第6話 混沌とした現実

 金曜日の午前中、南州製薬の本部長室に森高と石川の姿があった。飛鳥のチームから離れて、今日からは森高の常務取締役選に向けての仕事に取り組むからである。

『先ずはお疲れ様でした。いくら瞳君絡みの案件とはいえ、広告宣伝なんて無関係のプロジェクトは居心地が悪かったでしょう?』

石川は、肩を竦めながら応えた。

『プロジェクト内容よりも、完全アウェイの中だったんでですね。居心地は、もう最悪でしたよ。はははっ・・・・・。』

『昨日、瞳君から電話がありましてね。新たな展開になると言う事でしたんで、橋本飛鳥さんの調査は終わりにしましょう。これからは御主人との話し合いを、どのように進めるのかと言う事みたいですのでね。日曜日の恵比寿に、貴方もいたんじゃないんですか?』

森高はソファーに深く腰掛け、石川を見上げる様に聞いた。

『ええ、一応二人で話し合う様子を録画しておこうという事だったんで。少し離れた所で、動画を撮りながら見ていました。』

森高は立っている石川に座る様に勧めながら、詳しく話せと言わんばかりに目を輝かせた。それを見て石川は、口元を緩めながら対面のソファーに座る。

『まったくぅ〜、融さんも好きですよねぇ。』

『そうですねぇ。昨日の瞳君の様子からすると、余り良い話し合いじゃなかったみたいですのでねぇ。それで、瞳君は何が気に入らなかったのですか?もう少し時間をかければ良かったものを、如何して焦って呼び出してしまったのでしょうか。』

『焦ったって訳じゃないんでしょうけどね。ビジネスの方も、また少しの冷却期間を持とうと考えているみたいです。ですので、離婚問題に集中するつもりなんじゃないんですかね。でもまぁあの動画を見た途端、今が頃合いだと感じたって言っていましたよ。かなり、あの動画の事を気に入っていたんで。』

森高は頷きながら、陣内との件についても聞き出した。

『離婚の話し合いは、御主人側に既成事実がある以上大丈夫でしょう。陣内君が、可笑しな事をしなければですがね。』

石川が、不思議そうな顔をして聞いた。

『敬さんが?何で敬さんが、・・・・・可笑しな事を?瞳姉の離婚に、支障が出るかもしれないと?』

『そうです。ですので、そこの所を詳しく聞きたいと思いましてねぇ。こんなつまらない事から、瞳君のビジネスが可笑しくなってしまう可能性もある。そうなると私にも波及しかねないし、勿論私達のビジネスにも良からぬ影を落とすかもしれないですからね。それで陣内君は、瞳君とたもとを分けそうですか?』

『えっ・・・・、瞳姉と敬さんって揉めたんですか?』

『そうですか、・・・貴方には言っていませんでしたか。何やら水曜日の夜に、揉めたらしいですよ。もう協力はしないと言って、物別れになってしまったと言っていました。』

石川は、少し顔を青ざめさせて聞いていた。

『まあこれは、貴方が気にする事ではありません。姉弟で、解決しなければならない問題でしょう。ですが、貴方から陣内君へのフォローもお忘れなく。そうする事で、きっと元の鞘に収まるでしょうから。それでは、・・・・・常務取締役選に向けての話しなんですが・・・・・。』

二人は、仕事モードに切り替えて話しを進めていった。




 その日の夕方、飛鳥と靖久は品川駅を走っていた。

『ごめん、飛鳥ちゃん。出遅れちゃった。』

『大丈夫。この羽田行きに乗れれば間に合うよ。』

二人は、何とかお目当ての電車に乗り込む事が出来た。十九時十五分発のXXX航空長崎便に乗る為である。便利な時代になったもので、二十四時間ネットでチケットを購入出来る。夜更けに金曜日〜日曜日の往復チケットと、長崎市内での二泊分の宿泊先を予約出来たのである。二人は仕事終わりに、品川駅構内で待ち合わせをしていたのだった。

『あ〜良かった。ギリやったやん。』

『本当!マジギリでしたよぉ〜ヤス君。』

キッ、と睨む様に飛鳥が靖久を見た。

『ゴメン、ゴメン。申し訳御座いませんでしたぁ〜。』

靖久は機嫌を取る様に笑いながら言い、飛鳥を覗き込む様に見て続ける。

『でも、久々だな!なんかワクワクしてきた。んっと・・・・着くのが二時間後やから、晩飯食う所あんのかな?市内着くのが、二十二時過ぎるやろうからね。』

飛鳥が、腕時計を見ながら言う。

『取り敢えずホテルに直行して、部屋に荷物を置いてからにしようよ。』

靖久は、敬礼をする様に右手を挙げて言った。

『あ〜い。』

スマホで搭乗手続きを済ませ、手荷物を預けて保安検査へと向かった。保安検査場を抜けて、搭乗時間までをラウンジで過ごす。

『まあ、今回はお互い実家には寄らないからね。お土産はいらねぇか。』

『うん、そうだね。今回はこっそり帰ろうね。次帰った時に・・・・ねっ。』

そうしている内に出発時間を迎え、二人は機上の人となった。靖久は瞳との話し合いの時の事を、瞼を閉じて思い返していた。どんなに辛辣な事を、どれだけの時間言われても構わなかった。

当然、根本的に非があるのは不倫をした自分なのだから。だが、何の罪もない子供に悲しい思いをさせなければならない事。

そしてその二人の子供達に会えないまま、離婚の話し合いが進められて行くのだろう事を考えていた。飛鳥は、隣で瞼を閉じたまま眉間に皺を寄せるてい靖久をおもんばかった。そして靖久の左手を、優しく両手で包み込んだ。

 約二時間のフライトののちに長崎空港に着くと、二人は急いで長崎市行きの高速バスに乗った。そして高速バスは、高速道路を四十分程走り長崎市内に滑り込む。最初の停留所の、新地中華街で二人はバスを降りた。

そして横断歩道を渡り、予約しているホテルへと急ぐ。中華街を右手に見て、二つ目の橋を左に渡る。そして、そのまま真っ直ぐ進む。すると、二・三件行った左手に目当てのホテルがあった。

『フロントは、上にあるんだね。・・・・・なんか、ホテルって言うよりもマンションぽいよねぇ。』

靖久がそう呟くと、飛鳥が少し口元を緩ませて言った。

『最近のトレンドは、こんな感じなんですよワトソン君!』

靖久は、口を尖らせて応えた。

『ふん〜っだ、チェックインしてすぐ出ようよ。俺は、もう腹ペコだ!』

チェックインを素早く済ませて部屋に荷物を置くと、飛鳥と靖久は新地しんち(中華街)方向へと出かけた。二十二時半を過ぎた中華街は、殆どの店のネオンが消されていた。

『あれ〜、飛鳥ちゃん。もう、殆ど閉まってるや。どうする?』

『ちゃんぽん食べたかったなぁ。ヤス君どこかに、・・・・・早く連れてけ!』

ある程度探しても、殆どの店が閉まっていた。中華街での食事を諦めた二人は、銅座町(飲食店街)方向に向かって歩き出す。

『流石に金曜日でも、時間的に閉まっているところが多いなぁ。』

飛鳥が横道を覗き込んでいると、少し先の横断歩道の所で靖久が手を振り何かを言っている。飛鳥は、にこやかに返事をした。

『なぁ〜に。』

靖久が、小走りで飛鳥の下までやって来た。

『ラーメン屋だったらやってるよ。どうする?』

店の名前を見て、思わず飛鳥は笑ってしまった。

『そう言えば、あったあった三八ラーメンね!懐かしい。小さい時に、お父さんに連れられて来た事があるけど。暫く、来てないなぁ。』

そうして二人は、懐かしい店に吸い込まれて行った。

『おでん有るし、変わんないね。』

『ああ、一年中有るしね。ここは変わってないね。』

おでんを何品か装い、二人はラーメンを注文した。

『昔っから思っていたんだけど、何で店の名前って「サンパチ」なのかなぁ?』

そう聞いてきた飛鳥に、靖久は笑いながら応えた。

『あれれ〜お子ちゃま飛鳥ちゃんは、ちらない知らないんでちゅかぁ〜?』

飛鳥は、口を尖らせながら聞いた。

『ねぇ〜、何で〜?』

『そっかぁ〜、大分だいぶん昔だから飛鳥ちゃんは知らないか。俺がガキの頃はまださぁ、ラーメン一杯三百八十円だったんだよ。だからなんじゃないかなぁ。』

遅い夕食を済ませ、散歩がてら少し散策をして二人はホテルに戻る。明日の予定を話しているうちに、いつの間にか二人は夢の中なのであった。




 土曜日の十時頃に自宅を出た加藤は、御徒町に向かいながら考え込んでいた。というのも今日課長の陣内を・・・いや、瞳の異母姉弟である陣内を呼び出しているからである。恐らく陣内は、事の顛末を一番理解しているであろう人物だと思っている。

入院を控えた加藤は、鍵を握るであろう陣内に話しを聞く事で瞳の事を知るべきだと思っていた。恐らく自分が知っている瞳は、先代の一人娘としての瞳だろうと。

奥さん(大園玲子)の悩みの種で、現社長の妻筒井瞳の本当の姿は別にあるのだろうと。その本当の瞳の事を理解しない限り、奥さんを安心させる事は出来ないと。社長が良い女性ひととの事を打ち明けるとしても、瞳の本当の姿を知ってからが良いに決まっているからだ。特に、二人の子供の事を考えると。

それに息子の言っていた、瞳に関する黒い噂話の事も何か分かるかもしれない。そうすれば少しでも良い方向に、僅かであっても良い方向に事態を向かわせる事が出来るのではないかとも思っていた。

『さて、どう切り出せば良いものやら。』

加藤はボヤく様にそう呟き、改めて陣内と会う事に緊張を覚えた。先代が陣内を連れて来た日から、もう十年くらい経つだろうか。あの時の、何ともだらしのないファッションの陣内を思い浮かべる。それを考えたら全然落ち着いたし、仕事もよくやってくれている。だがもし恵比寿で瞳に声を掛けられる少し前に見た男が、陣内なんだとすれば少し不安に思う事もある。

初めて会った時はファション事もあり、先代は何処からこの不良を連れて来たんだと思ったものだ。その頃の面影が・・・・・、あの時の男に感じられたからだ。

それに噂話しにしても、先日陣内に似た男を見かけた場所も気になる。

噂話の内容も、瞳と陣内似の男を見た場所も恵比寿なのだから。

『やれやれ、先代はこの事知ってたのかなぁ?ふぅ〜・・・・・』

大きな溜め息を吐き、加藤は腰を庇いながら駅へと急いだ。




 飛鳥と靖久は、軽く朝食を済ませて街に出た。観光客に混ざりながら、見慣れた街を観光して濃厚だった一週間から解放されていった。昔から変わらない所、取り壊されて分からなくなっている所。久々の故郷に、二人は驚きながらもはしゃぎながら街を巡っていった。

『飛鳥ちゃん、ここら辺判る?俺、もう判んない所が多いや。道も、全然変わってしもうとるし。』

自分達の故郷の変化に、驚きと幾許いくばくかの寂しさを感じながら散策した。

有名なグラバー園や大浦天主堂のある南山手から新地に戻り、出島を通って大波止方面へ出たところで路面電車が見えてきた。

『飛鳥ちゃん、チン電(路面電車)乗って平和公園の方に行こうよ。そっちにさ、昔通ってた洋食屋さんがまだ在るみたいなんだ。そんでお昼ご飯は、トルコライスにしようよ。』

飛鳥は、子供の様に返事をした。

『うん!』

路面電車に乗って行くと、頭上に高架橋が通っていた。昨年、新幹線が開通したらしいのだ。変わって行く長崎を、故郷を複雑な気持ちで靖久は眺めていた。

『本当、・・・・・時代なんだろうなぁ。』

『どうしたの?』

『こうして街は変わって行ってるし、チン電にしてもスマホでモバイル一日乗車券が手に入る。便利で簡単になっちゃいるけど、何となくつまんなくなってしまった気もするんだよなぁ。』

『・・・・つまんない?』

飛鳥は、不思議に思って聞いた。

『うん。何か全てが、あっさりし過ぎててさっ。俺みたいな、オッサンにはね。』

『ん〜、そう言われればねぇ。』

原爆中心地から平和公園に着いた所で、押し車に群がる観光客の一団を見付けた。

『あっ、ヤス君アイスクリン・・・・・・だ。』

『ん、マジか。本気で懐かしいなぁ。』

これは、故郷以外では見た事がない。シャリシャリしたアイスを、ソフトクリームの様にコーンの上に乗っけてあるアイス。このアイスクリンを、二人はペロペロ舐めながら散策した。街を見下ろしながら階段を下り、また路面電車に乗って移動する。

『しかしさぁ、一日六百円で乗り放題って有難いけどさぁ。これで、利益あんのかねぇ?まぁ、大きなお世話やろうけど。』

そんな、たわいのない話しをしながら長崎大学辺りで下車をする。靖久は、大学正門前の通り向こうにある洋食屋に飛鳥を案内した。

『ここ、ここ。ガキの頃によく来てたんだぁ。よかったぁ、まだやってたんだぁ!』

二人は席に着き、トルコライスをオーダーした。




 土曜日の昼食時、陣内は加藤に食事に誘われていた。休日に呼び出されるなんて初めての経験の為、陣内は緊張しながら御徒町へと向かっていた。約束の時間より早めに着いたにも拘わらず、改札の向こう側に加藤が電話をしながら立っているのが見えた。陣内は小走りで、加藤の元へと向かう。

『すみません。遅くなりまして、お待たせしました。』

小走りで近寄って来る陣内を、加藤は少し驚きながら迎えた。慌てて電話を切り、照れ臭そうに頭を掻きながら言った。

『いやいや、俺が早く来過ぎたんだよ。歳取ると目覚めが早い分、何かと早め々になってしまってね。それより、悪いねぇ休みの日に。』

陣内は、恐縮しながら返した。

『とんでもないです。会社以外で誘っていただけるなんて、初めてなんで何か大事なお話しですか?自分、・・・・・何かしましたっけ?』

『いやいや、仕事の事じゃないんだよ。少し、陣内君に教えてもらいたい事があるんだよ。だから、気楽に引っ掛けながら話そうよ。イケる口だろ?』

加藤は、クイっとお猪口を煽る仕草をして言った。それを見て陣内は、小さく頷きながら応える。

『・・・・・はい。』

加藤は、少し先を指差しながら言う。

『じゃあ、昼からいける呑める処あるから行こうか。』

加藤に連れられながら、陣内は何の話しをされるのかを考えていた。

『陣内君は、幾つになったのかな?』

『九月で、三十二になりました。』

『おぉ〜、若いねぇ。まだまだ、人生これからって感じで羨ましいよ。』

『・・・・・はい。』

何処となく固い陣内を、気遣いながら加藤は続ける。

『最近歳を取ったせいか、何となく昔の事を思い出す事が多くてね。ついこの間も、先代が陣内君を連れて来た日の事を思い出していたんだ。こんな威勢のいい若者を、先代は何処から連れて来たんだろうって思ったもんさ。』

『・・・・・はい。』

『まぁ、そんなに固くなんないでくれよ。寒いし、早く中に入ろう。』

そう言いながら、少し歩速を上げたのであった。




 石川と森高は、休日にも拘らず二人で昼食を摂っていた。趣味が高じてプロ並みの腕前の森高が、石川に腕を振るっているのである。

『いつもながら、流石の腕前っすよね。常務取締役になるよりも、広尾辺りに店出した方が良いんじゃないかなぁ?』

森高が、口元を緩ませながら言う。

『私が、誰にでも腕を振るうと思っているんですか?私が料理を作って差し上げたいのは、特別な人にだけなんですよ。貴方のようにね。お店などには、全く興味が湧きませんねぇ。』

暫しの沈黙の後、石川は本題を知りたくって切り出した。

『それで、何か込み入った話しなんですか?』

そう言うと石川は、ゆっくりと森高に視線を向けた。森高は、憎たらしい程の薄笑みを浮かべて応える。

『先日も申しました通り、そろそろ瞳君のビジネスから完全に撤退して下さい。会ったり、連絡をするのも控えた方がいいでしょう。』

驚いて返す言葉を失っている石川に、森高は薄ら笑いのまま続ける。

『あの手のビジネスは、短期間に回して上手くかわして行かなければならない。そうしないと、足下を掬われる商売ですからねぇ。そして、バックアップにしても気配りが大事です。』

『何か、マズい状況になってるんですか?』

森高は、小さく頷きながら返す。

『貴方は覚えていますかねぇ、陣内君達がボディーガードを辞めた後。誰が、瞳君のバックアップをしていたのか。』

石川は、思い出しながら応える。

『確か、・・・・・正仁会せいじんかいにお金払って頼んでいたと思いますけど。』

『使う所にお金を使わなければ、らぬ厄介事も火の粉も払う事が出来なくなってしまいます。昔っから瞳君には、口が酸っぱくなるほど言ってきた筈なのですがねぇ。この数年、瞳君は眼前のお金に目が眩んでしまったのでしょう。適材適所に人もお金も、使わなくなったようですから。』

石川が、顔色を変えて聞く。

『そんなに、・・・・・ヤバいんですか?』

『表も裏も、そんなに優しくはないでしょうからねぇ。果たして、・・・・・どうなるものやら。』

そう言うと、森高はワインを取りに席を立った。




 加藤と陣内は、広い居酒屋に入った。いつでも十一時から開いている事で有名なこの店は、もうすでに八割方は席が埋まっていた。取り敢えず生ビールの中ジョッキで乾杯を済ませて、焼き豚と焼き鳥を適当に頼んだところで加藤が口を開く。

『いやあ休みの日に呼び出して申し訳ないのだが、酒でも呑まないと聞けない話しなもんでねぇ。』

そう切り出した加藤を、陣内は訝しげに見ていた。

『先ずは、私の事から言っておこうかな。実はもう少ししたら、腰の手術の為に入院する事になったんだ。椎間板ヘルニアの手術で、術後の経過次第では復帰に時間がかかる事になる。それで先日、先代の奥さんに挨拶に行ったんだよ。』

陣内は、「手術」っと言う言葉に少し驚きを持って返した。

『そんなに酷いんですか?・・・・・だから自分に、ゴルフの接待を代わってくれと仰っていたんですね。それなのに、・・・・・すみません。自分が、もっと早く代っていればよかったんですよね。』

加藤は、陣内の意外なリアクションに少し引きながら話しを続ける。

『まあ若い時からのものなんで、陣内君が気にする事じゃやないんだよ。それで挨拶に行った時なんだが、奥さんに相談された事があってね。その事で、陣内君に話しを聞かせてもらおうと思ったんだよ。』

『はい・・・・・。』

『じゃあ、単刀直入に聴かせてもらうね。社長の奥さん、瞳ちゃんとは異母姉弟なんだよね。』

陣内は、意外にも落ち着いて返事をした。

『そうです、専務は御存知でしたか。隠しているつもりはなかったのですが、自分で言い出す事でもないと思いまして。今まで黙っていてすみません。』

陣内は、軽く頭を下げた。

『いやいや、陣内君が謝る事は何もないんだよ。そんな事は、会社の業務にはなんの関係もない事なんだから。』

『はい、専務。有り難う御座います。』

そう言うと、陣内は小さく手を上げて二人分のレモン酎ハイをオーダーした。

『それでね、君は知っているんじゃないかと思っているんだが。聞かせてもらいたいのは、社長と瞳ちゃんの事なんだ。』

加藤は店員がテーブルを片付けて、レモン酎ハイを置いて退くのを待った。そして、陣内を見ながらゆっくりと話し出す。

『君をこの前、恵比寿で見かけてね。その後すぐ、瞳ちゃんにも会ったんだ。社長との事、相談に乗ってあげているんだろ?』

陣内は、小さく頷きながら聞いている。加藤は、思い切って続ける。

『先代の奥さん(大園玲子)が、頭を悩ませているはその事なんだ。優樹君と葵ちゃんも、瞳ちゃんは実家に預ける事が多いと言っていた。奥様としては、お孫さんの事も含めて心を痛めてらっしゃる。それで、どうにかならないかと頼まれたんだよ。詳しい話しを、・・・・・聴かせてもらえないかい?』

鎌をかける様な聴き方だが、これが最善の聴き方だと加藤は思っていた。自分も大体の事は知っているのだから、君は当然もっと知っているだろう?

「お互いの知っている秘密と、お互いの悩みを共有しようじゃないか!」と。そういうスタンスだと、何か聴き出せるかもしれないという寸法だ。

陣内は眉間に皺を寄せて、レモン酎ハイのジョッキを睨み付けながら視線を上げずに言った。

『そうですか。専務も大変ですね。まあ、離婚という事となれば、致し方ないんでしょうね。』

加藤は内心「そこまで話しが進んでいるのか?」と驚いたが、悟られない様に頷きながらそのまま聞いていた。

『まあ、最初は軽いお手伝い感覚だったんです。ですが小遣いやるから、本格的に調べてくれって事になりましてね。それからは社長の愛人の素性から勤務先、二人でよく行く店から愛人のマンションまで。結局、三ヶ月程張り付く事になっちゃいましてね。先日解放されたんで、もう終りましたけど。本当、クッタクタですよ。』

苦笑いをしながら、陣内が顔を上げた。加藤は、頷きながら軽く合わせていた。

『そうか、それは大変だったねぇ。』

『デジカメで写真を撮って、何日の何時頃ここで何をした。そんな感じで、探偵の報告書みたいにラインを送って。三ヶ月間、二人で行く所にこっそり付いて行っての繰り返しです。本当仕事が終わってから探偵やってって感じで、毎日々週末も関係なく調べましたよ。まあ愛人が一人の時は、別の協力者がピッタリと付いていたんですがね。自分は、社長専属で張り付いてましたから。』

加藤は、頷きながら「解ってるよっ。」という素振りで話しを続けさせた。

『姉貴には悪いんですけど、社長も結構悩み抱えていたんだろうなあとも思ったりしたんです。というのも、全部じゃないにしても会話が聞こえてくる事もあったんですよ。そんな漏れてきた話しを聞いていると、社長も社長で孤独と闘っていたみたいですし。何となくなんだけど、「心が通ってない様な」気がするとも言っていました。今となって、その話を考え直してみるとですね。それに毎日の様に見てると、学生みたいにはしゃいでいる二人が羨ましくなったりもして・・・・。社長も姉貴と離婚して、あの愛人とくっ付いた方が良いんじゃないか?なんて思いましたよ。』

酒もあってか、陣内の話しは止まらない。加藤は、陣内の勢いに任せてそのまま話しをさせた。

『それで・・・・・?』

『それで・・・・・結果としては、姉貴は社長が浮気すんのを手ぐすね引いて待っていた訳じゃないですか?俺にしてみれば、社長も言い訳する事なく頭を下げたと言う事だし。離婚に向けて、現実的に話そうと言う事で。それでいいんじゃないかと思います。言い方は変ですが俺、社長の見方変わりましたもん。そりゃあ、不倫をした事を良い事とは言いませんよ。でもなんか、姉貴のやり方は気に入らないっすねっ!』

陣内はレモン酎ハイを、グイッとやってまだ続ける。

『それに相手の女の人も、運がないって言うか何というか。自分の勤めてる会社の上司が、姉貴と昔っから付き合いのある人だったから。偶然とは言え、逃げ道のない不倫になっちゃいましたからねぇ。』

そこまで言い終わると、陣内はお代わりを頼んだ。面倒臭かったのか、レモン酎ハイのジョッキを四つ頼む。テーブルに置かれたところで、加藤はまた鎌かけて賭けに出る事にした。

『その知り合いって、・・・・・デートクラブの?』

陣内は、ちょっと驚きはしたが話しを続ける。

『なんだ、・・・・・そこまで御存知でしたか。自分は、姉貴のお袋さんにはあまり会った事がないのですが。昔の姉貴の事を考えると、・・・・・気苦労も絶えなかったでしょうねぇ。加藤さんに相談するまでにも、いろいろ調べたんでしょうから。』

加藤は「そりゃ当然だろ?」という素振りで、賭けに勝った事を実感しながら話しを続けさせる。

『それで、瞳ちゃんはいつ頃から?』

『姉貴は高校の頃ちょっとした事がきっかけで、女友達の援交トラブルの相談を受けたらしいんです。まあ金を払わない奴とかから、しっかりと取り立てるって事から始まったみたいですよ。そんな事をやってるうちに、援交グループ仕切っていく様になったんです。そして短大に通い出した頃、ある男と知り合いになって経営スタイルやら何やらを教えてもらったんです。まあ最初は女のをオッサンに充てがって稼いでたんですけど、そいつにアドバイスされて主婦層をターゲットに若いイケメンを充てがうビジネス変えていきました。それが爆発的に当たって、規模を大きくしていったんですよ。』

加藤は、自分の想像を絶する話しの内容に愕然とした。だが、それを悟られない様に取り繕いながら深掘りしていく。

『でもそんな仕事、素人がやり続ける事が出来るもんかね?』

陣内は、思い返す様に瞼を閉じて話す。

『ちょうど、時代に合っていたんでしょうねぇ。携帯電話から、スマホに変わっていって。いろんな通信手段で、顔を合わせずに商売が出来る。そして、一番大きかったのは平成四年(1992)に施行された暴力団対策法です。ゆっくりと雁字搦がんじがらめにされた反社は、平成十七年(2005)頃になると意外な程口を出して来ませんでした。まあ、上納金みたいな物は支払っていたんでしょうがね。ある程度の金額が、何も言わずに定期的に入るんでそのまま商売できたんです。勿論、その男の助言があったんですがね。』

『その人の名前は?』

森高融もりたかとおるって奴なんです。ネチネチした喋り方する嫌な男ですけど、頭脳に関しては腹立つ程良いんですよコイツ。それでこの森高が、たまたま社長の愛人の上司だったって訳です。』

『・・・・・そうだったんだ。』

離婚問題も大事おおごとなのだが、瞳の私生活も一筋縄ではいかない。加藤は、大きく溜め息を吐いた。

『ふぅ〜・・・・さっき手ぐすね引いて待っていたって言ってたけど、それはどういう事?』

酔いが回ってきた陣内は、大きく溜め息を吐きながら応える。

『ふぃ〜・・・・・姉貴が、先代の事を嫌っていたのは御存知でしょう?だけどその先代は、社長の事を凄く気に入っていた。だから結婚当初姉貴は、社長の事はお飾りの旦那だって言ったりしていましたよ。社長とは、父親の為に結婚した様なもんだってね。だけど優樹と葵が生まれてからは、普通に可愛がっていたんで思ってたんですよ。なんだかんだ言っても、恋愛感情があるから結婚したんだろうって。口ではお飾りだなんて言っていたけど、心の中では家族としての愛情があるんだろうってね。でも結果として、待ってましたって感じだったんですよ。そういう事だったんですよ、姉貴は・・・・・。』

ここでまた、レモン酎ハイをグイッと呑んで言放った。

『だって、・・・・・・って言うんだから。一番可哀想なのは、優樹と葵ですよ。』

加藤は、愕然とした・・・・・。

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