八
「ただいまー」
戸を引いて店の中に入る。
「おう、お帰り……む、お友達か?」
やや渋い顔をする叔父。それもそのはず、せっかく片づけたというのに客が来たのだから。
「維澄、今日は開けてないって言わなかったのか。まぁ、仕方ない。お前の友達ならサービスしてやるしかないな」
非難のこもった台詞だが、その口調に刺々しさは無い。
「いやぁ、本当にすいませんね。
「褒めてくれるのはありがたいが、こちらの事情というのも汲んでほしいものだね」
叔父は厨房に戻り、仕舞ってあった調理器具たちを棚から出し始める。かちゃかちゃという音で、静かだった店内にかすかに賑わいを取り戻した。
「そちらのお嬢さんは初めましてだな。藤村君の彼女か?」
「いいえ違います」
雫は叔父が言い終わる前に食い気味で答えた。はっきりと拒絶を示されて優哉はうなだれている。ここで「維澄、お前の彼女か?」と言わなかった辺り、叔父も俺という人間のことをよく理解している。
「叔父さん、この方は雫さん……旅行に来たらしい。この辺りの店は全部閉まってるから、店に来てもらったんだよ」
作業を一度止めて、叔父はこちらを向いた。
「この雨の中旅行ね……まぁ、世界の泣き顔も見方によっては芸術品かもしれんな。ここで商売やってる人間としては、よそから人が来てくれるのは嬉しいんからいいんだよ」
この豪雨が始まってから、日本中の観光業が大打撃を受けた。土砂崩れなどで損害が出た文化遺産もたくさんある。政府は当初、巨額の資金を投じて旅行に行こう的なキャンペーンを喧伝したが、すぐに交通網もろくに機能しなくなったので徒労に終わった。
そして、そんなことより毎日出動しっぱなしの消防、自衛隊の待遇を何とかしろと国民から袋叩きにあったのであった。
「
「俺、唐揚げ三人前で」
元気よくオーダーされるも、叔父は少し顔を曇らせる。最近鶏肉は品薄なのだ。地元の食材はもちろん、県外から買うことも難しいのでやりくりには苦労している。
「雫さんはどうするんだい」
「わたしは、お蕎麦にします」
「じゃあ俺も蕎麦で。何だか疲れた。今日はがっつり系のご飯はやめておこう」
承知ぃ、という大きな声を合図に本格的に店が稼働し始めた。
「おっ、ここの名物を選ぶとは流石ですな。昔からこっちじゃ蕎麦が有名なんすよ。絶対に美味いんで楽しみにしといてくだせぇ」
こくんと頷く雫。優哉のこのノリにも少し慣れてきたみたいだ。店に戻るまでの道中、雫に俺たちの大学での失敗などを面白可笑しく話した。マシンガントークに疲れ切っていたが、雫もこういう人間だと諦め、途中から空元気で相槌を打つようになった。でも、悪い奴でないということは分かってくれたみたいだ。
それを見てか優哉も雫のことを信用したようで、三人ともすっかり馬鹿話で盛り上がり、あっという間に店に着いた。
「お前は相変わらず唐揚げばっかりだな。カロリーオフジュースがチャラになってるぞ」
「人間というもの、好きなものを食わなきゃいかん。我慢は良くない」
「限度ってもんがある。最高にヘルシーな地元名物を食えよ」
「美味いのは分かってるけど、今日は気分じゃない。またの機会にご馳走になるぜ」
やれやれ、と思いつつ俺はスマホを取り出して通知を確認する。
「やばいぞ、あと一時間でレポート課題締め切りだぜ」
「一時間じゃ書ききれん。諦めろ。俺も道連れになってやるから」
おいこらぁ、と叔父。
「学生なんだから勉強しろ、学費が勿体ない。誰がお金を出してると思っているんだ。俺だって専門行ってたころは……いや、あまり勤勉ではなかったな」
叔父も若かりし頃はそれなりに若者してたらしい。当時の叔父の姿など想像もつかない。……俺の父親は、どんな人だったのだろうか。
「ところで、どこから来たんだ?」
「それは……内緒です」
空気が静まり返り、やや重い沈黙があった。雨守のことは叔父もニュースで見て知っているだろう。優哉も思い出したかのように表情が険しくなった。
雫に視線を送る。
(おい、そんなこと言ったら怪しまれるだろ。何でもいいからごまかせばよかったじゃないか)
(仕方ないでしょ。わたしはここの神様よ。他の土地の者です、なんて嘘でも言えない)
それならしょうがない。神様には神様なりのルールがあるのは分かった。とはいえ、この一瞬で亀裂が入ってしまった雰囲気をどう修繕しようか。
「……誰にでも言いたくないことはあるだろう。俺も若いころはそうだった。客の事情に深入りするつもりはないが、それでもせっかくこんな田舎まで来てくれたんだから、それなりのおもてなしはさせてもらうぞ」
叔父の大人としての鶴の一声で、凍りついた空気は融けたみたいだ。ここは年の功に感謝。
「そういえばちゃんと聞いてなかったな、雫さんは学生だっけ? 俺たちと年が近そうなんだけど」
「え、えーっと、そうですねハイ」
「へぇ、何の勉強をしているの?」
雫がこっちをちらっと見る。助けを求めているようだ。
(なんかテキトーに言っとけ。神様っぽいやつとか)
「えーっと、神話とか、民間伝承とかです」
ここに来てようやくそれらしい回答がでた。神様にこんなことをやらせるのは無礼千万だと思ったが、ここは目を瞑ってもらおう。この土地の神様なんだから、誰よりも神話や伝承に詳しいはず。この回答はなかなかに機転が利いている。
俺もこの流れをサポートするべく会話に入る。
「この辺りも歴史が有名だからね。きっと、良い旅行になると思うよ。お城とかどうかな? ちょっと小さいけど、それでも歴史的価値は高いって言われてる」
正直俺はこの辺りの歴史に関心をあまり向けていなかったので、ここに住んで半年たつはずなのにあまり詳しいことは知らない。
「あいよ……出来たぞ」
大皿にこれでもかと積まれた唐揚げ定食に、朱く丸い器に盛られた蕎麦が二つ。
「これですよこれ。ささ、早速頂きましょうか」
優哉いただきますも言わずに唐揚げにかぶりつく。
俺は手を合わせて行儀よく「いただきます」と言う。雫もそれに倣ってから割りばしを手に取った。
「その蕎麦、県外から来た人は正しい食べ方しらないんだよな。俺も最初は薬味を全部入れちまってよ。唐辛子の入った大根おろしなんてのも珍しいのかな」
頬を膨らませながら器用に話す優哉も県外出身者だ。こいつは田舎から田舎にやってきた稀有なパターンだが。
「そうですね、初めて見ました」
初めてと言っているわりには躊躇いなくつゆと薬味を入れていく。時代的には、この蕎麦が生まれたのとほぼ同じ時期に雫も生まれたはず。
「初見で困ってないのはすげーな」
「まぁ……予習してきましたので」
「民俗風習も専門分野に近いのかな。聞きたいことがあったらなんでも言ってくれ」
そこまで詳しくもないくせに胸を張る優哉には呆れるが、この度胸は見習いたい。
「そうですね……それでは」
箸を置き、姿勢が正される。
「最近なにかと話題に上る『雨守』について。自然豊かな地方を狙う彼らの正体を突き止めるためにわたしここに来たのです。この辺りでも、不可解な事件が起こったりしているでしょう? 優哉さんに正嗣さん、わたしの調査に協力してくれないでしょうか」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます