第52話 立ちはだかるドラゴン



 攻撃力低下の法則をバサムースにかけてもいい。一撃の威力がかなり弱まる。だが、こう連打されてはどっちみち危険であることに変わりない。パンチのくりだされるスピードが速すぎてよけきれないだろう。十発のうち八発当たれば、ニャルニャは倒れる。


「ニャルニャ、グレーレンさん。いったん、さがって。あいつだって、いつかは疲れるはずだ。ラッシュがやんだ瞬間にとびだして!」

「ニャ!」

「オッケー」


 それまで時間かせぎだ。プチファイアを放つと、それも持続効果で、バサムースのラッシュを受けてくれる。しかし、まだ攻撃力低下の法則を受けている。経過時間から言って、そろそろ、切れるはずだ。本来の魔法効果に戻る。つまり、プチファイアでも今の十倍のダメージだ。


 ようやく、その瞬間が来た。とつぜん、プチファイアの炎が巨大になる。ラビリンの歌の効果もほどよくあがっていた。


「ウォーッ!」


 ひるんだバサムースのラッシュがやんだ。その瞬間、ニャルニャのネコパンチ、グレーレンの剣が左右から強打する。


「なー!」

「うりゃーっ!」


 バサムースは咆哮ほうこうをあげ、ひざをついた。あとひと息だ。


「範囲集中の法則。ブリザード!」


 全体攻撃が一点に集中したブリザード。無数の氷の刃がバサムースを襲う。巨体がグラグラとゆれ、やがて、倒れた。


「よし。やったぞ」

「な〜」

「あたしにかかれば、こんなもんだ」


 父や兄たちの姿はない。ゾルムントを救出に行ったようだ。そういえば、一階から戦闘の音がしている。かなりの数のワニ兵士と戦っているのだろう。しかし、あちらには兄がついていれば問題はない。


「ソフィアラを助けに行こう」

「ドラゴンがいるぞ。レルシャよ。充分に気をつけろ」

「わかってる」


 スピカに言われるまでもない。邪悪な気配が一段と強まった。

 屋上への入口をくぐる。

 さえぎるもののない広大な空は、まだ夜の藍に染まっている。だが、東の空の果てにはうっすらと白い光があった。夜が明けようとしている。まもなく、ドラゴンにイケニエがさしだされる時間だ。


 ドラゴンは黒い山のように、そこにたたずんでいた。まだ眠っているのか、とてもおとなしい。

 その前にザウィダが立っている。腕にまだソフィアラをかかえていた。


「ほう。バサムースを倒したのか。見くびっていたぞ。小僧」


 エルフ語でもスピカが訳してくれたろうが、なぜか、ザウィダは人語を話している。そういえば、さっき叫んだのも人の言葉だった。以前はエルフ語を話していたから、両方使えるのだ。それは、あるいはザウィダがかつて人間界に住んでいた証ではないだろうか? この男にも深い事情があるのかもしれない。


「ソフィアラを離せ!」


 ザウィダはニヤリと笑った。

「エルフと人の友情など、笑わせる」


 ザウィダは何を言っているのだろうか? レルシャもソフィアラも人間だ。人間どうしが友達になっても何もおかしくない。


「離してほしければ、離してやろう」


 そう言いつつ、ザウィダがソフィアラをおろしたのは、ドラゴンの口のまんまえだ。ドラゴンは人間の子どもの匂いを感じたのか、目をさました。金色の目をあけ、じっとソフィアラを見つめている。やがて、のっそりと起きあがった。デカイ。とてつもなく、デカイ……。


「ソフィアラ……」

「レルシャ……」


 以前、レルシャが傷つけた言葉を、ソフィアラは忘れてくれたのだろうか? 役立たずだから兄の妃になってしまえばいいなんて。もちろん、本気じゃなかった。ソフィにもきっと伝わっていたはずだ。それとも、竜に食べられそうになって我を忘れてるだけなのか。ソフィアラは縛られた両手をあげて、レルシャのほうへ伸ばしてくる。


「ソフィ!」


 レルシャは走った。ソフィアラの手を今とらなければ、一生後悔する。ソフィがドラゴンに食べられてしまう。それは広大にひろがる死の口だ。黄泉の世界への入口。そこに飲みこまれれば、二度と会えない。そんなのはイヤだ。


「ソフィー!」


 夢中で手を伸ばす。

 その背後で巨大な口をあけるドラゴンが、レルシャの視界いっぱいをふさぐ。すくんで動けないのか、ソフィアラは泣きながら、こっちを見つめていた。


 レルシャは叫んだ。

「範囲集中の法則。魔法持続の法則。ブリザード!」


 ドラゴンの気をそらす。氷の嵐はしかし、ドラゴンの前ではあまり効果がないようだった。


「援護するぜ!」

「なー!」

「ラビリンも歌います!」


 仲間たちがとびだしてきた。しかし、うっとうしげにふりまわしたドラゴンの尻尾に、あっけなくふりはらわれる。


(ダメだ。ぜんぜん、きいてない)


 やはり、レルシャたちではドラゴンの敵ではないのだ。まったく歯が立たない。


 そのとき、背後で声がした。


「炎の剣!」


 ふりかえると、屋上の入口に兄がいた。父、ウーウダリ、ダヴィド、ゾルムントもそのうしろにそろっている。


 兄のあやつる炎が渦をまいてドラゴンを包んだ。これは、さすがにきいている。ドラゴンは雄叫びをあげ、炎のなかで身をくねらせる。


 そのすきに、ウーウダリが走った。ものすごい速さだ。両足が青く光っている。おそらく、盗賊の職業技だ。『盗む』の特技だろう。サッとソフィアラをかかえあげると、レルシャたちのところまで戻ってくる。


「ソフィ!」

「レル!」


 抱きあって、ぶじを喜んだのも、つかのま。

 怒り狂ったドラゴンが火を吐く。兄の炎の剣はドラゴンの吹く火焔かえんに吸収されるように消えた。


(ここは戦うべきじゃない。兄上もソフィアラもとりもどした。みんなで逃げるんだ)


 レルシャがそう考えた瞬間だ。喉元を赤く光らせた竜が、レルシャの目の前に迫る。巨体すぎて、ちょっと首をさげるだけで、もう鼻のさきまで来ていた。


(ダメだ。魔法もまにあわない! 食べられる。このまま、ぼくとソフィは竜に食べられてしまうんだ……)


 絶望がレルシャを支配した。

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