帝国立クルル大学

 ちちっという鳥のさえずりで、ココは目を覚ました。

 大学の宿舎に越してきて迎える、初めての朝である。


 ベッドから抜け出したココは、うんと大きな伸びをすると、ベッド横に置いてあった紙袋からお仕着せせいふくを取り出した。

 上はダブルボタン、下はスラックスの上下別々ツーピースになっているお仕着せせいふくは、生地も仕立てもとてもいいものだ。サイズも自由に選べて、上の服は少し大きめにしてもらった。ココは小柄なわりに胸だけは立派に育ってしまったのである。


 ココは着替えたあと、手早く髪を三つ編みにすると、共用の洗面所でバシャバシャ水を跳ねさせながら顔を洗って、宿舎を出た。


 宿舎から厨房まで歩くこと十歩。

 厨房の裏口に着くと、ココは扉にそっと耳をつけ、中の物音に聞き耳をたてる。


 どうやら一番乗りのようだ。

 あらかじめもらっていた鍵で錠を外し、きしむ扉を開けると。


「うひょおー」


 予想よりずっと広い厨房内には、壁際に見たこともないくらい大きなクッキングストーブ備え付け薪コンロがあり、部屋の中央にも、これまた大きな石板の調理台が置いてあった。


 そばに寄ってさらによく見てみると、どちらも随分年季が入っているが、きちんと手入れされ大事に使われてきたのが分かる。そしてココはクッキングストーブ備え付け薪コンロの扉に、ある紋章が描かれているのを見つけた。


(あれ? なんでこんなところに皇家の紋章が……)


 これはあとで聞いた話だが、実はこの大学、数十年前までは皇宮おうきゅうとして使われていた建物だった。今は隣に新しい皇宮ができたので皇族はみなそちらに移っているが、ひと昔前まではこの厨房で皇帝の食事もつくっていたのだ。設備が立派なのも当然であった。


 ココは一通り厨房内を見て周ったあと、今度はカウンターの向こうに目を向けた。

 カウンターを挟んで向こう側は、学生たちが食事をとる広間だ。


(あっちも見てみよう)


 ココは濡れ布巾を握りしめ、カウンターの端にある扉を開けて広間に出た。

 広間には、大きな長テーブルが三つ並べてあって、華奢な燭台が点々と置かれていた。


 ココは大きなテーブルを全て拭き上げると、辺りに誰もいないのを確認し、静かに備え付けの長椅子に腰かけた。

 そしてふと上を見上げたココは、思わず顎が外れそうになる。


 吹き抜けになった高い天井には、視界に入りきらないほど大きなフレスコ画が描かれていた。


 果実がたわわに実る森。踊る三人の美女と、一匹の黒い猫。

 この国では誰もが知っている、おとぎ話を題材にした絵だ。ところどころ顔料が剥げているが、ともすれば絵の中に吸い込まれてしまいそうなほどの迫力があった。


「こんなところで食事できるなんて贅沢だなぁ」


 田舎町の料理店なんか、比べるのも悲しくなるくらいの豪華さだ。


 ココはふうっと息をはき出すと、テーブルに両手をついて立ち上がった。


(さて、そろそろやりますかあ)


 とそのとき、厨房の裏口から誰か入って来る音が聞こえた。

 カウンターからひょっこり顔をのぞかせたのは、ふくよかで、朗らかで、羊みたいなおばさんだった。


「おや、あんたが新しい料理人かい。こりゃまた若い子なんだねえ」


 その羊みたいなおばさん、ミランダは手際よく厨房を案内してくれたのち、ココの肩をぽんと叩いて言った。


「それじゃ、今からおまえさんの腕試しというこうか」


 ミランダおばさんが、にこっと微笑む。


「今日の朝食に『昇天するほど美味い卵料理』を作っておくれ」


 どうやらこのおばさん。ただのほんわかしたおばさんではなかったようだ。新人いびりとは言わないまでも、力量はしっかり見ておこうというつもりだろう。


 ココは承知の意を伝えると、食材を取りに、裏口から外へ出た。

 食糧庫は裏口を出て、目と鼻の先にあったが、ココはすぐには中に入らず、空を見上げる。両の指を組んで後頭部を支えるようにしながら、足早に流れていく綿雲を見つめた。


「昇天するほど美味しい」なんて、かなり大袈裟な言い方だ。普通に美味しいのでは駄目ということなのだろうが、しかし、大学食堂で使える食材というのは限られている。特殊な調味料や、高級食材を使えるわけではない。

 となるとーー。


 ココは食在庫の扉を開けると、手早く必要な食材を集め、厨房に戻った。


 まずはボウルに卵黄と卵白を分けて入れ、別々に泡立てる。その後、泡立てた卵黄と卵白を再び混ぜ合わせ、そこへ牛乳、塩を入れ、オリーブ油を引いたフランパンに注ぐ。

 ジュウと音を立てるフライパンを動かしながら、木べらで大きく円を描くように混ぜていく。


「よっ」


 と絶妙のタイミングで皿に移せば、完成だ。

 ココはできあがった料理を、ミランダに差し出した。


「おや、これはオムレツかい?」


 皿に乗っている卵料理は、確かに見た目は普通のオムレツとそう変わらない。でも。


「まあ、食べてみてください」


 ミランダはスプーンを手に取り、ココの作った卵料理を一口、口に入れた。瞬間、ミランダの目がまん丸になる。


「なんだい、この食感は!? どうやって、こんなに……ふわふわなんだい?」


 このふわふわの秘密は、卵の攪拌方法にある。卵白と卵黄を、別々に攪拌してから合わせることで、普通のオムレツにはない食感が得られるのだ。


「こりゃ驚いた。正直、味も出来栄えも予想以上だよ。で、この料理の名前は?」

雲玉子クラウド・エッグです」


 ミランダはくすっと笑った。


「そりゃあ、天にも昇っちまうね」




 ココが食堂壁際のテーブルに料理を並べ終えた頃、ぱらぱらと学生たちがやってきた。

 朝食はテーブルに並んだ大皿から、自分で好きなだけ取って食べてもらうスタイルである。


 テーブルには先ほど作った雲玉子に、ケールサラダ、ヨーグルト、蜂蜜、ジャムが並ぶ。パンは皇宮の厨房で焼いたものを持ってきてもらっていた。


 ココは自分用のカップに珈琲を注ぐと、学生たちが料理を食べている様子をカウンターから眺めた。


(ほんとに、いろんな人がいるんだなあ)


 この大学に通っている学生の多くは貴族や名家の子息令嬢だが、平民も試験さえ受かれば入学することができる。また年齢制限がないので、何歳からでも、何歳まででも通うことができた。なかには仕事をしながら、子育てをしながら通っている学生もいるらしい。


 今、朝食を食べに来ているのは寮生たちだけだが、昼食は、通いの学生や教師たちもやってくる。



 そして、その昼食時。

 やはり朝より格段に忙しかったが、それでも繁忙時のブルーノ店より断然楽だった。何しろミランダとは普通に会話ができるので、仕事がさくさく進むのだ。どこかの店の店主と働くのとは、大違いである。




 勤務初日の仕事を無事に終えたココは、ミランダおばさんを見送ってから、一人、すっかり暗くなった大学の回廊を歩いていた。

 向かうは図書館だ。

 ココは大学に就職することが決まってから、ずっと図書館に行ってみたいと思っていた。

 なにせこの大学にある図書館は、クヌルート帝国で一等大きな図書館らしいのである。それを利用しない手はないだろう。


「どんな料理の本があるかなあ」


 にしし、と微笑み、暗い廊下を足早に進んだ。

 



 図書館はそれだけでも一つの城のような規模だった。

 さっそく大きな扉、ではなくその横にある小さな扉から中に入る。


(はあぁぇえ)


 外観からしてある程度予想はしていたが、実際内部はその予想を軽く超えていくものだった。

 吹き抜けになった天井は恐ろしいほど高く、奥行きは館内が薄暗いこともあって、果てがはっきり見えない。

 

 ココはきょろきょろ辺りを見回しながら目的の棚を探した。両側にずらりと並んだ本棚はいったい、いくつあるのか、しばらく歩き回って、やっと食べ物関連コーナーを見つけた。


(なっ……)


 食べ物の本だけでこんなにあるのか。

 またもやココは愕然とさせられながら、棚にぎっしりつまった本のタイトルを眺めた。

 その中で最初に目に留まったのは『異国の珍味』と書かれた本。

 手に取ってぱらぱらめくってみて、借りることにした。


 さらに次は図鑑コーナーに向かう。図鑑もさすがに種類豊富だった。『肉食植物を食べる草食動物』『知りたくなかった昆虫・詳細図録』など見慣れぬタイトルが並ぶ。


 ココはきのことハーブに関する図鑑を借りることにした。それらの本を担いで貸し出しカウンターに向かおうとしたとき、『珍獣』と書かれた図鑑に目がとまる。ちょっと気になって本を開いてみる。

 そしてある頁で、手がとまった。


『白獅子』


 挿絵には、真っ白な毛並みの美しい獅子が描かれていた。

 その白い毛並みに引っ張られたのか、あの白髪医師のヘラヘラした笑みがココの脳裏に浮かぶ。

 ついでなので解説を読んでみた。


――白い獅子が棲む地域で、彼らは高潔の象徴とされており、人々を救う神の使いとして崇められ……――


 確かにこの獅子に限らず、白い生き物というのは神聖視されやすいものだ。が。


「彼は……高潔って感じじゃないよね」


 あの微笑みはむしろ、ものすごく俗っぽかった。

 とココが不敬なことを考えていると、すぐ隣から声がした。


「誰が高潔じゃないんだい?」


 びくりと右隣を仰ぎ見れば、白髪碧眼の男が、開いた本を手に立っていた。

 いつの間に。というか。


「何でここに?」

「俺だって調べものくらいするさ。そんな不勉強な医者に見えたかい?」


 ココは、うっと声をつまらせた。


「それにしても無事帝都に着いたようで何より。また厨房へ遊びに行くよ」


 それから、とルスランは読んでいた本を閉じた。


「契約の内容は忘れてないよね?」

「ああ……はい、それはもちろん」


 満足げに微笑んだルスランは、ひらひらと手を振って行ってしまった。


 まったく飄々としてつかみどころのない男である。そう言う意味では、先ほどの白獅子に似ているかもしれない。気ままな、でっかい猫科の生き物。


(そういや)


 「ルスラン」というの名は確か、北の国の言葉であるが、どういう意味を持った名前だっただろうか。

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