第4話

 いつまでそうしていただろうか、なにか水滴が落ちてくるのを感じ目を開ける。息がかかるほどの距離に結衣の顔があった。でも、それは結衣であっても、別のなにかに変貌していた。角膜は白く濁り、薄い灰色になっている。抵抗しようとも思わない。ただ、もう終わりにしたかった。


「結衣?」


 突然、立ち上がって壁に頭を打ちつけ始める。


「もういいんだよ。俺はもうここまででいいんだ」


「早く、逃げて」


「結衣」


「私は、薫を殺したくない。化け物にもなりたくない、だから、薫の手で殺して」


 背中越しに聞こえてくる声は、弱々しくも凛としてはっきりとした意思があるように思えた。そして、それは一縷の希望にも感じる。まだ、化け物から元の人間に戻れる可能性があるかもしれない。


「結衣、もしかしたら、まだ治せるかもしれない。だから、頑張って病院にいこうよ」


 お構いなしに一心不乱に頭をぶつけ続ける。壁紙は剥がれ、血はインク缶をぶつけたように壁に飛び散っている。


 止めようとして肩を掴み振り向かせる。もう、そこにかつての面影はなかった。額はへこみ、鼻は歪な形をして、半開きになった口からは絶え間なく唾液が滴り落ちている。


「結衣」


 彼女の最後の思いを叶えるために、俺は、もう覚悟を決めるしかなかった。


 結衣を床に押し倒す。拳を力一杯つよく握りしめ振り下ろした。


 また、スマホから通知音が響いた。確認する気力もなく、事切れた結衣の死体を前に、膝を抱えて泣いていた。


 全身から噴き出す汗にスーツはびしょ濡れになっている。閉じ切られた室内は、窓が湿気に覆われ曇るほど、じめじめとしている。すでに陽は落ちており、真っ暗になっていた。ベランダを見れば、地獄の入り口のように暗闇が広がっている。電気のつかない室内に、死体二つと男が一人、連続殺人犯と疑われても言い訳できないだろう。



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