第10話 友人は婚約したくない

「あっつーい」

 衣緒里は社務所の休憩室でバタリと倒れ込むと、団扇をパタパタとあおいだ。

「衣緒里、仮にも巫女がそんな姿を晒すもんじゃないよ」

「そうは言ってもねぇ、この暑さじゃ」

「よし、じゃあ氷を持ってきてやろう」

 雪矢は台所へ行くとかき氷を作って持ってきてくれた。

「美味しい!生き返る!」

 衣緒里の喜ぶ顔を見て満足する雪矢。宮司姿の雪矢も一緒になって寝転ぶ。今日は神社に誰も来ない。雪矢は一口頂戴と言って衣緒里の食べかけの氷をつまんだ。

「ねえ、雪矢さん」

「なんだい、衣緒里」

「雪矢さんの神社は今年も夏祭りをするの?」

「ああ、そのつもりだよ」

「ふうん」

「どうして?」

「学校の友達かどうしても私の婚約者と会いたいって」

「それは光栄なことだ。僕も衣緒里の友達に興味がある。夏祭りと言っても僕は場所を貸すだけだから、主催は別なんだ。だから当日は暇になると思う。そのお友達とも会えるね」

「くれぐれも神力は使わないでちょうだいね」

「分かってる分かってる」


 夏祭りの前日は雨だった。

「このまま降り続けたら、明日は中止かもしれないな」

「そんな。咲希も由奈も楽しみにしていたのに」

「それならアマテラスに雨避けをお願いすればいいさ。それにしても、衣緒里が僕に学校の友人を紹介してくれるなんて、どういう風の吹き回しだい?僕は嬉しいけどね」

「うん、実はね…」

 衣緒里は双子の咲希と由奈に婚約話が持ち上がっていることを雪矢に話した。

「咲希と由奈は大企業の重役のお嬢さんなんだけど、私が十六歳で婚約したことに興味を持ったご両親が、咲希と由奈も、と進めちゃったらしいの」

「よくある政略結婚というやつか」

「そうね。咲希も由奈も乗り気じゃないみたい」

「それで、僕に会ってどうするんだい?縁結びのご利益を授けるくらいのことならできるけれど…」

「ちゃんと愛されてるのか不安なんだと思う。家のためだけに嫁げと言われても、受け入れ難いでしょう」

「なるほど。それで僕に相談に乗って欲しい、と。でもそれなら夏祭りの日でなくてもいいんじゃないのか?」

「ダメよ。表向きは私と遊んでる風に見せないとなんだから」

「なかなか不自由なお嬢さん達なんだな」


 夏祭りの当日はアマテラスへの雨避けのお願いもあってか、快晴になった。

 衣緒里は咲希と由奈を迎えに駅前まで歩いた。雪矢もついてきた。

 衣緒里は雪矢が見立てた白地に藍色の金魚が泳いでいる浴衣とグレーの絞りの帯をしていた。髪にはシラユキゲシのかんざしを挿している。雪矢が挿したのだ。一方の雪矢も、衣緒里に合わせて紗の紺の浴衣にグレーの帯を締め、自慢の銀髪を揺らしている。

「私達、今日の浴衣は地味めなのね」

「主役は君の友達だからな」

 衣緒里は地味だと言ったが、質の良いものを雪矢は選んでいた。

 駅に着くとリムジンから浴衣姿の咲希と由奈、それから見知らぬ二十代くらいの和装の男が一人、出てきた。咲希は赤の、由奈は黄色の、男は黒の浴衣を着ていた。

 衣緒里は咲希と由奈をお手洗いに誘って、気になることを単刀直入にぶつけてみた。

『えっ、婚約相手って一人だけなの!?』

『そう、私か由奈か、綾斗さんが気に入った方が婚約する約束なの」

『咲希も由奈もそんなんでいいの!?」

『嫌よ!天秤にかけられて比べっこされているみたいじゃない」

 三人は駅のトイレでコソコソと話しをする。

『正直、私も咲希も、まだ婚約なんて早いと思ってる。だから今日の夏祭りを機にご縁が切れたらって思って』

『雪矢さんには縁結びでなくて縁切りの相談だったの?』

『そう』

『雪矢さんは縁結びの宮司さんだから、縁切りに対応してるか分かんないけど、聞いてみるね』


「ねぇ、雪矢さん」

「うん。話は大体わかった。衣緒里の心を読めばなんとなく分かるからね」

「ところで咲希と由奈の婚約者候補だというあの男性はいったいどんな人なのかしら」

「大手企業に首席で入社し、今も業績トップの若手エリートのようだね」

「神力でそんなことまで分かるの!?」

「いや」

 神力を使わずとも、重役に気に入られて婚約者に選ばれたことを考えれば、それくらいは想像がついた。

「さて、お祭りはどこに行こうか。二人と話す機会を作ってくれるかい、衣緒里」


 衣緒里はアトラクション系の屋台を回ることにした。水風船釣りや射的、金魚掬いを選んでみた。

 金魚掬いで咲希と由奈の婚約者候補の綾斗が腕を発揮した。衣緒里は綾斗に声をかけてみる。

「初めまして。私は咲希と由奈の友人の衣緒里です。綾斗さん、金魚掬いがお上手ですね」

 綾斗は衣緒里を一瞥すると

「昔から得意だったんですよ」

 と一言だけ喋った。

「咲希と由奈は苦手みたい」

 衣緒里の隣で破れたポイを水中にくぐらず咲希と由奈。金魚はプラスチックの輪をスイスイとくぐり抜けていく。

 咲希と由奈の隣で雪矢が掬い方を教える。今度は上手く掬えたようだ。雪矢の金魚を掬う手つきが美しく、一瞬見惚れる衣緒里。

「衣緒里、私達、掬った金魚を持って帰れないって相談したら、神社で引き取ってくれるって雪矢さんが。神社に金魚を置いてくるね」

 そう言って咲希と由奈と雪矢は神社に去ってい行った。取り残された衣緒里と綾斗は気まずかったが、ポツポツと話をした。

「雪矢さんはあなたの婚約者だと聞いています。素敵な方ですね。宮司さんでしたっけ?将来は神社で暮らされるんですか?」

 実はもう暮らしているとは言えず、ええまぁと適当に答えておいた。

「綾斗さんは咲希か由奈と婚約する予定だと聞きました。どちらを選ぶのですか?」

 衣緒里は無遠慮にも直球で聞いた。

「僕は選べないな。そりゃ二人とも可愛らしいけど、まだ高校生じゃないか。君と婚約した雪矢さんほど僕は若くないからね。二人にとって僕は不釣り合いだよ」

 謙遜しているのだろうか、綾斗はそう言って黙ってしまった。

「私達、今は高校生ですが、それもあと三年間の話です。咲希も由奈も立派な大人になると思います」

「そうだな…でもそう言う問題じゃないんだ」

 綾斗が何か考え事をしていると、遠くから衣緒里達を呼ぶ声が聞こえた。

「衣緒里!綾斗さん!」

「おまたせ」

 咲希と由奈が雪矢と共に戻ってきた。

『衣緒里、ありがとう。雪矢さんと話ができたよ』

『それで、雪矢さんはなんだって?』

『それがね…』

「綾斗!!」

 衣緒里達が内緒話しをしていると、お祭りの人混みの中をスーツを着た二十代くらいの女性が走ってきた。

「…優香!?」

 綾斗も叫んだ。

「綾斗、婚約するって本当なの?私、綾斗を追って、この会社に就職したのに」

「いや、断ろうと思っていたんだ。僕は君のことが好きだから」

「綾斗…」

「…すみません、優香と話があるのでお先に失礼しますね。咲希ちゃん、由奈ちゃん、ごめん。僕にはお嫁さんにしたい人がいるんだ。だから君達とは婚約できない」

 そう言うと、綾斗は優香を連れて一同から去って行った。

 衣緒里が雪矢の顔を見る。

「そういうこと」

 雪矢はそう言った。


 咲希と由奈とも別れて、衣緒里と雪矢は連れ立って歩きながら話をした。

「お白様、綾斗さんの気持ち、分かっていたの?」

「なんとなくね。彼からは二人に対する想いが感じられなかったから。だから咲希さんと由奈さんにも、安心していいって言ったんだ」

「安心?」

「うん。二人とも婚約はしたくなかったんだろう?それなら双方同じ気持ちさ。僕が縁切りの呪いをするまでもないってね」

「そう。咲希と由奈に、素敵な人が現れるといいな」

「それは僕が請け負うよ。任せて」

「ありがとう。今回は雪矢さんに色々迷惑かけちゃったね。何かお礼でもしないと」

「うん。衣緒里、お礼は言葉だけじゃなく現物で欲しいな」

「現物?」

 雪矢は自分の唇を指してにっこりと微笑む。

「ここに、ね?」

 衣緒里はパシリと雪矢の手を叩いた。

「雪矢さん、調子に乗りすぎ!」

 あかんべをして衣緒里は先に走り出す。雪矢が追い、追いついて通せんぼをした。

「せっかく綺麗に着飾ったんだもの。もう少し、この衣緒里を見ていたい」

 そう言うと、衣緒里を抱き上げ、髪から緩んでいたシラユキゲシのかんざしを抜いた。

「落ちそうだよ」

 そう言って、衣緒里の髪に挿し直す。

「頬でいいからお礼が欲しいな」

 雪矢がねだるので、衣緒里は雪矢の頬に顔を近づけた。と、隙をついて雪矢は衣緒里の唇を奪うのだった。衣緒里はあえて抵抗しなかった。

 遠くからお祭りの騒ぎが聞こえてくるが、二人には聞こえていないようだった。




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