#6 絢音とおばあちゃんの旋律
五年前、私は12歳だった。ある日、突然、おばあちゃんが交通事故に遭った。それから、私の家族、私の人生は大きく変わってしまった。
おばあちゃんはもういない——。その現実が、私の心に深い傷を刻んだ。
おばあちゃんは、若い頃、プロの歌手を目指していた。ある日、おばあちゃんと一緒に家の中で過ごしていた時、ふと私は尋ねた。
「おばあちゃん、どうして歌手になりたかったの?」
おばあちゃんは遠くを見つめるようにしながら、微笑みを浮かべた。
「絢音、音楽って魔法みたいな力があるのよ。どんなに悲しい時も、辛い時も、音楽は心を温めてくれるの。それでね、私もそんな音楽を作りたいと思ったの」
おばあちゃんは、若い頃ガールズバンドを組んでいたという。
バンド名は「レインボーガールズ」
メンバーは皆、夢と希望に満ち溢れ、音楽で世の中を変えたいと願っていた。
「おばあちゃん、そのバンドはどうなったの?」
「残念ながらね、音楽の方向性の違いで解散してしまったの。私はもっとメッセージ性の強い曲を作りたかったんだけど、他のメンバーはもっとポップな方向に進みたがっていて……。結局、別の道を歩むことにしたの」
「それで、おばあちゃんはどうしたの?」
「そうね……。解散後、ソロ活動を始めたの。でも、なかなかうまくいかなくて……。夢を諦めることにしたのよ」
おばあちゃんは少し寂しそうに笑った。
ライブ会場でのソロパフォーマンスは、観客も少なく、思うように評価されなかった。それでも、おばあちゃんは一人で歌い続けた。ある日、ライブが終わって帰ろうとした時、雨が降ってきた。
「傘を持っていなかった私に、突然ある男性が傘を差し出してくれたの。その人がね、後におじいちゃんになる人だったのよ」
「おじいちゃん?」
私は目を輝かせた。
「そう。その時、心が晴れたの。それまでの失望感や孤独感が、一瞬にして消えたの。その人の優しさに触れて、私はまた夢を持つことができたの」
おじいちゃんとおばあちゃんは、ライブ会場で知り合った後、何度も会うようになった。二人はすぐに恋に落ち、毎日のように音楽の話をしながら過ごした。しかし、おばあちゃんの両親——。つまり私のひいおじいちゃんとひいおばあちゃんは、二人の結婚に反対した。
「どうして?」
「理由はたくさんあったけど、一つは私が音楽の夢を追って、失敗したことを知っていたからだと思う。ひいおじいちゃんは、もっと私に現実的な人生を送って欲しかったと願っていたんじゃないかな……」
それでも、おばあちゃんは反対を押し切って、おじいちゃんと結婚した。そして、数年後、お父さんが生まれ、さらにその後、私が生まれた。
「おばあちゃん、どうして私に『絢音』って名前をつけたの?」
「……私が叶えられなかった夢を、あなたに託したのよ」
私の名付け親は、お母さんじゃない。おばあちゃんだ。
おばあちゃんは自分の夢を諦めながらも、音楽を愛し続けていた。そして、私が生まれるとき、その愛情と音楽への情熱を込めて『絢音(あやね)』という名前をつけてくれた。『絢』は色とりどりの美しさを意味し『音』は音楽の響きを表す。おばあちゃんは私に音楽の世界を感じさせ、その美しさと響きを託してくれたんだ。この名前は、おばあちゃんの愛と、追い求めた音楽への熱意が詰まった証だ。
おばあちゃんは、私が小さい頃から音楽に触れさせてくれた。初めてギターを手にしたのも、おばあちゃんが教えてくれたからだった。おばあちゃんの家の一角には、たくさんのギターや古いレコードが並んでいた。
「絢音、この曲を聴いてみて。これがね、THE BLUE HEARTSっていうバンドの『リンダ リンダ』って曲なの。私も若い頃、よく聴いてたわ」
その時、私にはただ古い曲としか思えなかった。しかし、おばあちゃんが熱心に教えてくれたおかげで、次第にその音楽の魅力に気付くようになった。スマホがない時代に流行っていた音楽を聴くことで、私は新しい視点を持つことができた。
ある日、おばあちゃんの家でギターの練習をしていると、突然電話が鳴った。
「もしもし?」
おばあちゃんが電話にでた。
「絢音、ちょっと外出しなくちゃいけないから……。すぐ戻るから待っててね」
おばあちゃんの声はいつも通りの穏やかさで、私の胸に安堵感を与えた。
いつもそうだった。何かあるたびに、すぐ戻るからと言ってくれた。
「わかったよ、おばあちゃん。気をつけてね」
それが最後の言葉だった——。
しばらくして、夕方になってもおばあちゃんは帰ってこなかった。
「遅いな、おばあちゃん。すぐ戻るって言ってたのに……」
私は心配しながら、テレビをつけると、緊急ニュースが流れてきた。
「緊急速報です。市内の交差点で重大な交通事故が発生しました。歩行者が車にひかれ、重傷を負っています」
ニュースの映像には、おばあちゃんがよく通る交差点が映し出されていた。
「まさか……」
頭の中が真っ白になり、不安が押し寄せてきた。どうしても嫌な予感が拭えず、私は何度もニュースの画面を見つめた。
その時、家の電話が鳴り、私は慌てて受話器を取った。電話の相手は両親で、声が震えていた。
「絢音、警察から連絡があった。おばあちゃんが交通事故に遭ったんだ……。今すぐ病院に行かないと」
その言葉を聞いた瞬間、全身から血の気が引くのを感じた。両親が急いで迎えに来ると言って、電話を切った後、私はただ震えながらその場に立ち尽くしていた。
数分後、両親がおばあちゃんの家に到着した。私はすぐに車に乗り込み、両親と共に病院へ向かった。車内は緊張と不安で重く沈黙が続き、私の心臓は激しく鼓動していた。
病院に到着すると、受付でおばあちゃんが運び込まれたことを確認し、急いで案内された病室に駆け込んだ。そこには、顔色が青白く、酸素マスクを付けられたおばあちゃんが横たわっていた。彼女の体には点滴のチューブが絡まり、心電図モニターが静かに彼女の心拍を示していた。
「おばあちゃん、お願い、目を開けて……」
涙が頬を伝い、私は何度も名前を呼びかけたが、意識が戻ることはなかった。
医師が近づき、静かに説明を始めた。
「——重い頭部外傷を負っており、これ以上の回復は見込めません」
その言葉を聞いた瞬間、私の胸は締め付けられた。父も母も涙を流し、私たち三人はおばあちゃんを見守ることしかできなかった。
数十分後、モニターの心拍音が止まり、おばあちゃんは静かに息を引き取った。手は次第に冷たくなった。
「いやだ、おばあちゃん、死なないで……!」
私の声は泣き声に変わり、痛みと絶望が胸を突き刺した。
「おばあちゃん、どうして……。どうして私を置いていくの?」
おばあちゃんの手を握り続けた。
「なんで、あんなに優しいおばあちゃんが亡くならないといけないの、なんで……」
私は病室の片隅で涙を流しながら呟いた。
両親も涙に暮れ、私たちはおばあちゃんの最期を見届けた。
一年後——。
事故内容
加害者Aは、スマートフォンを操作しながら運転していたため、前方を注意しておらず、信号無視をして交差点に進入。横断歩道を渡っていた被害者B(おばあちゃん)をはねて死亡させた。
捜査と起訴
警察の捜査: 事故現場の証拠収集や目撃者の証言、加害者のスマホの使用履歴などを調査。
検察による起訴: 加害者Aは、自動車運転死傷処罰法違反(危険運転致死罪)で起訴される。
判決内容
刑罰: 被告人Aには、懲役2年6ヶ月の実刑判決が下される。ただし、被告人Aの反省の態度や情状酌量を考慮し、執行猶予3年が付される。
損害賠償: 被告人Aは、被害者Bの家族に対して損害賠償金として500万円の支払いを命じられる。
裁判の影響と今後の動向
社会的な影響: スマホ操作による交通事故の厳罰化が進む中で、今回の判決は、他のドライバーに対しても警鐘を鳴らすものとなる。
再発防止策: 被告人Aは、今後、交通安全教育を受けることや、スマホ操作を防止するための技術的な対策が求められる。
裁判所は、自動車運転死傷処罰法違反(過失運転致死罪)の罪に問われていた被告に対して、懲役2年6ヶ月の実刑判決を言い渡した。
「この……人殺し! おばあちゃんを返せ!」
私は法廷で叫んだ。しかし、その叫びは虚しかった。もうおばあちゃんはどこにもいない。その現実を受け入れることができず、私はただ泣き続けた。
そして、私は知った。人に殺されたんじゃない。
おばあちゃんは、スマホに殺されたんだ——。
おばあちゃんが亡くなってから数年後、スマートグラスや自動運転車の普及により、「手動運転」禁止条例が施行された。
いつの時代も、何かが亡くなってから、ようやく対策が講じられるんだ。おばあちゃんは帰ってこないのに……。
私には、ギターしか残されていなかった。おばあちゃんが教えてくれた音楽の力、それだけが私を支え続けた。
「おばあちゃんが教えてくれた音楽の力を、私は決して忘れないよ。これからも、おばあちゃんの夢を引き継いで、音楽を作り続けるからね」
おばあちゃんのギターを抱きしめながら、私は新しいメロディを紡ぎ始めた。
おばあちゃんの魂が、私の中で今も響き続けている——。
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