に手を出している。」やら、言いたい放題だったのを思い出す。そして出棺をした後の食事会で、姉が弟・睦にブチギレたのだ。

『全部アナタのせいよっ。家族無茶苦茶にして、呑気に会社員謳歌して。私が何をしたって言うのよ!私の人生返してよっ!』

石川家の親戚が少なかった為、石川に懇願されて陣内も夫婦で出席した。だから、その時の事をよく覚えている。その時の、姉の狂気じみた目を、心底弟を恨んでいる目を。そして、それをニヤけ面で見ていた婿養子を。恐らく、姉の夫婦生活は辛いものだったのであろう。そして母親の葬儀から数年経つが、辛い夫婦生活はずっと続いていたのであろう。

『ふぅ〜、さて仕事に戻っかな。』

そこまで振り返ったところで、陣内は煙草を揉み消し職場へと戻った。

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