チュウと鳴いたのは

「やられた」


 ココが食糧庫に食材を取りに行くと、保管していた小麦粉の袋がいくつか食い破られていた。


(くっそお)


 ネズミ捕りはしかけてあったはずなのに。

 これは早急に対策を考えねばならない。と思いつつココが厨房に戻ると、ノアがカウンター越しに誰かと話をしていた。相手はなんとも悲壮感漂う女学生だ。

 ノアは、ココの姿を目にした途端、すっ飛んでくる。


「あの学生のこと、何か聞いてるか? アンナ・ルイーズって名前らしいんだけど、医務室でここへ行けって言われたんだって」


 何も聞いてはいなかったが、学生をここへ誘導したとなれば医務室にいたのはルスランに違いない。看護婦であればここに誘導することはないだろう。


「なんかさ、眠れないからなんとかしてくれって言うんだけど、そんなのおれたちに言われてもなあ」


 ノアは困り果てた顔をしていた。 

 確かに眠れないなら、眠り薬をもらうのが早いだろう。ただルスランが薬を処方せずにここへ来るように指示したというなら、何か他に理由があるのかもしれない。

 そのアンナという学生に、ココも話を聞いてみることにする。  

                          

「いつから眠れなくなったんですか?」

「三日前……いやもっと前だった気もするわ」


 そう言いつつアンナは、急にガタガタと震えはじめる。


「これは呪いなのよ」

「呪い?」

「そう。あれは土曜の夜でした」


 と語りはじめるアンナ。


「寮に戻ろうと思って暗い夜道を歩いておりましたの。そうしたら何か踏みつけた感触があって……。でも何か確認する勇気もなくて急いで寮に戻りました。そして寮で、靴の裏を見てみたら、べったり赤い血がついていたのです」

「何か小動物でも踏んだんですかね」

「そう! そうなの! あれは絶対ネズミよ。だからネズミが私を恨んで悪夢を見せてくるんだわ」

「何でネズミって分かるんですか?」


 彼女は確かめもせずに寮に帰ったのではないのか。


「踏んだとき、鳴きましたの。…………チュウって」


 そう言うアンナは頭を抱えさらに顔を青くしていた。

 ココとノアは顔を見合わせる。

 踏まれたネズミがチュウって……。鳴くのか?


 仮に踏んだのがネズミとして、さらにそのネズミが呪っているとして、ならばココは、彼女の何十倍も呪いを受けていることになる。

 今まで駆除してきたネズミの数は、一匹や二匹ではないのだ。

 ココだって多少ネズミに同情しないわけではないが、彼らは食糧を食べてしまうだけでなく、恐ろしい伝染病を媒介する生き物でもある。駆除しなければ、自分や家族、お客さんまでも危険にさらすことになる。だからココは、躊躇なくネズミを駆除してきた。

 見たところアンナの身なりはかなり良い。おそらくネズミを自分で殺したことなどないのだろう。


(とはいっても)


 ネズミは駆除した方がいいんだよ、なんて言ったところでアンナの心が安らかになるとは思えない。

 ルスランは食事で眠れるようになるかも、と考えたのかもしれないが、今回の場合、食べものでどうにかなるような問題でもなさそうだ。正直、眠り薬をもらって無理やりにでも寝てしまうのが最善な気がする。

 ココがどうしたものかと悩んでいると、アンナがふと顔を上げた。


「そういえば、あなたって呪いを扱えるのよね」

「はい?」


 確かに魔女じゃないかと言われることは度々あったが、実際は呪いどころか、イボ取りの呪文だってココは知らない。


「私は呪いなんてかけられないですよ」

「でも私見たわ、あなたが小姓たちのカリーに呪いをかけているところ」

「違うよ、あれはナトゥっていう食べもので、すごくおい――」

「お願い! 呪いをかけられるなら、解くこともできるわよね? 助けて。もう他に頼れる人がいないの」


 そう言ってアンナは、すがるような瞳を向けてくる。

 だが呪いを解いてくれなんて言われても、ココにはどうすることもできない。祓い屋エクソシストにでも頼んで欲しい。


 しかしアンナの必死な目に見つめられると、ココは無碍に突っぱねることもできなかった。ゴリ押し訪問販売には慣れているが、助けてほしい、という切なる願いには、上手い断り文句が浮かばなかった。


「考えてみるだけなら……」


 アンナがクマのある顔をほころばせ帰っていったあと、ココはノアを引きずって、アンナがネズミを踏んづけたという場所へ向かった。

 



 そこは、大学の敷地内にある人気のない細い道だった。この、学舎の壁と森に挟まれた道の途中で、アンナはネズミを踏んづけたらしい。

 なぜ夜中にこんなところを通っていたのかは分からないが、一応、踏まれたネズミとやらを探してみる。


「おれもネズミ踏んだら嫌だな。想像しただけでゾッとする」

「まあ本当にゾッとしたのは、ネズミの方だろうけどね」


 言いながらココは通り一辺倒をくまなく確認する。


「踏み潰されたネズミなんかいねーじゃん」


 ノアの言う通りネズミの死骸などどこにもなかった。すでに他の動物に食べられてしまったのだろうか。それともーー。


「ねえノア。ちょっとこれ見て」


 ココは森に生えている低木を指さす。そして道に転がっていた実を拾い上げてノアに見せた。


「これは……グーズベリーか?」

「あの娘が踏んだのって、このグーズベリーだったんじゃないかな」


 ココはグーズベリーの実を指で潰してみる。するとグーズベリーはブチュっと音を立てて潰れ、指が赤く染まった。

 一帯には、他にもたくさんのグーズベリーが落ちている。


「こりゃ確かに、グーズベリーを踏んだって線が濃厚だな。でも……」


 あの学生が信じるかは疑問だ。完全にネズミの呪いだと思い込んでいた。

 思い込みというのは、時として雑巾についた臭いのように、強烈に脳裏にこびりつく。そして一度こびりつくと雑巾臭同様なかなか拭い去れないもの。ましてや自力での思い込み打破は困難を極める。

 手っ取り早くそれを拭い去るには。


「ノア。ちょっと手伝ってくれるかな」


 


 夜。学生たちが食堂から帰ったあと、例の女学生アンナを食堂に呼び出した。


「この前の料理人さんはどちらに?」


 アンナの相手をしてくれているのはノアだった。彼は丁寧な口調でアンナに応える。


「あの料理人は今、大魔法使いを召喚中です。椅子に掛けてもう少しお待ちください」


 さすが元小姓というだけあって、本気を出したノアは見違えるようにスマートな振る舞いをしていた。


 厨房の物陰からその様子を見ていたココは、外套コートのフードを目深にかぶった。ちなみにこの外套はルスランから半ば無理やりむしり取っ……お借りしてきたものだ。

 ミランダおばさんが焼きあがったパイを台車の上に乗せてくれる。ココは外套にすっぽり身を包み、パイの乗った台車を押してアンナのところへ向かった。


「えっと、こちらの方は?」


 アンナが不安そうな声で尋ねてくるが、ココは黙ったまま。ノアが応える。


「古の大魔法使いイリアス・スエトニウス・キュケオーン様。が、憑りついた、あの料理人です」

「まあ……では、その大魔法使いの方が呪いを?」

「ええ。ではさっそくはじめて頂きましょう」


 アンナがごくりと唾を飲みこんだ音が聞こえた。


「まずは、あなたの踏んだ物が、本当にネズミだったのか、大魔法使い様に確かめてもらいます」


 そう言いながらノアは、パイの乗った皿をテーブルに置いた。


「大魔法使い様は、今からこのパイに術をかけます。するとあなたが踏んだものの正体が、このパイの中に現れるので、あなたはナイフでパイを切って中身を確かめてください。では、イリアス・スエトニウス・キュケオーン様、お願いします」


 言われて、ココはパイの前で両手を振り上げた。


「ライム・ギトラ・ムニクーノ! シ・チュート・チズリ・ゾットー!」


 恭しいステップと共に呪文を発しながら、ココはパイの周りを舞う。そして。


「はあっっ!」


 というおたけびと同時にばたり、床に倒れた。

 ノアがすかさず駆け寄る。


「イリアス・スエトニウス・キュケオーン様!」


 ココはノアに抱え起こされながら、震える指でパイを指した。

 それを見たノアが、ハッっとした顔になる。


「術が発動したようです! お早く!」

「は、はいい!」


 アンナはノアの覇気に気圧され、震えた手でナイフとフォークを取る。険しい表情でパイを見つめながら、そっとナイフを入れた。


「どうですか?」

「ネ……ズミではありませんわ。はあ、はあ……ああ。よかった。おそらくこれはベリー。グーズベリーだわ!」


 切り分けられたパイから、甘酸っぱい香りが立ち昇る。アンナはおいしそうにグーズベリーパイを頬張っていた。

 ココがノアの服を引っ張る。


「どうされました? イリアス・スエトニウス・キュケオーン様。……ふむふむ、なるほど」


 ココの言葉を聞いたノアは、アンナに向き直る。


「大魔法使い様は、あなたがネズミを踏んだと思った道を、一度確かめてみては。とおっしゃっています」

 



 後日、ココは外套コートをルスランに返しに行った。


「そういや彼女、眠れるようになったみたいだよ」


 外套を受け取ったルスランは、アンナのその後を教えてくれた。


(良かった)


 大魔法使いを召喚した甲斐があったというものだ。正直、あれでうまくいくか不安ではあったが結果良ければそれでいい。

 ただ、ココには一つ気になっていることがあった。


「本人に聞きそびれちゃったんですけど、あの学生さん、どうして夜中にあんな道通ってたんですか?」

「それは俺にも教えてくれなかった。何か言いにくい理由があるんだろう」


 男に会いに行っていたとかそういうことなのだろうか。それにしたってもう少し明るい道を選べばいいのに。と思いつつも、この時、ココはこれ以上深くは考えなかった。


「ところで君、俺の外套コートをいったい何に使ったんだい?」

「………………内緒です」


 その後、ルスランにしつこく尋問されることになったのは、言わずもがな、だろう。

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