ハロウィーン2

 ココはノアの言うままに着替えさせられ、化粧をほどこされ、髪を梳かれた。

 そして、鏡の前に立たされる。

 

 鏡の中から自分を見つめ返していたのは、森の妖精エルフであった。


 若草色ペールグリーンの立襟ワンピースを纏い、長い髪は耳の上だけ後ろで束ねて、ひたいにつけた飾りの中央には、小さな宝玉が一つ、輝いている。


 どれも一級品と思しきものばかりで素晴らしい見栄えだが、ココがなにより驚いたのは、ノアがしてくれた化粧だ。

 矛盾した感想であるが、まるで化粧をしていないように見えるのである。

 みずみずしい唇、ほうっと赤みがさした頬、眉はすっきり整えられているが不自然に描き加えられた感じはしない。もし生まれたままの森の妖精エルフがいたなら、きっとこんな姿をしているだろう、と思わせる仕上がりになっていた。


「おれ史上、最高傑作だ」


 ノアもその出来栄えに、ご満悦である。


「じゃ、おれは時間かかるから、ココは先に行っててくれ」


 ノアの準備するところを見学しようと思っていたココだが、部屋から追い出されてしまった。仕方なく、ココは舞踏会が開かれる中庭へと向かった。

 



 すっかり暗くなった中庭では、すでに篝火キャンプファイヤーが焚かれていた。その篝火を取り囲むようにして、多くの人がダンスに興じている。


 収穫祭というのは元来農民の祭りで堅苦しいものではない。それは帝都でも同じようで、みんなが躍っているのは昔ながらの踊りフォークダンスだった。

 学生も職員も一緒になって楽しそうに踊っているが、ココの目当てはダンスより……。


 (おっ)


 さっそく目当てのものを発見したココは、中庭の隅へ向かう。

 いくつも置かれた大きなテーブルには、豪華な料理がところ狭しと並んでいた。香草入りのローストチキン、サーモンのテリーヌ、パンプキンパイ、ライスプティングに、果物のゼリー寄せやケーキなどデザートも豊富にある。


 なかでも特にココの目を引いたのは、牛肉の赤ワイン煮込みであった。


「ぎゅ、牛肉だと⁈」


 牛は乳を得るための栄養源であると同時に、畑を耕すための労働力でもある。庶民にとっては貴重な存在で、おいそれとは食肉にできないものだ。

 なのに。

 牛肉料理が取り放題なんて、太っ腹にもほどがある。 


 ココは、皿代わりの平たく焼いたパンの上に、牛肉の赤ワイン煮込みをよそった。

 人目もはばからず、大きな肉の塊を口に入れる。


(んんんうぅぅぅ)


 ほろほろと口の中でとける柔らかい肉に、赤ワインと玉ねぎのコクまろソースがからまって、得も言われぬ旨さだった。


「早くノアも来たらいいのに」 


 ココは口をもぐもぐさせながら、辺りを見回してみる。


 入場には仮装が必須というだけあって、来ている人々はみな個性的な恰好をしていた。


 全身包帯でグルグル巻きになっている人、ドラゴンの翼を生やした人、先の尖った尻尾をお尻から生やした女の子もいる。


 もちろん仮装しているのは学生だけではない。ドミトル教授は黒いマントを羽織って吸血鬼に扮しているし、彼と話している大柄の、確か、植物学を教えているホフマン教授は人狼だろう。立派な耳と尻尾が生えている。かなり酔っぱらっているのか、ドミトル教授の肩をバシバシ叩きながら大笑いしていた。


 ココがその様子をぼんやり眺めていると、見覚えのある二人がこちらに近づいてくるのが見えた。

 マリー・ビッツと、その同室者である可憐な女学生だ。


「ココ! やだ、森の妖精エルフがいるってココのことだったのね!」

「遠くからでも皆んなの目を引いてたわ」


 と可憐な女学生が手のひらを向ける方を見やれば、遠くからチラチラこちらを伺っている人たちがいた。


「全部ノアがやってくれたんだよ。マリーたちは……人魚だね?」


 マリーはうなずくと、その場でくるりと回ってみせた。

 人魚を模したスカートの裾が翻り、スパンコールが綺羅綺羅と煌めく。嬉しそうににっこり笑うマリーを見つめながら、可憐な女学生が言った。


「聞いたわ。マリーが変われたのは、あなたのおかげなんでしょう?」


 そう言われて、ココは以前のマリーを思い出す。初めて会ったときのマリーは、心も体も荒みきっていて見るからに辛そうな姿だった。

 だが今や、赤く腫れあがっていた肌はつるりと輝くほどなめらかになっているし、体重に関してはルスランに急な減量は危険と言われたのであまり落としてはいないのだが、それでも肌が綺麗になったおかげか、そのふくよかな体もむしろ可愛らしく見える。


 そして何より彼女の印象を変えたのは、その表情だった。

 瞳の奥に溜まっていた澱は消えうせ、その透き通った瞳には、辺りの光が溶け込み美しく輝いている。


 そんなマリーを、ココはなんだか感慨深い気分になってぼうっと眺めていた。するとその視線に気づいたマリーが、

「そんなに見つめないでよ」

 恥ずかしいじゃない、と先ほどのホフマン教授並みに強く小突いてくるものだから、ココは危うく貴重な料理を落っことすところだった。



 マリーと可憐な女学生が料理をとって戻ってくると、ココは気になっていた話題を振ってみた。


「そういやマリー、占い師サルヴィエのことって何か覚えてる?」

「ああ、あの占い師? そうねえ……」


 マリーは必至に記憶を辿ってくれたが、結局、昼の学生たちと似たり寄ったりのことしか知らないようだった。


「あとは本人とは関係ないかもしれないけど、サルヴィエに一度、猫がくっついているのを見たわ」

「猫?」


 ってもしかして、黒くて口元だけ白かったりなんてことは……。


「夜だったしチラッと見ただけから、色はよく分からなかったけれど、きれいな猫だったわ」

「太ってなかった?」

「全然。どちらかというと、ほっそりしたシルエットだったわね」


 なら想像している猫ではない。ココがほっと胸をなでおろしたとき、後ろから誰かに肩を叩かれた。


「可愛らしい森の妖精エルフさん。一緒に踊っていただけませんか?」


 ふり返ると、そこにいたのはーー。

 知らない女だった。

 白っぽい、ひらひらのドレスを身に纏い、金色の長い髪は美しいウェーブを描いている。透けるような肌と儚げな雰囲気からして幽霊の仮装だろうか。


「えっと、すみません。どちら様でしょうか?」

「おれだよ」


 その低い声に、ココは目を丸くする。


「ノアってば。やっぱりすごいね」

「まあな。それより早く踊りにいこうぜ」


 そう言うノアに手を引かれ、ココは篝火の近くで踊っている人たちに混ざることになった。

 ダンスより食事のココではあるが、なにもダンスが苦手というわけではない。帝都の洗練されたダンスは知らないが、昔ながらの踊りフォークダンスなら慣れたものだ。


 ココは、会場に流れる陽気な音楽に合わせて、華麗なステップを踏んだ。

 瞬間。ノアに腕をつかまれた。


「おいおいおい? どうした。ココ。今の何だ?」

昔ながらの踊りフォークダンスだよ」

「ええっと。それはどこの昔にあった踊りなのかな?」


 引きとめようとするノアに構わず、ココはダンスを再開する。周りにいた人たちは、踊るココを見つけると指さしながら笑いはじめた。

 確かに地元の収穫祭で踊るときも、変わったダンスだね、と言われることは度々あった。あったけれど。


(祭なんて、楽しいのが一番じゃないか)


 一々、踊り方が正しいとか、間違っているとか考えていたら、ちっとも楽しくない。


 ココは思うままに、ステップを刻む。そんなココのそばで頭を抱えていたノアだが、ココに手を引かれると諦めた様子で一緒に踊りはじめた。

 最初は踊りながらぶつくさ言っていたノアも、なんだかんだ楽しくなってきたのか、そのうち身振りが大きくなってくる。 

 すると今度は、二人の踊りを見ていた楽器奏者たちが立ち上がり、ココとノアが躍っているそばへやってきた。二人のダンスに曲調を合わせはじめる。


 先ほどまで笑っていた人たちの顔から笑みが消え、代わりにココとノアの周りにはたくさんの人が集まってきた。

 なかにはココにも負けない独特の踊りを披露する者も現れ、会場は一層賑やかになっていった。

    


 散々躍ったココとノアは、休憩がてら飲み物を取りに、隅のテーブルへ向かった。

 飲み物も種類豊富で酒もあったが、ココが手に取ったのは柘榴果汁ざくろジュース

 酒が飲める年齢ではあるものの、ココはまだこの後やりたいことがあったのでやめておいた。それにこの柘榴果汁ざくろジュースだって、躍り疲れた体にはうってつけの飲み物といえる。

 冷たくて甘酸っぱい果汁が喉をゴク、ゴクと伝うたび、砂漠に沁み込む慈雨のように、熱く乾いた喉を潤おしていく。

「ぷはあ」

 と、柘榴果汁ざくろジュースを飲み干せば、ノアが人だかりの方を指さして言った。


「おれ、ちょっと行ってきていいかな?」


 ノアは飲み物を置くと、ケンタウルスの恰好をした男のもとへ駆けて行く。どうやらダンスに誘うつもりらしい。


 ココはノアがその男と踊りはじめたのを見届けると、中庭の端っこに置いてあった南瓜カボチャのランタンを一つ拝借して会場の外へ出た。

 そのまま森の中へ向かう。

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