第14話 挟撃

 男が地面に捨ててあった大斧を拾い上げる。

 本当は奴が大斧を手にする前に攻撃を仕掛けたかったが、殴られた時のダメージが残っていたせいでそれは叶わなかった。


「ハァ……ハァッ……」


 ただ立っているだけで何もしていないのに、心臓の鼓動が急激に速くなり息が上がってくる。

 なんだか船酔いでもした時のようなめまいがして気分が悪い。

 あれもこれもきっと、身体強化の出力を上げたせいだろう。


 身体強化は魔力の循環量によって出力が決まるのだが、出力を上げれば上げる程魔力のコントロールが難しくなり、体への負担も大きくなる。


 普段は自分でコントロールできるだけの量しか魔力を循環させていないので、こんなことは起こらない。

 けれど、ボロボロになった体でこの男を倒すためにはそれでは足りず、なりふり構っていられなかった。


「ずいぶん息が上がっておるの、小僧。そんな状態でまだ戦うなんて、ちと無謀すぎやせんか?」


「………………」


 男が何か言ってきたが、それを無視する。

 今の俺はあいつの軽口に付き合っていられないくらいギリギリの状態だった。


 あまり長くは戦えないし、短期で決着をつけないとマズいな。


 俺は前方へ大きく踏み込み、身体強化によって限界以上に引き出された力で男へ殴りかかる。


「……む!コイツはマズい!」


 今まで余裕な表情を浮かべていた男だったが、俺の動きを見るや否や、急に真剣な顔つきに変わった。

 持っていた斧を盾のようにして前にかざしてくる。


 俺の拳が男へ届くことはなく、大斧の側面を強く叩きつけるだけに終わった。

 鈍い音と共に、じんわりとした痛みが手の甲にやってくる。


「チッ!」


 真正面からやり合っても俺の拳は届かないと悟った俺は、反撃を警戒して一旦男から距離を取る。


 しかし、男は大斧を構えた大勢のままその場から一歩も動かず、攻撃を仕掛けてくる気配はなかった。


「無謀だと言ったが……それは撤回させてもらおうかの。どうやらワシも本気を出さんといかんようじゃ。」


 男は険しい顔をしながらこちらを睨みつけてくる。

 よく見ると、彼の頬には一筋の汗が流れていた。

 そして大斧を握る片方の手を一瞬だけ開いて再び握り直し、もう片方の手も同じようにすると、小さく息を吐いた。


「コイツは使わんつもりだったが仕方ない。渇いた地獄にて咲く一輪の花よ、人の血を吸いその渇きを潤せ!【食人植物カニバルプラント】」


 次の瞬間、地面がボコッと盛り上がり、バカでかいハエトリグサのような植物……いや、バケモノが生えてきた。

 

「キシャアアアアァァァァァ!」

 

 薄くて長い黄緑の草の先には、貝のように二枚合わせになっている楕円形の大きな葉。

 その周りにはギザギザと先が鋭く尖った刃のような歯が何本も生え、生き物の口のようになっている。

 また、葉の外側が緑色なのに対し、葉の内側は鮮やかで毒々しい朱に染まり、何と言うか気色悪いし禍々しい。


 そして何より、バカでかい。

 俺の体はおろか、2m以上ある男の体も楽々呑み込めてしまえるんじゃないかというくらい、ハエトリグサの葉は巨大だった。


「行け!その小僧を飲み込め!」


 男がそう言うと、ハエトリグサはその大きな2枚の葉をパックリと開いて俺に向かってきた。


 だがデカいとはいえ、所詮は植物。


「ハッ!こんなもん燃やしちまえばおしまいだ!ファイヤーボ……!」


「ぬぅん!」


 【火球ファイヤーボール】でハエトリグサを焼き払ってやろうとしたその時、男が手に持っていた大斧を投げつけてきた。


「ッ……!」


 回転しながら飛んでくる大斧をしゃがんで回避するも、そのせいで集中力を乱され、【火球ファイヤーボール】は不発に終わってしまった。


 ハエトリグサが俺を捕食しようと、大口を開けて目の前まで迫ってくる。


「キシャアアァァ!」


「クッ……!」

 

 俺は慌てて横に転がることで、なんとかハエトリグサに食べられずに済んだ。

 

 が、助かったと思ったのも束の間。


「……な!」


 ハエトリグサの後ろから突如、男の姿が現れた。

 どうやら俺の死角になるような場所を縫うように、隠れながら移動してきたらしい。


「ヌオオォォ!」


 男は一気に俺の目の前まで躍り出ると、俺の倍くらいある拳を顔面へ突き出してくる。

 

 俺は咄嗟に顔の前で腕をクロスさせ、その一撃を防ごうと試みた。


 男の拳と俺の腕が交錯するその時。


「っあッ……!」


 腕から骨がきしむような音が聞こえてきた。

 少し遅れて激痛が走る。


 一応防御姿勢をとれてはいたので、さっきのように殴り飛ばされることはなかった。

 それでも完全に堪えきることはできず、後方へ少し押し出されてしまった。


「キシャアアアアァァァァァ!」


 俺の足が止まったところへ、ハエトリグサが畳みかけるように襲い掛かってくる。


「クソッ……」


 当然魔法は間に合わない。

 なんとか後方に飛んで回避するも、それによってできた隙を男は見逃してくれなかった。


「おおおぉぉぉ!」


 無防備にも剥き出しになってしまった俺の胴へ、男が繰り出した渾身の一撃が突き刺さった。


「ガハッ……」


 俺の口から出てきた赤い液体が宙を舞う。

 

 男がそのまま全力で拳を振り抜くと、俺の体はボールのように飛んでいき、地面に叩きつけられた。

 

「ゴヘッ!……ゲホッ……ガホッ……」


 インパクトの瞬間、この一撃を避けられないと悟った俺は男の拳と同じ方向へ跳んで威力を軽減させていたが、それでもかなりのダメージを負ってしまった。


 痛みのせいで頭がボーッとしてくる。


 限界を超えた身体強化を使ってなお、奴の力が上回っている。

 ここまでしたというのに……これでもまだ足りないのか!

 何をすればあの男を倒せるってんだ。


 何でもいい。

 この状況を打開できそうな手は……。


「……!」

 

 そんな思考がグルグルと頭の中を駆け巡る中、俺はあるものを見つけた。

 あれは……。

 

 から一度視線を外し、男にバレないよう二度見する。


 そういえば最初からここにはいた。

 だが……いける……のか?

 ……いや、迷っている暇はない。


 俺は痛みに耐えながらゆっくりと立ち上がる。


「お、まだ立ち上がるか。」


 そんな俺の姿を見て、男が嬉しそうに顔を歪めた。


 それを無視して前方に手のひらを突き出す。


「【風の刃ウィンドカッター】」


 目の前に風でできた鋭い刃が3本現れた。


 その内1本はハエトリグサへと向かって飛んでいく。

 風の刃はハエトリグサの二枚葉、その上側に当たるも、葉に軽く切れ込みを入れただけで終わった。

 

 残った2本の風の刃は男のいる方へと飛んでいく。

 その内1本は男の真横を通り過ぎ、どこかへいってしまった。

 もう1本は男がいつの間にか回収していたら大斧を盾にして防がれてしまった。


「何じゃ小僧!さっきまでの勢いはどこへ行ったんじゃ!もう降参かのう?」


「………………」


 男が挑発してくるが、それに構っている暇も答える余裕もない。


「む、もう答える気力もないか……まあええわい。そんならせめてさっさと終わらせるかの。」


 男はそう言うと、先程と同じようにハエトリグサをブラインドにして駆け出す。


 俺は厄介なハエトリグサを先に潰すべく、右手を前にかざした。


「烈火の如く燃え盛る炎よ。我が怒りをもって荒れ狂い、その全てを灰燼に帰せよ。【荒れ狂う炎フレイムブラスト】」


 俺の手のひらから放出された魔力が炎となり、爆発的な速さで一気に広がっていく。

 そして、大口を開けて俺に向かってきたハエトリグサを飲み込んだ。

 

「キシャアアァァァァァァァァァァ……」


 炎の中から悲鳴のような音が聞こえてくる。

 薄く長い草も、大きな二枚の葉も、その周りに生える歯も、激しく燃え盛る炎はそのすべてを焼き尽くした。

 何度も俺を捕食しようと迫ってきたハエトリグサは、一瞬にして灰燼と化してしまった。


 すると、燃え盛る炎の中にできた不自然な空白地帯、そこから男が飛び出してきた。

 

「ガハハ!ワシの【食人植物カニバルプラント】を破ったのは褒めてやるが、それだけじゃ!小僧!こいつでしまいじゃ!」


 さすがにハエトリグサを包む炎までは消せなかったようだが、自分へと迫ってくる炎だけは大斧で防いでいたらしい。

 自らの勝利を確信した男がスピードを上げて一気に距離を詰めてくる。


 大きな魔法を放った直後のあまりにも大きな隙。

 それをこの男が見逃すはずがない。


 大斧を真上に大きく振りかぶりながら、男は俺の目の前までやって来た。


「じゃあの……グフッ!?」


 男が大斧を振り下ろそうとした正にその時、彼の脇腹に一本の矢が突き刺さった。

 予想だにしていなかった痛みと驚きで、男の動きが止まる。


「な……誰が……!」


 そう言って男が振り返る先にいたのは、1体のオークだった。

 男の魔法で蔓に縛られていた個体だ。


「ブオオオオォォォォ!」


「オークだと!なぜオークが!?いや、それよりもあのオークはワシの【木霊の悪戯ウッドバインド】で……さっきの【風の刃ウィンドカッター】……そうか!」


 男がブツブツ呟いているが、どうやら俺が何をしたのか理解したらしい。

 

 さっき放った3本の【風の刃ウィンドカッター】、その内男の真横を通り過ぎた1本は、オークに巻き付いていた蔓を切るためのものだった。


「ハァ……ハァ……ハッ!バカが!終わるのはお前だ!」


 とうとうやってきた千載一遇のチャンス。

 俺は男へ嘲笑の言葉を投げつけると、左足を一歩前に踏み込む。


「オラァァァ!」


 そして、最後の力を振り絞って男の顎目がけて全力で拳を振り上げた。

 

「う゛っ……!」


 無防備な顎にクリーンヒットした拳を振り抜くと、男の体が宙を舞う。

 そのまま数秒間空中で放物線を描きながら、遠く離れた地面へどさりと落ちた。


「ハァ……ハァ……ウッ……!」


 俺の体の方もとうとう限界がやってきた。

 全身に力が入らず膝をついてしまう。

 もうこれ以上は戦えない。


 だから……もう二度と……目を覚まさないでいてくれ!


 そんな俺の願いも虚しく、地面に転がっていた男の上半身がムクリと起き上がった。


「な……」


 嘘だろ……?

 これでもまだダメなんて……。


 ……ああ……俺はさっきのオークと同じように、この男に蹂躙されてしまうのか……。

 例えようのないくらい深い絶望が俺の心を埋め尽くす。


 しかし、度を超えた身体強化の反動でこの場から一歩も動くことができない俺を前にして、男はこちらへ近づいてくることはなかった。

 それどころか、上半身を起こしただけで、その場から立ち上がりすらしない。


 その様子を不思議に思いながら眺めていたら、男は突然力なく両手を上げて降参の意を示した。


 「ガハハ……ガフッ!安心せい、小僧。ワシの負けじゃ。ワシはもう立ち上がることすらできん。ほれ。」


 全身に力が入らないのか、男は立ち上がろうとしてすっ転ぶ。


 奴が嘘をついている様子はない。

 本当に動けないようだ。


「は……ハハ……ウグッ!」


 緊張の糸が切れたからか、急に全身の痛みが襲ってきた。

 もうこれ以上何もしたくないくらい苦しいが、最後にこいつへ止めを刺さないといけない。

 まあそれはそこにいるオークやらせればいいか。


 そう思ってオークを呼ぼうとしたら、不意に男から声をかけられた。


「のう、こぞ……いや、お前さん。最後に聞きたいことがある。」


 何だ?

 一瞬、体力が回復するまでの時間稼ぎかと思ったが、死への覚悟を感じられるような表情を見るにそうではなさそうだ。


 まあどうせ死ぬんだし、少しくらいはいいか。


 そんなことを考えながら男の顔を見ていると、彼はそれを肯定だと受け取ったらしく、とある質問を俺に投げかけてきた。


「お前さんもしや……魔王、とかいうやつじゃあないかのう?」

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