第3話 うちの氏神様は強引だ

「あなたは……?」

 筋肉隆々の男に問う。夜空を飛んでいるあたり、きっと神様の一人だろう。

「スサノオだ」

 雪矢さんの知り合いかしら。

「雪矢、いや、タカミムスビが妻を娶ったと聞いてな、見に来た」

 タカミムスビとはお白様のことらしい。

「残念ながら、まだ婚約したばかりだよ」

 雪矢さんは私の了解なしに、ありもしないことを言ってのけた。

「してません!婚約!」

 私は全力で否定する。

「それなら私の嫁に来るか、娘よ」

 スサノオがケタケタ笑いながら私の手を取る。

「へ?」

 スサノオは私の腕を引っ張り、頬に軽くキスをした。

「ひゃっ」

 私は驚いて思わず変な声を出してしまった。

 それにしても雪矢さんにしろスサノオにしろ、神様達って手が早いのかしら……。

 それを見た雪矢さんが慌てて私を庇う。

「何するんだい!スサノオは女好きだから、いくら『神の祝福』だからってダメだよ!」

「そんなに怒りなさんなって。タカミムスビは女っ気ないからなあ」

「僕は元々独り神。複数の妻を持つ君とは違う」

「でもとうとう嫁を貰った」

 スサノオは楽しそうに雪矢さんをからかう。

「今、天上ではおまえさんの話題で持ち切りさ。縁結びの神がとうとう己の縁を結んだってね。人間の嫁がほしいと言い出す神までいるぞ」

「僕のことは放っておいてくれよ」

「そうはいかないさ。コノハナサクヤが泣いていたぞ。お前の伴侶になるのは私なのにって。あの美人を差し置いて娶ったのが、この人間の小娘とはなぁ」

 私はなぜかムッとした。人間の小娘で何が悪い。

「サクヤには既に許婚がいるだろう?僕は関係ないよ」

「サクヤはおまえさんにぞっこんなんだよ。ま、いいさ。たまには天上にも顔を出せ。皆、おまえに会いたがっている。じゃあな。祝福は確かに授けたぞ」

 スサノオはそう言うと夜空の彼方に消えていった。


「お白様、タカミムスビって言うんですね」

「うん。天界ではそう呼ばれてる。でも人間界ではみんなお白様って呼ぶね」

「ふうん。スサノオは何しに来たのかしら」

「神の祝福を与えに来たんだよ。まぁ、君を見たかったのもあるだろうけど」

「神の祝福?」

「そう」

「神の祝福って何?」

「うん、そうだな…」

 雪矢さんは何やら考えごとをしてから、

「ねえ衣緒里、これから天界に行かないか?」

 私の質問には答えず、そんなことを言い出した。

「天界?どうして?」

「うーん、久しぶりに天界に挨拶しに行きたくて」

 私は少し興味を持った。天界にはスサノオの他にも神様がたくさんいるのだろう。どんな神様だろう。

「興味あるっていう顔をしているね」

「そんなことな……」

「よし、じゃあ決まりだ」

 雪矢さんは指を鳴らすと私の手を引っ張り、空の上のそのまた上を目指した。

「アマテラスに挨拶に行こう」

「アマテラス?あの太陽の神様?」

「そうそう。よく知ってるね。さっきのスサノオと姉弟なんだよ。今は夜だから天の岩戸に籠もってるけど、外からでも声はきこえるから」

 そう言うと雪矢さんは私を天界の森に連れて行った。天の岩戸は森の中にあった。夜だからか森は暗く、しんとしていた。

「ここって、鏡の中の森?」

「そう。僕達は天界へどこからでも行けるんだ。天の岩戸はこっちだ。おいで」

 連れられていくと、そこには大きな岩があった。周りには清水が流れる小川がせせらいでいるらしく、清浄な空気を醸し出している。

「アマテラス!僕の『妻』を連れてきたよ!衣緒里と言うんだ」

 私はぎょっとした。

「ちょっとお白様、私、婚約した覚えも結婚した覚えもないわよ!」

「まぁまぁ。天界でくらい僕にいい顔させてくれよ」

「そんなこと言われても……」

 私達がやり取りをしていると、岩戸の中から声が聞こえてきた。

「それはおめでとうございます。私からも祝福を与えましょう。衣緒里、こちらへ」

 私はゆっくりと足元に気をつけながら岩戸へ近づく。すると岩が少し開き、中から光が漏れ出でた。眩しくてアマテラスの顔は見えなかった。

「衣緒里に神の祝福を」

 アマテラスはそう言うと、私のおでこに右手を添えて何やら祈りを捧げた。そしてそこにキスをした。

「これでそなたも今宵から天界の一員です」

 そう告げるとまた岩戸に籠もってしまった。

「何だったの……?」

「神の祝福を受けたんだ。神の祝福を受ければ正式に妻と認められるんだよ、衣緒里。

 特にアマテラスは位の高い神だからね。彼女に認められれば逆らうことはできない」

 そう言うと、雪矢さんは私の腰に手を回して自分の方に引き寄せた。

「妻!?正式に認められたって、『神の祝福』を使って私を騙したの!?」

「ふふ。何とでも言ってくれ。僕は君が気に入っているんだ」

 雪矢さんは私の顔をまじまじと覗き込む。

「誰かに取られる前に早いところツバをつけとかないと。天界の神々は浮気症だ。それに人間の男だって油断はできない。君の幼なじみとか、ね」

 そう言うと同時に私の顎を引いて傾かせ、唇をまたもや奪った。

「んん……っ!」

 私は雪矢さんを突き離した。

「お白様!キスは好きな者同士でするものだって言ったでしょう?知らないの?」

「もちろん知っているとも。僕は縁結びの神様だよ。もう何千年も昔から、恋愛の作法は見てきたからね」

 !!

 ……こないだも、さっきも、知っていて手を出しているのか、この氏神様は。

「それに…」

「それに?」

 私は雪矢さんの瞳を訝しげに見つめる。

「このキスは『神の祝福』でもあるんだよ。君を我が正式な妻に迎えるための。

 ねぇ、衣緒里も本当はまんざらでもないんでしょう?私は神だからね、わかるよ。君の心が嫌がっていないって。

 それに実際、この顔が好みなんだろう?」

 ニヤッと笑う。

 ……図々しくも、勝ち誇って笑うその笑みすら美しいのはなぜなんだ。悔しいが好みなのは間違いない。

 うちの近所の氏神様は、優しそうに見えてなんとも強引な神様だった。


「ちょっと、見せつけてないでもらえるかしら!」

 振り向くと、整った顔立ちと抜群のスタイルを持つ絶世の美女が腕を組んで仁王立ちしていた。

「コノハナサクヤ!久しぶりだな」

「タカミムスビ、婚約したって噂、本当なの!?まさかそこの小娘じゃあないわよね!?」

 美人は私を睨んで言った。

「そうとも。その小娘が私の妻だ」

「妻ぁ!?婚約者じゃないの!?」

「さっきアマテラスに神の祝福を貰った。ついでにスサノオのも。今宵から正式に僕の妻だ」

「なんてこと……!アマテラスの祝福を使うなんて。それじゃあもう覆せないじゃない…!タカミムスビ、もしや図ったわね!?」

「何とでも言って構わないよ。僕は衣緒里を手に入れたかっただけなんだから」

「衣緒里?それがその小娘の名なの!?

 私があなたを好いていることは知ってるでしょう?どうしてこんな真似ができるのよ」

「君にはニニギがいる。浮気は僕の趣味じゃない。なんたって良縁ご利益の神だからね、僕は」

「……相変わらず冷たいわね。ま、いいわ。そういうところも好いているんだから」

 美人は雪矢さんに目線を送ると、雪矢さんの首にしなやかな腕を回した。そうして顔を近づけて唇を吸おうとする。

「あっ、ダメ!!」

 私は思わず言葉が出た。

 それを聞き逃さなかったのは、他でもなく雪矢さんだった。

「衣緒里、何がダメだって?」

 ニヤニヤしながら私の方を見る。そこはかとなく嬉しそうだ。

「えっ……と…その」

「僕とサクヤがキスするのは許せない?」

 許せない。だがそんなことは言えない。雪矢さんが好きだと認めるようで、言えない。

「……」

私はだんまりを決め込んだ。だが神様にそれは通じなかった。

「衣緒里の心はよおく分かったよ。僕も君が大好きだ」

 そう言うと、サクヤさんの腕をひらりと抜け出し、私を抱き上げた。

「そろそろ夜も遅い。僕らはお先に帰ろう」

 そのまま地上に向かって降りて行った。


「ねえ、衣緒里」

 お白様の神社の神殿で雪矢さんは私に迫る。

「神の祝福を僕にもくれないかな?」

「……」

 それはこちらからキスをしろということか?

「そう。ほっぺでいいからさ」

 自身の頬に指を指してトントンする。期待のまなこで私を見る雪矢さん。

「一瞬でいいから」

 一瞬。

「嫌ならまたこちらからするけど」

 !!

 私は根負けして、雪矢さんの頬にチュッとやった。

 満足そうな顔をした氏神様は私の頭を撫でると、おやすみと言った。鏡の中に帰らず、神社の本殿で眠ってしまった。幸せそうな顔をして眠っている。

 取り残された私は、眠るお白様の横で一人、今後の人生に頭を悩ませながら夜を明かしたのだった。


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