第九話

 優哉の口に運びかけた唐揚げが箸に掴まれたまま静止する。

 が、すぐに身を乗り出して雫を問い詰める。


「雫さんもそういうのに関心ある系の人!? それなら始めからそう言ってくれればよかったのに。それじゃあ、うちの大学であった事件について話そうかな」


「はい、よろしくお願いします」


「俺の知っている範囲でしか話せないけどな。……事の発端は、謎の自然保護サークルが結成されたことだな。公認サークルでもないし、それ以前にリーダーも不明、活動内容も知られていない。つまり、その実態は一切分かっていないってこと」


「それは俺も知ってるぞ。存在しているかも分からないのに、噂だけが独り歩きしてる都市伝説だって言われてた。噂が流れ始めてからしばらくは目に見える活動はなかったけど、ある日、十人くらいの学生が集まって屋上で謎のお祈りをし始めたんだよな。その時は大学から注意ですんでたけど」


「ああ。その時は疲れ切った学生の気の迷い、ってことで大したお咎めも無しだったけど、そいつらが雨守の関係者ってことは自然保護サークルが否定した。そのころには自然保護サークルのリーダーを名乗る人物も出てきて、そっちはそっちで災害情報を集めたりとか、まっとうな活動をしてたから公認になってる。お祈りしてた学生の一部が元サークルメンバーだったし、そのサークルからはみ出した人間がヤバい思想に流れちまった、って結論になってた。いまでは社会人も参加してるし、本学の一大勢力だよ」


 そこまで言い切って、優哉は最後の唐揚げを口に放り込む。


「非公認サークルの詳細が知られていなってのはよくあることだろうけど、そこから活動方針の違いとかで仲間割れしたってことかな?」


「いろんな情報が錯綜してるから何とも言えない。ただ、全国的にも大学でそういう自然系サークルができてるってニュースにもなってるし、マトモな人たちに便乗する形で雨守が侵入を試みたんじゃないかと思ってる。真面目にやってる人からしたらはた迷惑な話だが」


 公認サークルの活動は確か、広報誌にも取り上げられていた。学部の垣根を越えて様々な人材が集まり、自治体にボランティアで協力することもあるらしい。

 となると、明らかに怪しい過激派宗教団体が、どこから持ち込まれたかが分からないし、真反対の存在である公認サークルが存在するのに、いまだ根強く布教されている理由が分からない。


「サークルも雨守もゴミ拾いとかやってるから、見ただけじゃどっちかが分からない。大通りで拡声器使ってデモとかやってるのは間違いなく雨守の連中だがな。大学が注意を呼び掛け始めたのもそっからだな。せっかくいい宣伝材料ができたんだから邪魔するな、って魂胆だろ。こういう時だけ学生を都合よく使いやがって。俺も入るか迷ったけど、本音を言うと雨守のほうに関心がある」


 それは聞き捨てならない。俺は思わず優哉を睨んだ。


「怖い顔すんなって。別に過激思想があるわけじゃない。ただ、奴らの正体を突き止めたいという好奇心さ。だからこそ、雫さんに協力したいのですヨ」


 優哉のキメ顔に少し雫は笑ったが、目は冷ややかだ。


「お話ありがとうございます。他に、実害が発生したものとかなないですか?」


「雨守メンバーが市民と乱闘になって警察沙汰になったこともあったな。あれは和解が成立したとかで、大ごとにならずに済んだそうだけど」


「わたしは詳しくないのですけど……いんたーねっと上ではどうなのでしょうか」


 うーん、と腕を組んで悩む俺と優哉。


 大変言いにくいが、ご存じの通り我が国の皆さんはネット上では非常に口が悪い。少し攻撃的なことを言っただけでもボロクソに炎上する。雨守もその特異な性質からネットの住人の標的にされ、あることないこと言われている。彼らが危険な存在となりえたルーツは、この息詰まる世界から目を背け、仮想の世界にのめり込んでしまったからかもしれない。


「それこそ実態が分からないんだ。雨守を騙る闇バイトもあったらしいし。そうだ、優哉のやつ、どう見ても不審な単発バイトに応募してよ、それが雨守の勧誘だったんだぞ」


「やめてくれ。その話は俺の黒歴史だ。金欠でとにかくまとまった額が欲しかったんだ。仕方ないだろ」


「……そういや、その時に貸した金がまだ返ってきてないぞ」


「おー……次の給料日まで待ってくれ。頼む」


 口笛吹きながら斜め上を見てやがる。こっちも靴とか買ったりして金が無いんだ。遊びに行くところがカラオケくらいしかない田舎では、ショッピングくらいしかストレス発散方法がない。


「お前たち、話に熱中しているところ悪いが、外はもう大雨だぞ」


 完全に蚊帳の外だった叔父の声で我に返る。耳に入るのは絶え間ない打撃音。窓の外を見れば、世界が雨にかき消されようとしていた。

 時計を見る。時刻は二十一時半ごろ、深夜というには早すぎる。


「……雫、雨がまた降り出すのは深夜だって言ってなかったか」


「わたしの感覚は間違ってなかったはず……となると、答えは一つね」


「祟り神がやったのか」


「間違いないけど、通常の自然作用を超えるものじゃないと確信が持てない。何か、被害規模とかが今すぐ分かるもの無いかしら」


「テレビつけてみようか」


 リモコンを操作して電源を入れる。雨音にかき消されて音が聞こえない。ボリュームを大きく上げる。


〈……気象庁は災害が起きる可能性が高まっているとして、記録的短時間大雨情報を発表し、警戒を呼び掛けています。一時間当たり八十ミリを超える激しい雨が……〉


 地図に雨雲の様子が写される。広い範囲で真っ赤だ。

 もはや聞きなれてしまったこのニュース。数年に一度の大雨で発令されるらしいが、ほぼ毎週記録が更新されているので危機感が薄れてしまわないか心配になる。避難所に駆け込んだことも一度や二度じゃない。


「警戒レベル4で避難指示か。まずいな。すぐに逃げるぞ」


 洗い物も放り出して奥に戻る叔父は、防災バッグでも取りに行ったのだろう。

 俺もまだ乾いていない上着を羽織り、掛けてあったレインコートに手を伸ばす。


「維澄……これは確実に奴よ。わたし、行かなきゃ」


 雫は店から飛び出そうとするが、その手を思わず掴んだ。


「待て、俺も一緒に行く」


「何を言っているの? 洪水に巻き込まれて死にたいの?」


「協力するって言っただろ。何一人で何とかしようとしてるんだ。お前が止められるのは本来の役目を逸脱した、世界の不均衡による災害だけなんだろ。外部の干渉で発生したものは土地の力を使ってたとしても、追跡や制御は出来ないんじゃないのか? だから根本的な解決には祟り神そのものを見つけて叩く必要がある。違うか?」


「……わたしだけでも奴を探し出して、止めて見せる」


「俺に手伝えって言っておいてそれはないぞ。無理やりにでもついていく」


 振りほどこうと揺さぶられる腕を掴む手に力を込める。


「おい、維澄、何やってるんだ。何の話か分からんが、お前までパニックになってどうする。この土地のことを知らない雫さんを避難所まで案内しなきゃいかんだろ」


 至って冷静な優哉に諭される。俺も少し慌ててしまっていた。

 だが、ここで立ち止まっているわけにはいかない。


「痛いよ……維澄」


「ああ……ごめん」


 かなり強く握ってしまっていたのに気付いて手を放す。本当は目を見て謝りたかったが、恥ずかしさと自分の未熟さからは目を背けたかった。

 着替えた叔父も戻ってきた。大きめのバッグに雨具と完全装備。戸締りと火の始末、店内の点検を素早くこなす。


「おーい、藤村君も早く行きなさい。いや、それも危ないな。一緒に避難所まで行くか?」


「そうさせてもらいますか。じゃあ維澄も一緒に……っておい!?」


 俺はもう入口の戸を開けていた。


「悪い、優哉。俺は雫さんを連れていくよ。道は分かるし、なにより急がなきゃ」


「急がば回れ、だぞ。それに、まとまって皆で動いたほうが……ん、テレビが何か言ってるぞ」


〈……繰り返しお伝えします。現在避難指示が出ているのは以下の地域で……〉


「対象地域がめちゃくちゃ広いな。こんなの初めて見たぞ」


 もう一秒たりとも待てない。今の街を生身の人間が行くのは完全に自殺行為だが、ここは俺の「視る」力で増水スピードを遡って、比較的安全な場所を選ぼう。

 それにこっちには頼もしい守り神がいる。何かあったら助けてくれるはず。


「よし、行くぞ!」


「ちょ、ちょっとぉ!?」


 雫の手を引いて店を飛び出し、降り注ぐ空の泪に切り込んだ。

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