死の宣告④

 ストーカーはキョロキョロと店内を見渡す。彼に気づいてウエイターが駆け寄ってくるが無視。というよりは眼中にない様子だ。雫は奥の席にいるためすぐに見つからない。


「ねえ聞いてる? 私あまり大きな声出せないんだけど」

「結衣、ここから絶対に離れるなよ」

「え?」

「いいから。絶対にだ」

「わ、分かった」


 結衣はなぜそう言われているの理解出来ていないが、何か不測の事態が起きているんだということだけは分かった。

 もう三分を切った状況で彼女に説明している暇はなかった。ヘルが側にいるからと言って確実に守れる保証はどこにもない。だけどいざとなれば。ふとそんなことを思い、そうなったらどうするんだと立ち止まる。

 結衣はここで死ぬ運命ではない。死ぬのは錨地雫ただ一人。だから何があっても大丈夫。例え守らなくても、見捨てても大丈夫なはずだ。

 頭の中が靄にかかったように考えがぼやける。思考を強制的に停止させられ、現実を見ないようにされている。だめだ、集中して任務をこなさなくては。

 ヘルはふと、この道を進むと決めた時に言われた言葉を思い出した。


『もうやめますか?』


「絶対にやめない……」


 目的を見失ってはいけない。自分自身に大丈夫だと言い聞かせ、男と錨地雫のやり取りが見える位置まで移動する。そして一つも漏らさぬよう死に様を報告書に書き記していった。無我夢中だった。目の前の任務をこなすことだけを考えた。

 男は奥の席に行くが、そこに彼女の姿はなかった。店内を出ていないはずだがと思ったところに化粧室に行っていたのか彼女はポーチを片手にヘルたちの横をを通り過ぎていった。

 男は彼女を見つけるや否や小走りで駆け寄っていく。


「あ、雫ちゃんだよねぇ?」

「え、えっと……」


 彼女はすぐに自分のファンだと気づき、変装していたつもりだったが帽子と眼鏡だと安直すぎたかなと焦った様子を見せる。が、それも一瞬ですぐに笑顔で応じる。雫は女優として恥じない自分であろうと身を引き締めた。

 そんな彼女の様子を黙々とペンを走らせて記録する。これが彼女の運命。ここで男と鉢合わせるのが運命だった。


「また、会えたぁ」

「あの、ファンの方ですよね? 目立ちますのでこちらへ」


 例え人の少なくても有名人となればお店に迷惑をかける可能性もある。そう考えた彼女は少し目立たないところに移動をするよう促した。

 雫の後をついていきながら男はニヤニヤと自分の欲望を隠せないでいた。相変わらず鼻息は荒く目は見開いている。好きな女優に会えたからといっても明らかに変だ。

 だが、雫は色んなファンと会話した経験から、こういう人もいるのだと分かっていた。だから様子がおかしくても疑うこともせず、自分の席の近くまで招いた。

 雫が座っていた席の近くまで来ると、男は左右に体を揺らしつつ、収まらない興奮を吐露する。



「ねえ、僕のために死んでくれる?」



 そういうと懐から鞘に収まった果物ナイフを取り出す。そしてその鞘からも取り出すと、銀色に輝く凶器が露わとなった。

 まるでスローモーションのようにゆっくりとした動きで取り出されたソレが雫には一瞬何か分からなかった。だがすぐに身の危険を感じ男から距離をとった。

 テーブルにぶつかり、まだ温かいコーヒーカップが音を立てて落ちていく。パリンと陶器が割れる音に周りも気づき、一拍置いてどこかから悲鳴も上がった。ゆったりとしていた店内が一気に緊迫感に包まれる。

 ヘルはそう記録を取りながら次はどんな行動に出るのかじっと彼らを見つめていた。


「死神さん、あれ、どうにかした方がいい、よね?」


 いつの間にかヘルの隣まで移動してきたのか。小さく震え、今にも泣きそうになりながら結衣は小声で訴えた。


「動くな」


 今どうにかしようと動けば巻き込まれるのが目に見えている。男は刃物を持っている。自ら巻き込まれに行くような行動は許さない。ヘルは感情を無にしてそう言った。


「でも、あの人殺されちゃうよ? ……まさか死ぬの?」


 その問いに何も答えない。このまま死ぬのを黙って見ているしかないのが事実だからだ。ただただ何かを記録することしかしないヘルの行動が肯定したも同然だ。結衣は思わず雫の元へ駆け寄ろうとしたが、いつの間にか戻ってきていた翔が腕を掴んで必死に止めた。


「ダメだ」

「でもっ」


 手を振り払おうと抵抗しても力の差は歴然だった。目の前で殺されそうになっている人がいるからこそ犯人を刺激するような行動は取れない。誰も動くことを良しとしない状況だった。

 そんな中、翔が戻ってきたことを確認したヘルは詳細な記録を取るために雫たちに近づく。見えない死神だからこそできる行動だ。

 男から少し距離のある席で彼を捉えようと勇気ある数人が目を光らせてじっとその機会を狙っていた。だが少しばかり場所が悪い。入り組んだ奥の席は動きを封じるには少し厄介な場所だった。

 誰かが自分の邪魔をしようとしている。それを知ってか、男は手にしている果物ナイフを不規則に振り回し始めた。

 全員、男から少し離れる。縮めていた距離が開いてしまった。

 いつでも殺れる。僕と雫の邪魔をするなと興奮が最高潮に達していた。

 少しでも動けば雫が殺されてしまうと、誰も安易に近づけず、動くことすらできず、数十秒時間が過ぎていく。


 刻一刻とその時が迫っていた。

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