吸血鬼の屋敷1

「ほおお!」


 ココは汽車の窓に張り付いて、流れていく景色に心を奪われていた。

 風邪はもうすっかり良くなり、今日は隣街での仕事のため、ルスランと一緒に北へ向かっているところだった。


「汽車に乗るのは初めてじゃないだろう」


 向かいに座ったルスランが、困ったように笑う。


「初めてじゃないですけど。何度乗ったって、すごいものはすごいですよ」


 牧草地にいる牛が、驚くほどの速さで視界から消えていく。馬もなしにこんなに速く移動しているだなんて、未だに信じられない。

 ただ、このまま目的地まで外の景色を眺めているわけにもいかなかった。


「そろそろ、今日の仕事について話しておこう」


 ココは今日の朝、突然、ルスランに駅まで連れてこられたので、仕事の内容についてはまだ聞いていなかったのである。

 後ろ髪を引かれる思いで座り直し、ルスランに向かい合う姿勢に戻る。


「今から行くのは、帝都の北隣に領地を持っているゾルゲル伯爵の屋敷だ。依頼主は伯爵の母君で、カタリーナ・ゾルゲル様」

「貴族のお屋敷って、お抱えのお医者はいないんですか?」

「うん。まあ、今回は、依頼内容が特殊だからね」


 ココが首を傾げると、ルスランは不適な笑みを浮かべる。


「吸血鬼退治をして欲しいそうだ」


 ココは思いがけない言葉に目を丸くした。


「吸血鬼?」

「そう、吸血鬼を退治してほしい。とそれだけしか手紙に書いていなかった。詳しい話は、屋敷に来てもらってから話すと」

「それ、怪しすぎませんか。何でそんな依頼、受けたんです?」


 吸血鬼退治なんて祓い屋エクソシストにでも頼めばいい。ただでさえ忙しいルスランがやらねばならない仕事ではないだろう。

 と慮ってみても、当の本人は愉快げに口の端を持ち上げている。


「何でって、面白そうじゃないか」


 そう言って細める紺碧の瞳の奥には、好奇の光がちらついていた。この男はいくら忙しくとも、好奇心には逆らえない性らしい。


「それに。ある程度、見当はついているからな」


 吸血鬼退治なんて医者の仕事と関係あるのだろうか、と思いながらもココは、すでに自分もこの話に興味を惹かれつつあることに気づいてしまった。

 まったく、好奇心とは厄介なもので、いとも簡単に他人へ伝染してしまうものなのだ。




 汽車を降りると、空は帝都と打って変わって、どんよりした曇が垂れこめていた。そのせいか街全体に陰気な雰囲気が漂っている。


 さらに駅から馬車に乗ること数分、ゾルゲル伯爵の屋敷を前にしたココは、その光景に思わずひゅっと喉を鳴らした。

 暗然たる気を纏う屋敷には、あちこちに厳しい石像鬼ガーゴイルが取りつけられ、屋敷へ訪れる者を睨めつけている。その姿は、今にも飛びかかってくるのではないかと不安になるほど精巧に作られていた。

                 

「なんだか雑草だらけだな」


 ココが屋敷の建物に気をとられていた一方、ルスランは庭に蔓延る草の方が気になっていたらしい。

 確かに門から屋敷まで、草がぼうぼうと生い茂り鬱蒼としている。が、なにも全てが草というわけではない。


「これ食べられるのもありますよ。ほら、そこのカラス豆なんか、今の時期は硬くてダメだけど、春先なら柔らかくておいしいです」


 カラス豆は、紫色の花をつける蔓草で、葉っぱや花、実は食用にもなる。強くてどこにでも育つので、実家にいた時はよくお世話になった。


「これ、食べられるのか……。でも何でカラスなんだい?」

「たぶん豆が熟したら真っ黒になるから。じゃないですかね」


 調べたわけではないが、勝手にそうだろうと思っていた。

 とまあ、こんな雑談に興じていると、自分たちに気づいたメイドが迎えに出てきてくれた。




 メイドに連れられ入った屋敷の中は、外観より一層、陰鬱としていた。

 古めかしい装飾品の並ぶ廊下をしばらく歩き、応接間に通される。


 その部屋の中央に置かれたソファに、初老の女が座っていた。

 ルスランに手紙を出した依頼人、カタリーナ・ゾルゲルである。貴族の婦人にしては質素な印象を与える風貌ではあったが、その佇まいから滲み出る品の良さを感じる。


 カタリーナに促され、ココとルスランは彼女の向かいのソファに腰かけた。


「よくぞお越しくださいました。あなたのような高名なお医者様にお目にかかれて、大変うれしく思います」


 とそこからしばらく、社交辞令が延々繰り出されていく。対応は、隣で神々しい光を放っているルスランに任せ、ココは、壁際に立っているメイドたちに目を向けていた。


 さすが貴族の屋敷で働くメイドだけあって、皆、頭の先からつま先までキッチリ身なりを整えている。

 しかし、どうしたことかその表情は皆んな一様に辛そうであった。どのメイドも青白い顔をして、生気がない。そして、それは若いメイドほど顕著に見えた。


(なるほど。そういうことか)


 ココは、ルスランがこの仕事を受けた理由、そして自分がここへ連れてこられたわけが、何となく分かった。


「ではそろそろ、お手紙にあった、吸血鬼のお話について伺ってもよろしいでしょうか」


 話が本題に入ったようなので、ココも視線をカタリーナに戻す。

 するとカタリーナの表情は、先ほどまでの柔らかな笑みから一転、険しいものになっていた。


「実は、手紙に書かせて頂いた吸血鬼というのは、私の息子のことなのです――」

「ゾルゲル伯爵が吸血鬼?」


 カタリーナは静かに頷く。


「メイドたちの顔をご覧下さい。みんな青い顔をして血の気がないでしょう? しかも特に若い子の方が深刻な状態ですの。それで、吸血鬼に血を吸われているのではないか、と言い出す者が現れたのです。そのうち伯爵がその吸血鬼だ、などという噂まで広まって」

「吸血鬼退治というのは、彼女たちを治療して、その噂を鎮めて欲しいということですね?」

「話が早くて助かります」

「ちなみに本日、お抱えの医師はいらっしゃいますか? 可能であれば診察記録を見せて頂きたいのですが」

「専属の医師は解雇致しました。彼が噂の出所でしたので」


 なんとまあ。藪医者だったのだろうか。


「そうですか。ではさっそく、彼女たちを診させてもらいましょう」


 とルスランが立ち上がりかけたのを、カタリーナが手で制した。


「診て頂く前に、お約束して頂きたいことがございます」


 ルスランは浮かせた腰を再びソファに落ち着ける。


「何でしょう?」

「この屋敷で見聞きしたことは口外しないで頂けますか。それから、何か疑問に思うことがあっても、診察に関わること以外、深く追求しないで頂きたいのです」


 藪医者のことがあって警戒しているのだろうか。

 ーーそれとも。


(吸血鬼の他にも、知られたくないことがあるのか)


 しかしカタリーナの表情からは、それ以上のことは読み取れなかった。

 ルスランもわずかな間、逡巡したように見えたが、

「わかりました」

 と短く答えていた。

 



 ルスランはメイドたちを応接間に集めると、一人ずつ下瞼の裏を見、脈をとり、そしていくつか質問をする。

 メイド全員の診察が終わると、ルスランはカタリーナを呼んだ。


「みなさん、血が足りていないようですね。貧血と呼ばれる状態です。貧血になる原因はいくつかありますがーー」


 ルスランの目線がココの方へ向く。


「君は何が原因だと思う?」


 ここで話を振られるとは予想していなかったが、ココの中で原因の検討はついていた。

 彼女たちに目立った外傷はなかったことから、怪我して失血したわけではない。内臓から出血していたら分からないが、しかし複数人同時に内臓から出血するというのは考えにくい。病で血が作れないこともあるらしいが、それも複数人が一度になることはないだろう。

 となると。


「おそらく食事に原因があるのではないかと思います。血を作るための栄養が、足りていないのではないでしょうか」

「栄養……で血が足りなくなるのですか。でもそれなら、若いメイドばかりが倒れるのはどうしてかしら?」

「おそらく月の物の影響だと思います」


 若いメイドたちは、栄養不足により血が足りないところへ、さらに月の物で血を失っていた。年配のメイドより症状が強くなっていたのは、これが原因だろう。


「屋敷の料理人に、ここ最近の食事内容を確認すればハッキリするかと」


 カタリーナは目をパチクリさせている。まだ食べ物が原因とは信じられない、という表情だ。

 この先は、論より権威。ルスランに後押ししてもらう。


「私も同意見です。診察した限りでは、貧血の原因になる病はなさそうです。一度この者を、屋敷の厨房へ行かせてみてもよろしいですか?」

「分かりました。では案内させましょう」




 厨房への案内役にカタリーナが選んだのは、まだ若いメイドだった。

 所作が全くこなれていないが、それがむしろココをほっとさせる。初めてやって来た貴族の屋敷で、無意識に肩の力が入っていたのだ。


 メイドの後ろについて降りる階段、その踊り場に、大きな肖像画が掛けられてた。

 ココは、前を歩く若いメイドに話しかける。


「この方がゾルゲル伯爵ですか?」

「はい。でも、こちらは先代ですね。現御当主様の御父上です」


 絵の中にいる先代当主は、細身で頬がげっそりしていたが、威厳のある表情だった。


「厳しそうな方ですね」

「やっぱりそう思います? 実際すごく恐い人だったみたいですよ。先輩たちが、小さな失敗でもよく怒鳴られたって言ってました」


 ココはその話を聞いて、自分がブルーノの店で働いていた時のことを思い出す。ブルーノも細かいことで激情する人だった。働きはじめた頃は、ココもよく枕を濡らしたものである。そのうち慣れて適当に対処できるようになったが、この屋敷のメイドたちの気持ちはよくわかった。


「上司が怒りっぽい方だと、大変ですよね」

「あら、もしかして、あのお医者様も? そんな風には見えなかったけれど……」

「ああ、彼は違いますよ。彼は全然、適当というか、放任主義なので。昔の雇い主が、ちょっと大変だったんです」


 苦労されたんですね、と言ったメイドは辺りにちらっと目を向けたのち、ココの耳に顔を寄せる。


「でも実は、厳しかったのはメイドだけに、じゃないんです」

「え?」


 ココは嫌な予感がした。それは自分が聞いてもいい話なのだろうか。先ほどカタリーナが屋敷のことは詮索するなと言っていたのだが。

 しかし、若いメイドはココの躊躇いなど意にも介さず話を続ける。


「先代はメイドよりも、ご子息や奥様にものすごく厳しかったんですって。手をあげることも度々で、ご子息や奥様が怪我をされることもあったとか。奥様お優しい人だから、きっと殴られても抵抗できなかったんでしょうね」


 やっぱり絶対聞かない方がよかったと思うが、メイドの方は他に話し相手がいないのか、聞いて欲しくてたまらない様子で話を続ける。


「しかも厄介なことに、今のご当主様も、先代そっくりになってしまわれてるらしんですよ。私はまだ聞いただけですが――」


 と廊下の角を曲がったとき、年配のメイドが現れた。瞬間、彼女はきっと眉尻を上げて言った。


「あなた、お客様に何を話していたのですか?」

「あ、いえ。その……」


 若いメイドは顔を真っ青にしている。黙りこくる彼女の代わりに、ココが口を開いた。


「私が、階段にあった肖像画についてお聞きしたんです。なんていう画家の作品か気になって」


 そいう言うココに、年配メイドは探るような目を向けた後、また若いメイドに視線を戻す。「早くお客様をご案内しなさい」と言い残し、角を曲がって行った。


「すみません」 


 消え入りそうな声で呟くメイドは、泣きそうな顔になっていた。

 ココはそっと、メイドに耳打ちする。

 にっと微笑むココに、メイドは眉尻を下げた。 

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