08_不穏の兆(きざ)し~Impending Signs~
放課後、誰に言われるまでもなく真中が職員室へ行って問題を受け取り、それを教室へ持ち帰って比和と解くことを数日繰り返していると、いくら鈍感な人間でも『真中が何か普通とは違うことをしている』ということぐらいは気が付く。
これが何を意味するのか、情報収集に
つまり、『真中一は補欠合格者だった』ということが、五月のゴールデンウィークが訪れるよりも早く、教室内に広がってしまったのである。
そして、周囲から優劣をつけられる環境で、自分が優位に立っていると確信できた時、言動に特殊な思考が無意識のうちに働くことは言うまでもない。
「じゃぁな真中、悪いけど後は頼んだ~」
「あ~……うん……」
真中の情報が拡散され始めると、入学してからあまり接点のなかったクラスメイトには『放課後も教室を使うだろうから』という理由で日直を押し付けられ、『職員室に行くならついでに』と提出するプリントを持たされ、挙句の果てには『勉強するときの裏紙に使って』と、不要になったプリントを渡されるようになった。
他にも細かいことを挙げるとキリがないが、今まで誰も気に留めていなかった真中のことを、仲のいい同級生とクラスメイトが認識を改めるようになるまで、そう時間はかからなかった。
「はぁ……」
「現金な奴らだよな……嫌だったらこういうのは初めのうちに断った方がいいぞ?」
「分かってる……分かってはいるんだけど――」
押し付けられる内容が
ただ、このまま行くと深みにハマって抜け出せなくなることも目に見えている。
どうしたものかと考えあぐねていると、まとまらない考えをかき消すように、比和はわざとらしく音を立てて雑誌を閉じた。
「ま、しんどくなる前には相談してくれよな」
ハッと我に帰った真中を見て、比和はおもむろに黒板へ向かっていく。
「……で、今日はどんな問題なんだ?」
教師よろしく教壇に立ち、チョークを取って真中の方を向いた比和だったが、真中はそれに苦笑しながら答えた。
「漢字とか慣用句だってよ。小学生じゃないんだけどな……」
「なんだよそれ……まぁ共通テストだと意外と配点高いらしいからな。今日はハジメが初めて一人でできる問題ってことだな」
つまらないギャグを言って一人で楽しそうに「キシシッ――」と笑う比和に、ムッとする真中だったが、言い返せないのも事実だ。
「……覚えとけよ?」
それだけ言うと、真中はとりあえず解けそうなところから問題を解いていく。
「えっと……スイ……セン…………コ…………ヨウと――」
別に覚えていなくても、漢字なんて今ならスマホで打てば簡単に出てくる。それに、慣用句なんてものを日常で使うことはほとんど無い。
そんな『過去の遺物』と言えるものを、わざわざ勉強する必要はあるのだろうかと真中は内心で思ってはいるが、課題は課題だ。一つでも早く問題を解き、さっさと提出して帰ろうと思うのも無理はない。
「『腹を割る』だから……答えは『ホ』だな……」
そして一通り自力で問題を解ききったところで顔を上げると、比和が黒板の掃除を終わらせていた。
「あ……悪い……」
「いやいや、結構集中してたみたいだからな、俺が代わりにやっとくとその分早く帰れるだろ?」
「すまん……けど、もうちょいかかる」
押し付けられた仕事を代わりにやってくれた比和に感謝しつつ、まだ終わっていないことを告げると、比和は苦笑する。
「真面目だな。ま、気が済むまでやったら良いさ」
一通り掃除を終えた比和は、再び真中の前の席に座ると、今度は雑誌ではなく真中の渡されたプリントに目を向けてきた。
「どれどれ…………ハジメ、『
「……へそなんか噛めねぇだろ?」
「まぁな、じゃぁそれでも噛もうと思ったら?」
「うーん……イライラする?」
「このへそは手に入れることが出来ない物だよな? 言い変えるとしたら『過去』とか」
「……『後悔してイライラする』ってことか」
こうやってパッと答えだけでなく、連想しやすい解説までを含めてくるあたり、比和は頭がいいのだろうと真中は何となく察している。
しかし、どうしてそんな彼が自分に対してだけこんなにも優しくしてくれるのかは不思議でしかなかったが、その理由を聞くのは今ではない気がした。
「そうだな。あとは……まぁ、ちょくちょく間違ってるところもあるけど、全問正解で提出したら逆に怪しまれるからな、むしろ素で間違えてる分、カモフラージュになるだろ」
「おいちょっと待て、どこが間違ってるか教えてくれないのかよ」
「明日になったら先生が正誤を付けてくれるんだからその時に確認した方が良いだろ? ま、あとの空欄はスマホで調べて書いたら終わりなんだからそれでいいじゃねぇか」
ごまかされている感がぬぐえない真中だったが、彼の言うようにどこが間違っているか自分でわからない以上、一から調べなおしていく必要がある。ただ、それをするには問題の量がそこそこあることも事実だ。
最初からやり直すことはさすがに辛いと感じた真中は、『明日の自分が頑張ってくれだろう』と願って空欄を埋めていった。
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