エリートのお仕事

「期待しているよ。ペトラ」

「はっ。必ずやあの男の正体を暴いてみせます」


 ペトラ・ぺぺは監査局長官から、ドクター・ユトの調査を命じられていた。


 ルスラン・ユト。

 彼は謎に包まれた男である。


 約一年半前、異国からこの国にやって来た彼は、まだ十九歳という若さで難関と言われる公認医師試験に一発で合格。その一年後には病院勤務のかたわら、クルル大学で講師にも抜擢されている。異国人にしてその異例すぎる出世の早さは、人々の注目を集めると同時に、裏工作の可能性を人々の心に抱かせることとなった。実際、過去には、異国の諜報員スパイが偽装工作により、この国の要職についていた事例がいくつもあるからだ。


 もしルスラン・ユトのような大物が諜報員だとすれば、監査局にとしては是が非でも検挙したい相手である。

 しかし彼はこの国へ来てから一年半の間、調査に値するような口実を与えることはなかった。

 これはもうルスラン・ユトは本当にただ優秀なだけで、諜報員ではなかったのではないか。人々がそう思いはじめていた頃、ルスラン・ユトが不可解な行動を起こした。


 港町の料理店買収と大学料理人の推薦である。


 しかも料理人の雇用に関しては、国から割り当てられた研究費の一部をその料理人の給金に充てている。これは一見、正当な手順を踏んでいるように見えるが、裏に汚職が隠れていることも十分あり得る。

 監査局は嬉々としてルスラン・ユトの調査に乗り出した。そしてその調査役に選ばれたのが、ルスランほどではないが、若くして監査局次官に昇りつめたエリート官吏、ペトラ・ペペなのであった。


「待ってなさい。私が絶対にあなたの尻尾をつかんでやるわ」


 ペトラは今日も、クルル大学へルスラン・ユトの調査に向かう。


(もう同じ轍は踏まないわよ)


 前回はルスラン・ユトにうまく丸め込まれ逃げられてしまったが、次こそは必ず有益な情報を引き出してやろう。とペトラは意気込んでいた。


(だけどあの見た目は本当に厄介なのよね)


 あんなに色気フェロモンをふりまいている男を前にすれば、ペトラのようなエリートでもあってもうっかり頬を染めてしまうのは仕方のないことだ。それに厄介なのは見た目だけではない。彼は相当に頭のキレる男でもある。


(となると、本人以外を相手にするしかないわ)




 大学に着いたペトラは、食堂へ向かった。

 食堂の窓の外から、こっそり料理人ターゲットの様子を伺う。


「あれが料理人、ココ・クルタリカ……」


 厨房の中では、目まぐるしく走り回る少女の姿があった。が。


(ここからじゃやっぱりよく見えないわ)


 いきなり敵陣しょくどうに切り込んで接触というのは得策ではないかもしれないが、ただあまり悠長なことも言っていられない。局長は成果を上げない者には容赦がないのだ。長年奉仕してきた部下だろうとお構いなしに切り捨てる。クビを切られないためには、局長の期待に応え続けなければならない。

 しかも今回のように大物を釣りたいときは、多少強引なことも必要となろう。


「虎穴に入らずんば虎子を得ず。よね」


 東の大国へ留学中に学んだ、ペトラお気に入りの言葉であった。




 ペトラは図書館員に扮し、昼時の食堂に潜入した。

 豚肉と野菜のトマト煮込みを注文する。

 ただ残念ながら、カウンターに出てきたのは男の子だった。ココ・クルタリカは霧吹きを手に、奥で何かしているようだ。いったい何をしているのかもっとよく見たいところなのだが、カウンターに長居して怪しまれてもいけない。

 ペトラは席について食事をしながら、ココ・クルタリカの様子を観察することにした。



 適当な席に座ったペトラは、じっと厨房の中を見つめたまま、トマト煮込みをスプーンですくって口に含んだ。瞬間、目線が手元に移る。


(あら)


 このトマト煮込みなかなかいける。

 角切りになった豚肉は口に入れただけでほろっと溶けるほど柔らかいし、コクのあるトマトスープとの相性も抜群だ。肉の脂が溶けたまろやかな酸味が、スプーンを持つ手を次へ次へと急きたてる。


 いつの間にかペトラは、クルタリカの観察に来たことなどすっかり忘れ、食事に夢中になっていた。


 やっと彼女が我に返ったのは、皿が空になったとき。

 皿の底を見てハッとしたペトラは、ゆっくりスプーンをテーブルに置くと、指で眼鏡をくいっと押し上げた。

 レンズの奥では瞬きが二倍に増えていたが、エリートの眼鏡は都合よく光を反射するので、周りの者に悟られることはなかっただろう。


 気を取り直して、ペトラは懐から調査書を取り出した。 

 ココ・クルタリカの経歴を調査したところ、彼女は港町の料理店で働いていた貧困層の少女であった。客として通っていた者の話では、仕事ができずいつも店主に叱られていたらしい。


「それがここへきて、まるで人が変わったような働きを見せている」


 それだけではない。彼女がこの食堂に来てから、大学食堂の売り上げが上がっている。

 田舎では仕事のできなかった少女がなぜ、帝都へ来た途端、そんな奇跡を起こせたのか。


(きっと何か、からくりがあるんだわ)


 ペトラは再び眼鏡をくいっと押し上げ、不敵な笑みを浮かべた。エリートにかかればあんな小娘の口を割らせることなど、容易いことだ。

 ペトラは調査書を鞄にしまうと、テーブルを拭きに出てきたココ・クルタリカに声をかけた。


「少し伺ってもよろしいかしら。今日のランチを作ったのはどなたです?」

「それは厨房の料理人全員です。レシピを考えたのは、私ですけど」

「あらそう。このトマト煮込みすごくおいしかったわ」


 とにっこり微笑んで見せると、ココ・クルタリカは手で口元を隠しながら、くねくねしはじめた。


(よろこんでいる……のかしら)


 これはやはり、ルスラン・ユトより籠絡は容易そうだ。


「そういえば、あなた。最近厨房で見かけるようになった気がするけれど、どうやってこの食堂にーー」


 と言いかけた所でココ・クルタリカが急に大きな声を上げた。


「あ! もしかしてその服着てるってことは。図書館の方ですか?」

「え、ええ」

「私よく利用させてもらってるんです。すごいですよね、ここの図書館。料理の本も種類が多いし、この前も『貝を訪ねて三千歩』っていう、世界中の貝料理を食べ歩いて書かれた本を借りたんです。日記みたいで読みやすいし、変わった貝のことも載ってて面白かったんですけど、厨房の仲間に見せたら、三千歩じゃ帝都も見て回れないだろうって、議論になっちゃって」

「……厨房のみなさん、仲いいんですね」


 ペトラにとっては、本のタイトルが何千歩だろうが何百万歩だろうが、そんなことどうだってよかった。聞きたいのは彼女が隠しているであろう、ルスラン・ユトの秘密だ。


 だがココ・クルタリカは珍しい貝の話を延々と続けていて、こちらが口をはさむ隙がない。やっと話が終わったかと思えば、間髪入れずまた質問を繰り出してくる。


「あなたはどんな本読まれるんですか? 図書館で働いてらっしゃるってことは、本お好きなんですよね?」

「あ、いや。私が読むのは主に、法律関係の本ばかりで……」


 しまったどうして馬鹿正直に答えた。法律の話からドクター・ユトの話に持っていくには話が飛躍しすぎてしまう。医療関係とかなんとか適当に嘘を言えばよかった。相手から情報を引き出すときは、自然な会話の流れをつくっておくのが情報戦のセオリーなのに。


 エリートであるペトラは、セオリー通りことを進めること、それこそ仕事をするうえで一番大切なことだと考えていた。

 一方、クルタリカは、


「へえ法律の本ですか。そういや法律関係で思いだしたんですけど、図書館の本返却ボックスってもう少し大きくなりませんか? たまに本がいっぱいになってて入らないことがあって」


 話の飛躍など毛ほども気にしていない話題転換をかましてくる。いやひょっとして、本返却ボックスの大きさが法律で決まってるとでも思っているのだろうか。いったいどこの国に、図書館の本返却ボックスまで規定している法律があるというのだ。そんな、細かいことまで法律で規定していたら、生きづらくて国民がノイローゼになるだろう。


(いや。落ち着くのよ、ペトラ)


 相手のペースにのってはいけない。相手がその気ならこっちだってセオリーを無視して応戦するまでだ。臨機応変な対応もエリートには必要なスキルである。


「ところで、あなたが食堂の仕事につけたのは、ルスーー」

「ココー! いつまでテーブル拭いてんだ。早くじゃがいも剥いてくれよ」

「はーい、すぐ戻るよ」


 男の子に向かってそう叫んだクルタリカは、仕事中なんで失礼します、と頭を下げ、厨房へ駆けていってしまった。

 その後ろ姿を見送ったペトラは、ごんとテーブルに額をつける。


「あの医者も、この料理人も……」


 何なんだこいつら。

 今後、調査方法を見直そうと思ったペトラなのであった。

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