死の宣告③
結衣たちにはちょうど見えない奥の席ではある程度、錨地雫の様子を記録したヘルが時計で時間を確認しているところだった。
「あと十分か」
彼女が亡くなるまでいよいよという時間になっていた。
このまま彼女を観察し続けてもいいが、しばらく状況は変わらないだろう。それならば誰が殺すのかある程度目星をつけておきたい。
そう思い、ヘルは壁をすり抜けて外に出た。こういう時、物理的干渉がないのはありがたい。
女優の殺害。おそらくストーカーの類だろうとなんとなく思っていた。特に実力で人気を集めるような人は人気が出る前から応援している古参のファンがいるはずだ。そういったファンが殺人に走るようなことが多々ある。そしてこのタイミングだったらソイツはきっと近くにいるはずだ。ヘルは過去に似たような事件を担当したことがあったため、経験からなんとなくそう思っていた。
キョロキョロと辺りを見回すと、喫茶店裏から五十メートルほど離れた古びた軒下に一人違和感のある人物が目に入った。
見た目は普通。どこにでもいる二十代前半の若い男性。彼はイヤホンをしてじっとお店の方を見つめていた。
この男だろうかとヘルは近づく。近づけば分かるがイヤホンから音漏れしていた。
(何の音だろう。環境音? でも他にも何か聞こえるような)
ヘルはさらに彼に近づいてじっと耳を澄ませた。
『すみ……飲みもの……ったのでお、ぼり、いただけ……か?』
雑音混じりに聞こえた声は錨地雫だった。ヘルはそっとイヤホンから離れ、その様子を記録帳に記す。
間違いなくこの男が殺人の犯人だ。どういう方法で仕掛けたのか分からないが、錨地雫に盗聴器を仕掛け、こうして都度彼女の行動を監視していたのだろう。
「ああ、洋服にシミ作っちゃったかなぁ? ……でも大丈夫だよ。この後もっと染めてあげるからねぇ」
この後を想像しているのか、男は体をくねくねとさせながら高揚感を感じていた。そして時折、小刻みに体を震わせ更に気持ちを高ぶらせていた。
「ふふっ。雫ちゃん……あっ」
男は何かを思い出したかのようにおもむろに背負っていた鞄を開け出した。
「大丈夫、ちゃんとあるぅ」
中から取り出したものは鞘付きの果物ナイフだった。
(凶器は果物ナイフか)
こうやって犯人、凶器、死因、それらが分かったからと言って死神に出来ることは何もない。死ぬ瞬間を目に焼き付けて記録し、上に提出する。ただそれだけ。
男はソレをズボンのポケットにしまうとゆっくりとした動きで再び鞄を背負い直した。
そうこうしている内に錨地雫の死亡まであと五分を切っていた。
より細かく記録を取るために適切な場所を確保しようヘルは表から喫茶店に戻ることにした。
だが喫茶店の前にいる人物を見て歩みを止めざるを得なくなった。ドクンと一回、もう存在しない心臓が大きな音を立てたような気がした。
喫茶店の前で電話をしているのは春日翔だ。
一人で来たのか、それともまさか。彼が結衣と親しいことは分かっていた。
焦る気持ちを抑えつつ急いで扉をすり抜けて店内に入ると、入り口付近の席に彼女はいた。
近くの窓から外の景色を眺めており、置いてある飲み物から甘い香りが漂ってくるような気がした。
気配を察知したのか、すぐさまヘルの存在に気づくとパアッと表情を明るくして話しかけてきた。
「死神さん!」
そう言ったあと、彼女は慌てて口を押さえた。死神は見えないと散々言われているのにヘルを前にするとつい口走ってしまう。その度に周りの人が彼女を不思議そうな表情で見る。
だが、ヘルにとって今はそんなことどうでも良かった。
「なぜ、いる」
震えが伝わらないように短い言葉を結衣に投げる。
このあとここで起きることを考えたら今すぐにでも安全な場所へ避難して欲しかった。
「ちょっと用事があってね。今はその帰り」
結衣は周りに怪しまれないように声のボリュームを落として事情を説明する。
「用事の後はいつも喫茶店に寄るんだけど」
「帰れ」
全ての話を聞き終える前にヘルは口を挟んだ。事情はなんとなく把握したし、後はここから速やかに離れてもらうことが大事だと帰宅を促した。
「え、なんで?」
疑問が出るのも無理はない。ヘルの発言は意味不明だ。理由も言わず急に帰れと言われれば『なんで』と聞きたくなる。でも彼は内心かなり焦っていた。魂回収リストに彼女の名前はない。それでもここにいれば大きな怪我をする可能性がある。
時間を確認すると、錨地雫が亡くなるまであと三分はあった。今ならまだ巻き込まれることなく帰れる。外に翔もいるからきっと大丈夫。そう自分に言い聞かせてヘルは繰り返す。
「今すぐ帰れ」
「どうして? 理由を言ってくれないと分からないんだけど」
「いいから早く」
席を立とうとしない結衣に苛立ちを覚える。危険な目に遭うかもしれないのにどうして彼女は動かないんだ。ヘルがそう思った時だった。
カランと耳に残る印象的な鈴の音が鳴る。それと同時にゾワっと背中に悪寒が走った。
ヘルが振り向くと、虚な目をした錨地雫のストーカーが店内への入ってくるところだった。
かなり興奮様子で鼻息が荒く、瞳孔が開ききっている。殺されるのは三分後でも店内で何かやり取りが起きるのは当然なのに、混乱のあまり認識が抜け落ちていた。
今ここから出ていけば変に目をつけられるかもしれない。それくらいストーカーの神経は逆立っていた。もう遅かったのだ。
「何よ。ちょっとくらいいいじゃない」
頬を膨らませ、口を尖らせる結衣。こんな状況じゃなければツッコミの一つや二つ入れるのだが、誰もこれから起きることを予想だにしない。
今日ここで人が一人死ぬとわかっているのはヘルだけなのだから。
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