第3話 仕掛けられた罠
瞳は、恵比寿のカフェで電話を待っていた。カプチーノとパニーノがテーブルにあるが、瞳はパニーノには手を付けずにカプチーノを啜りながらイライラしているようだった。その時、スマホが鳴った。
プルル・・・プルル・・・ガチャッ
『もしもし、うん、うん、で?』
『 ・・・・。』
『分かった。仕事終わってからもちゃんと見ててよね。そこが、一番大事なんだからさ。じゃっ、頼んだわよ。』
そう言って電話を切った瞳の対面に、身だしなみの良い細身の男が座った。
『ん、
男の名前は
『ごめん、ごめん。
そう言うと、瞳のパニーノに
『アンタは、あたしが来いって言ったら直ぐに来なきゃだめなの。ほら、しょうがないわねぇ〜!』
瞳は、石川の口元をナプキンで拭いてあげた。
『誰も取らないんだから、ゆっくり食べなさいよ。もう、汚いなぁ〜。』
可愛い弟を見る様な目で、瞳は口元を緩ませながら言った。
『・・・っで瞳姉、話ってのは旦那の事?それとも、ビジネス?』
『まぁ旦那の事は、今度で良いんだけど。ビジネスっていうかそっちの方は、アンタ黙ってても売り上げんじゃん。ちゃ〜んと、手渡しで渡したでしょ?』
『ウィッス。』
『ってゆ〜かぁ〜。ただ最近イライラすっから、買い物付き合いなさいよ。』
瞳は、残りのカプチーノを飲みながら言った。
『うわぁ〜、相変わらずの女帝っぷり!リーマン仕事中呼び出して、買い物付き合えだって。ひでぇ〜話じゃん!』
石川は立ち上がり瞳の背後に回ると、両肩を包み込む様に抱きしめて囁いた。
『瞳ちゃん、買い物だけでいいの?会社には、直帰って言ってあんだけど。』
『睦!人目あんだから止めなさい。』
『ん〜、・・・・分かったよ。』
『ほら、拗ねないの!買い物終わったら、・・・・・ねぇっ!』
そして、瞳は石川を買い物に連れ回した。二時間程連れ回されたとこで、石川は瞳に聞いた。
『俺、持って歩くの地獄なんだけど。瞳姉、どうやって持って帰るつもり?』
『ん〜、じゃぁ宅送させて。睦やって来てよ。あたし、あそこで待ってるから。』
瞳は、ベンチを顎で差した。
『もぅ〜本当にしょうがねぇなぁ。』
そう言って、手配をしに行こうとする石川に瞳は言った。
『文句言わない!ご褒美ちゃんとあげるから。ほら、行ってらっしゃい。』
石川は、少し機嫌を直して宅配の手配に向かった。
南州製薬は文化七年(1810)に、江戸で和漢薬の商売を始めた老舗である。年間売上四兆円を超える大企業で、日本三大製薬会社の一つに名を連ねる。この南州製薬で本部長の
その森高本部長は、飛鳥のチームに部下を送り込んで毎日報告をさせていた。その報告によると橋本主任は一歩引いていて、相沢恵美達若手主体でプロジェクトを進めているという。今の所、落ち度があるとの報告はない。森高は、深々と椅子に腰掛けスマホを手に取った。
『僕の事は嫌がったくせに、
そう言って、不機嫌そうに森高は電話をかけた。
プププ・・・プププ・・・プププ・・・ガチャ
『森高です。・・・・石川君さ、今晩夕食を摂りながらミーティング出来る?』
『 ・・・・。』
『なんだ、今日は戻らないのか?そうですか。では、また後日にしましょう。それでは。』
続けてもう一件。
プププ・・・プププ・・・プププ・・・ガチャ
『もしもし、僕ですけど。これから、どうする予定なんですか?』
『 ・・・・。』
『君ばかり頼み事するのは、フェアじゃないですねぇ。まぁ、今に始まった事じゃないから良いですけど。』
『・・・・。』
『そうか、それだったらもう暫く泳がせといた方がいいですよ。ん〜その方が、確実に仕留められると思いますよ。じゃあ今度ゆっくり、食事の時にでも話しましょう。それじゃあ、・・・・また。』
森高は、薄気味悪い笑みを浮かべて電話を切った。
その頃同じ南州製薬内では、相沢恵美が橋本飛鳥主任に認められようと張り切っていた。最近始まった新しいプロジェクトを、自分達に任せてくれた飛鳥の期待に応えたいのである。今迄見た事のないやる気に満ちている相沢達を、飛鳥は一歩引いて優しく見守っていた。
相沢達は新しい商品の、テレビ・ウェブ・動画チャンネル・で流す映像に関する打ち合わせをしている。飛鳥は同席してはいないが、それなりの手応えを感じていた。チーム内での連携もしっかりとれて、なかなかの滑り出しをしている。
プロジェクトが立ち上がり三日がたった頃、突然本部長の森高から一人の男が送られて来た。石川睦という本部長の右腕で、かなり陰で動いているという噂の男だ。そんな石川が、なぜこのプロジェクトに送られて来たのかと相沢達は首を傾げていた。
何故かは解らないが、不気味である事に変わりはない。相沢達をリードする訳でもなく、邪魔せずサポート役に徹して雑用までやってくれている。そんな石川はいつもいる訳ではなく、森高からの特命が下ると半日なり一日なりいなくなる事もある。しかし本部長直属の人間という事で、誰も何も言えはしなかった。そして十日も経つ頃には相沢達のストレスの原因になり始め、細かいミスが目立つ様になっていた。
そんな時に、飛鳥は相沢に声をかける。
『恵美ちゃん、石川さんの事は気にしないで。見落としのない様に、貴方達で確認し合いなさい。流石にアイツも、邪魔は出来ないでしょ。』
『あっ、そうですよね。有難う御座います。』
相沢は飛鳥に声をかけられて、助言をしてもらって素直に嬉しかった。それからの相沢達は、本来の調子を取り戻していく。良い感じでプロジェクトが進んで行くのを、飛鳥も喜んで見ていた。森高への報告用なのだろうが、石川は頻繁にカメラで色々撮っている。相沢達の仕事風景を、動画や画像で撮っているのだ。あくまで、相沢達の邪魔にならない程度で撮っているからいいのだが。そんな石川がフロアー全体を撮っている時に、飛鳥は自分にもカメラが向いている様な気がした。
『・・・・・まさかね。』
飛鳥は気付かれないように、こっそり石川をスマホで撮った。
靖久は二十時過ぎに長崎倶楽部に着き、いつもの黒ビールとピスタチオをオーダーしてテーブルに着いた。
喉を潤して一息吐く頃に、飛鳥が入り口から入って来た。
『お待たせ。待った?』
『ううん。俺も、今来たばっかだよ。』
飛鳥は靖久に、職場での相沢達の奮闘を話しだした。相沢達が、凄く頑張っている事が嬉しいのだ。靖久は、飛鳥が職場の後輩の話をするのが好きで堪らない。会った事はないが、話を聞くだけで飛鳥が後輩達に慕われているのが解るからである。男という生き物は、惚れた女の好感度が気になるものなのだ。
小一時間程呑んで後、二人は飛鳥の部屋へと向かった。
『ねぇヤス君。』
『んっ?』
『奥さんに、何も言われない?』
『な〜んにも言われないよ。何で?』
靖久は、キョトンとして聞いた。
『だって・・・・こんなに自由にヤス君と過ごせるって、ちょっと上手く行き過ぎかなって思って。日曜も祝日も、もう何ヶ月も家に居ないんだよ?何にも言わないなんて、なんか不気味だよ。』
『まぁそう言われれば、そうなんだろうけど。でも実際何にも言われないし、気にもしてないって感じなんだけどなぁ。前から会話なんてなかったし、子供達もあまり喋んないからね。俺の事嫌ってんのかなぁ〜って思うもん。昨日今日の事じゃないからね。』
『ん〜 ・・・・。』
飛鳥は不安を拭えないまま、靖久の肩に頭を乗せて
土曜日の夕方、加藤は婦人と息子夫婦に連れられて恵比寿まで食事に来ていた。息子の嫁のお勧めらしいが、その店が恵比寿駅の近くにあるらしい。六十を迎えた加藤には、人出の多い街は何かと疲れるのである。早く店に着いて一休みしたいと思っていると、課長の陣内に似た男が通り向こうを歩いているのが見えた。まぁ他人の空似かもしれないのだが、会社では想像もつかないファッションでキメていた。
それを見て、先代の社長が陣内を連れて来た時の事を思い出した。ダボダボのスウェット上下に雪駄を履いて、首・両手首・両手の指とジャラジャラいわせていたのを。その時とまではいかないが、ダラシのないファッションである。角度的にハッキリと見えた訳ではなかったので、見間違いかもしれない。
『そういえば先代が強引に彼を会社に入れたから、
そう呟き通り向こうに目を戻すと、すでに陣内らしき男はいなくなっていた。そこで加藤は、義理の娘に呼ばれて歩き出す。
『お
そう言われ、義理の娘と腕を組みながら歩きだした。加藤は、年齢を痛感しながらも義理の娘に連れられて歩いた。
『お義父さん、ここです。到着ですよぉ。』
そう義理の娘に言われた時、後ろから女性の声がした。
『加藤さん?加藤のおじさんですよね?』
加藤が振り返ると、そこには瞳が立っていた。
『あれ、瞳ちゃんかい?』
『はい、御無沙汰しています。主人がいつもお世話になっています。』
瞳は、深々と頭を下げた。
『いやいや、瞳ちゃん止めてくれよ。今社長に助けられてるのは、おじちゃん方なんだからさぁ。』
『あら、そうなんですか?最近、全然家にいないんで・・・・。』
瞳は、笑いながらそう言った。
『悪いねぇ、おじちゃんが社長に色々押し付けちゃったから。』
『そんな事ないですよ。若いんだから、やらせて丁度いいんですよ。』
社交辞令だとしても、加藤は嬉しかった。
『瞳ちゃんも、また綺麗になっちゃって。買い物かい?』
『はい、西口のハンバーガーショップに。子供達が、今すぐ買って来てってうるさいんですよ。』
『あれ、それは、早く買って帰ってやんなきゃね。』
『おじさん達は、お食事?』
『そうなんだ。息子達とね。』
瞳は婦人と息子夫婦にも丁寧に挨拶をした後、足早に西口の方へと消えて行った。加藤は大人になった瞳の姿に、感心しながら店内に入って行った。
相沢達とランチを済ませて戻って来た飛鳥に、石川が森高本部長からの伝言を伝えに来た。
『橋本主任、森高本部長がお呼びです。本部長室までお願いします。』
嫌な予感がしたが、飛鳥は表情に出さずに返す。
『分かりました。すぐに伺います。』
更衣室で財布をロッカーにしまいながら、相沢が飛鳥に聞いてきた。
『何なんですかね?』
『心配しないで恵美ちゃん、経過報告とかして欲しいんじゃないかな。じゃあ、ちょっと行ってくるね。』
飛鳥はエレベーターを降りた所で、一度深呼吸をして本部長室へと向かった。
コンコンコンコン・・・
『橋本です。失礼致します。』
飛鳥はドアを開け、丁寧に深く頭を下げて入室した。
『橋本さん・・・えっと、相沢君でしたっけ?頑張ってるみたいじゃないですか。』
『はい。』
『貴方は、サポートに回ってるんですねぇ?』
『はい。』
『貴方が責任持って彼女達に任せてるって事は、相当信頼しているんですねぇ。』
飛鳥は、森高のこのねちっこい喋り方が大っ嫌いだ。
『ところで橋本さん、石川君から聞いていますか?』
『えっ?・・・・伺って・・・・・おりませんが。』
『あららら、そうですか。石川君もあれで忙しい身なのでねぇ。』
『はぁ?』
飛鳥は「だ・か・ら・?」っと言いたいところを、我慢して丁寧に聞いた。
『何か、問題が御座いましたでしょうか?』
『いえねぇ・・・・ただ人材育成の観点から、より良い人材選別の話しをしようかと思いまして。橋本さんと石川君と私、三人でゆっくりお話し出来ればといいなと思いましてねぇ。食事をしながら・・・・・』
「んっ?それって、食事に誘ってるって事じゃない?え〜っ。」
戸惑う飛鳥に、気付く事なく森高は続ける。
『相沢君ですか。なかなか将来性の明るい方みたいですねぇ。彼女の事を、上司である橋本さんから色々お聴きしたいんですよぉ。』
飛鳥は相沢の評価に関わる事だなと思い、「なかなかうまい口実考えたわねぇ!」と心の中で呟いた。
『
飛鳥は、観念するしかなかった。
『解りました。石川さんと
『流石、聡明な橋本さんですね。御理解していただけて嬉しいですよぉ。』
飛鳥は全身に、蕁麻疹が出ているのではないかと思う程の痒みを感じた。
『実は、今週の金曜日に素敵なお店を予約しています。石川君を迎えに行かせますんで、よろしくお願いしますね。』
飛鳥は、「最初からそのつもりだったんでしょ!」と思いながら返す。
『畏まりました。それでは金曜日に・・・・。失礼致します。』
飛鳥は、本部長室を出るなり憂鬱になった。あの男と、三人でとはいえ食事をしなければならないのである。しかも食事という事は、早く切り上げても一時間はみなければならないだろう。これは、・・・・・生き地獄である。
飛鳥がデスクに戻ると、すぐに相沢が寄って来た。
『主任、どうだったんですか?』
飛鳥は、相沢達を不安にさせないように言った。
『皆んなが頑張ってるから、話を聞きたいって食事に誘われたの。』
相沢が、これでもかというほど顔を近付けて聞いてきた。
『大丈夫なんですか?』
飛鳥は態と、意地悪く聞いてみた。
『ん〜石川さんも入れて三人だし、すぐ逃げるから大丈夫よ。何だったら、恵美ちゃんも来てくれる?』
すると相沢が、眉間に皺寄せて言った。
『・・・・・キモッ!』
『私も頑張って行ってくるから、皆んなも頑張って成功させてね。』
飛鳥の檄に、相沢は満面の笑みで応える。
『ハイッ!・・・・でも主任、イケメンの彼氏さんは大丈夫なんですか?』
『・・・・・えっ。』
「またまたぁ」っといった感じで相沢が見ていると、飛鳥は少し頬を赤らめて照れながら返した。
『イケメンかどうかは分からないけど。・・・・・大丈夫よ。』
『ですよねぇ〜。最近、主任すっごい綺麗だもん。』
相沢の冷やかしに、飛鳥は顔を真っ赤にしながら靖久にラインをした。
靖久は、専務の加藤と昼食の天ざるを啜っていた。最近加藤とのコミュニケイションを特に大切にしていて、週に二・三度は一緒に昼食を摂るようになっている。先代から引き継いで間もない頃から、加藤にはいろんな事を教えてもらった。遅まきながら最近になって、それが実を結びだしている事に気が付いたのである。
『社長、こないだ瞳ちゃんに会いましたよ。家内と息子夫婦に連れられて、恵比寿に食事に行ったらバッタリと。』
『えっ〜、そうなんですか?』
『ん!聞いてませんか?』
『・・・・。』
靖久は箸で摘んだ天ぷらを、口に入れずにじっと見ている。そして、小さな溜め息を吐きながら言った。
『加藤さんだから言いますけど、結構前からすれ違い気味でして。それもあって、休みの日も何かをやる様にしていたんですよ。子供が生まれる前から、週末はあまり一緒に過ごさなかったですし。最近は仕事にゴルフに接待と、やる事がたくさんあるので・・・・ 特にですね。』
それを聞いた加藤が、蕎麦を啜りながら言った。
『社長ダメですよ、ちゃんと話し合わなきゃ。』
『・・・・ん?』
キョトンとしている靖久の目を見て、加藤は蕎麦を啜りながら続ける。
『他に、ズゥズゥズゥ〜・・・・いい
『・・・・・えっ!』
心臓にグサッと、加藤の言葉が突き刺さる。
『判るんですからね!』
グウの音も出ない靖久に、加藤は畳みかける。
『きっと素敵な
完全に頭の中が、真っ白になってしまっている靖久を見て加藤は続ける。
『大丈夫なんですか、瞳ちゃんは?感付いてるんじゃないんですか?』
靖久は、放心状態である。
『あぁ〜・・・・。』
『詳しくは分かりませんけど、優樹君と葵ちゃんもいるんですからね。』
『はっ、・・・・はいぃ〜。』
それ以上加藤は、何も言わなかった。
『ところで社長、別件なんですけど・・・・』
専務の加藤に気付かれていた事で頭が真っ白になってしまった靖久は、他の人に気付かれてはいないだろうかと
「瞳は、気付いているのか?」
今になって、飛鳥が不安がっていた事の意味が・・・・靖久にも解った。
その頃同じ丸十建材では、昼食後の一服の為陣内が小走りで喫煙ルームに向かっていた。あと二・三歩で着くという時に、スマホのバイブに気付く。モニターを見ながら、陣内は喫煙ルームに入って電話をとった。
『はい、
『・・・・。』
『仕事終わったらすぐ向かうよ。・・・・恵比寿の、いつもの所でいいんだろ?』
『・・・・。』
『大丈夫だって姉貴。・・・・・子供達は?』
『・・・・。』
『なんだ、来ねぇ〜んだ。そっか、久々に会いたかったんだけどなぁ。金曜だもんな、実家に置いて来んだ。』
『・・・・。』
『分かったよ、・・・・・じゃあ。』
陣内は、電話を切って煙草に火を着けた。
『何か、機嫌良さそうだったなぁ〜 姉貴。・・・・・ふぅ〜。』
そう呟いて、陣内は美味そうに煙草を吸った。
そして迎えた金曜日。飛鳥と相沢が昼食から戻って来ると、内線で石川が本部長室に呼び出された。それを見て、相沢が飛鳥に囁いた。
『あっ今日ですよね、キモ男(森高本部長)との食事。』
飛鳥は、相沢が誰の事を言っているのか解っていた。だが、態と意地悪く微笑んで聞いてみた。
『恵美ちゃん、キモ男って誰の事言ってるの?』
『ちょっと〜、食事に誘ってきたキモ男ですよ。今日でしょ?』
『ふぅ〜、そうなんだよねぇ。ヤダヤダ。』
そんな飛鳥達を横目に、石川がエレベーターの方へ向かって行くのが見えた。
飛鳥は、相沢が淹れてくれたコーヒーを飲みながら靖久にラインを送る。
「本部長達との、食事が終わりそうなタイミングで電話するね。やきもちを妬きながら待っててね。」
石川はノックをして部屋に入ると、周りを見回し誰も居ない事を確認してから森高に話し出す。
『
『ご苦労様。今夜は、楽しくなりそうですねぇ。それで、お店には何時に?』
森高は、窓から外を見下ろしながら石川に聞いた。
『十九時に、予約を取っています。店は、車で十五分くらいの所です。ですので頃合いを見て、橋本を迎えに行こうと思います。融さんは先に店に入って、橋本を迎える感じにします。でもあの女の為に神戸牛とトリュフって、ちょっとやり過ぎましたかね?』
森高は、振り返りながら言う。
『うううん、お任せしますよ。他の準備も、抜かりはないですねぇ?』
『融さん、・・・・全て
石川は、余裕たっぷりの笑顔を森高に向けた。
『流石ですねぇ。頼りにしていますよ。』
森高は、石川に歩み寄り右肩を軽く叩いた。
大理石の敷き詰められたホテルのロビーに、グラスビールを呑んでいる瞳の姿があった。スマホを弄りながら呑んでいると、着信があり電話をとる。
『いつも有り難う御座います。今日は、如何なされますか?』
『・・・・。』
『はい。はい。畏まりました。十九時半に、恵比寿駅西口で御座いますね。』
『・・・・。』
『はい。・・・・はい。それでは十九時半に、恵比寿駅西口で「マサキ」をお待ち下さい。マサキの方から、お声がけさせていただきますので。・・・・はい。御利用有り難う御座います。失礼致します。』
同じ様な電話を何度か応対してグラスビールを空にした頃、男が瞳に声をかけながら近寄って来た。
『仕事熱心だねぇ〜、・・・・・姉貴。』
『そお、働かざる者食うべからずよ。夕飯まだでしょ?上で摂る?』
『そうだね、一杯ひっかけたいし。』
瞳がチェックを済ませたところで、もう一度電話対応を済まて二人はエレベーターに乗った。
『敬、洋食にする?和食にする?どっち?・・・・』
『ん〜、・・・・和食かな。日本酒呑みたいし。』
二人は、店に入ると個室に陣取った。
『姉貴、優樹と葵は元気?』
『ん〜、元気にしてるって。アンタが心配する事ないって。で・・・どう、うちの旦那は?』
瞳はメニューを開いて迷いながら、靖久の様子を見張らせている
『姉貴、人使い荒いよ。あっちも、毎日毎晩だしさぁ。こっちがクタクタになちゃったよ。マジで。・・・・この間のラインで、詳しい店・マンション・会社・住所とかの写真送ったの見た?』
『ええ、良く出来てたわよ。』
『俺は子供がいないからさぁ、姉貴達の気か知れないよ。あまりにも、・・・優樹と葵が可哀想だよ。』
『アンタには、分かんないわよ。』
瞳は何品かオーダーして、陣内の方を見た。
『日本酒は、自分で決めなさい。私、分かんないからさ。』
そう言われて、陣内はメニューを見ながら瞳に聞いた。
『で、明日からはどうすんだよ?』
『様子見かなぁ。向こうの出方次第。』
『取り敢えず、・・・・・解放してくれんの?』
『フッ、いいわよ。ほら、取っときなさいよ。バイト代。』
そう言って、瞳は厚めの封筒を陣内に渡す。
陣内は、受け取った封筒をチラッと見て言った。
『姉貴儲かってんだなぁ。頼りになるのはお金と、お袋は違っても
『何言ってんのよ。まっ、お疲れ!』
二人は、ゆっくりとグラスを掲げて乾杯をした。
玲子は、二人の孫と夕食を摂っていた。孫がテレビで見て行きたがった、ハンバーグの美味しいレストランに来ている。六十八歳になる玲子にしてみれば、家でのゆっくりとした食事でいいのだが。しかし、可愛い孫にせがまれてはどうしようもない。
『優樹、葵、どう?美味しい?』
二人は満面の笑みで頷きながら、口いっぱいに頬張っている。
そんな二人の孫達を、玲子は優しく見守っている。よく目に入れても痛くないと言われはするが、実際に孫ができてみないと納得出来ないであろうこの感情に玲子は浸っていた。我が子よりも愛しい孫達に、毎週末会える幸せは極上である。
『ねぇ、バァバ。』
『なぁに、優樹。』
『僕ねぇ、バァバといる時が一番好き!』
突然の勇樹の言葉に、玲子は胸が張り裂けそうになった。子供にこんな事言わせるなんて、あの
『バァバも、優樹と葵が一番好きだよぉ。毎日一緒に居たいねぇ。』
今度は、無邪気な顔をして葵が言った。
『葵、バァバのお家に住みたぁ〜い。』
孫のその言葉を聞いて、玲子の涙腺は決壊した。
『バァバどうしたの?葵、泣かせちゃった?お兄ちゃんどうしよう?葵、バァバ泣かせちゃった。どうしよう?』
玲子は、声を振るわせて言った。
『葵、大丈夫だよ。・・・大丈夫。優樹、パパとママはいつも優しいかい?』
『パパは優しいけど、ずっとお仕事だし。ママは、・・・・』
被せ気味に葵が言った。
『パパはねぇ〜、いつも遅いの。ママはねぇ〜、朝しかいないの。』
玲子は、言葉を失った・・・・。
「靖久さんが忙しくしているのは、加藤さんから聞いていたから解る。瞳は?朝しか居ないの・・・・・?どういう事・・・・・?」
玲子は瞳に疑問を持ちながらも、孫達に悟られまいと話題を変えた。
『さて、優樹、葵。明日は、何処行こうかね?』
一度娘夫婦と、しっかりとした話をしなければならない。玲子はそう心に決め、孫達との週末の予定に話を咲かせた。
少し時間を巻き戻し十八時半を過ぎた頃、南州製薬では飛鳥を迎えに石川が来ていた。飛鳥はチームの皆んなを帰し、一人で雑用をしながら待っていたのである。
『橋本主任、そろそろ行きましょうか。』
『はい。』
飛鳥は、短く返事をして気合を入れた。
『本来であれば、橋本さんの好き嫌いまで伺ってから店を決めるのですが。本部長のリクエストで、神戸牛の鉄板焼きになっています。・・・・大丈夫ですか?』
『はい。好き嫌いはあまり御座いませんので、お気遣いなく。』
『それは良かった。』
エレベーターからタクシーに乗り込むまで、飛鳥は石川にエスコートされた。少し渋滞に時間を奪われたが、タクシーは丁度十九時に店に到着する。有名人御用達として有名な店に、飛鳥は気後れしながら入って行った。
『お待ちしていましたよ。』
まったりとした話し方で、森高が迎えてくれた。すると、背後から意外な言葉が聞こえてくる。
『では、私はこれで。』
そう言って、石川が出て行くのである。
『すみませんねぇ〜、彼は急用が出来ましてね。残念です。』
飛鳥は思わず、「そう来たかぁ〜。」と心の中で叫んだ。確かに、想像出来た事ではある。相沢達の名前を出して、断わる事が出来ない状況にされた。この状況にした、森高の勝ちなのだろうなぁと飛鳥は思った。
『本当に残念ですね。』
森高さん、これが「
食事は間違いなく美味しい。だが飛鳥は、森高の話しが相沢達とは全く関係のない事が気になっていた。もしくは仕事以外の話だったりして、何の為に呼び出されたのかが解らなかった。確かに以前、森高には食事に誘われた事がある。だがそれ以降何の接触もなかったし、特別自分に興味があるとも思えなかった。それなのに、急に相沢達を餌に食事に誘った狙いは何なのだろうか。飛鳥は森高の発言にそのヒントがあるかもしれないと、注意深く聞いていたが何も可笑しな所はなかった。そんな感じでの会食は、余り味わう事が出来ずにいた。
別に口説かれている訳ではない、ただ食事に誘われただけなのか?
「森高本部長が?有り得ない!」
無駄な事が大嫌いな人間なのは、社内では有名な事だし何かある筈なんだが。森高の話しに適当に合わせながら、飛鳥はそう考えていた。
『ところで橋本さんは、ご出身はどちらです?』
「えっ。」
意外な質問に、飛鳥は驚いた。
『あっ、・・・・・長崎です。』
『あららら。素敵な
『・・・・・はぁ。』
それから森高は、長崎の魅力等を話し出した。長崎の
『すみません。』
飛鳥は、そろそろ靖久に連絡を取りたかったのである。
プルル・・・プルルル・・・ ガチャ
『もしもし、ヤス君。』
年甲斐もなく、靖久が拗ねた感じで聞いてきた。
『うん。飛鳥ちゃん、そろそろ終わりそう?』
『そうだねぇ、そろそろかな。一人寂しく長崎倶楽部にいるの?』
『うん。寂しくいる・・・・ぞっ。』
『ふふっ。もうちょっと我慢しててねぇ、すぐ行くから。ねっ。』
飛鳥は、電話を切って席に戻った。森高は、意外な程あっさりと解散を了解してくれた。森高は店を出て、タクシーに乗り込みながら飛鳥に挨拶をする。
『それでは橋本さん、
『今日は、有り難う御座いました。失礼致します。』
森高が乗ったタクシーを見送った後、飛鳥は靖久の待つ長崎倶楽部へと向かうのであった。
靖久は一人、長崎倶楽部で飛鳥を待っていた。この店広さを再確認しながら、アイリッシュウイスキーを呑む。そして十九時半頃だろうか、二十代後半の男に話しかけられて暫し一緒に呑むことになった。
『いい店っすよねぇ。よく来るんすか?』
『そうだねぇ、結構来てますよ。』
笑顔の絶えないその男は、メジャーリーグやヨーロッパのフットボールリーグの話しをしてきた。靖久もスポーツチャンネルで見るので、大いに盛り上がる。そうしていると、飛鳥からの電話が鳴り席を外す事になった。飛鳥と話しているとその男が会釈をしながら店を出て行くのが見えたので、靖久も会釈で返し電話を切ってもう暫く待った。こうして靖久は、やっと寂しさから解放されたのである。
『ごめん、お待たせ。』
『はい。ものすご〜くお待ちしていましたよ。さ・び・し・く・ね。』
靖久が拗ねて言うと、飛鳥は頭を撫でながら言った。
『ごめん、ごめん。ヤス君ご飯は?』
『まだぁ〜、俺も神戸牛喰いてぇ〜!』
『じゃあ、どっか食べに行こっか?』
そう言って店を出た所に、意外な人物が立っていた。その男は、飛鳥の大っ嫌いな粘っこい喋り方で話しかける。
『これはこれは、橋本さんではないですか。こんな所でまた会うなんて、運命を感じずにはいられませんねぇ。』
粘っこい喋り方に、飛鳥はゾッとした。なんと目の前に、先程別れたばかりの森高が立っているのである。
『えっ。お、お疲れ様です。』
飛鳥は靖久と腕を組んだままの、固まった状態で挨拶をしてしまった。
『あらららら、何か見てはいけないものを見てしまいましたかねぇ〜。』
森高の粘着質な視線で気付き、飛鳥は腕組みを解き改めて挨拶をした。
『お帰りになったとばかり思っておりましたので、失礼を致しました。』
張り詰めた空気の中、森高はまだ話し続ける。
『いえねぇ・・・・こちらの方にはあまり来た事がないので、探索をしていたところでしてねぇ。まさか橋本さんと、こんなにすぐ再開出来るなんてねぇ。どうですか?御一緒しませんか?私の気持ちは御存知でしょ?』
ネチネチと迫られ固まってる飛鳥の腕を引き、自分の背後に飛鳥を隠してから靖久が話し出した。
『すみません。
『あらら貴方は、橋本さんのお知り合いの方ですか?』
森高は靖久越しに見える、長崎倶楽部のネオンを見て言った。
『もしかして、橋本さんの親族。いや、同郷のお友達ですか?私達の、運命の再会を邪魔しないでいただきたいのですが。』
飛鳥の上司であろう事を察していた靖久だったが、あまりのしつこさとイライラする喋り方にキレかかっていた。
『まぁそう言わずに、お引き取り願えませんか?』
そう言うと、靖久は森高の前に立ちはだかった。それでも森高が飛鳥に話しかけようと半歩出た時、靖久が森高の腕を取って言った。
『もういいやろ。俺の女に寄ってくんなわぃや!』
そう言うと、靖久は飛鳥の手を取り歩き出した。
飛鳥は、心臓が破裂しそうだった。あまりにも・・・・嬉しくて。
暫く二人は、無言のまま早歩きで離れた。
もう、森高の姿は見えなくなっている。靖久は、追ってくる気配がないのを確認して歩くピッチを緩めた。
『ヤバッ。あれ・・・・飛鳥ちゃんの上司やろ?俺、やっちまったなぁ?』
飛鳥は、飛びつきながら言った。
『ううん、大丈夫。ヤス君有り難う。・・・・本当に大好きっ!』
二人は、長くて甘いキスをした。
立ち尽くす森高に、歩み寄る男の影があった。片手にデジカメを持って、石川が近付きながら話しかける。
『オッケーです、立ち位置とかも完璧でした。』
『石川君、うまく行き過ぎて困りますねぇ。貴方の調査通りでしたよ、九州の男は意外と興奮しやすい。やり甲斐がありました。』
『融さんの、けしかけ方が良かったんですよ!』
『どうですか?よく撮れていますか?』
石川は、カメラの映像を確認しながら言った。
『融さん!
二人はタクシーを停めて乗り込み、夜の闇へと消えて行った。
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