進路
久しぶりに一人の昼休みだった。あいつらがいなくて何もすることがないから、机に突っ伏して、周りの変化に紛れたふりをする。昨日から振り続けている雨のせいで教室の中には湿気が篭っていて、いつもは中庭に出ている女子達の談笑がからころと響いている。いつもはそんなこと思わないのに、その笑い声が今はなんとなく耳障りだった。
簡単な事だけ、考えて生きてきた。高二の冬となった今も、将来って言えるほどまともなことが固まっていない。でも周りは次々に俺の留まる場所から離れていく。田辺は進路指導の先生と専門学校についての相談をしに行った。松本は面接の材料にするために入った生徒会の集会に向かった。平は将来必要な資格の取得についての質問を先生にしてくるって言ってたし、後ろで駄弁る女子の会話はやっぱり進路の話。
一昨日担任と進路について面談したが、十五分話した中で最適解を導き出すことはできなかった。まだ決まらない先のことが体に重くのしかかる。ネットや図書館で手当たり次第に関心のある言葉を調べてみたり、社会人の経験談を読んでみたりして情報を集め、何かこれというものが見つからないかと探しているが、進学か就職かも決めることができていない。まぁ、そううまくいっていればこんなに悩んでなんかいない。一応受験することになった時のための勉強もしてはいるが、あまり身は入っていないのが現状だ。
母親からこの頃言われる「どうするの」が不意に浮かぶ。周囲はどんどん進路を定めていっているのにそれができていない俺は、親の立場からすれば不安の種になっているのだろう。言われても仕方ないが、耳にする度にストレスにはなっている。父親は放任主義なのかそもそも興味がないのか、何も言ってこない。そうしてくれることで気分が楽かと言われれば、寧ろ無言の圧のようなものを感じていて精神的に辛い。
ああ、ああそうだよ、早く決めなきゃいけない、そんなの、理解はしてるけどさ。
「香山君」
呼ばれた名前に顔を上げる。俺の机の右側に、長い髪をポニーテールにした学級委員、堂本が立っていた。中学の時からの付き合いである彼女の目尻は普段はキツめだが、今は柔らかに下がっている。俺に一体何の用だろう。
「……何?」
「進路調査の紙、まだ出してないでしょ」
選択式アンケートと進路希望を書く欄のある用紙。俺はアンケートにだけ答えているが、その下の進路希望にはまだ何も書いていない。方向すら決まっていないのだ、書けるわけがない。
「……提出いつまでだっけ」
「今日だよ」
「……」
「もしかして……最後のところ書けてない?」
図星を言われて気分が悪くなる。「……悪いかよ」と返すと、堂本は不思議そうに首を傾げた後、横に振った。
「ううん。その、さ、私も書けてないから」
「……え?」
あの決断力があっていつもみんなを先導する堂本が? 進路をまだ決めていない? 意外過ぎて言葉を失っていると、それが顔に出てしまっていたのか堂本が居心地悪そうに笑った。
「大学、アート系か建築系、どっちにしようかで決まらないんだ。先生からはオープンキャンパス行ってからでも遅くない、とは言われてるんだけど」
進学するってところは決まってるのか。それを聞いて何故か落胆する自分がいた。なんだよ、仲間でも欲しかったのか俺。なんで落ち込んでんだよ。
「香山君は何に悩んでるの?」
「え、あー……何にも決まってないんだ」
「んーそれは難儀だね。あ、だから図書館行ってたの?」
「なんで知ってるんだ?」
「放課後図書館の学習スペースで勉強してるの。そしたら何度も香山君の姿を見つけたから……そっか、香山君探し中なのか……」
堂本は何やら考える素振りをした。程なくして、「あ、そうだ」と口にした。
「これって読んだことある?」
そう言って堂本はスマホを取り出すと、画像を一枚俺に見せてきた。映っていたのは一冊の本。黄色い表紙にゆるっとした女性のイラストが明るい色彩で描かれている。
「いや……ないけど」
「これ、進路そのものに悩んでる人のために書かれた本なの。私これ読んで大学にしようって決めたんだ。香山君に合うかわかんないけどさ、おすすめだよ」
画像を再度見直す。今は藁にも縋りたいような気分である。もしかしたらこれが光を掴むきっかけになったり、するんじゃないだろうか。
「これ、図書館にあるのか」
「うん。あるよ」
「……この画像送ってくれないか」
「わかった」
すぐに送信してくれたようで、俺のスマホが音を立てる。確認すれば画像が画面に表示された。
「進路調査の紙、先生が書けそうにないなら空欄でもいいって言ってたよ」
「え、いいのか」
「とりあえず現状を提出してください、だって」
その言葉に用紙を取り出して、堂本に渡す。堂本は笑って「ん、じゃ、先生に出しとくね」と言った。
「決まるといいね。進路」
「ああ……ありがとう、お前もな」
堂本はひら、と手を振りながら去っていった。集会から帰ってきた松本の声が聞こえる。そちらを見れば、俺より先が見えている松本が笑っていた。返事をしたところで田辺と平も帰ってきた。賑やかになる周り。いつも通りなメンバーの中で、俺だけが、先に進めていない。だが、今その足を踏み出しかけている、のかもしれない。
まずはあの本、だな。
チャイムが鳴って、皆が焦るようにそれぞれ席についた。世界史担当の眼鏡の教師が入ってくる。ハキハキとした声で告げられた授業の開始を聞きながら、俺は帰りに図書館へ寄るルートをなぞっていた。
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