ハロウィーン3

 森の中は、さっきまでの喧騒が嘘のように静かだった。


 ココは、ランタンの灯りを頼りに暗い森をずっと進んで、少し開けたところまでやってくる。そこには大きな岩が輪を描くように並んでおり、なかにはいくつか横倒しになっているものもあった。岩には文字が書かれていて、こういうのを石板彫刻ペトログリフというらしいが、古代語のようでココには読めなかった。


 おそらくなにかの遺跡であろうこの場所を見つけたのは、ほんの数日前のことだ。木の実採集をしていたら偶然見つけたのである。どうやらあまり人の来ないところのようで、すっかり秘密基地を見つけた気分だった。

 その時から、収穫祭の日は、ここへ来ようと考えていた。


 南瓜のランタンを適当な場所に置くと、芝の上に寝転がってみる。岩の上でも横になれそうだが、なんとなく遠慮した。それに硬い岩の上より芝の上の方が気持ちいい。


 ココは仰向けになったまま、星空を眺めた。


 収穫祭ハロウィーン

 今日は死した魂が帰ってくる日。


 ――父さんも、もう帰ってきているだろうか。


 いつもは弟妹と一緒にハロウィーンを過ごしていたけれど、今年は一人。父の魂は実家の方に行っているだろうか。それともそろそろこちらにも遊びに来てくれている頃だろうか。


 父の大仰な笑い声を思い出しながら、ココは静かに目を閉じた。そのまま周囲の物音に意識を向ける。


 風に揺れる葉の音。

 ほう、と響く梟の鳴き声。


 しばらくそうやって耳を澄ませていると、岩の方でがさ、と妙な物音がした。

 ココは起き上がって、岩の向こう側に目を向ける。


(何か、いる……?)


 胸が痛いくらいに早鐘を打っていた。

 ココは息を凝らしたままそっと立ち上がり、岩の裏側をのぞく。と――。


 月光降り注ぐ岩の上に、一人の男が横たわっていた。

 すぅと気持ちよさそうに寝息をたてている。

 

 ココはその姿に、自身の体から力が抜けていくのを感じた。

 彼の傍らに座って、その美しい寝顔を眺める。

 普段見慣れているはずのその顔は、眠っているとさらに端正さが際立って見えた。冴えた月明かりのせいか、まるでこの世のものとは思えないような、そんな玲瓏たる貌をしている。


(でも……)


 いくら美しくても、やっぱり、いつもみたいにへらへら笑って、冗談を言ってくれないと…………。


 ココはルスランの肩をゆすった。

 すると、長いまつ毛に縁取られた瞼が、ゆっくり開かれる。そしてその奥にある、紺碧の瞳と目が合った。


「………………森の妖精エルフ?」


 呟きながらルスランは目を瞬かせる。そんな彼を見下ろしながらココは言った。


エルフの森アルフヘイムに、人間は入っちゃいけないんですよ」


 冗談のつもりだったが、しかし、いつものように返事が返ってこない。ほうけているルスランが言葉を発するまで、しばしあった。


「あ…………君、か。本当に森の妖精エルフが出たのかと、思った」

「そんなお化けが出たみたいに言わないでください」


 茶化すように言うと、ルスランは美しい相貌を崩した。


「いつからここで寝てたんですか?」

「舞踏会がはじまるまで少し寝ようと思って……ずいぶん経ってしまったみたいだな。君こそどうしてこんなところへ?」

「私も同じような理由です。ちょっと休憩に」

「そうか。この場所は俺以外、誰も来ないと思っていたんだけど。知ってたのか」


 それはこちらも同感だ。ここは自分だけの秘密基地だと思っていたのに。まさか岩の裏側で人が寝ているだなんて思わなかった。


 ただ、彼が舞踏会に行こうとしていたことは言われずとも分かっていた。

 ルスランが身に纏っているのは、いつものくたびれた診察着ではなく、上下漆黒の生地に金のダブルボタンがついている、豪奢な衣装だったからだ。


「その衣装は、何の仮装なんですか?」 

「ああ、これは一応、悪魔デビルということらしい。着せてくれた看護婦たち曰く」


 そう言ってルスランは苦笑した。


 なんとまあ、物は言いようだ。とココは思った。悪魔デビル的要素なんて黒ということくらいしかない。上質な絹で織られた生地に、精巧で品の良い装飾がしつらえられた衣装を彼が纏えば、悪魔などという邪悪なものより、むしろひどく高貴で雅な人物のように――。


 ココはクッキーに入っていた占いの『回避策』を思い出していた。そして思い出しながら、思い出さないようにしていた。


(あれはただの占い)


 占いなんてものは、ジンクスと同じで、そうなると思うから実現してしまうものだ。未来を予言しているのではなく、聞いた者がその予言に自ら近づいていくことで、予言が現実となるのである。

 つまり、気にしなければいいだけのこと。

 そうすれば『回避策』を試みる必要はない。

 だから、気にしない。気にしない……。


(だめだ。気になる)


 気にしないようにしようとすればするほど、気になってしまうのが人間の思考というものだ。そもそも思考なんて勝手に浮かんでくるのだから、気にしないことなんてできるのか。


(そうだ)


 こんなときは、浮かんでくるものを無理やり消そうとするのではなくて、何か一つのものを見つめて集中するのがいいのだ。

 ココは目の前にある綺麗な形のをじっと見つめた。


(いかん)


 集中するものを間違えた。

 だが時すでに遅し。顔が自然と火照りだし、いつの間にか呼吸も荒くなってきた。


「どうしたんだ?」


 心配そうな様子でルスランが手を伸ばしてくる。自ずと彼の顔も近くなる。彼の冷たい手が、ココの首すじにそっと触れた。


(……)


 ココはなんだか頭がぼうっとしてきていた。もう自分が何を考えているのかもよく分からない。


「ちょっと熱い気がするな」


 という言葉もココの耳には入っておらず、ただその薄い唇の動きだけが気になって――。


「ドクター! すぐ戻ってきてくれ」


 声のした方へ顔を向けると、ドミトル教授が息を切らしてこちらに走って来るのが見えた。


「ホフマンが酒を飲みすぎて、ひっくり返ってしまったのだよ」


 さっと立ち上がったルスランに続いてココも起き上がろうとするが、体が思うように動かない。


(あれ……)


 ルスランが腕をつかんで引っ張り起こしてくれる。ココは歩いて行くルスランのあとをヨタヨタ追いかけたが、まだ火照りは収まらなかった。

 むしろ余計に熱いというか、全身がだるくて、頭がズキズキする……。

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