第三章 いちごミルク
いちごミルク①
あの日、春日縁(かすがゆかり)はとても可愛らしい”ふわリンカフェ”という場所にいた。
雲の妖精、ふわリン。
羊モチーフの白くて雲のようにふわふわとしたマスコットキャラクターがコンセプトのカフェ。入り口ではふわリンの大きなぬいぐるみがお出迎えをしてくれる。
そして中に入ると店内はピンクのパステルカラーを基調とした淡い色の壁。テーブルやイスもふわリンが住んている町のイメージらしい雲のような形で統一されている。
今、主に女子高生に人気のなんとも愛らしいゆるふわマスコットだ。
普段なら絶対に立ち寄らないそのカフェに縁は一人で来ていた。
ここに寄るとすれば必ず幼馴染の佐倉結衣と一緒。
まあ理由は至極簡単で、このカフェのメニューに彼女の好きないちごミルクがあるからだ。
でも今日は一人。恥を忍んで一人で入った。
正直、周りはふわリンが大好きな女の子たちだらけなので身の置き場がない。ちらほら自分に向けた話し声も聞こえてくる。
「男の子一人で来たのかな?」
「高校生くらいだよね? ふわリンのファンかな?」
「やだ〜! なんかそういうの推せちゃう」
せめてもの救いは窓際のカウンター席で店内にいるお客さんに背を向けていることだ。後ろ姿ならもうこの際、仕方ないと諦める。
今日の目的はポイント集めだ。それさえ達成できればこんな視線に噂、屁でもない。
ここのカフェでは来店のたびに一ポイント貯めることができる。十個集めるとふわふわのふわリンのクッションがもらえるらしい。しかも今なら期間限定の数量限定でいちごミルク色に染まったふわリンクッションが手に入る。
結衣は口にしなかったが、この前店に訪れた時、とても物欲しそうにサンプルのクッションをを眺めていた。
何回か一緒に行くことができれば、ポイントもすぐ貯まるし縁自身、恥ずかしくない。
だが、結衣は昔から体が弱く、行動が制限されることがしばしば。気軽に外でご飯もそう行けない。
けど、せっかくなら喜んでもらいたい。彼女ができないことはやると決めていた縁はこうして行動に出たのだ。普段絶対口にしないいちごミルクを注文して飲んでみる。
「……甘すぎる」
見た目のピンク色におおよそ覚悟していたが、思わず顔を顰めてしまうほど縁には甘すぎた。だけど別にいいと思った。
彼女の分まで楽しんで、土産に写真でも送ってあげようと思っていた。一緒に色々できることが理想だけど今はまだ無理だ。もう少し時間が欲しい。
もう一度イチゴミルクを飲み、再び顔を顰めたのだった。
半分ほど飲んだ後、今日のためにと持ってきたポイントカードを取り出す。
それにしても、十ポイントか。と軽くため息をつく。
手元にあるカードには二までスタンプが押されている。
今日の会計で三ポイントになるとして、あと七ポイント。先はまだまだ長そうだ。
これは友人数名と兄を巻き込まないと期間内に手に入れることは厳しいかもしれない。誰にお願いしようかと連絡先を見ながら甘党を探している時だった。
外からドンと何かがぶつかる音がした。
なんだろうと携帯電話から目を離し、ぱっと顔を上げる。目の前は窓でガラス張り。外の景色はよく見えるはずなのに、視界に広がるは壁。
そこからの光景はまるでスローモーションのようで一瞬の出来事だった。
その壁が自動車かトラックか何なのか認識する間もなく、縁の意識は途切れた。
真っ暗闇、目には何も見えない。
体は石のように固く無機質で指一つすら動かすことができない。
水の中にいるようなくぐもった雑音ばかりが聞こえた。
しばらく何も考えずにその音に耳を傾けると、うっすらと何の音か判別できるようになった。
一定のリズムを刻む電子音。複数名の声。
どれもノイズ混じりで聞き取りづらく、内容は理解できなかった。
だけどはっきりと聞こえた声もあった。
「春日縁さん」
優しい声で誰かが名前を呼ぶ。
この声は誰だろう。聞き心地の良い低い声に男性であることは分かったが、父でも翔でもない。初めて聞く声なのに不思議と安心する。
どうして名前を知っているんだろう。
そんな疑問もまあいいかと投げ出すほどには全て委ねてもいい、そんな気持ちになった。
「もうすぐ死にます。準備をしてください」
『ああそうか。俺、死ぬのか』
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