魔女の秘密
「いやあ、まさか宗教の勧誘と間違えられるとはね」
ルスラン・ユトと名乗った青年は、へらへら笑いながらゆったりと、まるで自分の家にいるみたいな様子で卓についていた。
双子の妹たちはそんな青年を、綺羅綺羅したお目目で見つめている。彼女たちは早くも、歳上男性の魅力に目覚めてしまったようだ。
ココはキッチンで茶の準備をしながら、その様子をこっそり眺めていた。
無邪気な妹たちとは違って、とても手放しにこの状況を喜べるような心境ではなかった。
ブルーノの知り合いだと言うので、仕方なくあの青年を家に上げたものの、彼がこの家にやってきた理由が皆目分からない。ブルーノは今まで散々自分のことを周りに悪く言ってきたのだ。彼の知り合いならそれも聞いているはず。なのになぜ、あの青年はわざわざこの家にやってきたのか。
思考を巡らせながらココはカップに茶を注いでいた。得体の知れない客人でも、家に招き入れたからには茶を出す。これがココの流儀であった。
ココはカップを盆にのせると、意を決して居間に出る。すると目が合ったルスランが、にっこり笑いかけてきた。彼は愛想を振り撒いているつもりかもしれないが、ココには逆効果だ。彼女には長女として弟と妹を守る使命がある。むしろ警戒心は最高潮に達してしまった。
ココはカップをそーっと彼の前に置くと、さっと手を引っ込める。さながら猛獣のエサやりである。
一方、ルスランの方はというと、そんなココを歯牙にもかけない様子で出された茶を優雅に楽しみはじめた。
(なんだかこの男)
纏う雰囲気が只者ではない。
ココは一歩下がって距離を取ると、盆を盾のように構えながらルスランに尋ねた。
「あの。うちに何の御用でしたか?」
その問いかけに目を上げたルスランは、カップを置くと鞄からあるものを取り出した。
どん、とテーブルの上に出されたのは、ココがすっかり見慣れたノートと瓶。
「このザワークラウトとレシピに載っていたオレンジ、それらと、乗船病との関係を知りたいんだ」
「何でそんなこと知りたいんですか?」
「関係があるのは否定しないんだな」
ルスランはふっと微笑んで、来ていた外套を脱いだ。
「俺は医者なんだ。自分の患者がいきなり元気になったりしたら、理由を知りたいと思うのは当然だろう?」
確かに、ココも最初は彼が医者ではないかと思った。しかし、やはりそれにしては若すぎるし、品はあれど、何となく胡散臭さもある。
裕福な商家の子息かな、くらいに思いはじめていたのだが。
目の前の事実は、彼の身分に偽りがないことを告げていた。
彼が外套の下に着ていた濃紺の衣。それに取り付けられたエンブレムには、蛇が絡みつく杖の絵が描かれている。それは『アスクレピオスの杖』と呼ばれるもので、まごうことなき帝国公認医師の証であった。
(医者……か……)
実は以前、ココはこの町に来た医師に、乗船病の原因について話したことがあった。しかし全く取りあってはもらえなかった。むしろ虚言で人心を惑わす魔女だと言われてしまい、弟妹にまで嫌な思いをさせた。
この医師も同じかもしれない。
ただ、彼が以前の医師と違うのは、自らここへ来たということ。そしてザワークラウトとオレンジのことも見つけてきた。
ならばーー。
「乗船病と呼ばれているあれは、ただの栄養不足。だと思います」
「栄養不足?」
ルスランが首を傾げる。続きを催促しているようだ。
「そうです。だから足りない栄養さえ補えば元気になります」
この栄養不足による症状が、船乗りに頻発するのは、彼らが海の上という隔離された場所で長く生活するためである。生の野菜や果物を長期間とらないことで栄養が偏り、欠乏症に至るのだ。
「ということはザワークラウトとオレンジが、その栄養不足を解消するのに適しているわけか」
「そうです。ザワークラウトは予防に、欠乏症状の出ている人が町に来たときは、オレンジをメニューに入れてました。発症しちゃったらオレンジじゃないと間に合わないから」
キャベツよりオレンジの方が乗船病を防ぐ、または治す効果が高いことを、ココは経験的に知っていた。
「なら日ごろからオレンジをメニューに入れておいたらよかったんじゃないのか? なぜ使い分けていた?」
「使わなかったんじゃなくて、使えなかったんです。オレンジの収穫期ならいいですけど、そうでなかったら町の料理店ではとても使えません」
予防に使うには、輸入オレンジだと値がはりすぎる。だからオレンジは欠乏症状の出ている人が港に来たと聞いた時にだけ、使っていたのである。
ルスランはココの話を聞いて、ふむと顎を撫でる。
「乗船病の原因が栄養不足だということは、君が発見したのか?」
「発見というか。小さな港町でずっと暮らしてたら、あなただって気づきましたよ」
これが大きい街であったなら、きっとココも気づけなかっただろう。小さい町だと店に来る客はだいたい同じ人だ。しかも船乗りは独身者が多く、気に入った店で毎日食事をすることがほとんど。そのうち客の好みが分かってくれば、何を食べている人が乗船病になりやすい、またなりにくいのか見えてくる。
「そうか。だが、そもそも君はどうして、乗船病予防のメニューを作り続けていたんだ? 店主に命令されていたわけでもないんだろう?」
そう問いかけられて、ココはすっと目を伏せた。
「別に、特別な理由なんてありません。その方が儲かると思っただけです」
「ふうん。……儲かる、ね」
そう呟きながら、なぜかルスランは微笑んでいた。
そして一口、茶をすする。
「そういや君、店がつぶれて働くところがないんだってね。もし職探しに困ってるなら、ぜひ君に紹介したい仕事があるんだけど」
ココはその言葉に目を丸くした。
無職になった途端、こんなに都合よく仕事の話が舞い込むことなんてことあるのだろうか。
何だか怪しい。
(でも)
喉から手が出るほど、仕事を欲しているのもまた事実であった。
まあ話を聞くだけなら害はないだろう。
「それは、どんな仕事なんですか?」
ごくりと唾を飲むココに、ルスランが告げる。
「大学食堂の料理人の仕事だよ」
「へ?」
予想外の返答に、ココは思わず変な所から声が出てしまった。
「俺、病院で働きながら、クルル大学でも教えてるんだ」
「はあ」
「大学生って体壊す子多いんだよね。みんなめちゃくちゃな生活してるからさ。君の料理を学生たちに食べさせたら、元気になりそうだなあ」
一体この男は何を期待しているのだろう。自分は医師ではない。乗船病のことは原因が食べ物に関することだったから、たまたま助けられただけだ。
「せっかくですけど、私に医術の知識はありません。お役には立てないと思います」
「医術の知識はなくてかまわない。君はただ料理人として、自分が良いと思うように働いてくれれば、それでいい。でもまあ、ここからじゃ通うのは遠いな。住み込みというこ――」
とルスランの言葉は、突然冷たい声に遮られた。
「姉さんが学生の世話なんかすることない」
そう言ったヘーゼルの瞳は、完全にすわっていた。ココならこんな瞳を直視したら心が凍りそうだ。だがその目を向けられているルスランはというと、むしろ愉快そうな表情になる。
「姉さんを取られるのが嫌かい?」
にやりと微笑むルスランを、ヘーゼルがキッと睨んだ。
「そういうことを言ってるんじゃありません。どうして姉さんが学生の面倒なんか。姉さんはそんな学生たちより、ずっと……」
ヘーゼルはそう言いながらうつむいて黙り込んでしまった。
弟をこんな風に馬鹿にされて黙っているココではない。ここはひとつビシッと言い返してやろう、と口を開きかけた時。ルスランが先に言葉を発した。
「じゃあ、こうしよう。ブルーノ店でもらっていた給金の二倍出すよ」
「やります」
言い返そうと思っていた気持ちは木端微塵だった。
「姉さん!」
ヘーゼルが心配そうな表情でココを見つめる。が、こんな機会を逃すわけにはいかなかった。今までの二倍給金をもらえる仕事なんて、自分じゃ絶対見つけられない。背に腹は代えられないのだ。このままでは
「大丈夫。お姉ちゃん頑張って稼いでくるからさ」
ヘーゼルが不機嫌な様子で見守るなか、そしてリリとララが羨望の眼差しを向けるなか、ココはルスランの持ってきた雇用契約書にサインした。ただ条件が一つついていたが、ブルーノの下で働いていたことを思えば取るに足らない条件だった。
「一つお尋ねしますが、帝都にメロンっていう果物は売ってますか?」
「ああ、もちろん。南の国から輸入してるから、いつだって好きな時に買えるよ」
ルスランはココが返した契約書を受け取ると満足そうにそれを見つめる。
「いやあ、よかった! これで君がサインしてくれなかったら、店を買った意味がなくな――」
そこまで言って彼はしまった、という顔になる。
「まさかブルーノ料理店を買ったのって……」
この後、またひと悶着あったわけだが、数日後、ココは帝都に向かうことになる。
まったくあの医者にしてやられたわけだが、二倍の給金はやはり捨てられなかった。
それに、帝都にはメロンも売っているのだ。きっと他に見たことのない食べ物もたくさんあるだろう。正直、わくわくを押さえられなかった。というのは、ここだけの秘密である。
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