第11話
美咲は俺の背中を押して、部屋の中に押し込んだ。そのままベッドに押し倒すと電気を消す。暗闇に順応するまであまり近くが見えない。お互いの息遣いだけが聞こえる。
「わかったよ。今日だけだからな」
「うん」
俺は歯を磨くため、洗面所に向かった。いつもより丁寧になってしまったのは、息が臭いと思われたくないからだ。他意はない。
そうしてベッドに戻ると美咲は先に寝ていた。背を向けるようにして横になる。
「お兄ちゃん」
美咲は抱きついてくる。色々なものがあたっているから、心臓が跳ねた気がした。口のなかの水分はいつの間にか空っぽになってしまったみたいで、唾液を飲み込む音が、美咲にまで聞こえてしまったかもしれないことを恐れた。
「もう忘れよ。今日一日のこと。そのためなら私も」
美咲の手が伸びてくる。それは抵抗しようとすれば撥ね退けてしまえるほどに弱々しく、それでいて意思のある冷たい手だった。深い海の底に沈んでいく。堕落していく。
行為が終わったあと、久しぶりに夢をみた。それは子供の頃、父親が蒸発する直前に二人で近所を散歩したときの思い出だった。珍しく父は晴れやかな、憑き物が取れたようなそんな表情を浮かべている。ここ最近はずっと母と喧嘩していて、家の雰囲気は最悪だったけど、なにか上手くいったのか、今日はよく笑い、元気そうにしている。
「お母さんとは仲良くできたの?」
「ああ、もう喧嘩することはないよ」
逆光であまり顔は見れなかったが父に頭を撫でられ嬉しかったことだけは覚えている。
「今度は薫が美咲を守っていかないといけないよ」
「うん」
その日も夏の訪れを予感させる蒸し暑い一日だったけど、二人でいたその時は不思議と暑さを感じず、時折、涼しい風が身体を通って行った。
翌日、父は帰ってこなかった。そしてその散歩が父を見た最後だった。
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