いちごミルク②
次に目が覚めた時は知らない部屋にいた。
目の前に広がるコンクリートの灰色に覆われた空間。見渡す限り、それほど大きな部屋ではないようだが窓がない。唯一の灯りは天井から吊るされたシーリングライトのみ。今にも切れそうで弱々しく光っている。
こんな不安になるような部屋なのに、妙にしっくりくるというかなぜだか安心感を覚えた。
「おはようございます」
不意に男性の声が聞こえた。その声に振り向くと誰かが立っていた。
先ほどまでいなかったはずなのに、一体いつ扉から入ったのだろうか。
全身真っ黒な服に身を包み、正気のない死人のような青白い顔。
その顔立ちは中性的で、パッと見男か女か分からない。だけど声は確実に男性の低いそれで。性別が分かったところでなんてことないが、モノトーンな見た目の彼は明らかに今まで見た人間とは異なっていた。
「僕は殺人処理部のブンカ、アイと申します」
アイと名乗る男性は丁寧に一度お辞儀をする。その所作は目を惹くものがあった。
だが、そんなことよりも何やら聞き慣れない言葉があったはずだ。
「殺人処理……ブン、カ?」
疑問を口にしたがアイはそれに応えることなく、淡々と話し始めた。
「ここは死神の世界です。君にはこれから死神として生活をしていただきます」
(なるほど、ここが死神の)
縁は自分でも驚くほど自然と、この不思議な状況をすんなりと受け入れた。
明らかに目の前でおかしなことを言われているのに、妙に納得している。
「一度とどまることを選んだ者に拒否権はございません。それに、君はもう事故で亡くなっているのですから」
そう言われてやっぱりそうかと納得してしまった。
事故で亡くなった。
その言葉を皮切りに少しずつ当時のことを思い出してきた。
突然目の前が真っ暗になった。痛い、苦しい、そんな感情を持つ前にもう何も感じなくなっていた。全ての感覚が強制的に遮られたのだ。そんな見えない、感じない、虚な世界で『何か』声が聞こえていた気がする。
慌てふためく声、悲しみに暮れる声、そして全てを託した声。
ノイズに混じってはっきりと聞こえたものはない。闇の中、縁の耳に届いた音。
それは縁が死ぬ直前だったのだろう。
「事故死なので本来であれば死神になる必要はありません。ですが、あなたの魂は成仏しませんでした」
納得すれば不思議なもので。
それは、とアイが続けようとした言葉を縁が無意識に遮った。
「渡したいものがある」
渡したいものがあった。だから縁は成仏しなかった。
なぜ忘れていたのだろうか。あんなにも大切でずっと心に留めて置いたのに。
「君が渡したいと願っていた物は無事に必要な方へ送り届けられております」
「え……そう、なんですか?」
「はい。君は魂の状態でしたが一緒に見ております」
アイはどこか遠くを見るように視線を宙へと向けた。
魂の状態で見ていると言っても縁は知らない。そんな実感もない。だけど。
『無事に必要な方へ送り届けられた』
それは縁が生前願っていたことだった。外堀は埋めていたし、きっと送り届けられるだろうと思っていた。
こうして人伝に聞いたことではあるが、その事実に心底安心した。
(でももし叶うのであれば……)
「あの」
「ダメです」
まるで縁が何を言うか分かっているのかのようにやや食い気味にアイは否定した。
「君が成仏していない理由はそれです。やりたいことを見つけてしまったから」
心の中を覗き見されている気分だった。
縁が思ったことを先回りして回答していくアイは底しれぬ心眼を持っているのかもしれない。これ以上心を読まれないようにしなければと目を逸らしてみるが、空気は以前として変わらない。
「こちらとしては、そんなこと考えずにさっさと成仏して欲しいんですよ」
鋭い眼光はまるで蛇のようだ。じわりじわりと相手を睨み、攻め、動けなくしていく。
体がすくみ、一瞬怯みかける。
どうにか言葉を紡いで説得をしなくてはいけないと思うのに、口の中がカラカラに乾いていった。
「……っ俺、仕事、その、頑張るので」
やっとの思いで発した声は何とも弱々しく、大して説得できるようなことは言えなかった。
「話聞いてました? ダメです」
立て続けにアイは言葉を連ねる。
「我々死神にとってそれは毒。何が楽しくて自ら毒を摂取しにいくのですか」
「別に関わろうとか思っていない。ただ」
「もう一度言います。ダメです。君は大人しく死神の仕事をしてください」
こちらの話を聞かず、ただ一方的に話は終わった。
この日これ以上縁は何も言わなかった。だがあれだけ否定され、ろくに話も聞いてもらえなかったのに、説得を諦めるつもりは全くなかった。
今回は何も話をまとめず、思いついた事を口にしていただけだった。要点をまとめて誠心誠意伝えたら話を聞いてくれるかもしれない、考えを変えてくれるかもしれない。
だって彼は一言も『無理』とは言わなかった。
ダメとは口にしていたが決して『無理』とは言っていない。
やるべき事をやって、それなりに信頼を得れば話を聞いてくれるかもしれない。
そんな淡い期待を胸に縁はここでの生活をスタートさせた。
死神がどれほど過酷で残酷なのか考えることもなく。
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