ミルク粥の思い出

 だから、占いは嫌いだ。


 ココは自室で、布団にくるまっていた。

 頭がガンガンする。体が熱い。鼻水が滝のように出る。


(寝込むなんていつぶりだろう)


 記憶を辿っていると、扉をノックする音が聞こえた。

 こういうとき、同じ宿舎に友人がいてくれて本当に良かったと思う。水を持ってきてくれたのだろう。そう思い、扉に向かって返事をする。


 ぎっと扉を開けてノアが部屋の中に入って来る音を、ココは頭まで布団にくるまったまま聞いていた。

 彼がベッドの横に座ったらしいので、さすがに布団の隙間から顔を出して礼を言おうと思った。

 思ったのだけど、ノアはそこにいなかった。

 いたのは白髪に碧眼の男だった。


「ぎゃっ」


 ココはすっぽんが首を引っ込めるより速く、布団にもぐる。


「こらこら。そんなことしたら呼吸できないだろう」


 ルスランが布団をひっぺがそうとしてくる。ココはなけなしの力を振り絞って抵抗した。


「なんで女子の部屋に入ってきてるんですか」

「君は病人で、俺は医者だから」


 まっとうな理由である。いや、そうではなくて。


「た、頼んでません。医者を呼んでくれなんて」

「ノア君が呼んでくれたんだ。君のこと心配していたよ」


 友人というのは時々、こういうお節介をやく生きもののようだ。

 でも、いくらノアに頼まれたからって、勝手に部屋に入ってきたら駄目だと思う。ちゃんと部屋の前で名乗らないと駄目だと思う。もし医者だと分かっていたら、部屋には絶対入れなかった。だって。


「い、いやですからね。薬とか、注射とか」


 ココは布団にくるまったままブルブル震えていた。

 布団の外からは、クスクス笑う声が聞こえてくる。患者を笑うとは、まったくなんてひどい医者だろうか。


「安心しなさい。これは薬じゃないから」


 直後、かちゃかちゃと食器と食器が当たる音がした。料理人の性として料理があったら一目見ずにはおられない。

 ココは布団の隙間からルスランの手元をのぞいた。スープカップの中には白い粥のようなものが入っていた。滝の鼻水で匂いは分からないが、あの見た目からしてミルク粥だろう。


「君、昨日の夜から何も食べてないんだろう」

「……」

「風邪を根本的に治す薬はないんだ。ちゃんと食べて体の治癒力で治すしかない」

「……だるくて食べられません」 

「それは食べさせて欲しいということかい?」


 何でそうなるのだ。

 しかしココはもう言い返す気力もなかった。じっと黙っていると、ルスランが続ける。


「もしくは口移しという手もあるな」


 鳥の親子ですか、とツッコミたいところだったが、そんな元気はやはりない。

 まあ、言いたいことは分かっている。

 早く食べろ、ということだ。


「……分かりました。いただきます」


 全く食欲はなかったが、この医者は食べるまで梃子でも動かぬ雰囲気を放っていた。

 ココは布団からにゅっと顔を出し、上半身を起こす。


 カップを受け取ってスプーンで中身をすくい、口に入れた。残念ながら味は全く分からなかった。けれど、歯触りでまだ米に芯が残っているのは分かった。こんなことで誰が作ったのかすぐに分かってしまう。普段料理なんかしないくせに。

 ココは、ふふっと笑った。


「何がおかしいんだ」

 

 ルスランはちょっとむすっとした表情になる。

 せっかく作ってもらって笑うのは失礼だったかもしれないが、けっしてこの粥を笑ったわけではないのだ。


「すみません。昔のこと思いだして、つい」


 ルスランが首を傾げるので、ココは説明を続ける。


「うちの母、料理とかからっきしな人なんですけど、昔、私がすごい高熱を出した時に一度だけ、こんな風にミルク粥を作ってくれたことがあったんです」


 あのときも、こんな風に、米の芯が残ったミルク粥だった。

 ルスランはそうか、と静かに相槌を打つ。


「今は、他に食べたいものは?」

「うーん。じゃあ、砂の国で採れるっていう肉厚の葉っぱとか、世界一臭い果物とか食べたいかな」

「それ、わざとすぐ手入らないものばかり言ってるだろう」


 ココは、にしし、と笑った。

 このミルク粥で十分だ。食欲云々ではなく。

 だけどルスランの方は納得していないらしい。


「メロンはいいのか? てっきりそう言うかと思ったけれど」

「メロン?」

「ほら、君の家で契約書にサインしてもらったとき、帝都にメロンはあるかって聞いていただろう。もう食べのかい?」

「ああ、いや食べてないですけど。メロンはまだいいんです」


 ルスランは一瞬不思議そうな顔をしたが、すぐ何か納得した様子で、小さく頷き立ち上がった。


「あの、ありがとうございました。おいしかったです」

「そんなに鼻水たらしてて、味が分かったのかな」

「味は分からなくても、おいしいと感じることはあるんです」

「そうか。さすがドミトルの燕麦オートミールだな」

「え……これに? 燕麦オートミールなんか入ってます?」


 ルスランは口の端を少し持ち上げると、静かに部屋から出て行った。


 ◆ ◆ ◆


 監査局長官室。

 ペトラ・ぺぺは戦々恐々としながら、長官の前に立っていた。

 結局、収穫祭でも大した情報は得られなかったのだ。きっと自分はこれで、お払い箱になるだろう。長官は二度も三度もチャンスをくれる人ではない。

 身構えるペトラに、長官は言った。


「ペペ次官はやっと『占い師サルヴィエ』の存在に気づいたようですね」


 ペトラは予想していなかった話題に、なんと返事をしていいものか惑う。


「占い師の噂は耳に入ってきていますが、それがどういう……」

「ではサルヴィエについて、君の知っていることを聞かせてください」

「……は、はい。確か、クルル大学で神出鬼没の占い師と呼ばれているものです。女学生ばかり狙って、盗みや嫌がらせをさせていたと聞いております。大学側も懸命に捜索しているようですが、未だその正体は掴めていないとか」

「そう、奴は全てが謎に包まれた占い師です。変幻自在に姿を変え、けっして素顔を見せない。捕まえる側はさぞ頭を悩ませていることでしょうね」


 長官はそう言いながら、ティーカップを持ち上げた。茶を一口に含んで、ゆっくり味わうように飲み下す。


「それにしても、誰も素顔を知らないなんて……。奴はまるで『顔のない人形』のようですね」

 

 ペトラが首を傾げると、長官はティーカップを置いてゆっくり立ち上がった。そしてペトラの傍までやってくる。長官は、ペトラの肩にそっと手をのせた。


「視野を広く持ちなさい、ペトラ。真実は見つけるものではなく、つくりだすものですよ」


 長官は囁くようにそう言うと、そのまま静かに部屋を出て行った。

 一人取り残されたペトラは、しばらくその場に立ち尽くしていた。

 

(占い師が、顔のない人形……)


 いったいどういう意味なのだろうか。それに、そもそもなぜ長官は、突然、占い師の話をしたのか。てっきりルスラン・ユトの件で呼ばれたと思っていたのに。


(私は、何か見逃しているのかしら)


 自室に戻ってきたペトラは、ルスラン・ユトとココ・クルタリカについての調査書を、机の上に広げる。

 その調査書を読みなおしてみると、ある記録で目が留まった。クルタリカが、収穫祭で『占い入りクッキー』を売っていたときの記録だ。


(ココ・クルタリカが、占いをしていた……)


 ペトラの脳裏に、ある疑念が浮かぶ。


(まさか)


 ーーココ・クルタリカが、占い師サルヴィエ?


 俄には信じられないが、しかし、彼女が占い師サルヴィエだとすれば、いろんなことに合点がいく。

 クルタリカが大学食堂に就職した時期と、占い師サルヴィエが現れはじめた時期とはちょうど重なっている。ルスラン・ユトがココ・クルタリカを大学へ連れてきたのも、彼女を占い師サルヴィエにするためだったと考えれば納得だ。二人で大学に潜伏し、わが国の若い芽を摘もうとしていたのかもしれない。


 長官はすでに、このことに気づいていた。だから、先ほど自分を呼んだのは、この事実をそれとなく伝えるためーー。


(でも)

 

 それならそうと、はっきり言うはずではないか。あんな遠まわしな言い方をする必要はないだろう。

 それにーー。


(何か引っかかる)


 二人が本当に占い師サルヴィエだとしたら、あまりに杜撰ずさんな計画だ。少なくともルスラン・ユトは己が諜報員スパイ嫌疑をかけられ、調査されていることを知っているのだ。知っていて、こんな目立つようなことをするはずがない。

 クルタリカだってそうだ。あんな大っぴらに占いなんて、彼女がサルヴィエだとしたら間抜けすぎる。自分を疑ってくれ、と言っているようなものじゃないか。


 こんなに都合よく二人を捕まえられるなら、最初から苦労などしていない。こんなおあつらえ向きな筋書き、あるはずない……。


(……筋書き?)


 ペトラは、そこでハッとした。

 長官の言葉を思い出す。

 彼は、占い師のことを「顔のない人形」だと言った。その人形はもしかして、、ココ・クルタリカやルスラン・ユトの顔を描くために用意したものだったのではないか。つまり、彼らが占い師なのではなく、、顔のない人形をつくりだしたのではないか。


(そうこれは)


 最初から、誰かが筋書きを書いた人形劇だった。ルスラン・ユトもココ・クルタリカも、彼らを捉えるため生み出された架空の占い師も。そして彼らを追っていた自分さえ、その人形劇で踊る人形にすぎなかった。


 では、人形劇の筋書きを書いていたのは?


 それは、この人形劇をすることで最も利を得るものだ。劇の全てを把握し、人形たちを操り、舞台裏でずっとこの人形劇を眺めていた人物。

 そんなもの。

 一人しか考えられない。


 ――真実はそこにあるのではなく、つくりだすものですよ。 


 ペトラの背中を、冷たい汗が流れていった。


 自分はどうすればいい。何も気づかぬふりをして、このままこの舞台で、踊りつづけるしかないのか。

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