第5話 奇謀と希望

 加藤は大園宅からの帰り道を、憂鬱なままで考えながら歩いていた。社長の靖久と先代の娘である瞳の事、その腹違いの弟である課長陣内との奇妙な繋がりを感じながら。若い頃から瞳の二面性みたいな事は何となく感じてはいたが、女の子の思春期などそんなものだとも思っていた。ただ今日の奥さん玲子の様子から察すると、瞳が若い頃から悩んでいた様にも感じ取れた。

 加藤は十丸建材創業当時から、先代の大園久光と二人三脚で尽力してしてきた男である。先代の右腕として、会社の繁栄に多大なる貢献をしてきた。

当然苦しい時にも、先代と一緒に泥水を啜ってきたものだ。それだけに、先代が家庭を顧みずに働いていたのを知っている。その影響が、・・・・・一人っ子である瞳に大きく影響したのであろう事も理解していた。幼い頃から、何処か自分を隠している様な不思議な感覚があった。いい子の様なんだが、どこか影があるというか何というか。子供らしさの欠けた、話しかけにくい雰囲気のある子供だったのをよく覚えている。息子から悪い噂を聞いた時にも、申し訳ないが「そんな訳ないだろ!」ということは思わなかった。何処かで、瞳ちゃんは「何を考えているか分からない子だから」とも思っていた。まあ、加藤が勝手に思っていただけなのであろうが。

そんな子供だったからなのか、なかなか懐いてくれない娘の事で先代の悩みの種なっていた。「何となく、心の通っていない」、そんな感じがするんだと先代にボヤかれた事がある。「何となく心の通っていない娘」のいる家に、「帰るのが嫌なんだよなぁ。」と言って愛人を作った事も知っていた。だが、その女性との間に子供を授かっていた事は全く知らなかったのだ。そして陣内が入社して来た時にも、先代から何も聞いていなかったのだ。

『・・・・・!』

そう言えば、奥さん曰く十代の頃から異母兄弟と知った上で付き合いがあったと言っていた。だとすると・・・・、息子が言っていた噂話も気になってくる。

『恵比寿か・・・・・』

加藤は、息を漏らす様に呟いた。

これは息子が言っていた噂も含めて、会社を巻き込む問題になるかもしれない。

そんな不安が、加藤の脳裏をよぎった。

『何処から解決すべきかねぇ。入院までに、解決出来ればいいんだが。』

加藤は溜め息を大きく吐いて、憂鬱なまま足取り重く家路を急いだ。




 飛鳥の部屋に戻っ靖久は、瞳と話し合った内容について詳しく話していた。心配して待っていた飛鳥に、全てを教える為にゆっくりと思い出しながら。

『先ず、「何か私に、謝る事があるんじゃない?」って聞かれたんだ。』

飛鳥はクッションを抱きしめながら、じっと靖久を見て聞いている。

『それでさぁ・・・・・・・』

靖久は、順を追って丁寧に説明していった。

『そしたら、動画見せられたんだ。どれくらいかなぁ、五分位なんだけど。それが不思議な動画でさぁ、昨夜の長崎倶楽部の前なんだよ。』

飛鳥は、眼を見開いて聞き返した。

『前って?・・・・・店の?』

『そう。通り向こうなのかなぁ?なんか、ドラマかってくらい良い感じで撮れてんだよね。その上、声もしっかり聞こえんの。全く雑音ない、良い感じの音量でさ。まるで、森高がマイク持ってんじゃないのかってくらい綺麗にね。こんなに良く撮れた動画があれば、そりゃ見せるよなぁって思ったもん。』

『そうなんだ、撮られてたんだ。・・・・それで?』

靖久は、顎のところを摩りながら続ける。

『それでこんな動画、探偵にでも頼まないと無理だなって思ったからさ。ここで探偵を交えて、三人で話すのかって思ったら違ったんだ。瞳一人で、話を続けるんだよ。それからはもう、鬼の様に怒っていたよ。瞳の声が、ホテルのラウンジ全体に響き渡っていたもん。』

靖久が、少しおどけて話した。飛鳥は、少し肩の力を抜いて返す。

『それはそれは、お疲れ様で御座いました。・・・・それで?』

『ん〜、全部認めてきた。兎に角全部。そしたら、より一層怒り出しちゃってさぁ。子供は渡さない!家は出てけ!社長も辞めてくれってさっ。ハハハッ・・・・。』

靖久は、一つ溜め息を吐いて続ける。

『ふぅ〜・・・・だから、離婚は承諾してきた。あとは、弁護士交をえて現実的な話し合いをしようっていう事で終わった。』

そう言うと、靖久は肩をすくめてもう一度息を吐く。

『ふぅ〜・・・・・・。』

『そうかぁ〜、・・・・お疲れ様でした。』

飛鳥は、靖久の頭を優しく抱きしめた。

『ヤス君、ごめんね。私が・・・・。』

そう言いかけた飛鳥に、靖久が顔を上げて言った。

『なんだよぉ、飛鳥ちゃん。飛鳥ちゃんが謝る事は何もないんだから。ねっ!そうやって、一人で背負しょい込む悪い癖が出てるよ。』

靖久は、微笑んで言った。

『飛鳥ちゃん。今からの事を考えよう。未来の事をさっ。』

『うん。ありがとう。』

飛鳥は、気を取り直して言った。

『じゃぁ〜宿無しのヤス君に、橋本さんの居住権を授けてしんぜよう。』

『まっ、マジっすか!じゃぁ兎に角チューで、チューでお礼をさせて下さいまし。チューさせて〜、飛鳥ちゃ〜ん。』

二人は無理矢理にでもはしゃいで、気持ちを入れ替えようとしていた。




 翌日日曜日の昼下がり、石川は所用を終わらせてセブンディーティーズホテルに戻る所だった。恵比寿駅の改札を出た時、石川はある男を見かけて声をかける。

『あれっ、敬さん!』

後ろからの声に、陣内は勢い良く振り返った。

『おう、睦じゃん。何してんだよ。』

陣内は、石川に笑顔で応える。

『ん〜夕方には、戻って来いって言われてんだよねぇ。』

石川は頭を掻きながら、照れ臭そうに言った。

『あ〜、姉貴か。』

『でも、ちょと早いんだよなぁ。敬さんちょっと付き合ってよ。』

そう言うと、二人は昼からやってるビアホールに入った。

『敬さんは、何してんの。』

陣内は、顰めっ面をして返す。

『はぁ〜、俺も呼び出しだよ。なんか旦那の女の事で聞きたい事あるから、直ぐ出て来いって電話かかってきてさっ。お前とダブってんじゃん。・・・・・なぁ。』

石川は、微笑みながら返す。

『はははっ、・・・・俺は夕方にって言ってたから。その前に、敬さんから話し聞くつもりなんじゃないの?』

陣内は、素早く突っ込む。

『おっ流石、姉貴の事は庇うねぇ〜!』

『そんなんじゃないよぉ。でも昨日は、・・・・凄く機嫌が悪かったよ。』

そこへオーダーを取りに、ウェイトレスがやってきた。

『大ジョッキで二つと、枝豆に自家製ポテトサラダ。それと、チーズの四種盛りをお願いします。』

素早くオーダーを済ませて、陣内は不思議そうな顔をして聞いた。

『とこれでよ、・・・・・何でなんだよ。あんだけ証拠固めてたのに?何で上手くいかなかったんだ。』

『うん・・・・、上手くいかなかった訳じゃないんだけど。俺も、動画撮りながら見ていたけどね。瞳姉の言っていた感じと、旦那のイメージ違ったなぁ。』

昨日の事を思い出しながら、石川が小さく頷きながら話す。

『全面的に認めて頭下げてたんだけど、言い訳も何も言わずに潔かったよ。だけどそれが、瞳姉の癇に障っちゃったんだよネェ。・・・・・もっと、情けなくってみっともない感じで謝罪してもらいたかったんだってさ。それを、逆撫でしたみたいな堂々とした謝罪だったからかなぁ。』

陣内は、少し微笑んで返す。

『何だよ、・・・・その堂々とした謝罪って・・・・・。』

そこに、オーダーしていた物がやってきた。チーズなどをテーブルに置いだ後、陣内が軽くウェイトレスに会釈をしてジョッキを手に取る。

『じゃぁ、取り敢えず乾杯しようぜ。』

『ウィ〜!カンパ〜イ!』

二人は軽く乾杯をして、話しを瞳夫婦に戻した。

『でっ・・・・敬さん、どれくらい張り付いてたの?』

陣内は、石川の眼前に指を三本立てて言った。

『三ヶ月だよ、三ヶ月・・・!マジ、クッタクタだよ。』

それを見て、石川はケタケタと笑った。だが、陣内は構わずに続ける。

『姉貴も儲かってはいそうだけど、優樹達ほっぽらかしてっからなぁ。かわいそうだよ実際。夫婦揃って、・・・・一体何やってんだかなぁ。』

陣内はジョッキを持ち上げ、残りを一気に呑み干した。

『ぷはぁ〜・・・・・、子供のいない俺には全く解んねぇな。まあ、親も早くに亡くなっちまったしなぁ。親としての在り方も、子育ての仕方も解んねぇけどさ。だがもうちょっと、子供中心に暮らしてやって欲しいなって思うんだよ。・・・・・格好を付けて言わせてもらうとさっ。』

照れ臭そうにして視線を外した陣内に、石川は満面の笑みを浮かべて言った。

『僕・・・・・・。』

陣内は、お代わりをオーダーする途中で振り返った。そして、呆然としたまま石川を見ている。

『敬さん何やってんの?お代わり頼むんでしょ。』

陣内は構わずに、眉間に皺を寄せて聞き返す。

『えっ、・・・・・今何っつったんだよ?・・・・・なんだって?』

石川は、キョトンとして応えた。

『あれ、敬さん知らなかったの?』

陣内は、唖然として石川を見ていた。




 夕食中、靖久はふと思い出して飛鳥に話し出した。

『そうだ。そういえばさ、この間専務の加藤さんと昼飯食ってたの。そしたら、なんか休みの日に瞳に会ったって話しされてさ。その流れで実は「隙間風吹いてるんすよねぇ」って言ったらさぁ、社長良い女性ひといるでしょ!って言われてビックリしたよ!』

『なんで解ったんだろうね?』

『なんかねぇ、いろんな行動や言動に出てるんだって。』

そんな話しをしていると、

『あっそうだ!』

飛鳥は、ビックリして聞く。

『何、・・・・今度は何?』

『あはっ、ごめんごめん。昨日ホテルに着いたらさ、あの人と会ったんだよ。飛鳥ちゃんが、スマホで撮ってた人。』

『スマホって、・・・・・石川さん?』

『あぁそうそう、・・・・あれ間違いなくあの人だよ。俺が長崎倶楽部で一緒に呑んだのって、その石川って人で間違いないよ。斜めから見たとこなんて、本当にそのままだったしさ。』

飛鳥は、薄気味悪さを感じながら、「何で長崎倶楽部に?」っと思った。

『石川さんって人は、本部長とはかなり長い付き合いだって聞いた事あるんだぁ。結構歳が離れてるから、どうゆう感じで付き合って来たのかは分かんないけどねぇ。なんか、裏で動くって感じの人らしいんだよなぁ。』

『裏で動くって、なんかドラマみたいじゃん。影で暗躍している奴がいて、それを利用して利益を得る奴がいた。・・・・・みたいな?』

飛鳥は少し考えながら、視線を上に向けて話す。

『でも本部長にしても石川さんにしても、あまりにもタイミングが良過ぎるって思うんだよなぁ。偶然にしては、可笑し過ぎるよ。』

『・・・・・そうかなぁ?』

靖久は、顎を擦りながら考える。そんな靖久を横目に、飛鳥は腕を組みながら話しを続ける。

『長崎倶楽部は、タクシーの進行方向とは逆方向になるんだよね。それに、態々行った事もない所を探索しに来たってのも可笑しいよ。まだ自宅への帰り道だったら分かるけど、・・・・態々遠回りしてまで行くかなぁ。』

『・・・・・って言うと?』

飛鳥は、推理ドラマの主人公の様に続ける。

『何の目的もなしに、帰り道と逆方向には行かないと思うの。しかも、ピンポイントで長崎倶楽部に・・・・。』

『じゃあ、何?森高は、飛鳥ちゃん追っかけて来たって事?それこそ何しに?告りにでも来たって事?だったら、神戸牛喰ってる時に告った方が良くねぇ?』

『あっ、・・・・そっかぁ。それに、食事自体も何の為に誘われたのか疑問なんだよなぁ?仕事の話しも、恵美ちゃん達の話しも全然しなかったし。』

二人の推理は、暗礁に乗り上げた・・・・・。

 翌日の夕方、靖久はスケジュールをやりくりして弁護士に会っていた。自分の女性関係から離婚をする旨を伝え、これから準備しなければならない事を話し合ったのである。瞳との離婚に向けて、本格的に準備を始めたのだ。

『こりゃ大変だ・・・・・。』

靖久は「これから何年掛かるんだ?」と思いながら、飛鳥の部屋へと帰って行った。




 玲子は、頭を抱えていた。日曜の夜、瞳が孫達を迎えに来た時に話した事が頭から離れなかった。

『お母さん今度詳しく話すけど、取り敢えず私達離婚する事になったから。』

それだけを言って、瞳は孫達を連れて帰って行った。加藤の話しもあった為、玲子は何が何だか分からなくなっていた。

『二人が離婚するって事は、二人だけの問題ではなく優樹と葵の問題でもある訳なのに。瞳は簡単に言って帰って行ったけど、本当に分かってるのかねぇ?』

玲子は、尽力してくれると言ってくれた加藤に縋る思いでいた。

『優樹と葵は、どんな事をしても守らないと。』

玲子は、自分に言い聞かせる様に覚悟を決めた。




 数日経った水曜日の十八時四十分頃、恵比寿セブンディーティーズホテルのラウンジに陣内はいた。小さく貧乏ゆすりをしながら珈琲を飲んでいるところに、傍目はためにもイライラしているのが分かる瞳がやって来た。そして、陣内の対面にどかっと座って言い放つ。

『話しって何よ。平日はやめてっていつも言ってるでしょ?本当に早くしてよね、子供達家で待ってるんだからさ。』

苛つく瞳に、語気を強めて陣内が聞いた。

『姉貴・・・・、聞きたい事があんだけどさ・・・・・。』

『何よ?日曜日だって、待ってたのに来ないしさ。何を聞きたいのよ!』

『睦に聞いたんだけど。嘘だよな?なあ、・・・・嘘だろ?』

『何が?・・・・・もう、早くしてよねぇ。』

瞳が、時計を見ながら急かした。

『優樹と葵が・・・・・・・・。嘘だよなぁ、・・・・・なぁ姉貴?』

陣内は、縋る様に瞳を見た。

『 ・・・・。』

『なぁ、・・・・・姉貴?』

『ん、うん。・・・ほ、本当・・・・。』

瞳は陣内の目を見れずに、視線を落として囁く様に言った。

陣内は、瞳を睨み付けた。

『俺は旦那が、・・・・優樹達を放ったらかしにして女作ったって言うから。旦那の女の部屋やさとか、よく行く店とか張り付いてやったんだぜ!』

『三ヶ月だぞ、三ヶ月!』

俯く瞳・・・・

『それもさぁ、優樹と葵が可哀想だから。旦那追い出して、金踏んだくれればって思ってさぁ。これだったら、旦那が姉貴達にずっと騙されてたって事じゃねぇか。何なんだよ!だったら離婚に持ち込みたかったのは、姉貴の方だったて事じゃねぇか。そこに旦那が、まんまと女作ったって事だろ?それを勘付いて、姉貴達は待ってましたと食い付いたんだろ?ふざけんなよ!これじゃぁ、あいつらが余りにも可哀想過ぎるだろうかよぉ。』

陣内は、顔を真っ赤にして怒った。

『敬・・・・ごめんって。』

瞳が、俯きながら謝る。それを見て、陣内が怒りをぶちまける。

『昔っからそうだよ。睦は、出来の良いお坊ちゃんでさ。学校行きながら、姉貴の処でバイトしてよぉ。そんで・・・・、俺達には隠し事ばぁっかしてさぁ。ヤバくなった時だけ、俺達に頼んで来てよぉ。その挙げ句が、・・・・・。』

『だから、・・・・・ごめんって・・・・・。』

項垂うなだれている瞳に、陣内はそのまま畳み掛ける。

『いつから仕組んでたんだよ?こんなに綿密に練られた事、二人だけじゃ出来ねえだろう。どうせ、あのネチネチした男もかんでんだろ?あの融のクソ野郎もよう。俺はもう、姉貴の肩持たねぇ〜かんな!』

『そんな事言わないでよ。・・・敬、ごめんってば。森高さんには、昔っからいろいろ協力してもらってたじゃない。だけどこの事に関しては、別に・・・・・』

陣内は、瞳を覗き込む様にして聞いた。

『別に?・・・・別に何なんだよ?ビジネスのイロハから、けむの巻き方まで姉貴に教えたアイツが?この事に関しては知らないって?そんな訳ないだろ?睦使って旦那の女調べさせたのも、融の野郎がかんでるってあかしだろ?どうせどうやって離婚に持ち込むのかって事も、融の野郎にレクチャーされてるんだろうがよぉ。』

『・・・・・。』

瞳は、ただ黙って俯くだけであった。

『俺はもう、姉貴の味方しねぇからな!こんな、・・・・・。俺は、絶体に許さねぇ〜からな!』

そう言うと、陣内は俯く瞳を置いてホテルを後にした。ラウンジに取り残された瞳は、暫く動く事が出来なかった。




 木曜日の昼過ぎ、昼食を済ませた森高は瞳からの電話を取った。

『もしもし、・・・・・おやおや如何されました?』

『 実は土曜日に、・・・・・主人と話しをしたの。金曜の夜に、森高さんが睦と一緒に撮ってくれていた動画があまりにも良かったんで。つい、土曜日に呼び出したんだよね。』

『ん〜。もう少し泳がせるべきだと、御忠告したじゃないですか。』

森高は、窓から階下を見下ろしながら言った。明らかに、いつもと違う瞳の話し方を気にも留める事なく。

『 あんな決定的な動画だったら、主人だってグウの音も出ないと思ったんで。』

『・・・・っという事は、御主人は不倫を否定したんですか?』

森高は、不思議そうに聞いた。

『そうじゃないんだけど、なんか淡々と認めて離婚に向けて話し合おうだなんて言い出して。何か釈然としないって言うか、・・・・・腹が立つって言うか。』

『あららら、貴方らしくもないですねぇ。「急いては事を仕損ずる」と、言うではありませんか。折角、石川君の時間まで割いて差し上げたのに。少し慌てましたねぇ。もう少し待てば、向こうが勝手に子供でも作って自爆したでしょうに。そしたら、貴方はただ黙って「裏切られた妻」を演じればよかっただけなのですよ。』

すると瞳は、昨夜の陣内との事も相談し始めた。

『それともう一つ、・・・・・敬と口論になっちゃって。』

『陣内君と、口論と申しますと?』

瞳は、溜め息を吐く様に説明する。

『実は、・・・・・・・・・・・・。』

『あららら、陣内君は知らなかったのですか。』

『 ええ、そうなの。それにもう協力しないって言って、怒って帰ってしまったの。だから、敬になんて言えばいいのかも相談したくって。』

森高は、少しニヤけながら返す。

『あら、そんな事を言ったんですか?それはちょっと厄介ですねぇ。彼の様なタイプの人間は、味方のうちは良いのですけどねぇ。敵になったら、厄介ですよ。これは貴方が、引き止めなくてはいけません。』

『 でも、あんなに怒った敬を見るのって初めてだし。何て言って説得すればいいのかも分かんないし・・・・・。』

森高は、語気を強めて言った。

『いいですか!ここで彼を、しっかりと管理出来なければいけませんよ。ビジネスも同じ事でしょ?これは、貴方にとって大事な局面となり得ますからね!』

『ええ、・・・・・分かってるけど。』

『いいですね!御主人と一緒の会社に、貴方のスパイは送り込んでいるのと同じなんですからね。特に御主人は、陣内君の事を弟だとは知らないんですし。しかも陣内君は、貴方達の秘密を知ってしまったんですよ。ここで絶対に彼を引き止めないといけません!とんでもない爆弾を持って、御主人側にリークでもされた日にはお終いなんですよ。ただ謝るだけでもいいでしょう。もしくはずっと悩んでいて、言い出せなかったでも良いじゃないですか。彼を引き留まらせる事が、貴方の私生活にもビジネスにも多大なる影響を及ぼします。・・・・いいですね!』

『ええ、・・・・・分かった。』

『では頑張って下さいよ、それでは・・・・・また今度ゆっくり。』

そう言って森高は電話を切り、薄気味悪い笑みを浮かべた。

『瞳君も、ここまでですかねぇ。まぁ如何なろうが構いませんが、睦君は絶対に渡しませんからねぇ。彼は、私だけのモノなんですから。』

そして森高は、薄気味悪い笑みを浮かべたまま電話をかけた。

プルルル・・・プルルル・・・ガチャ

『石川君、橋本さんの張り付きは今日まででいいですよ。終わりにしますから、戻って来て下さい。』

『・・・・・・。』

『・・・・ええ。そして瞳君の御主人の件も、跡を濁さずに撤退して下さい。』

『・・・・・・。』

『ええ、急いで下さいね。』

『・・・・・・。』

『ああ、それからあの・・バイトも辞めて下さい。明日からは私が常務取締役になる為の、最後の決め手を打つ為に働いてもらいますからねぇ。お願いしますよ。』

電話を切ると、森高はまた窓から外を見下ろした。

薄気味悪い笑みはそのままに・・・・・・




 飛鳥の部屋で、二人は夕食を摂っていた。目まぐるしい数日間が続いたので、少しゆっくりと過ごしたかったのである。

『ヤス君どう、味薄いかなぁ?』

靖久は、首を横に小さく振った。

『ううん。美味い!美味しいですよぉ。』

腕に少しは自信のある飛鳥の料理に、靖久は今日も舌鼓を打っていた。長崎倶楽部での一件以来、二人は何となく外食を控えていた。その時飛鳥が、今日の会社での出来事を思い出した。

『そうだヤス君。石川さんいるじゃん。』

『うん。森高の部下の。』

『そう。あの人いきなり配置換えになって、「今日までになりました」って言ってきたんだ。』

靖久は、飛鳥に視線を上げて言った。

『へぇ〜、・・・・・なんか急だねぇ〜。』

『うん。本当急に来て、急にいなくなちゃった。まぁ、次の役員会までにやらなきゃいけない事がいっぱい有るんだろうけどね。』

『ん・・・・・?何、それ?』

飛鳥は、靖久をチラッと見ながら言った。

『森高さんって、次の役員会で常務取締役になるってもっぱらの噂なの。石川さんって人は、色んな面で右腕なんだって。』

『色んな面って、凄い意味深じゃん!しかも、常務取締役!また、どえらい奴に絡まれちゃったね飛鳥ちゃん。だけどいよいよ持って飛鳥ちゃんに、神戸牛食わせる為だけにやって来てたって感じになったね。ハハハッ。』

飛鳥は、靖久の冗談を聞いてふと思った。

『ん〜って言うかさぁ〜、奥さんに見せられた動画ってどんな感じだったの?』

『言ったじゃん。プロ級だったって。』

『うん。どっから撮ってたとか、雑音なく撮ってたとか言ってたじゃん。』

靖久が、思い出しながら言った。

『ああ、音がスゲ〜綺麗だったんだよなぁ。ほら、ドラマみたいに。それで何てぇのかなぁ、森高の左肩越しに飛鳥ちゃんと俺が真ん中に映っててさ。ん〜本当に、綺麗に撮ってたよ。』

飛鳥は、口を尖らせながら聞いた。

『プロって探偵さんとかじゃなくって、プロのカメラマンって事でしょ?』

『そう、そっちじゃなくって。プロのカメラマンの方。』

飛鳥が、今度は腕を組んで話し出す。

『普通浮気調査ってさ、探偵さんに頼まない?ドラマとかでも大体そうじゃん。』

『まぁ、・・・・・そうだよねぇ。』

『ヤス君の言う、音が良いってのは?如何いう意味なの?』

靖久が、上を見上げながら応える。

『ん〜。なんか空気の音って言うかさ、”スー”って音あるでしょ?あれが無くって、三人の声が綺麗に聞こえんの。くっきりと。ネッ、プロっぽいやろ?』

『あぁ〜、そういう事かぁ。』

『石川さんって、会社の人じゃなくって探偵なんじゃないの?』

『そんな訳ないじゃん。社員証ぶら下げてんのに。』

靖久は、少し顔を赤らめて返す。

『ああ、そっかそっか。なんか動画撮る為にだけに、皆んな長崎倶楽部に集まったって感じやね。』

『・・・・・って言うと?』

『何だかさ、神戸牛も全部関係なくってさ。撮影の為だけに、皆んなが長崎倶楽部に集ったって感じじゃん。』

『何の為に?』

『ん〜、・・・・・はははっ。そんな事はないか。』

そこで飛鳥は、素朴な疑問が湧いた。

『本部長って、奥さんと知り合いなのかなぁ?』

靖久が、キョトンとして聞き返した。

『へっ・・・?ん〜・・・・考えた事もなかったなぁ。でも、世の中ってそんなに狭いもんかなぁ。俺と飛鳥ちゃんの周りに、偶然にも知人がいるって。』

二人は、暫し黙って考え込んだ。そこで、飛鳥が口を開く

『金曜日の夜に撮った動画を、翌日土曜日の昼までに奥さんは手にしていたって事でしょ。本部長が奥さんの知り合いではないにしても、探偵さんか誰かが撮影をしていた事は間違いない。そして、それは奥さんに依頼された人だと言う事も。』

靖久は、ホテルで話した時の事を思い出した。

『あ〜そういえば、探偵さんは同席しないのかって事を聞いたけど。「そんな事如何でもいいじゃない。」って言われたもんなぁ。もしかしたら、ホテルのラウンジで待機していたのかもしれないね。いざとなれば、「自分も合流しますんで。」てな感じでさ。もしも俺が、「他人の空似だよ」ってしらばっくれた時とかに備えて。そんでサッと出て来て、「いや、あんた違うだろ?」とか「私は、昨夜この動画を撮った者です。」なんつって同席していたのかもなぁ。』

靖久がそう言うと、飛鳥が頷きながら返した。

『ん〜、なかなかの推理だよ。・・・・・ワトソン君!』

靖久は、少し笑いながら・・・・・

『オットっと・・・・・俺じゃなくって、まさかまさかの飛鳥ちゃんがホームズだったのかぁ〜!』

『うん、勿論私がホームズに決まってんじゃん!』

結論の出ないまま、二人の推理はここで終わる。

『あ〜飛鳥ちゃん。日曜日は、クリスマスイヴだね。どうする?』

『本当だ、忘れてた。如何するかねワトソン君!奥さんとの話し合いがあったばかりだから、何となく何処かにお出掛けって気分にはなり難いねぇ。』

パイプを咥える真似をする飛鳥に、靖久が顎を摩りながら言った。

『近くだったら、・・・また森高に出会いそうな気もするしなぁ。いっその事、明日の夜の便が取れたら・・・・・。』

飛鳥は、キョトンとして聞き返す。

『明日の、・・・・・金曜日・・・の夜の便?』

靖久は、口元を緩ませて言った。

『気分転換に、・・・・・長崎にでも帰ろうかホームズ!流石の森高も、長崎までは付いて来れまい。』

飛鳥は、勢い良く靖久に飛びついた。

『良い考えだよ!うんうん、本当に良い考えだよワトソン君!』

靖久は現実逃避だと言われても、一度故郷の空気に触れていたかった。

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