6.いつでもプリン・ア・ラ・モードを


「お母さんに懲役五年の実刑がくだされたって。麻里衣まりいは命に別状はなかったけど、あのナイフが護身用とは判断されなかったのと、これまでの児童虐待の分と動機に同情の余地がなかった分で、執行猶予付きにはならなかった」


「そう、ですか」


 そうひとみに説明されても、愛美あいみには母親に対して何の感情も湧いてこない。愛美はあの時、気付かなかった。麻里衣が愛美を心配して店から出てきていたのを。事件から二ヶ月が経つが、その事実が愛美の心に暗い影を作っている。


「麻里衣はもうすっかり快復したんだよ。それでも元気は出ない?」


「……あたし、麻里衣が出てきたことに気付いてなくて……。ママだって、あたしが家から逃げなければあんなこと……。あたしも何か罰を受けるべきなんです、きっと」


 八月の喧騒が過ぎ去ったカフェを、閉店後の静けさが支配する。「お姉ちゃん……」とキッチンから麻里衣の小さな声が聞こえる。同じテーブルに着く瞳と亮平りょうへいは心配そうに愛美を見ているが、本人は下を向いたままで気付いていない。


「……いや、愛美は被害者だ。恫喝されていたんだから」


「どうかつ?」


「恐怖を与えられて、脅されていたってこと。仮に愛美がお母さんに怪我を負わせていたとしても、おそらく正当防衛……ええと、自分の身を守るためにやむを得ず行ったことだと判断される可能性が高い。だから、罰なんて受けなくていいんだ。そのために亮平がいるんだし」


 淡々と説明する瞳の横で亮平はぽりぽりと頭をかく仕草をしてから、「そうだよ」と続けた。


「……亮平おじさん、あの……」


「おじさん……年齢はもうおじさんだもんな……。何かな?」


「何でそんなに親切なんですか? 瞳さんに頼まれたから?」


「うーん、それもあるけど……一番は、きみの気持ちに打たれたからだよ」


「えっ? 気持ち?」


 今度は後頭部をがしがしとかきむしるような仕草をしてから居住まいを正し、亮平は愛美の目をしっかり見ながら静かに話し始める。


「これまで、麻里衣ちゃんのことを最優先させていただろう?」


「最優先……そう、だったのかな……。とにかく麻里衣が嫌な目に遭わないようにって……あたし、麻里衣が泣くのが嫌だったから……」


「うん。亮平おじさんはね、その気持ちに打たれちゃったんだ。プリン・ア・ラ・モードも食べたことがなかったんだってね。初めて食べた時うれしそうにしてたって、瞳が言ってたよ」


「そ、そうですか」


「僕はね、きみが麻里衣ちゃんを思うように、きみたち二人を思いたいんだ。元の家で感じていただろう不安を取り除いて、食べたくなったらいつでもプリン・ア・ラ・モードを食べられるようにしてあげたいんだ。瞳に頼まれたからじゃないよ。、そうしたいと思ってるってこと」


 瞳は亮平の言葉にうんうんとうなずき、「私はあんたたちがいると楽だからね」とぶっきらぼうな言葉を投げる。すると、キッチンで飲み物を用意していた麻里衣が口を挟んだ。


「ねえ、お姉ちゃん」


「んっ?」


「あたしあの時、お姉ちゃんと瞳さんを守ることができたんだよ。もっと褒めてほしいな」


「そ、そんなの、褒められることじゃないでしょ、怪我したんだから! あたしがどれだけ心配したと……!」


「まあまあ。その心意気だけは褒めてやってもいいんじゃないか? 愛美と私を思ってやったことなんだし、もう十分過ぎるくらい叱られたことだし」


 麻里衣が運んできたアイスティーをストローで飲んでから、瞳は言った。


「そ、うだけどっ……、危ないことはしないでほしい……」


「ん、そうだね。危ないことはしたらだめだよ」


 瞳の言葉に、麻里衣が肩をすくめて「はい」と返事をする。すると瞳は麻里衣から愛美に視線を移した。その目に自分の汚い部分を見透かされているような気持ちになり、愛美はアイスティーをこくりと飲み込む。透明感のあるさらさらの液体は、口の中にほろ苦さを残し、愛美の中に入っていった。


「愛美は自分を大事にしなさすぎる」


「えっ、そんなことないです」


「何でもかんでも麻里衣優先だろう? ……ま、そのうち気付くか。説教は得意じゃないんだ」


「あはは、瞳はそうだよな」


 むっとした表情で黙り込む瞳と明るい笑顔の亮平を交互に見ながら、愛美はまたアイスティーを飲んだ。


「……ね、お姉ちゃんの夢って、何?」


「夢……、わかんないな……」


「きっとこれから見つかるよ。見つける手伝いくらいは僕にもできるからね」


 麻里衣の問いへの答えを、亮平が柔らかく受け止める。


「じゃ、プリン・ア・ラ・モードでも作るか。愛美、ちょっと手伝って」


 立ち上がった瞳は、愛美の肩にぽんと手を置いてからキッチンへと向かった。


「はい」


 被害者と言われてもピンとこない。母親にあんなことをさせてしまったという負い目はまだある。裸の写真を売られていた自分を汚い存在だと感じることもよくある。しかし、嫌いだった黄桃を好きになれたのは瞳のおかげだと思うと、愛美の表情は自然と笑顔になった。



 ◇◇



 愛美と麻里衣の母親の事件から二年が経ったある日、仕事を終えた亮平のスマートフォンにメッセージが届いた。


『早く帰ってきて』


『うん。もう事務所出たから、なるべく急ぐよ』


『明日は朝から夏期講習がある日だから』


『そうか。愛美はいつもがんばってるな』


『だってあたし、お父さんみたいになりたいんだもん』


『なんてかわいいんだ……』


『早くしないとお父さんの分食べちゃうよ』


『あっ、それは待って、お願い』


『お母さんが、亮平のバカって言ってる』


『お父さんがんばるから! 悪口言うのやめて!』


『麻里衣も、早く会いたいって』


『……よし、駐車場着いて車乗ったぞ! 安全運転で早く帰ってみせる!』


『気を付けてね。今日のデザートはあたしが作るプリン・ア・ラ・モードだよ』

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