吸血鬼の屋敷2
案内された厨房は、大学のものよりは小さかったが、さすが伯爵家だけあって一通り良いものが揃っていた。
邪険にされる覚悟で来たココだったが、厨房にいた料理人の二人ーーどちらも中年のおばさんたちーーからは奇妙な雰囲気を感じた。親子ほど歳の離れた小娘を、恐ろしいものでも見るような目で見つめてくるのだ。
祖母のワンピースを着て来たのがいけなかったのだろうか、と思いつつもココは、任せられた仕事のことに意識を切りかえる。
「メイドの方たちが普段食べている食事内容を教えてもらえますか? できればレシピとか購入食材の記録があれば嬉しいんですけど」
「私たち字は書けないのよ。口で言っても?」
結果は、予想通り、随分と偏った食事内容だった。
「肉は食べないのですか?」
「はい。肉食は禁じられているんです」
「御当主やカタリーナ様も?」
「社交の場では召し上がっていらっしゃいますが、普段は召し上がられません」
これは困った話になった。
血が足りないときには肉、特にレバーがよい。ココは婆様にそう教わってきたし、以前大学の図書館で調べてみたときも、やはり同じことが書いてあった。
「どうしようかな」
どこの国にも信条として肉を食べない人はいる。ココの父も僧侶をしていたときはそうだったらしい。まあココが生まれる前に破戒僧になってしまっていたので、家では豚も鶏も食べていたけれど。
信じるものは人それぞれであるし、一概に信心を捨て、肉を食えとは言えない。
ただ、女がそれをすると、男以上に体に負担がかかるというのは事実だ。女は月の物の関係で血が不足しやすい。そこへ血を作る元ととなる肉を食べなければ、血が足りなくなるのは必然。
(野菜で代用するとなると……)
ココは欲しい食材を伝えて、料理人の一人に買い出しに行ってもらった。
待っている間、メイドたちが厨房を覗きにやってくる。みんな物珍しさにやってきたのだろうが、嬉々とした様子はなくどこか心配そうな表情である。
そんなメイドたちの一人が、棚の上段へ手を伸ばしたとき、袖から覗いた腕に、傷跡が見えた。
「それ、どうしたんですか?」
ココが何気なく聞くと、メイドは慌てて袖を下ろす。心なしか、厨房全体の空気が張りつめた気がした。
「食器を割った時に切ってしまったのよ」
とメイドは応えるが、しかしそれについて深く考える暇もなく、買い出しに行っていた料理人が戻って来きた。
買ってきてもらったのは、レンズ豆、茹で大豆、ひよこ豆である。
それらを鍋に放り込んで、さらに、ほうれん草もザクザク切ってこれも放り込む。適当な大きさに切ったトマトも入れる。あとは適量水を加え、煮えるのを待つ。
肉ほどではないが、豆類やほうれん草も、血を作る材料になる食材だ。そしてトマトは、豆やほうれん草の栄養吸収を助ける役割がある。
「あ、
「肉を使わないので、屋敷に大蒜は置いてないんです。旦那様は匂いのきついものも、お嫌いですし」
菜食だと確かに、大蒜を使う機会は少ないだろう。
仕方なくココは塩と胡椒、そして乳製品は使っていいということなので、チーズを削り入れコクを追加する。あとはハーブを数種類。
鍋の中では、真っ赤なスープがぐつぐつと音をたてはじめていた。
(まさに血のスープよのう)
などと考えながら、鉄鍋をグルグルかき回しているココの姿は、どんなふうに見えていただろうか。だがこの鉄鍋を使ったのは単なるココの趣味ではない。貧血予防には、ホーロー鍋より鉄鍋がいいのである。
「あとデザートは」
ヨーグルトに、乾燥プルーンを入れる。
「これは干し葡萄でもいいですよ。それから少し値は張りますが、ココアも」
プルーンや干し葡萄、ココアにも、血をつくる素が含まれているのだ。
そしてココは、ノートにこれらのことを記載してメイドに渡した。メイドたちは文字が読める者もいたので、彼女たちにも読んでおいてもらう。
さて、あとはカタリーナが味見をしたいと言っていたらしいので、彼女に出す食器の準備を料理人たちに頼む。 すると出てきたのは、陶器の皿と木製のスプーン。
貴族と言えば銀食器、銀食器と言えば貴族。と思っていたココは意外に思った。
「旦那様は、貴族らしい生活を好まれないんです。なので屋敷に銀食器はありません」
だから屋敷全体が、なんとなく荒涼としているのだろうか。
まあでも銀は貧血には関係ないのでこの際、気にする必要はないかもしれない。ただ、
余計なことは言わない方が身のためだ。
それに吸血鬼に限らず、この屋敷、どうもおかしい。カタリーナの忠告、若いメイドの話、メイドや料理人たちの様子。
深く関わらない方がいいと、ココの中の何かが告げていた。
早くカタリーナに料理を出してさっさと帰ろう、とココがスープを皿に入れようとしたとき、先ほど案内してくれた若いメイドが、ココの袖をちょんと引っ張った。
「あの、お願いがあるんです。この料理、少し分けてもらえませんか?」
「もちろん。そのために作ったんですよ」
「いえ、その。私じゃなくて……。実は部屋に引きこもっているメイドがいて。彼女のところへ持って行ってあげたいんです」
「いいですよ。皆さんで食べてください」
と応えるが、若いメイドは、まだ何か言いたげな様子で目線を彷徨わせている。嫌な予感がすると思った直後、若いメイドが再び口を開く。
「あなたも一緒についてきてもらえないですか?」
「え? でも私は、カタリーナ様のところへ行かないと」
「その前に少しだけ。お願いします」
「どうして私なんですか? 他のメイドさんには頼めない?」
「メイド長から、彼女の部屋には行くなって言われてるんです。だから皆には内緒で持っていきたくて。でも一人じゃ、さっきみたいにメイド長に見つかったときに言い訳できないし……あなたが一緒に来てくれた心強いなって」
そう言う若いメイドは、目を潤ませココの瞳を見つめる。そうまでして料理を持っていきたいということは、よっぽどその引きこもりのメイドのことが気になるのだろう。
早く帰ろうと思った矢先に、また面倒なことになった。と思いつつ、ココはしかし、小さく頷いていた。
(まあ持って行くだけなら)
断り文句を考える間に終わるだろう。そう自分を納得させ、引きこもりメイドのための皿を準備する。
だか、この考えは甘かった。
若いメイドとこっそり向かった部屋にいたのは、熱に浮かされ、一人では起き上がることもままならない様子の女だった。何も自ら引きこもっているわけではなく、隔離されていたのだ。
「医者には診てもらったんですか」
「前にいらしたお医者様が解雇されてから、旦那様は、新しいお医者様を屋敷にお入れにならないんです」
「でも今日は、私たちを入れてくれましたよね」
「今日あなた方を呼んだのはカタリーナ様です。旦那様が外出されている時間を狙って」
ということは、自分たちがここへ来たことを伯爵は知らないということ。
これはいよいよ、早くお暇した方が良さそうだ。
(だけど……)
伯爵が屋敷に医者を入れないということは、この先も彼女は治療を受けられないということだ。そしてこのまま放っておけば、最悪――。
ココは自分の腹を手で押さえると、その場にしゃがみ込んだ。
若いメイドがギョッとした顔でココを覗き込む。
「ど、どうされました?」
「あ痛たたた。急にお腹が。申し訳ないですけど、ドクター呼んできてもらえます?」
「は、はい。すぐに――」
と慌て飛び出そうとする若いメイドの腕を、ココがつかんた。
「伝染するものだったらいけないので、カタリーナ様は来ないように伝えてください」
若いメイドはそれで何かを察したらしく、真剣な顔で頷くと静かに部屋を出て行った。
若いメイドがルスランを連れて、部屋へ戻って来た。ココが事情を説明すると、ルスランはさっそくメイドの診察に入った。
十五分ほどで診察を終えたルスランは、ココと若いメイドに結果を説明してくれる。
「腕に傷があった。傷自体は大したものじゃないが、化膿してしまっていてね。そこから熱が出たようだ」
言いながらルスランは、若いメイドに数日分の薬を渡していた。これでひとまずは安心だろう。
ココとルスランが部屋を出ると、部屋のすぐ外に、メイドたちが数人集まっていた。
「あの、彼女具合は?」
どうやら皆、中で寝ているメイドのことを心配して来たらしい。
ルスランが、若いメイドに説明したのと同じ内容を彼女たちに話すと、皆ほっと胸を撫で下ろした様子だった。彼女のことを気にしていたのは、若いメイドだけではなかったのだ。
ココは厨房まで、ルスランと廊下を歩きながら、ある考えに至る。
(たぶん、カタリーナ様も)
内心では、あのメイドのことを心配しているのではないだろうか。
メイドが寝かされていた部屋は、清潔できちんと手入れされたものだった。捨て置くつもりなら、あんな綺麗な部屋では寝かせないだろう。
ただそれでも、あのメイドの診察を、せっかく屋敷に来ているルスランに依頼しなかったのは、きっとルスランや自分に知られたくないことがあったから。
貧血以外に、知られたくない――たとえば、メイドの腕の傷とか。
だけどそれを口にしたところで、どうしようもない。おそらくルスランも気づいていて、何も言わないのだろう。
ココとルスランは、厨房で料理を準備し、何食わぬ顔でカタリーナのところへ戻った。
するとカタリーナの方は、心配そうな表情で待っていた。
「お腹の具合はいかがです?」
「彼女の腹痛は、食べすぎによるものだったようです。伝染するものではないのでご安心ください」
「まあ、そうでしたか」
もっとましな言い訳はなかったのか、と思いつつ、ココは厨房から運んできた料理をカタリーナに出す。
「まあ、綺麗な色ね」
カタリーナは出されたスープをさっそくスプーンですくって、口に含んだ。その所作はさすが貴族、洗練されていて美しい。
「うん! おいしい。これなら毎日でも食べられそうね。ドクターがあなたを重宝されているのも納得ですわ」
とカタリーナがにっこり微笑んだとき、大きな柱時計がちょうど十六時の鐘を鳴らした。
「いけない。そろそろ息子が帰って来る」
カタリーナの顔が急に強張り、メイドたちもそわそわしはじめた。まだ日はあるというのに、カーテンを閉め、蝋燭に火をつけている。
ココとルスランもその勢いにのまれ、慌ただしく屋敷を後にした。
わびしい田舎道を、馬車に乗って駅に向かう。
ココは馬車の中で、ぐるぐる肩をまわしながら言った。
「やっぱり貴族のお屋敷って緊張しますね。すっかり肩凝っちゃいました」
「それにしては慣れているように見えたよ」
「ふふ。読書のおかげですね」
やはり普段から本を読んでおくのはいいことだ。『モミオとユリエット~伯爵家の戯れ~』で得た知識がこんなところで役に立つとは。
「それにしても、あの屋敷。何だか様子が変でしたよね」
「ああ、そうだね」
「そういや熱を出したメイド以外にも、腕に傷のあるメイドがいましたよ」
「そうか」
「…………分かってますよね。ドクター」
「……」
無言。何も言えない。それが示す意味。
「彼女は皿を割ったと言っていた。そして手当はした。君は食事の仕方を教えた。それで十分だよ」
今は、と言ったルスランの顔を見て、ココはそれ以上言葉を重ねることをやめた。
そのまま二人とも黙って馬車に揺られる。
駅に着く頃、見上げた空は、錆びた鉄のような色に染まっていた。
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