おいしいオートミールのために1

 ココは今、階段教室の教壇に立っていた。

 隣にはルスランがいる。


「みんなに、今日の講義を手伝ってくれる、私の助手を紹介しよう」


 ココ・クルタリカさんだ、とルスランが学生たちに向かって言うと、パラパラと拍手があがった。


 こんな風に大勢に見つめられるということに慣れていないココは、胃の辺りを雑巾のようにしぼられている気分だった。


 と、どうして彼女が教壇に立っているかというと、それは数日前の話。


「はあ。一緒に講義ですか」

「俺の助手ということでね」


 大勢の前に出るのはあまり気が進まないが、ルスランとは契約があるので仕方ない。


「でも助手って、何を手伝えばいいんでしょう。私、実験道具を運ぶくらいしかできないと思いますが」

「やってほしいのは俺の手伝いというより、今回、合同講義をしてくれるドミトル教授に君を会わせたいんだよ」

「ドミトル……。って、穀物のドミトル商会が頭に浮かんじゃいますね」


 冗談のつもりで言ったのだが、ルスランは意味深げに微笑む。


「え、ほんとにドミトル商会と関係が……?」

「彼はその、ドミトル商会会長のご子息らしいんだ」


 ドミトル商会といえば、料理人で知らぬ者はいない。穀物を取り扱っている大商会であり、特に燕麦オートミールの生産販売を得意としている商会だ。彼らが売る燕麦オートミールは宝石にたとえられるほど高品質なことで知られ、また入手困難ということでも有名だった。


「うちのばば様が昔、言ってました。あそこの燕麦オートミールを食べたとき、おいしすぎて椅子ごとひっくり返ったって」

「なかなか、おてんばなお婆様だな」

「それじゃ、そのドミトル教授から、おいしい燕麦オートミールを安く売って頂けるとか、そんな話なわけですか?」


 ココが前のめり気味に言うと、ルスランは試すように微笑んだ。


「それは君の頑張りしだいかな」


 つまりドミトル教授と自分で交渉して販路を手に入れろ、ということなのだろう。

 もし、ドミトル商会の燕麦オートミールを安く仕入れられたらココにとっても願ったりかなったりだ。ココのまかないは食堂で仕入れた食材のあまりで作っているので、ドミトルの燕麦オートミールを仕入するということは、自分もそのご相伴にありつけるということである。

 



 こうしてココは、ドミトル教授とのコネクションづくりのため、現在ルスランとともに教壇に立っているのだった。

 そしてちょうどココのあいさつが終わったころ、ドミトル教授が遅れて教室に入って来た。


「すまない。まさかあんなに汽車が遅れるとは。ちっ、あの乗員どもの仕事ときたら。国から金をもらっているくせに……。いや、私はちゃんと定刻通りに家を出たのですよ」


 謝罪なのか悪態なのかよく分からないことをブツブツ言いながら教室に入って来たドミトル教授は、四十歳くらいの細身で、青白い顔をした男だった。間違ってもヘラヘラ笑ったり、夜の食堂に食べものをたかりに来たりなど絶対にしない、来る日も来る日も研究室で真面目にフラスコを振って不気味な悲鳴をあげていそうな、雰囲気の教授である。


「今日は、心理学のドミトル教授との合同講義になるからね」


 そう学生に言ったのはルスラン。

 どうやらドミトル教授は、人間の心を研究している教授だったらしい。

 フラスコは振っていなかったようだ。


(まあなんにしても)


 この講義の間にドミトル教授の人となりをつかんで、燕麦オートミールへと続く道を切り拓かねば。

 決意を新たにするココの隣で、ルスランが学生たちに向かって言った。


「さて、君たち学生諸君は、日々病気を治すための勉強に励んでいるわけだけど、たまには病気になる前のことも考えてみよう」


 学生たちから小さなざわめきが起こったが、ルスランは構わず続ける。    

 

「私は最近、『病気の予防』についてドミトル教授と共同研究をはじめたんだが、今日はこの研究に関連した思考実験を行ってみたいと思う」


 言いながらルスランが黒板に書いたのは、

 

『選択』


「私たちは日々、膨大な数の選択をしながら生きている。まさに人生は選択の連続だね。なら病気にならない道を選択していくには、どうすればいいかな」


 ではここからはドミトル教授に教鞭をとって頂こう、とルスランは下がって椅子に腰かけた。入れ替わるようにドミトル教授が一歩前に出る。


「今ドクター・ユトが言ってくれたとおり、人生とは自らの選択の結果で形成されていく。つまり、何を選択してきたかでその人間の心や肉体が形成され、さらに現在選択したものが、未来の自己形成に――」


 ドミトル教授の演説がはじまるや否や、学生たちの中に、コックリコックリと船をこぎはじめるものが現れた。話の難解さに加えてその抑揚のない声が、絶妙に眠りを誘うらしい。


 気づけばココも、立ったまま夢世界に召喚されていた。が、きれいな女神様から特殊能力を授けられる云々といったところで目を覚ます。怖かった。もう少しで強引に他の世界へとばされるところだった。

 ふう、と嘆息すると同時に、椅子に腰かけていたルスランも腕を組みながら半目になっているのが見えてホッとするココである。


 一方、ドミトル教授は、周りの雰囲気を知ってか知らずかボソボソと話を続けていた。


「つまり『病気になる』のは、生まれ持った体の性質もあるが、それはドクター・ユトの専門領域であるからして、僕が今日とやかく言うつもりはない。僕が君たちに問いたいのは、人々に『良い選択』をさせるにはどうすればいいか。ということだ。そこで――」


 ドミトル教授は、なにやら赤い液体の入った瓶を鞄から取り出した。


「たとえばこの瓶に入っているジャムが、とても体にいいものだとしよう。だがすぐに効果は出ないし、特別おいしくもまずくもない」


 つまりこれといって特徴のないジャムということ。


「君たちは、これがジャムだと知っているから、人々に食べさせたい。ではこのジャムをどうやって紹介すれば、多くの人が手にとる? 選びとる? さあ、考えたまえ。僕を納得させられる学生はいったい誰かな」


 たぶんドミトル教授は学生たちを煽ったつもりなのだろう。しかし学生たちは困惑した様子でなかなか答えようとしない。するとドミトル教授が小さく舌打ちしたのが聞こえた。

 それは後ろにいたルスランにも聞こえていたようで、すかさず一人の学生の名を呼んで立たせる。活発そうな青年だ。


「ええっと……つまり、そのジャムをたくさん売れってことっすよね。ならとにかく体に良いってことを目立たせるのが一番じゃないっすか。それがそのジャムの売りだし、こっちもそこを人々に分かってもらいたいわけだし」


 学生が座ると、ドミトル教授が全く満足していない顔で言った。


「あまりに愚直な意見であるな。このジャムの効果はすぐには出ない。人間というのは遠い未来に得になることより、目先の得を優先させる生き物だ。いつ得られるか分からない効果を伝えるだけでは、成果を期待できないだろう」


 すると今度は、すました感じの女学生が手を挙げた。


「なら、国から食べるように勧めるのはどうでしょう? 国がその効果を保障していたら、すぐに効果が分らなくてもみんなそのジャムを食べるようになるんじゃないでしょうか」

「ふむ。一定の効果はあるだろう。しかし国からの啓蒙、トップダウンの指導というのは効果が薄いという研究結果もある」


 再びドミトル教授に否定され、教室の空気がどんよりしはじめる。

 そんななか、最初に答えた男の学生がココに視線を送ってきた。


「助手さんならどうしますー?」

「え、いや、私は学生じゃないから」

「いいじゃないっすか。せっかく講義に来てくれたんだし、ねえ?」


 と学生がルスランに同意を求める。するとルスランはまるで聖母様のような慈愛に満ちた目をココに向けた。


(くっ。助手ってこういうことだったのか)


「僕もお嬢さんの意見を聞いてみたいね」


 ドミトル教授にまで言われれば、さすがにもう逃げられない。

 ココはおずと口を開いた。

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