第4話 壊れた日常

 飛鳥は、靖久の腕の中で目覚めた。まるでドラマか映画のワンシーンの様な昨夜の事を思い出し、まだ眠っている靖久の頬に軽くキスをした。

飛鳥は起き上がり、キッチンへと向かい朝食の準備を始める。暫くすると、寂しがり屋の大きな子供(靖久)がベッドで何かを言っているのが聞こえた。飛鳥は手を止めて、ベットへ向かい話しかける。

『どうしたの?・・・・・起きた?』

乱れたベットで、ゴロゴロと動きながら靖久が呟く。

『な〜にしてんの?起きたららんし。ずぅ〜っと一緒に居るって、約束したやんかぁ。もう!直ぐに、居らんごとなる。』

まるで十歳位の子供の様に拗ねる靖久を見て、飛鳥は胸の内をキュンとさせながら言った。

『そろそろお腹空いてきたんじゃない?もう直ぐ出来るから、そろそろ起きてくんないかなぁ〜。』

そう言って飛鳥は、横たわっている靖久の脇腹をくすぐった。

『はっ・・・・はいっ・・・・起きる。起きます。・・・・ククククッ。起きさせて下さい!飛鳥ちゃんの言う事聞くからぁ〜・・・・。』

この際自分の事は棚に上げて言わせてもらえば、大人っぽかったり子供っぽかったり格好良かったり可愛かったり。飛鳥は、色んな顔を見せてくれる靖久が愛しくて堪らなかった。しかし傍から見れば、不倫だと咎められる事だろう。だが不倫なんだと分かってはいても、飛鳥はこの幸せを噛み締めていたいと思っている。今だけは、この幸せな時間を噛み締めていたいと。いずれ来るであろう、この幸せの時間を清算する時が来るまで。飛鳥はそんな思いを胸に秘め、駄々を捏ねる靖久をなんとか起こした。そして二人は、遅めの朝食を摂りながら森高の話を始める。

『ん〜、そうねぇ。よう分からんねぇ。相沢さんとか今のプロジェクトとか、あんまり関係なさそうだよねぇ。もしかしたらさ、ただ飛鳥ちゃんと飯食いたかっただけなんじゃない?』

靖久がそう言って、飛鳥の顔をニヤけながら見た。飛鳥は、少し口を尖らせながら返す。

『いや〜、それにしても可笑しくない?ずっと、関係ない話ばっかりするんだよ?「出身地は何処ですか?」なんて言ってさ。・・・・・それに、口説かれたって訳じゃないし。あの森高さんが、何の脈絡もなく食事に誘う事はないと思うの。意味がなさそうに見えているだけで、あの人は何かを企んでいると思うんだよね。森高さんって、そういう人だもん。』

その時、飛鳥のスマホが震えた。

『飛鳥ちゃん、ヤバイ!・・・・森高なんじゃね?』

靖久が、冷やかす様に言った。

『違うよ!恵美ちゃんからのライン。』

飛鳥を心配してなのか、冷やかしてからなのか。昨夜の森高との食事を、相沢なりに気遣ってのラインであった。

『そういえば、ヤス君この間だね。森高さんに、食事に誘われた事を恵美ちゃんに教えたらね。「イケメンの彼氏さんは、心配しないんですか?」って聞かれちゃった。ふふっ。』

茶化す様に、飛鳥が靖久に問いかけた。

『イケメンさん?・・・・・御感想をお聞かせ下さい。』

靖久は少し照れて、頭を掻きながら応える。

『じゃあ、実物見たらビックリすんじゃねぇ?ガッツリおっさんやし。』

もっと浮かれた応えを期待していた飛鳥は、靖久の頬を人差し指で突きながら言った。

『何よぉ〜それ。私は、・・・・イケメンって思ってるのにっ!』

少し頬を赤らめて、飛鳥は靖久にしかめめっ面をした。そして笑いながらスマホを弄っていると、先日会社で撮った石川の画像が出てきた。

『本当はねぇ、・・・・・この人。本当はこの人も一緒に、三人で食事する予定だったんだよ。店まで一緒に行ったら、「それでは・・・・」って言って帰っちゃったんだよね。まぁ、最初っからそのつもりだったっぽいけど。』

そう言って、靖久に石川の画像を見せた。すると靖久が、意外な事を言いだす。

『あれ?この人・・・・確か・・・・・。』

ゆっくりと思い出しながら、靖久は訝しげに言った。

『そんな事は、ないんだろうけどさ。昨日長崎倶楽部で飛鳥ちゃんを待ってる時にさぁ、声をかけられた人がいたんだけどね。三十分くらいかなぁ、一緒に呑んだんだよ。なんとなくその人に、似てる気がするんだよなぁ?』

飛鳥は、キョトンとして聞き返す。

『そんな訳ないじゃん。この人、本部長の部下だよ?』

靖久は、スマホの画像を睨みつける様に見た。

『ん〜。正面からの画像じゃないからさぁ〜、・・・・・ハッキリとは言い切れないけど。でも、似てるんだよなぁ?気さくに話しかけてきたんだけど、人当たりの良い感じの人だったよ。店内に、大きなモニターあんじゃん。スポーツチャンネル流してる大っきなやつ。その人海外スポーツに詳しくって、メジャーリーグとかヨーロッパフットボールとかの話してさぁ。多分、この人だと思うよ。あの森高って人に比べたら、全然良い感じの人だったけどねぇ。喋り方も全然イライラしないしさ。』

それを聴いて、飛鳥は少し考えた。そして、唸る様に問い返す。

『ん〜・・・・それじゃぁ・・・・私を本部長の居る店に送った後で、長崎倶楽部に行ったって事?・・・・なんで?・・・・何の為に?』

飛鳥の問いに、困った靖久は・・・・

『さぁ、それは分からんけどねぇ〜。・・・・・ああ、でも店には初めて来た感じだったよ。「良い店ですねぇ」とか、「よく来るんですか?」とかって言われたもん。』

まさかとは思いつつも、飛鳥は気持ち悪い何かを感じた。



 

 恵比寿駅と目黒駅のちょうど真ん中辺りに、セレブ御用達のセブンディーティーズホテルがある。そのホテルのスウィートルームに、筒井瞳の姿があった。土曜日の朝、瞳はルームサービスをオーダーしていた。

『クロワッサンとソーセージ、オムレツの具はマッシュルームでお願い。あと、グレープフルーツジュースとコーヒーを二人分ずつお願いね。』

瞳はテーブルのノートパソコンを開き、目を輝かせながら映像ファイルを開いた。

『うん。本当に、しっかり撮れてるわね。声も綺麗に聞こえるし。二人の顔も、こんなにクッキリ撮れてる。本当〜にじゃん。』

スマホが鳴り、モニターに玲子の文字を確認する。しかし、瞳は電話には出なかった。そして瞳は、ニヤッと笑いながらベットに腰掛けた。

『お母さんには、もう少し経ってから報告するから待っててねぇ。』

そう言うと、ベットに埋もれる石川に声をかけた。

『ルームサービス来るよぉ。そろそろ起きなよぉ。』

『・・・・・。』

『ねぇ〜ってばぁ〜・・・・・。』

そうしていると、ドアのチャイムが鳴った。石川が起きる前に来てしまったルームサービスを、テーブルに置かせて退室させる。すると瞳は、ベットに頭から勢いよく潜っていった。

『んんっ・・・・ん〜・・・・もう〜瞳姉、・・・・を先に起こすんだぁ〜。』

悪戯な視線を投げかけながら、瞳は石川の下半身を咥えていた。ゆっくりと、そして深く舌を絡めながら濃厚に。瞳は石川自身を口全体で感じながら、自分自身をも左手で刺激していった。自身の奥底から溢れ出る、濃密で暖かい愛液を左手いっぱいに溢れさせていく。瞳の攻めは早くなり、自身の左手も強くて速い動きに変わっていった。

『睦っ・・・・、睦ってばぁ!起きて、・・・・早く・・・・・早く私を無茶苦茶にしてよ!睦っ・・・・!一人じゃいやっ・・・・いっ・・きっ・・そ・・・』

左手の動きを加速させながら、瞳の体は桜色に染まっていく。

『んっ・・・瞳姉ってばっ・・・・』

石川は悶えながら起き上がり、素早く身体を入れ替え逆に瞳を攻め出した。桜色に染まった瞳の体は、瞳自身の分泌した愛液によってより一層美しくなっていく。石川は瞳の敏感な部分を、強烈に吸って攻め立てる。瞳は、海老反りになりながら声を上げた。

『い〜・・・・・・く〜・・・・・・』

言葉に出来ない様な声を、瞳は上げながら絶頂を迎える。・・・・と同時に、太くて逞しい石川自身が瞳の中に捻じ込まれる。

『んっ・・・くぅ〜・・・・・・』

瞳の艶やかな声で、石川の動きが加速していく。そして、お互いに激しく絡み合いながら交わった。

『睦っ、あっ・・・きてっ・・・ 私の中に来てっ・・・奥にいっぱい・・・いっぱい出して!』

石川が力強く果てると、瞳はしがみ付いて小刻みに痙攣した。

『睦・・・っは・・・・・はっ・・・はっ・・・・。私には、睦だけなんだよ。』

瞳は、石川にしがみ付いたまま離れなかった。



 

 玲子は二人の孫に朝食を食べさせた後、後片付けを早々に切り上げて珈琲を飲んでいた。何度かけてもつながりはしない瞳に、もう一度電話しようとスマホを取り上げた。そして、老眼鏡を掛けたようとした所に電話が鳴った。

プルルル・・・・プルル・・ガチャッ

『もしもし、御無沙汰しています。加藤ですけどもぉ〜。』

『あら〜加藤さん。お久しぶりですねぇ。』

『実はですね奥さん、少しお話ししたい事が御座いまして。よろしければ、今日お伺いしたいんですが御在宅ですか?』

長年夫に尽くしてくれた加藤なので、玲子は孫の事が気になりながらも快諾した。

『ええ、いらっしゃって下さい。お待ちしていますよ。』

『ああぁ、有り難う御座います。お昼前には、伺えると思いますんで。それでは、後ほどお伺いさせていただきます。失礼します。』

玲子は、軽く掃除機をかけ来客に備えた。



 

 靖久がストレッチをしていると、飛鳥がふざけて乗っかって来た。

『イテテテ。痛い、痛い、飛鳥ちゃんマジで痛いって!筋切れるって。』

二人がじゃれているのを、邪魔する様に靖久のスマホが鳴った・・・・。

モニターを確認した靖久が、顔を青くして飛鳥に見せた。

スマホのモニターには、「筒井瞳」の文字が・・・・。

ガチャ・・・・

『はい、・・・・・・どうした?』

明らかに動揺している靖久に、瞳は普段と変わらない感じで話した。

『パパ、ちょっと話たい事あるんだけど。今日時間作ってくれる?忙しいのは十分解ってるんだけどさっ。お願い!』

靖久は、「バレてないのか?」っと瞬時に思った。そして、飛鳥の目をジッっと見ながら話す。

『うん、解った。直ぐには無理だけど、・・・・ん〜昼過ぎ・・・十三時過ぎだったら時間作れるけど。それでも良ければ・・・・』

そこまで言ったところで、瞳が被せて話し出す。

『あ〜助かるわ〜。じゃぁ、十四時。十四時に、恵比寿のセブンディーティーズホテルに来て。ロビーで落ち合おうよ。』

余りにも瞳が楽しげに話すので、靖久は少し拍子抜けをして応えた。

『十四時に、セブンディーティーズホテルのロビーだね。分かった。それじゃあ後で。』

そう言って、靖久は電話を切った。まだ肩に力の入ったままの靖久を、飛鳥は優しく抱き寄せた。飛鳥の胸に顔を埋めながら、溜め息を吐く様に靖久が話し出す。

『何か、・・・怒ってない様子だったけど。普段と変わんないって感じで。』

飛鳥はゆっくりと、そして優しく靖久のおでこに自分のおでこをくっ付けた。そして、小さく首を横に振りながら言う。

『うううん。そんな筈はないよ。奥さんは、・・・・解ってて電話してきてるよ。間違いないよ!・・・・・普段通りを装って、無警戒のヤス君を呼び出そうとしているんだよ。多分この数ヶ月間ヤス君に何も言わなかったのは、今日の為の準備をしていたんだと思う。』

『えっっ・・・・・』

絶句する靖久に、飛鳥はしっかりと目を見て言った。

『ヤス君、私も一緒に行く。』

この数ヶ月間、瞳はしっかりと準備をした上で電話をしたのであろう。そして決定的な証拠を、呼び出して突き付けようとしているのであろう。しかも靖久が、今何処に居るかまで分かっていたのではないのか。飛鳥はそう思うと同時に、女同士の戦いが始まった事を悟った。

『落ち着いて、飛鳥ちゃん大丈夫だって。』

『うううん、私も一緒に行く。』

そう言う飛鳥に、靖久は優しくキスをしながら言った。

『うううん、飛鳥ちゃんはここにって。何が有るか分からんけん、玄関の鍵をしっかりかける事。そんで、ロックバーも忘れんごとね。俺が戻るまで、何があっても鍵開けんで待っとって。』

飛鳥は、溢れ出す涙を堪える事が出来なかった。

靖久は飛鳥の肩をしっかりと抱き、小さく頷きながら静かに話す。

『飛鳥ちゃんが言う通りに、瞳が準備万端で待っているんだとしたら尚の事だよ。これは俺が、解決しなきゃいけない問題なんだ。ずっと、思っていたんだ。俺だけが、卑怯で都合の良い立場なんじゃないかって。』

『・・・・・?』

『俺は、自分に家族がある事をないがしろにして恋に落ちた。その事を、瞳が怒るのは当然の事だと思う。そしてその矛先は、俺だけに向けられなければならないと思うんだ。それに、・・・・・相当辛辣な事を言われるだろう。そんなところに、惚れた女連れていく訳にはいかないんだ。』

飛鳥は、何も言えなかった。

『ううっ・・・・・。』

靖久は、少し微笑みながら続ける。

『だから、俺が一人で行って話してくる。そして離婚を前提に、現実的な話をしていく事を言うつもりだ。飛鳥ちゃん、それで・・・・・いいかな。』

飛鳥の涙は、より一層溢れ出してくる。

『バツイチの俺と、・・・・・一緒になってくれるかい?』

溢れ出す涙はそのままに、飛鳥は少し微笑んで頷いた。

『うん。』

返事と同時に、飛鳥は靖久の胸に顔をうずめめた。女の飛鳥には解っていた。靖久の行く先には、怒りに震え業火の如く嫉妬を燃やす女が待ち受けている事を。




 加藤は、久々に来る先代宅の前で表札を見つめていた。大園久光が亡くなって、三年が過ぎた。懐かしくもあり、寂しくみあり。実感してきた老いと、いずれ来るであろう最後の日を思いながら大園家のインターホンを押した。

ピロロン・ピロロン・・・・・

『は〜い。』

『休日に申し訳御座いません。加藤です。』

『あぁ、加藤さん。どうぞ、お入りになって。』

門のロックが解かれ玄関まで進むと、玲子が玄関のドアを開け迎えてくれた。

『さぁ加藤さん、上がって下さい。』

玲子が、笑顔で招き入れる。

『すみません、失礼させていただきます。』

『この間は、お電話だけでしたもんねぇ。こうしてお会いするのは、いつ以来になるのかしら?』

『先代の三回忌以来ですので、もう一年ちょっと経ちましたかねぇ。』

『あらら、そうでしたかね。』

玲子は、和やかに再会を喜んだ。

『加藤さん。お話って何?。どうかされましたか?』

紅茶を淹れながら、玲子が聞いた。

『実は、長年腰の椎間板ヘルニアで苦しんでいたのですがねぇ。もう如何にもならないんで、来月手術をする事になりましてねぇ。』

『あら。』

『それで医者の話ですと、術後の経過次第ではあると言うのですが。結構入院期間が、長くなると言うのですよ。それで暫く会社を休む事になりますので、御挨拶に伺った次第です。』

玲子は、驚きながら聞いた。

『何ヶ月にもなるの?』

『そうですねぇ。二ヶ月位と思っているのですが、まぁやってみない事には何ともですねぇ。社長が頼もしくなってきたので、少し楽させもらってたらバチ当っちゃいましたかね。』

『靖久さん、そんなに社長らしくなったの?』

『はい、良い顔付きになりましたよ。』

『そうなの。良かったわ。お父さんも喜ぶわね。』

和やかに話が進む。

『後は、・・・・瞳ねぇ。』

玲子が、溜め息を吐きながら言った。

『いえいえ、瞳ちゃんもしっかりしてますよ。』

『そうですかね?』

『ええ、この間の。恵比寿に息子達と、食事に出かけたら偶然お会いしましてねぇ。それはもう、丁寧に挨拶してくれました。まぁ若い頃は、多感だし挨拶やなんだかは避けがちですから。いやいや、しっかりお母さんしてるみたいで。ウチのと感心してたんですよぉ。』

玲子は、一瞬耳を疑った。?今、土曜日って言ったのよね。あの、子供を私に預けて恵比寿?何してるの?昨日から全然連絡取れないし・・・・・。

『加藤さん、まだ御時間あります?ちょっと聞いてもらってよろしいですか?』

玲子は、少し声のトーンを落として言った。




 靖久がセブンディーティーズホテルにタクシーで乗り付けると、回転扉の前で意外な人に声をかけられた。

『あっ!昨晩はどうも。』

靖久は、声の方へ振り返り驚いた。昨夜長崎倶楽部で会った、人当たりの良い感じの男がそこにいるである。そう、飛鳥の会社の石川と同一人物ではないかと話した男だ。

『あれっ、奇遇ですねぇ。昨夜は、電話中でしたんで失礼しました。』

『いえいえこちこそ、急に友人から連絡あって行かなければならなくなりましてね。あんな形ですみませんでしたねぇ。それはそうと、こちらのホテルに何か?』

靖久は少し表情を固くして、ホテルの回転扉を見ながら言った。

『ええ、ちょっと人と会う約束が御座いましてね。』

『そうですか。私は、用事が終わりまして帰るとこなんですよ。また、店でお会いできたら良いですね。では、失礼します。』

『そうですね。では、失礼します。』

二人は、軽く会釈をして別れた。

靖久は、大きく息を吐いてロビーに足を踏み入れた。腹を括って!

に、行ってらっしゃいませ!筒井靖久さん!』

は、ロビーに入って行く靖久の背中を見送りながら呟いた。そして、一度歩道に出てからきびすを返す。回転扉を素早く潜り、靖久の死角をうまく利用してラウンジ隅のソファーに座った。

靖久は、キョロキョロして瞳を探しているようだ。

『瞳姉は、土下座させるって言ってたけど。さてさてどうなるんですかねぇ〜、しっかり撮らせてもらいますよ。』

石川はスマホを取り出し、密かに撮影準備にかかった。




 玲子は、加藤に何から話せばいいのか解らないでいた。瞳は一体何をしているのか?しかし、いきなりそんな事も聞けずに困っていた。そんな玲子を察して、加藤が口を開いた。

『奥さん、心配事がお有りですか?』

玲子は、視線を上げられずに返す。

『ええ。実は、・・・・。』

加藤は、探りながら聞いた。

『瞳ちゃんの〜事ですか?』

加藤の言葉に、玲子はドキッすると同時に堰を切って話し出す。

『そう、加藤さん。そうなの。実は、今日も孫達を預かってるの。この半年位は毎週の様に、その前も・・・・月に二、三度は・・・・。』

先程加藤から聞いた土曜日に恵比寿で会った事にしても、子供を預けたうえでの事なんだと。次々と、疑問に思う事を加藤にぶつけた。

『ん〜、奥さん落ち着いて聞いて下さいね。瞳ちゃんの話の前に言い難いかもしれませんが、うちの課長の陣内君の事についてお聞きしてよろしいですか?』

玲子は、あからさまに動揺した。

『えっ!・・・・ええ。』

加藤は、余りにも分かり易い動揺に事の重大さを感じた。陣内の事が、玲子にとっては相当触れたくない事なのだろうと。

『随分前の話になりますが、先代が陣内君を連れて来た時の事です。先代に同席する様に言われて、奥さんと一緒に陣内君の紹介をされました。入社に当たっての確認というよりは、殆ど入社の事後報告といった感じでしたが。あの時私は、少々驚いたんです。奥さんが、あそこまで反対するとは思っていませんでしたので。差し支えなければ教えていただきたいんですが、あの時何であんなに反対されていたんですか?まぁ、だらしない格好した若者というのは分かりましたが。なぜ?あそこまで・・・・。』

玲子は、視線を上げながらゆっくりと話し出した。

『実は・・・・・あのたかしさんて方は、・・・・お父さんが他所よその女の人に生ませた子だったの。あの日まで知らなかったものだから、会社に入るなんて許せなかったの。あの日の朝、突然食事中に言い出したのよね。今日、一人若い子を入社させるって。そして、それは俺の息子だって。私は、・・・・・聞き直したわ。今、「俺の息子って言ったの?」って聞き直したの。どう考えても、聞き違えてはいないんだけど。そんな筈ないって、思いたいじゃないですか。でもお父さんは、自分の息子なんだって。すまないとだけしか言わなくって・・・・・。』

そう言うと、玲子はまた視線を落とした。

『そうでしたか・・・、 姉弟でしたか・・・。』

『でも、瞳はもっと前から知っていたみたいなの。あの子達・・・・確か、五つ歳が違って・・・・。でも、十代の頃には知っていたみたいなのよねぇ。』

加藤は、息子達と食事に出かけた日の事を思い出した。陣内らしき人物を見たそのすぐ後、瞳に声を掛けられた事を。

『そうですね。恐らくですが、今だに交流があるのではないでしょうか。それで、瞳ちゃんの事ですが、・・・・確かな話ではないですし言い難い事なんですがね。以前息子が、瞳ちゃんの悪い噂を聞いた事があるって言っていたんですよ。もう、十年以上も前の話です。何やら渋谷や恵比寿界隈で、歳の近い連中を集めて何かやっているって。デートクラブって言うんですかね、・・・・そうゆうのをやってるって噂を聞いた事があるって言ってたんです。お友達も、評判の悪い連中だと。もしかしたら、陣内君もそういう知り合いなのかと思っていました。』

俯いていた玲子が、顔を上げて呆然としている。胸が痛くなりながらも、加藤はそのまま続けた。

『そんな事もあったんで、恵比寿で会った時には嬉しかったんですよ。直接会って話してみて、良いお母さんになってると喜んでいたんです。ですが頻繁にお子さん預けてという事になると、デートクラブではないにしろ何かをしているのかも知れません。それが何かは判りませんが、陣内君にも関係のある事なのかも知れません。優樹君と葵ちゃんの事もありますし、一度社長も含めて話し合いをした方がよろしいでしょう。』 

玲子は目をつぶって、二人の孫の事を考えた。

『そうですね。話し合わないと・・・・・。』

そんな玲子を見て、加藤は靖久の話をするのを止めた。これ以上は忍びないと。




 靖久は、ラウンジのソファーに深々と座っている瞳を見付けた。

『待たせたみたいだね。』

対面のソファーに座った靖久に、瞳が薄笑みを浮かべて言った。

『この半年位、パパ可笑しくない?何か、私に言わなきゃいけない事があるんじゃないのかな?』

『 ・・・・・。』

無言で目尻を押さえる靖久に、瞳は少し身を乗り出して続ける。

『週末は、ずう〜っとは、ほったらかし。』

霞む目で、瞳を見ながら靖久が口を開いた。

『悪いね。子供達にも、本当に悪いと思っている。』

瞳は、落ち着いて返事をする靖久に語気を強めて言った。

『悪い?・・・・半年以上も週末は居ない、子供も私もほったらかし。それで出てきた言葉が、悪い・・・・?』

靖久は、小さく頷きながら悩んでいた。自分から、不倫している事を言い出すのかどうかを。そんな靖久の心の迷いを察したかの如く、瞳はバレンシアガのトートバックからノートパソコンを取り出した。

『ん〜と、先ずはこれ見てもらっていい?』

瞳は、楽しげにノートパソコンのモニターを靖久に向けた。モニターには、動画が映し出されている。

『夜?・・・・これは・・・・んっ!』

そこには、長崎倶楽部の店先にいる自分が写っている。飛鳥も、そして森高も。自分が何を言ったのかも、はっきりと聞き取れた。

「これは、・・・・・昨夜の・・・・・?」

靖久は、心の中で呟いた。昨夜の出来事が、何故なぜか瞳の持って来たパソコンに動画であるのだ。

「何なんだ?」

靖久は、食い入るように動画を見ながら不思議でしようがなかった。飛鳥と一緒にいる所を、瞳に突き付けられるのは解る。写真や、画像だったらすんなりと理解出来る。

だが、これは動画だ。瞳か瞳に依頼された探偵か誰かが、昨夜あの場所の近辺に居たって事だ。そして、それを動画で撮っている。動画を見終わり、靖久は周りを見回しながら言った。

『探偵さんとか、同席するのかな?』

瞳は薄ら笑いのまま、首を横に振りながら言った。

『そんな事どうでもいいじゃない?そんな事より、この動画に写っているのはで間違いない?』

靖久は、黙って二度頷く。それを確認して、瞳は畳み掛ける。

『じゃあ、この女の人は?仕事関係の人なのかなぁ?』

『いや、違うよ。』

靖久は、短く応えた。瞳は身を大きく乗り出し、靖久の眼前まで顔を近付けて畳み掛ける。

『そうだよねぇ、仕事関係の人じゃないよねぇ。・・・・・橋本飛鳥。南州製薬にお勤めで、二十九歳のOLさんだよねぇ。』

『・・・・で、話は?』

瞳は、慌てふためく靖久を見たくて動画を見せたのだ。何も知らずに、自分に優しさを授けるだけだった男。それが、何処でどう間違ったのか他の女にうつつを抜かした。瞳はそれがバレて、情けなく慌てふためく靖久の姿を見たいのだ。

なんなら、泣きじゃくりながらすがる姿を。なのに、予想に反して落ち着いている靖久に苛つきをおぼえた。

『何か言う事あるんじゃないの?これは、貴方だって認めるんでしょ?言い訳の一つでも言う?』

瞳は、あからさまに苛立ちを見せた。語気も強く、そして声も大きい。ラウンジにいる他の客が、気にしてチラチラ見ている。靖久はゆっくりと、そして憎らしい程静かに言った。

『言い訳する事はない。何もない。・・・・・すまない。』

靖久は、真っ直ぐと瞳を見た。そして背筋を伸ばして、両腿りょうももに手を置き姿勢を正して深く頭を下げた。その態度に、瞳は益々苛つきを増していった。そしてモニターを小突きながら、眼を見開いて噛み付く様に言う。

『じゃあ、認めるのね。この女と・・・・この女と不倫してるって。』

靖久は、黙って瞳を見て頷いた。

『私は絶対に許さない。私がいるのに浮気するなんて、絶対に許さないから!』

『本当に、申し訳ない。』

再度、深く頭を下げて言った。靖久は心に決めていた。何をされようが、何を言われようが・・・・・。何があろうが、飛鳥に危害が及ばない様にしなければならないと。責めを負うのは、自分だけにするんだと。

『離婚よ!許せない。子供も渡さない。家も出てって。社長も辞めなさいよ!』

瞳の声が、ラウンジ中に響き渡る。靖久達は、ラウンジ中の注目を浴びた。

『解った。しかし、じゃあ明日から社長辞めますって訳にはいかないんだ。引き継ぐにしても、ある程度の期間かかるだろう。離婚に同意はするよ。だから、現実的な話し合いをしないか?子供の事。仕事の事。お金の事。全部含めて、弁護士を交えて現実的な話をしないか。』

靖久は、淡々と落ち着いて言った。瞳は、顔を真っ赤にして睨み付けた。

『分かった。絶対に許さないから!』

そう言って瞳は立ち上がり、エレベーターに乗って行ってしまった。それを座ったまま見送り、靖久は大きく溜め息を吐いた。

『ふぅ〜・・・・・・。』

エレベーターから降り、部屋に向かいながら瞳は舌打をちした。

『チッ・・・・・・。』

部屋に入り、落ち着きなくウロウロしながら呟く。

『今日は探りを入れて、不安にさせるだけだったのに。予定狂っちゃった。』

瞳は、スマホを取り電話をかけた・・・・・。




 ラウンジでの一部始終をスマホで撮っていた石川は、静かに後片付けをしながら呟いた。

『何か、瞳姉の言ってたのと違ったなぁ。』

「気の小さい男だから、私が強く言ったら謝りっぱなしだと思うよ。」

瞳の言っていた話と、靖久の印象が全く違ったのだ。

『瞳姉に責め立てられるのが、分かってて来てたんだろうけど。普通に謝って、離婚の話し合いをしていこうだって。瞳姉には悪いけど、・・・・・男としては好感持っちゃったなぁ。意外とねっ。』

石川が後片付けを終えるを待っていたかの様に、丁度瞳から電話がかかってきた。

『うん、・・・・・うん・・・・・・。すぐに行くから、ちょっと待ってて。』

そう言って、石川はエレベーターに乗って瞳の待つ部屋へと向かって行った。

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