東屋にて

 ルスランは監査局へ向かっていた。


 ――監査局がココに目をつけている。


 それは以前から分かっていた。

 ただ、まさかここまで執念深く付きまとってくるとは思っていなかった。いくら自分が異国から来た者とはいえ、何の罪も犯していないのに検挙することはできないし、それはココについても同様。ただ料理を作っているだけの料理人を検挙することなど、できようはずもない。


 だから放っておけばじきに、自分たちを調査しても無駄だと分かるだろう。と、そう思っていたのに。

 まだ周りの学生に探りを入れているということは、監査局は、少なくともペトラ・ペペは諦めていないということだ。


 監査局についたルスランは、受付係に取り次ぎを乞うが。


「申し訳ございません。ペペは現在、職務で外に出ております」

「どこへ行かれたのか教えて頂けますか?」

「それは機密上、お教えできないことになっております」


 彼女はルスランとの接触を避けているのか、このあと何度行っても結果は同じだった。そうこうしているうちに、ルスランの方も新たな出張が入ってしまった。これで一週間は帝都に帰ってこられない。


(早く方をつけてしまいたかったが……)


 仕方ない。帰ってきてもまだペトラ・ペペに会えないようなら、長官と話をしてみよう。

 そして、ルスランは出張先へと向かった。

  


◆ ◆ ◆


  

 ココとノアは、厨房で珈琲を飲みながらババロアの様子を見守っていた。

 最近、どうもババロアの様子がおかしいのである。

 今も厨房の窓から外をぼんやり眺めては、「にゃふう」と切ない声を漏らしている。


「どこか体悪いのかな?」

「いや、これはたぶん…………恋の病だ」

「恋?」

「そう、恋だ」


 とノアが窓の外を指さす。その先には、優雅に裏庭を横切っていく、美しい猫。色はブルーグレーというのだろうか、短毛の、見るからに柔らかそうな毛並みの猫だった。


「ううん。あの子は難しそうだね」


 猫社会の階級ヒエラルキーが何で決まるのか知らないが、人間から見る限りでは、毛並みといい、つんと澄ました歩き方といい、明らかに上流階級の風格を備えている。さらにあの猫の飼い主の方もおそらく、貴族か名家の者のようだ。猫が付けている首輪は、平民の猫が付けるようなものではなかった。


「あの子。きっといいところのお嬢さんなんだね」

「猫に身分なんか関係ない。猫はみんな平等なんだ。だからババロア。そんなことでいじけてないで、ほら行くぞ!」


 ノアは厨房の裏戸を開けると、ババロアをけしかけ外へ出て行った。



 

 その夜、ココは一人、図書館から宿舎へ戻るところだった。

 急ぎ足で回廊を歩いていると、チリンという鈴の音とともに、昼間見たブルーグレーの猫が目の前に現れた。


(あ、ババロアの……)


 結局あの後、この猫はすぐに姿を消してしまったらしく、ノアとババロアはがっくり肩を落として帰ってきた。

 ココは、もう一度ババロアに機会を、と思い近づいてみる。すると猫は「にゃあ」と鳴いて逃げていく。

 しかし猫は、少し駆けていったところで振り返り、じっとこちらを見つめてくる。

 こっちにこい、と誘われている気がした。

 ココは猫を追って、学舎の壁と壁の間を進んだ。


 抜けた先はちょっとした丘になっていて、その一番高いところにぽつんと、古い東屋ガゼボが建っていた。

 白猫は一直線にその東屋ガゼボへ駆けていく。

 ココも猫の後を追って行くと、東屋ガゼボに、誰かいた。

 黒いローブに身を包み、すっぽり被ったフードの暗闇には、ぼうっと白い面が浮かび上がっている。

 名を聞くまでもない。


 ――占い師サルヴィエ。


(一人で接触するのは危険だろうか)


 しかし、これを逃せば、神出鬼没のサルヴィエと話せる機会なんてもう二度とないかもしれない。

 ココは東屋に近づいた。

 するとサルヴィエがテーブルの上に、すっと紙を出してくる。


 『占いはいかがですか』


 ココは円卓を挟んで、サルヴィエの対面に座った。

 すると目線の高さが変わったおかげで、サルヴィエの面がよく見えた。

 真っ白な、男とも女ともつかぬその顔は、青白い月光に照らされ、不気味に微笑んでいた。


 サルヴィエはココが座ったのを同意と受け取ったらしい。新しい紙を一枚テーブルの上に広げ、羽ペンでなにやら書きはじめる。

 その間、ココはサルヴィエの仕草をじっくり観察していた。

 どんな特徴も見逃すまい、と――。


 サルヴィエは数行文字を連ねたのち、羽ペンを置いた。

 ココは、差し出された紙に目を落とす。そこには、筆跡を悟らせないようわざと崩した文字でこう書かれていた。

 

『貴女に羊の世話は似合わない 今こそ叡智の巣を出るときだ 貴女が北へゆくならば 血の繋がった羊は永らえる ただひたすらに孤独を愛し 孤高の城を訪ねよう ノスフェラトゥはその城で 貴女の帰りを待っている』

 

 ココが占いを読み終える前に、サルヴィエが立ち上がった。


(逃げられる)


 奴にはまだ聞きたいことがあるのだ。


「どうして、女学生たちに罪を犯させたんですか? 何の目的で……」


 と絞り出したココの声はしかし、虚しく宙を彷徨っただけだった。サルヴィエはさっと踵を返し、東屋から出て行く。ココが立ち上がったときにはもう、奴は闇に溶けてしまった後だった。


 ココの手の中では、占いの紙がぐしゃと音を立てていた。

 


 ◆ ◆ ◆



 ペトラは大学の図書館にいた。

 ルスラン・ユトとココ・クルタリカが完全に白だということは、ペトラの中で結論が出ていた。でもそうなると、今度は長官の命令を放棄することになる。長官は彼らに、検挙しようとしているのだから。

 彼らを白だと言うことは、その命に背くということだ。

 そんなことを長官が許すはずがなかった。自分はおろか家族にも手を出されかねない。実際、そうやって消されてきた人を何人も見てきた。


(私はどうしたらいいの……)


 ペトラは出口のない迷宮に放り込まれた気分だった。こんな調子で監査局に出勤するわけにもいかず、調査の名目で大学の図書館に引きこもっているのだった。


「はあ……」


 思わず本棚の前で溜息が漏れる。と、背後からも同じような溜息が聞こえてきた。

 ペトラがふり返ると同時に、背後にいた人物もこちらをふり返る。


「あ、どうも」


 互いにぎこちなくあいさつを交わした相手は、ココ・クルタリカだった。

 どうやら彼女も何か悩んでいるらしい。


(もしかして)


 自分がいつまでも調査報告をあげないから、長官自ら彼女に手を下したのだろうか。

 十分あり得る話である。

 もしそうだったら、この国から逃がしてやらないと危ない。長官自ら動いているなら本当に何をしでかすか分からないのだ。

 ペトラは、クルタリカに探りを入れてみることにする。


「そんな大きな溜息をついて、何か悩みごとでもあるの?」


 よかったら相談に乗りますよ、と自分の溜息は棚に上げて尋ねた。


「じゃあちょっとだけ聞いてもらえますか?」


 クルタリカが誘いにのってくる。

 二人は中庭のベンチに移動して、話をすることにした。

 


 ベンチに座るや否や、ココ・クルタリカがさっそく、

「最近読んだ本の話なんですけど」と切り出してきた。


 まさか、悩みって本の話だったのか。と肩を落とすペトラ。

 どう考えても長官とは関係なさそうだが、しかし相談を聞くと言った手前、まずは彼女の話を聞いてやるのが筋だろう。


「どんな本のことで悩んでるの?」

「ある冒険譚……なんです。でも結末が気に入らないから自分で書きなおしてみようかなって思ってて……」

「あらそうなの。よかったら簡単に中身を教えてくれるかしら?」

「あ、はい。気に入らないのは、主人公の冒険者が、ずっと倒したかったラスボスの正体を見破った、あとのところなんです」


 ペトラは続きを促すように頷く。


「で、ある道具アイテムさえあれば敵を倒せるんですけど、それが隠されている場所がちょっと厄介なんですよね」

「どんなところなの?」

「敵の城の中なんです。しかも、敵から送られてきた脅迫状には、一人で来いと書いてあって……」


 とクルタリカは、やけに感情移入した様子で話す。

 ここでペトラはこの話が、実際の、現実のことを言っているのだと気づいた。本の話は全て比喩。となると、冒険者は彼女本人だろう。敵と言っていたのは……。


(もしかして長官?)


 ならば、長官は彼女に、自分の城、監査局まで一人で来いと言ったのか。いや、城というのはこの場合、長官の自宅だろうか。


「もしかしてその冒険者は、ちょう……敵の城へ、一人で行くのかしら?」

「そうなんですよ。冒険者は一人で城へ行って、敵に殺されちゃうんです。で、それを聞いて奮い立った仲間たちが、あとからその敵をやっつけるって結末なんですよ」

「駄目よそんな結末。絶対駄目。冒険者が犠牲になる必要なんてないわ。そもそも一人で城に行くから悪いのよ。どうして仲間を誘わないの?」

「一応、冒険者の考えでは、大勢で行くのがバレると、敵が道具アイテムを壊してしまうんじゃないかってことを懸念したみたいです。そんな描写がありました」


 なるほど、仲間を集めていると長官に悟られれば、証拠を隠滅される恐れがあるということか。


(だからといって)


 こんな若い子が、一人で監査局の長官に立ち向かうなんて無謀だ。

 間違いなく、このお話の通りになってしまう。


「私もそのお話の結末を考えるわ。だからあなたはまだ、その物語を書き直さないでちょうだい。必ず、私がいい結末を考えてくるから」

「は、はい。ありがとうございます」


 ココ・クルタリカは立ち上がると、ぺこりとお辞儀をして去って行った。

 一方ペトラは、その背中を見つめながら思っていた。


「ここで動かないなんて、エリートのすることではないわよね」

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