第8話 慌ただしい年の瀬

 火曜日のランチタイム、飛鳥は相沢の話を聞きながら心地良い疲れとささやかな眠気に襲われていた。すると、相沢が眠気の吹っ飛ぶ様な話をしてきた。週末に彼氏と街をブラブラしていたら、森高と石川が二人で買い物してる所を見たと言うのだ。クリスマスイヴという、特別な週末にである。

『くっ付いてはなかったんですけど、何か気持ち悪くありません?休日に、上司とプライベートでお出かけするなんて。土曜日だったんで、その後はどうしたか分かんないですけど。日曜日は、イヴだったじゃないですか。それを考えると、可笑しいじゃないですか。そんな特別な週末に、歳の近い同僚ならまだしもねぇ。二十歳以上離れた、直属の上司と過ごしますかってんですよ!』

ゴシップ雑誌の様なネタに、飛鳥は話半分で聞いていが相沢の言う事も分かる。確かに、休日まで一緒に居るのはあり得ない。しかも、前日とはいえイヴの週末に。確かにそうだなと思いつつも、今日の昼過ぎから専務と話し合う靖久の事が飛鳥には気掛かりであった。

相沢に微笑みながら相槌を打っているとき、飛鳥はスマホがバイブで震えているのに気が付いた。モニターには、非通知の文字。仕事関係の電話かもしれないので、飛鳥は席を外して電話に出た。

『はい。橋本で御座います。どちら様でしょうか?』

『 ・・・・。』

『もしもし、どちら様でしょうか?』

『 ・・・・。』

何も言わない相手に業を煮やし、電話を切ろうとしたその刹那・・・・相手が囁く様に何かを言った。

『筒井です・・・・。』

『・・・・!』

『判りますよね!・・・・・筒井瞳です!』

飛鳥は、心臓が止まりそうになった・・・・・。




 靖久は加藤との昼食をいつもの出前ではなく、なるべく静かな場所で話をしようと外へ出た。個室のちゃんこ屋に、前日予約を入れていたのである。

『すみません、予約をしてる筒井ですけど。』

二階の個室に案内され、お互い衣紋掛けにコートと上着を掛けたところで加藤が口を開いた。

『社長、また良い処をご存知ですねぇ。』

『いや、実は初めて来たんですよ。ネットで評判が良くって、前から気になっていたんです。なるべく静かな処が良かったんで、ここなら丁度良いかなと思って予約したんですよ。』

二人が座り、店員が配膳を終えたところで加藤がゆっくり話し出した。

『瞳ちゃんとの、離婚の話し合いは如何ですか?・・・始まりましたか?』

『弁護士に相談を始めたばかりで、まだ何も進んでないんです。まだ・・・・』

湯気も立っていない鍋を、見つめながら応える靖久に加藤が聞いた。

『社長・・・・色々話す事があるんですが、話す事が多過ぎましてねぇ。まず、社長のお気持ちの確認をさせていただきたいと。それと、今現在の状況を話せるところまでで良いんで教えていただけないかと思いましてね。』

いかにも、思いやりのある加藤らしい聞き方だなと靖久は思った。

『えっと、どこから話しましょうか。ん〜まず・・・・先日加藤さんに言われました通り、自分には瞳以外に・・・・好意を持ってお付き合いをしている女性がいます。お察しの通り、一年に満たないくらいのお付き合いになります。』

靖久は、お茶を一口含み続けた。

『そして先日、瞳から恵比寿のホテルに呼び出されましてね。彼女と一緒にいる所を撮られた動画を、その時に見せられました。それでまぁ正直に認めたところ、離婚してくれと言われましてね。そして、それに同意をしてその日は終わりました。瞳とはそれっきりでして、とりあえず弁護士さんに相談している段階です。』

湯呑みのお茶を啜りながら、静かに加藤が聞いてきた。

『優樹君と葵ちゃんの事は、どうお考えですか?』

『実は瞳に離婚を切り出された時、子供は渡さないという事と会社を辞めてくれという事を言われました。自分と致しましては、全面的に自分に非が有る事なので望み通りにしてあげたいと思っています。子供の意見も聞いてあげたいんですけどね、自分の勝手で仕出かした事なんで。まぁ何とも・・・・。』

『そうですか。それで、今はその女性のお宅から通われているんですか?』

『あっ、・・・・はい。恥ずかしながら。』

加藤は眉間に皺を寄せて、少し間を置いてから言った。

『先日、・・・・課長の陣内君から話しを聞きましてねぇ。』

靖久は「何で?」・・・っと、訝しげに加藤を見た。

『瞳ちゃんの事を聞くにあたり、彼に話しを聞くのが良いのかもと思ったんです。実は私ねぇ、陣内君は瞳ちゃんの古い友人か何かだと思っとった訳なんですよ。ところが、全然違いましてね・・・・。』

「そりゃそうだろう」と靖久が聞いていると・・・・・

『知ってましたか社長?・・・・陣内君、実は瞳ちゃんの腹違いの弟だって。』

靖久は、飲みかけのお茶を噴き出した。

『ブッ・・・・・えっ・・・・えぇ〜っ!』

絶句している靖久を見ながら、真剣な面持ちで加藤は続ける。

『それで別に瞳ちゃん本人に聞いた訳でも、探偵に頼んだ訳でもないので確証はないんですが。どうも瞳ちゃんにも、後ろめたい事が有るみたいなんですよ。』

靖久は、「後ろめたい事?」っと思いながら返した。

『んっ、・・・・・と言いますと?』

加藤は、眉間に皺を寄せたまま続ける。

『最初は陣内君がその彼氏なのかなと思っていたんですが、弟だという事を言われた時に瞳ちゃんにもですね。そういう、・・・・人に言えない関係の存在を教えてもらいましてねぇ。だとしたら、社長が全てを背負う必要はないかと思うんですよ。会社と致しましても、社長をそう取っ替え引っ替え出来ませんしね。弁護士を交えて話し合いをするのであれば、その事も一緒にしっかりと話し合われた方がよろしいのではないのかと。私としては、そう思うんですよ。』

靖久は、言葉を失った。呆然としている靖久を見て、加藤がゆっくりと続ける。

『こんな事を私が言うのはなんなのですが、急がずゆっくり調査をしてみてはどうですか?』

加藤は他の事は何も言わずに、しっかり調査をする事を勧めた。

『そのプロの調査で、いろんな事が明るみに出れば良いのではないかと。確証の持てる情報を基に、離婚の話し合いをするべきだと思いますよ。』

『あっ、あ・・・有り難う御座います。そっそうですね、一度調査をしてもらう事にします。すみません、御心配おかけしまして。』

二人は、言葉少なく食事を始めた。




 飛鳥は言葉を出せないまま、電話の向こうにいる瞳の怒気どきを感じ取っていた。怒りに震える、重く刺々とげとげしい空気を感じていた。

『初めまして、筒井瞳です。あなたが、・・・・橋本飛鳥さん?』

『はっ・・・はい。初めまして、はっ・・・橋本です。』

飛鳥は応えながら、自分の声が震えているのが分かった。

『主人の靖久が、・・・・随分お世話になっているみたいですみませんね。それで貴方に言っておきたい事があって、お電話させてもらったんだけど。・・・・仕事中だろうけど、お時間は大丈夫よねぇ?人様の主人寝取るくらいなんだから。』

『 ・・・・・。』

何も言い返せない飛鳥に、瞳は語気を強めて畳み掛ける。

『離婚はしてあげるわ!あの人もあげる!だから、「調停離婚」や「裁判離婚」にならないようにしたいと言う事。それをまず分かってもらった上で、「親権」と「養育費」と「財産分与」と「慰謝料」についての話し合いをしたいって事。そしてさっさと「離婚協議書」を作って、離婚届を出すのがお互いにとって一番良い方法だと思うのよね。そう、・・・・お互いにとって最善の策だと思うの。』

『・・・・・。』

飛鳥は、何も言えずに固まっていた。

『それを、・・・あの人に伝えてもらいたいのよ。もう弁護士に相談はしていると思うから、どうすれば良いかはあの人も分かっている筈よ。いい、分かった?今夜にでもあの人に、ちゃんと伝えといてよね?』

『・・・・・はい。』

飛鳥は、蚊の鳴く様な声で返事をするのがやっとであった。

『小娘の火遊びにしちゃ、・・・過ぎた事しでかしたのよアンタ。解ったわね!あの人にちゃんと伝えときなさいよ!』

そう言うと、瞳は電話を叩き切った。飛鳥は雷に打たれたかの様に、真っ青な顔をして席に戻った。そんな飛鳥に、驚いて相沢が声をかける。

『飛鳥さん。如何したんですか?具合悪いんですか?顔真っ青ですよ?』

大丈夫と言いながら、飛鳥は体の震えを抑えるので必死だった・・・・。




 仕事を終えて、陣内は石川と待ち合わせをしていた。日曜日に連絡をもらい、瞳の危機だという事で直接話すことになっているのである。

『敬さん、待った?』

陣内は首を横に振りながら、向かいにある店を指差し一緒に向かった。

『忙しかったか?悪い〜なぁ。』

『うううん。大丈夫!敬さんとのアポだもん。大丈夫だよ。』

陣内は、石川を昔っから弟のように可愛がってきた。ほっそ細の高校生のくせに瞳のデートクラブでバイトして、喧嘩は弱いくせにいっつもトラブルには巻き込まれる。無性に可愛い弟みたいで、今でも呑みたくなると呼び出しているのだ。日曜日の電話の後、陣内なりに頭の中を整理させていた。

『敬さんは?暇してんの?』

『馬鹿言え!忙しいんだけどお前と呑みたいんだよ。この前の続きもあるしな!』

石川は、笑いながら聞いている。

『でよぉ、姉貴とは如何すんだ?なんだかんだで、姉貴離婚するだろ。そうなると再婚相手は、もしかして睦・・・・お前か?・・・・・んっ?』

陣内は、笑いながら聞いた。

『ん〜瞳ちゃん、再婚はしないんじゃないかなぁ?多分だけどね。』

『しかし、どうするつもりなんだろうなぁ。』

陣内は石川を見ながら言った。

『つぅかぁ、もしもの時には面倒見れんのか?まだまだガキっぽいお前がよぉ。』

アルコールも入って、陣内は声も大きく石川に話し出した。

『ん〜、大丈夫だよ。俺も結構、大人になってるんだよ。』

『はぁ?しょうがねぇ奴だなぁ。』

『でも、瞳ちゃん大丈夫かな?』

『・・・・どうだろうな、慰謝料にしても養育費にしてもさ。ああ後財産分与にしても、話がまとまらなければ面倒だろうな。お互い弁護士たててやるんだろうし、うまく折り合い付けるんじゃねぇのかな。でも姉貴もさ、ちょっと調べられたらバレるんじゃないのかな?裏の事とかも全部。やべ〜んじゃねぇ?』

『あっ!それが融さんも言ってた、表も裏もほっとかないだろうって事?』

陣内は、顰めっ面で言った。

『あの、ネチネチ野郎か?まぁ、恭介に相談してるよ。表は、無理かなぁ。警察も税務署も無理!』

陣内は、ジョッキを一気にあおって続ける。

『それに、姉貴に言っちゃったんだよなぁ〜俺。もう、味方しねえぞって。』

『そんな事言わないでさぁ、本当はそんなつもりないんでしょ。恭介さんにも相談してるんだったら、尚更瞳姉の事心配してるんじゃん。』

『うるせえよ!』

『でも、・・・・・敬さん何で味方しないなんて言ったの?』

石川が、不思議そうに聞いた。

『何でって、俺に秘密にしてた事があるだろ?今まで散々俺達に汚ねえ仕事させといてさぁ、そんで隠し事してたなんてムカつくだろ!』

『俺も・・・・・?』

陣内は石川を見て、・・・ニヤリと笑いながら言った。

『そうだよ、お前もだよ!この馬鹿が!』

そう言って、陣内は石川のおでこをペシっと叩いた。

『だって、瞳ちゃんが誰にも言うなって!約束だって言われて・・・・。』

『分かった、分かったって。』

今度は石川の頭を撫でながら、陣内は口元を緩めて言った。

『お前は、素直すぎるんだよ。姉貴にしても融の野郎にしても、お前の実直なとこに付け込んでるんだぞ。良い加減気付け?お前は、利用されてんだぞ!』

陣内は、石川の頭を軽く小突いた。




 飛鳥と靖久は、長崎倶楽部で待ち合わせていた。飛鳥が、定番の黒ビールとピスタチオを頼んだところに靖久が入って来た。

『お待たせ飛鳥ちゃん。うう〜。』

泣く真似をしながら言う靖久に、まだ青っぽい顔をしていた飛鳥が言った。

『待ってないけど・・・・瞳さんから電話があったよ・・・・。』

靖久も、顔を真っ青にした。

『えっ、・・・・・うっ嘘やろ?』

絶句している靖久に、飛鳥が畳み掛ける。

『「仕事中だろうけど、時間大丈夫?ああぁ、人様の主人寝取るくらいだから大丈夫だよねぇ?」って言われた・・・・すっごい怖かった!電話越しでも、物凄く・こ・わ・か・っ・た・!・』

潤んだ目をして訴える飛鳥の手を、軽く握りしめて靖久が言った。

『ごめん飛鳥ちゃん。怖い思いさせたね。・・・ごめん。』

冗談半分で、飛鳥が揶揄う様に言う。

『ここで、チューしてくれたら許してあげるよ!』

照れながらも、靖久は顔を真っ赤にして軽く頬にキスをした。

『あっ・・・・本当にキスしてくれたぁ。』

飛鳥は、顔を擦り付けながら喜んで靖久に言った。

『ヤス君、大丈夫だよ。怖かったけど、気付いた事もあるんだ。』

『えっ、えっ、なっ・・・・・何?』

飛鳥は、少しニヤけながら言う。

『奥さんが、何で私の電話番号を知っていたのかって事だよワトソン君!』

キョトンとして、靖久が飛鳥を見ている。飛鳥は、そのまま続ける。

『弁護士にしても、警察じゃないんだから私の番号を簡単に調べられない。勿論、ヤス君から聞く事も出来ない。じゃあ、どうして知り得たの?』

飛鳥は、悪戯っぽい笑みを浮かべて靖久に聞いた。

『んっ、さあ?・・・・・解んない?』

ふっふ〜ん。という顔をして、飛鳥が言う。

『私の電話番号を知ってる人って、この世の中にそんなにいない訳でしょ?それでその限られた人の中に、私達と奥さんとの共通の知り合いっていうか。友達というか職場の人とか、何だかの関係がある人がいるって事よね?』

靖久は、ボ〜として聞いている。

『・・・・・でっ?』

『だ・か・ら・私達が知ってる人で、奥さんと私の共通の知り合いがいるって事になるでしょ?その人が、私の電話番号教えたって事。』

『・・・・はぁ?』

『私が、殆ど番号を教えないのにも拘らず知っている人がいる。その私の電話番号知ってる人の中に、奥さんの瞳さんと知り合いの人がいるって事!極端に言えば、私のスマホの連絡先に登録している人の中にいるって事。』

靖久は、少し考えて返した。

『あ〜っ、そうかっ!飛鳥ちゃんスゲェじゃん。マジでホームズやん。』

『そうヤス君の離婚を知っていて、私の電話番号を知っている人がいる。そういう事だから、気を付けないといけないよ。』

『 ・・・・何で?』

また、キョトンとした顔して靖久が聞く。

『だって、情報戦でしょ?こういうのって。』

あっ、そういえばという感じで靖久が言った。

『そういえば・・・・昼、加藤さんと話したんだけど・・・・。』

飛鳥が聞き入る。

『しっかり調査して、離婚の話し合いをしろって言われた。』

『・・・・んっ?』

飛鳥は、何か気になる感じがした。

『なんか、瞳にも後ろめたい事があるかも知れないからって。探偵でも何でも頼んでしっかり調べてから、不利にならない様に離婚の話し合いをしろって言われたんだよねぇ。』

『あっ・・・・。』

飛鳥が、昼の電話の内容を思い出して言った。

『そう言えば奥さん電話でヤス君に伝言って言うか、私に説得しろって言い方だったんだけど。お金の事とか早く決めて、早く話し合いを終わらせる事がお互いの為だって言われた。それを、ヤス君に言っといてくれって。あの時は怖くて何も思わなかったけど、今考えれば早く終わらせたい事が全面に出てるよね。時間を掛けたくないんだろうけど、それは子供さん達の為ではないのかもしれないって事かな?』

靖久は、飛鳥を見ながら言った。

『やっぱり、何かあるのかな? 兎に角、・・・・調べてみるか。』

『うん。今までは、加害者での立場でしか考えてなかったからさ。一度、お互いの事を理解する良い機会なんじゃないかな。何にもなかったとしても、初めっからこっちが悪いのは分かっている事なんだし。』

飛鳥と靖久は業火の中でも、二人でいる事で身も心も焼かれる事はなかった。

そして、気持ちをしっかり保つ事が出来た。




 翌日の水曜日。靖久は加藤の勧めもあり、瞳の調査を探偵事務所に依頼する事にした。飛鳥がネットで調べてくれた、「原田探偵事務所」というところである。

靖久は専務の加藤に頼んで、組合の会合に代理で出席してもらい探偵事務所に向かっていた。今週で仕事納めという事もあり、年内に依頼を済ませておきたかったのだ。代々木上原駅を降りて、井の頭通りを渡ったビルの二階にその探偵事務所はあった。

『すみません、先程お電話した筒井と申します。』

ノックした後に、ドアを開けて声をかけた。・・・・・が、返事はない。

『すみませ〜ん・・・・・。あの〜・・・・・。』

すると、背後から女性の声がした。

『あぁ〜、筒井さんですかぁ?』

靖久は、ビクッとして振り返る。すると、ショートカットの女性が買い物袋を持って立っていた。

『はい、筒井です。』

『さぁ〜どうぞどうぞ、お入りになって下さい。お待ちしておりました。』

靖久は「嘘だぁ〜、今帰って来たくせにぃ〜。」っと、ツッコミたいのを我慢しながら軽く会釈をして事務所に入った。

『いらっしゃませ。原田探偵事務所の、”所長”原田です。』

深々と頭を下げて名刺を差し出す女性に、気後れした靖久は情けない声で返事をしてしまった。

『どうも、筒井です。よろしくお願いします。』

『では早速、御依頼内容をお伺いしてよろしいですか?』

靖久は、気を引き締めて話し出した。

『実は、・・・・・。』

靖久は、大まかな依頼内容を説明した。

『っという事は愛人を作って離婚するんだけど、奥さんにも何か落ち度がないかを調べて欲しいと言う事ですね。協議離婚を不利に進めない様に、奥様に何か不都合な事がないかを調をべてくれと言う事ですねっ?』

靖久は呆気に取られて、返事が出来なかった。

『筒井さん?そういう事でいいんですよね?』

『あっ、あっ、はい。・・・・・お願いしたいんですが。』

『了解致しました。お任せ下さいませ。これは当事務所の、最も得意とする分野で御座います。御安心下さい。奥さんの化けの皮を、剥いで差し上げますんで。』

「お〜っとっと、パンチの効いた探偵さんだぞぉ〜。」と、靖久は思った。

別に化けの皮剥いでくれとは言ってはいないが、何となく飛鳥と話している様な錯覚を感じさせる彼女に依頼する事にした。

『原田奈々美さん、所長さんなんですね。よろしくお願いします。』

『はい、お任せ下さい。』

自信に満ち溢れた返事で、頼もしさが感じられた。

『すごい場数踏んでられるんですか?頼もしい限りです。』

靖久が少し持ち上げて言うと・・・・・

『なぁ〜におだててんすかぁ、筒井さ〜ん。任せて下さいよ。記念すべき初依頼なんで、キッチリやりますよぉ!私一人だけど、キッチリ!』

靖久は、口を開けたまま固まった。




 瞳は、玲子に呼び出され実家に来ていた。キチンと説明をしてくれとの電話攻撃に根負けして、昼食をご馳走してもらいがてら帰って来たのである。

『あんたねぇ、しっかり説明しなさいよね。離婚する事になったからってだけで、何処の誰が納得するのよ!いいかげんにしなさいよ!』

今までのストレスを、玲子は全てぶちまける様に瞳に言った。

『だからぁ〜、パパが浮気してたの!それだけ。』

勘弁してくれとばかりに、瞳がたじろぎながら返す。

『だからって、離婚する事はないでしょ?優樹と葵はどうするの?かわいそうでしょ?離婚しない様に話し合えばいいんじゃない!そうしなさいよ。』

畳みかける玲子に、瞳はたじろぎながらも・・・・・

『パパも、離婚には同意してるの!私だけが、離婚したいって言っている訳じゃないのよ。二人で納得して、離婚に向けて話しを進める事になったの。』

終わりのない会話に、瞳はストレスを蓄積させていった。




 飛鳥は帰って来た靖久に、探偵についての話を聞いていた。

『兎に角、パンチ効いてんだって。お任せ下さいって言うからさ、相当場数踏んでるんでしょって聞いたんだ。そしたら、初めての依頼だからキッチリやるんでお任せ下さいだって。』

靖久は、笑いながら続ける。

『そんで名刺にさぁ、所長って書いてあんの。だからさぁ、何人かのチームでやってんのかなぁって思ったらさ。一人なんだって。もう、最高!』

飛鳥も、思わず一緒に笑った。

『でね、兎に角自信たっぷりなの。最も得意な分野だって言って、「お奥さんの化けの皮剥いで差し上げます。」って言うんだよ。』

『ぷっ・・・・。』

これには、さすがの飛鳥も吹き出して笑った。

『愛人作って離婚するんだけど、奥さんにも落ち度がないのかを調べるんですよねって言うの。これは協議離婚で、不利にならない様にする為なんですよねって俺に聞くんだよ。本当、あぁ〜漫画に出てくるこんな人って思っちゃったぁ。流石に俺もさ、マジで固まっちゃったもんなぁ。』

『まぁ、頑張ってくれるんじゃない。奥さんの化けの皮の事は、よく分かんないけどね。専務さんが、調べた方が良いって言うんだから念の為に。ねっ、ヤス君!』

二人は、笑いながら夕食を摂った。この原田奈々美という探偵が、とんでもない情報を持って来るとは夢にも思わずに・・・・。




 年も押し迫った、年内最終木曜日。手始めに原田奈々美は、瞳の交友関係から当たっていた。まずは「敵?」を知る事から始めるというのが、”探偵”原田奈々美のモットーなのである。

『さぁ、初仕事だよ。キッチリやりますよぉ〜!』

奈々美は、大学時代からつい最近まで大手探偵事務所でバイトをしていた。知識も経験も、それなりに積んではいる。そんな簡単な世界ではない事も十分解ってはいるのだが、自分が本当にやりたい事を仕事にっという事で開業したばかりの探偵だ。浮気調査等、バイト時代の経験と人脈を活かしてクライアントの期待に応える。バイト時代の先輩からも、何かあればいつでも手伝ってくれると言っもらっていた。

『兎に角、全力で頑張りますよ!』

まずは、瞳の私生活の矛盾を探っていく。普通の主婦の生活をしていれば、それはそれを報告するだけだし。少しでも可笑しな事があれば、そこを掘り下げて調査する。こうして、やる気満々の奈々美は瞳に張り付いていた。

『よぉ〜し、化けの皮剥いでやるからねぇ奥さん!』

探偵は、張り切っていた。そして、数時間張り付いてみて奈々実は思ったのだった。

『何この人!この年の瀬に子供預けて出掛けてた挙げ句、高級ホテルのラウンジで電話ばっかりしちゃってさぁ。怪しいったらありゃしない!』

そう呟きながら見張っていると、奈々美は自分以外にも瞳を見張っているであろう数人の男達に気が付いた。

『刑事・・・?でも、あっちの方は・・・?こっちは、いかにもって(刑事)感じだけど。・・・向こうは・・・。』

瞳を注視している連中も、三つのグループに分けられると奈々美は見ていた。一つ目は、警察関係者であろうグループ。二つ目は、いかにもヤバそうな感じの怖い系グループ。そしてもう三つ目が、自分と同業者っぽいグループだと。

『何?このホテルのロビーにいる人間の、・・・・半分以上の人の視線が奥さんに注がれているんだ。ヤバ系の仕事かなぁ?報酬弾んでもらえるかも!』

奈々美のやる気は、益々燃え上がっていった。

 瞳は、石川に電話をかけている。靖久との離婚に向けて公になるのは御法度の為、暫くは会えない日々が続くからである。

『あぁ、睦?・・・・・あたし。どうしてる?寂しいでしょ?私も。取り敢えず暫くは、会えないけど我慢してね。』

『・・・・・。』

『そんな事はないって、私だって寂しいに決まってるじゃない。睦に、会いたくて寂しくって疼いてるんだから。睦も、我慢してよねっ。』

『・・・・・。』

『そうね、今後の事はまた後でね。うん、じゃあねぇ。』

電話を切り溜め息を吐く瞳を、奈々美は見落とさなかった。

『ふ〜ん。ありゃ男だな!あの目は、恋をしている女の目ですよ!』

奈々美は、探偵の勘でピンっと来ていた。この筒井瞳って奥さんは、普通の女性ではないって事を。映画やドラマっぽく言うと、「カタギの女」じゃないって事にピンッときたという事だ。なんだかんだ言っても、奈々美には探偵として十年のキャリアがある。この十年間に、色々な人間を見てきた。こんな高級ホテルのラウンジで、この年の瀬にひっきりなしに電話している奴がまともな訳がない。身に着けている物も、バックやアクセサリーにしても全部高級ブランドのものだ。いくら社長夫人だからって、旦那に浮気された女の装いではない。ここ暫くというよりも、この数時間ホテルのラウンジでの瞳を見て感じていた。

『この人、叩けばどんだけ埃の出る事やら。』

そう呟きながら、デジカメで瞳を撮っていた。その時、奈々美は後ろから肩を叩かれる。そして、抑えた低い声で囁かれた。

『えっと、原田さんで良いんだよね?』

奈々美は、ビクッと大きく肩を窄めた。そして、・・・・ゆっくりと振り向きながら返事をする。

『えぇ〜、・・・・・はい。・・・・・どちら様です?』

奈々美が振り向くと、身長百八十五はゆうにある細身の男がいた。男は奈々美を睨み付けながら、もう一度確認する様に言った。

『原田さん、・・・・・ですよね?』

全身を黒でキメたスーツの男は、ジャケットの内側に手を差し込んだ。

「ヤバイ・・・・・!」

奈々美は、心臓が張り裂けそうになりながら身構えた。

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