大蒜スープと銀の匙

 汽車に乗ったココの前には、二人の行商が座っていた。

 正体は、ルスランとペトラである。

 そして、彼ら二人を変装させてくれたノアは、一緒に汽車には乗らず、先に大学へ戻ってお留守番となっていた。


「じゃあ作戦通りに」


 三人は、駅で解散する。


「絶対に無理するなよ。危ないと思ったら大声を出すこと。いいね?」

「ええ、分かってます」


 そう言ってココは一人、伯爵の屋敷へ向かった。




 屋敷に着いたココは、玄関扉をノッカーで叩く。出てきたメイドに名を告げると、メイドは「お待ちしておりました」と、ココをすぐに中へ通してくれた。


 屋敷の中は、まだ昼というのにカーテンが閉め切られていて、前回来たときより陰鬱さが増しているように思えた。

 薄暗い廊下を進み通されたのは、広い食堂である。


「やあ、待ちわびたよ」


 もう仮面も手袋もしていない占い師サルヴィエが、長いテーブルの向こうに座っていた。


「お招き頂きありがとうございます。ドミトル教授。いえ、ゾルゲル伯爵とお呼びした方がいいですか?」

「そんなことはどちらでもいい。さあ座りたまえ。君は僕の占い通り、大学を辞め独りでここへ来た。褒めてやらないとな」


 教授は言いながら両腕を広げて見せる。


(よかった)


 どうやらドミトル教授は、まだ自分がルスランたちと合流したことには気づいていないようだ。大学で大袈裟に送別会を開いてもらったかいがあった。


「僕は君にはじめて会ったときから、君のことを気に入っていたのだよ。だけど、なかなか占いに誘う機会がなくてね。収穫祭の日だって、せっかく君が一人になったと思ったら、邪魔が入って……」

「やっぱりあの日、教授は私をつけていたんですね」


 収穫祭の日、ココは舞踏会会場を離れ、一人、森の中の遺跡へ向かった。そのとき、ドミトル教授もココの跡をつけて森へやってきていたのだ。


「ほう、どうして僕が尾行していたと気づいた?」

「だって教授は、あの場所へドクターを探しにやってきたでしょう。本来あの場所は、人を探しに来るような場所じゃないのに」


 あのときは体調不良もあって何も思わなかったが、よくよく考えてみれば、ルスランを探してあの遺跡に辿り着くのはおかしいのだ。

 ルスランも自分も、あそこなら誰も来ないと思って、邪魔されないと思って、密かに訪れた場所だった。おそらく誰も自分たちの所在を知らなかったはず。なのに教授がルスランを呼びに来ることができたのは、ルスランか自分、どちらかの跡をつけていたとしか考えられない。


「君はやはり僕の期待した通りの子だな。しかし、『つけていた』という言い方は良くない。まるで僕が悪いことをしていたみたいじゃないか。まったく、僕がいなければ、君はあの医者に、無理やり口付けされていたところだったのだよ」


(ん?)


 んんん? たぶんそれは、唇を奪う方と奪われる方が逆だったけど思うけれど……それは黙っておくことにした。


「まあ過ぎたことはいい。今日はせっかく君が来てくれたんだ。お祝いをしようじゃないか」

「そう仰ると思って、私、料理を用意して参りました。心を込めて作ったものです。ぜひ教授に召し上がって頂きたい」


 ココは壁の傍に立っていたメイドに目配せする。この部屋へ案内される前に、持ってきた料理をメイドに預けておいたのだ。


「それは嬉しいな。僕も君の料理を食べてみたいと思っていたのだよ」


 いったん下がったメイドはすぐに、料理が乗った台車を運んできた。

 ココは、彼女が横を通り過ぎる際、台車に乗っているカトラリーを、持参した銀のものに取り換える。


「……なぜ、わざわざ銀食器を持ってきたのかね?」

「もちろん毒が入っていないとお示しするためです」


 貴族が銀食器を使うのは、その権威を示すためと、毒殺を回避するためである。銀は毒に触れると変色する性質があるので、それを利用したものだ。

 そして銀食器はもちろん、客人をもてなす際にも使われる。


「君の出自は貴族ではないはずだが、上流階級のマナーをよく知っているのだね」

「本のおかげです。本なら実際に体験できないことも学べますから」


 ココは胸を張った。

 ただ何の本を読んだかまでは言わない。きっと教授には分からないだろうから。


「それは素晴らしい。だが、僕は銀の食器は使わない主義なのだよ。貴金属や宝石で権威を表すなんて、浅ましい行為であるからな」


 ドミトル教授はメイドに言って木製のカトラリーを持ってこさせる。

 せっかく用意したのに残念だが、これはココの想定通りであった。

 そして、メイドが料理に被せてあったクローシュホコリ避けのボウルを取ると、熱々のスープからふわっと湯気が立ち昇った。その香りを嗅いだ途端、教授の顔が歪む。


「おかしいな。君は、僕が臭いのキツイものは食べないと、知っていると思ったが?」

「ええ、知っています。だから、大蒜を使ったのです。銀の食器も」


 それを聞いたドミトル教授の顔は、みるみるうちに表の石像鬼そっくりになっていく。


「……そうか。君は、僕が嫌がるものをわざと持ってきたわけか」


 その声は、静かに、だが確実に怒気を含んでいた。


「君はここへやってきたが、僕に従う気はない。それを伝えるために、わざわざこんな小賢しいことをしたわけか。そうか、ならば分からせるしかないようだな」


 脅しであろうその言葉に、ココは無表情を貫く。ただ心の中ではニヤリと笑っていた。


(かかった)


 教授に服従する気がないと分かれば、彼は必ず自分を屈服させるため躍起になる。そう踏んでいた。

 そしてまんまと教授は、誘いに乗ってくれた。


(これでいい)


 教授を自分にひきつけ、ルスランたちがメイドを説得する時間をつくる。それがココの狙いだった。





 数刻前。


「その案は駄目だ。了承できない」

「でもこれが一番確実です」


 作戦会議中、ルスランはココの提案した作戦に猛反対していた。


「一人でドミトル教授を引きつけるなんて、何考えてるんだ。危険すぎる」

「そうよ。それに教授を引き留めておきたいなら、大学の方がいいわ。人の目も多いし彼も下手なことはできないでしょう」


 ペトラも首を横に振る。しかし。


「ドミトル教授は神経質で敏感な人です。大学にいるときは、サルヴィエのこともあって気を張っているはず。下手に引き留めようとすれば、こちらの企みに気づかれる可能性が高い。でも彼の屋敷なら、教授も油断しているでしょう」

「なら俺が教授をひきつける役に回る。君がメイドたちを説得しなさい」


 あくまでもルスランは計画の変更を提案する。


「教授は私を呼びつけているんだから、私以外が訪ねるのは不自然に思われます。それにメイドを説得するのは、ドクターじゃないといけなんです。あなたは一度メイドたちを診て手当をしているから、あなたになら彼女たちも心を開く可能性が高い」

「それは君も同じだろう。君だって貧血予防の料理を作ってやったじゃないか。メイドとも仲良く見えたぞ」


 ここまで言っても話し合いは平行線のまま。でもココは自説を曲げるつもりはなかった。


「どれほど仲良くても、これは仲良しこよしで解決できる問題じゃありません。あなただって見たでしょう? 屋敷で彼女たちがどんな様子だったか。人の顔色を伺って、怯えている。彼女たちは教授には逆らえない。逆らったら怖い思いをすると分かっているから。分かってしまっているから。みんな何も言えないんです。そんな彼女たちに手を差し伸べるには、料理人では役不足です。だから、あなたに彼女たちを救ってあげて欲しい。そのための時間は、私がつくります。私が、ドミトル教授を足止めする」

 

 そして最終的にルスランが折れ、現在に至る。


 ココの嫌がらせを受けたドミトル教授は、目をぎょろつかせながら、そして、ゆっくりと立ち上がった。

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