第7話 少年②

「ハァッ!」


 エルヴィンが上段に構えた剣を振り下ろす。


「グガアアアアァァァ!」


 彼の目の前にいたゴブリンは、肩口から脇腹にかけて一直線にできた大きな傷口から大量の血を流して倒れていった。


 エルヴィンとハンナがダンジョンに入ってから魔物と遭遇するのはこれで3回目だったが、いずれもエルヴィンが一人で倒していた。


「ハァ……ちょっとここらで休憩にしないか?」


 疲れた様子のエルヴィンがハンナに提案する。


「そうしましょうか。戦闘は全部エルに任せてしまったものね。でも、そのおかげでだいぶ魔力が回復したわ。」


 エルヴィンとハンナは周囲を警戒しながら地面に腰を下ろす。


「このダンジョンで出会った魔物はゴブリンだけだな……俺らが以前この洞窟に来たのって3ヶ月くらい前か?」


「ええ、確かそうだったと思うわ。コボルトを倒して帰ったら、ちょうど建国祭の時期だったもの。」


「だよな……その時は魔素の異常もなかったし、やっぱりこのダンジョンってかなり新しいよな。」


 3ヶ月前に彼らがこの洞窟に来た時、ここはダンジョンの兆候もない至って普通の洞窟だった。

 それを考えると、このダンジョンはできてから1ヶ月も経ってないだろうというのがエルヴィンの見立てだ。


「そういうことならあまり強い魔物もいないだろうし、さっさと攻略しちゃいたいな。」


「そうね。油断はできないけれど、サクサク進んでいきたいわね。」


 ハンナと話しているうちにエルヴィンの疲れも取れたようで、休憩前には乱れていた呼吸が整っていた。


「さて、そんじゃあそろそろ行くか、ハンナ!」


「オーケー。」


 そう言って二人はダンジョンの攻略を再開するのだった。


~~~


 ハンナの魔法を温存しながら出会ったゴブリンを倒しつつ、奥へ奥へと進んでゆくエルヴィンとハンナ。

 すると、先を歩いていたエルヴィンが不意に立ち止まる。


「……?どうしたの、エル?」


 そんな彼に、ハンナは不思議そうな顔をしながら首を傾げた。


「いや、あそこ……」


 前方を指差すエルヴィン。

 今二人が歩いている場所がダンジョンの通路だとすると、彼が指で指示した先はちょっとした小部屋のような空間になっていた。


「あの小部屋がどうかしたの?」


 このような小部屋は洞窟系のダンジョンではよく見受けられ、中では魔物が待ち構えているというのが鉄板だ。


「なんかこう……気にならないか?」


「そう……?別に不自然なところはないと思うけど。」


 エルヴィンに言われてハンナは小部屋を観察してみたが、これといって不自然な点を見つけることはできなかった。


「いや、まあそうなんだけど……でも自然過ぎて逆に不自然というか……」


 どうやら特に根拠はないらしい。

 ハンナは何かを考えた後、肩をすくめながら口を開く。


「そうね……そんなに気になるのなら、念のため中を調べておきましょうか。」


 冒険者というのは常に危険と隣り合わせの職業だ。

 どれだけ名を馳せた冒険者であっても、なんてことない一撃や罠であっさりと死ぬこともある。

 

 レオンの勘が正しいのかどうかはわからなかったが、無警戒でピンチに陥るより警戒しすぎて何もない方が断然いいということで、二人は念のため小部屋の中を調べることにした。


「ああ、頼む。」


 ハンナは小部屋の前に立つと、目を閉じて集中する。


「シルフよシルフ、この部屋の中でかくれんぼしてるのはだあれ?【探知サーチ】」


 語りかけるような詠唱で彼女が呪文を唱えると、一陣の風が部屋を通り抜けた。

 

 風が止むと、【探知サーチ】によって部屋の中の情報がハンナの頭に流れ込んできた。

 部屋の中に何があるのかを把握した彼女は、閉じていた目を開く。


「【探知サーチ】を使っておいてよかったわ。ここ、結構な魔物がいるのね。左右両側に3体ずつ、それと……上になんか貼り付いてるわ。あれは……スライムかしら?」


 部屋の天井には、侵入者を待ち構えるようにスライムが貼り付いていた。


「天井にスライム?……どうなってんだ?」


 ダンジョンの小部屋に罠が設置されているのはありがちな話で、部屋に入ると死角から魔物が襲ってきたり、同時に矢を撃たれたりするのはよくある。

 けれども、天井にスライムが貼り付いているなんて、エルヴィンとハンナは聞いたこともなかった。


「横はなんとかなるけど、さすがに天井はなあ……それに、ダンジョンの奥に進むためには、この部屋を通らないといけないし……」


 剣で戦うエルヴィンには天井のスライムを倒すことはできず、彼はどうしたものかと悩み始める。


 そんな彼を見て、ここまで魔力を温存してきたハンナがイタズラっぽい笑みでレオンの顔を見た。


「ここまで魔物の対処はレオンに任せっきりだったけど……そろそろ私の魔法の出番かしら?」


 彼女の提案に、レオンは少し考えてから首を縦に振った。


「……そうだな。よし!上のスライムをなんとかしてくれ。頼んだぞ、ハンナ!」


 そう言ってエルヴィンはハンナの後ろへと下がる。


「任せて!」


 ハンナはエルヴィンにそう返すと、魔法の詠唱を始めるのだった。


「シルフよシルフ、風と共に舞い踊りすべてを吹き飛ばして!【暴風ストーム】」


 部屋の中に突如荒々しい風がゴウゴウと吹き荒れる。

 風は渦を巻きながら上へと伸びていき、天井に到達すると貼り付いていたスライム達を蹴散らした。

 

 強風で飛ばされて壁に叩きつけられたスライム達の核が砕け散る。

 スライムだったゼリー状の塊は地面に落ちてきた。


「相変わらずハンナの【暴風ストーム】はすげえな……」


 部屋の中で起こっている光景を見ながらそう言ったエルヴィンの髪は、魔法の余波を受け風でなびいていた。


「ふふ!それじゃあ行きましょうか。」


「おう!左は俺がやるから、右側の奴らは頼む。」


 残りの魔物を倒すために、2人は部屋の中へと足を踏み入れる。


「うおっ……!」


 魔物の正確な位置を確認しようとエルヴィンが首を左に振ったところで、彼は思いがけない奇襲を受けた。

 自分の顔に向かって青い半透明の物体が飛んできたのだ。


「危ねっ!」


 寸でのところで彼は飛んできた物体を剣で叩き落とす。

 どうやらはスライムだったようで、スライムは地面にたたきつけられた衝撃で核を砕かれ動かなくなってしまった。


 なぜスライムが?

 そう思ってスライムが飛んできた方向をエルヴィンが見ると、ゴブリンがスライムを片手に振りかぶっているところだった。


 ゴブリンはそのままエルヴィンに向かってスライムを投げつける。

 しかしゴブリンの程度の肩では、それ程スピードは出なかった。


 ふんわりと放物線を描きながら迫りくるスライムを、彼は慌てることなく落ち着いて剣で斬りつける。

 核ごと真っ二つに斬られたスライムが、彼の両脇を通り抜けて地面に落ちていった。


 次の一撃を警戒するエルヴィンだったが、どうやらこれでスライムのストックは尽きたらしく、ゴブリンがスライムを投げつけてくることはなかった。


「……そうだ!ハンナ!」


 少しだけ余裕ができた彼は、ハンナはどうなったのかと後ろを振り返る。

 この攻撃にうまく対処できなかったのか、彼女の顔にはスライムがまとわりついていた。


「ハンナ!」


 それを見て、慌ててハンナを助けようとするレオンだったが、彼女はそれを手で制した。

 そして息を止めながら集中し始める。


 次の瞬間、ハンナの顔に纏わりついていたスライムが内側から殴りつけられたかのように体をボコボコと変形させ、勢いよく破裂してゼリー状の破片を辺り一面にまき散らした。


「ハァハァ……やったわね……見てなさい!」


 ハンナはそう言うと、2体目のスライムを投擲しようとしているゴブリンを睨みつけた。


「シルフよシルフ、強靭な風で切り裂いて!【風刃ウィンドカッター】」


 ハンナの目の前の空気が圧縮されて押し固まっていき、風の刃が2つできあがる。

 風の刃は回転しながら前方へと飛んでいき、ゴブリンの首を刈り取り、スライムの核を切り裂いた。


「そっちは大丈夫そうだな。……っと。」

 

 ハンナの無事を確認したエルヴィンは、再び自分の側にいたゴブリンと向き合う。


 いつの間にかゴブリンはこん棒を手に持っていたのだが、何かを仕掛けてくる様子はない。

 それを見てエルヴィンはゴブリンへ向かって駆け出した。


「オラァぁぁぁ!」


 ゴブリンの目の前に出た彼は一閃、剣を横薙ぎに振るってその喉笛を切り裂いた。

 ゴブリンが力なく崩れ落ちていく。


 近くにいた魔物は今のゴブリンで全部であり、これで二人はこの部屋の制圧を完了した。


「よっしゃあ!これでこの部屋にいた魔物は全部……」


 エルヴィンがそう言いかけた瞬間、二人はダンジョンの奥から禍々しい魔力の気配を感じ取った。


「何か……来る……!」


 ハンナが息をのむ。


 一体これは何なのかと二人が身構えていると、ダンジョンの奥へ続く通路からゆっくりと歩いてくる人影があった。

 ローブのフードを深くかぶって顔は見えないが、自分たちよりも背が低いので、恐らく子どもだろうとエルヴィンは推測する。


「誰だ!お前は!」


 ここは冒険者ギルドも把握していないようなダンジョンであり、人と遭遇する可能性は限りなく低い。

 さらに言うと、冒険者でもないような子どもがダンジョンに入って無事なんてこともあり得ないし、冒険者並みの実力を持っている子どもがいるならさすがに噂にはなるだろうが、そんな話は聞いたことなかった。


 得体のしれない存在に若干の恐怖を感じながら、目の前の子どもに向かって叫ぶエルヴィン。


「ようこそ俺のダンジョンへ。」


 子どもはそんなエルヴィンの言葉を聞き流してそう言った。

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