第七話

 アマモリ、そういえば少し聞いたことがあるような。


「そうだ。大雨を呼んで世界を沈めるとか、人間を滅ぼして世界を守るとか変な噂話が錯綜してるんだ。いろいろ言われているが、とにかく自然の残るど田舎に行くことを奨励しているらしい。目的はさっぱり分からんが、田舎志向な教義なんだと」


 最近ニュースで頻繁に目にするようになった新興宗教──「雨守」は日本中が豪雨に襲われる少し前からインターネット上でまことしやかに噂されるようになった。新興宗教、などと言われているが教祖不明で狭義も不明確。当初はワイドショーでからかい半分に取り上げられる程度だったが、本格的に日本が雨に溺れそうになってからは冗談で済まされなくなった。

 世界が滅ぶなどという突拍子もない終末論だが、茹だる日々の閉塞感に嫌気がさし始めた人々にとってはあまりに刺激的な劇薬だった。

 優哉はきょとんとしている雫に目を向ける。どうやら本気で俺の心配をして、雫のことを疑っているみたいだ。


「雫……さんはそんな人じゃないぞ。何の根拠があってそんなことを言うんだ」


「だからな、そういう無害そうな奴に限ってヤバい素性を隠してんだよ。カルトもマルチも、そうやってまず相手を信用させてからズルズルと沼に嵌めていくんだぞ」


 最近では異常に高額な報酬をダシに犯罪行為をさせるいわゆる「闇バイト」なるものがはびこっていると聞く。田舎のこの辺ではあまり聞かないが、それでもそういった類のアヤシイ事案には大学も警察も注意喚起している。


「でもよ、新興宗教なんて俺たちにゃ縁遠い話だろ」


「馬鹿野郎。大学からの警告メール読まなかったのか? ウチの学生が『雨守』に感化されて駅前でビラ散布しただろ。そんで警察から指導があったんだよ」


「……読まずに捨てたから、知らん」


 そういえば、ニュースで学生と思われる若者が雨守関連のビラを配ったりデモをしたりしているのが特集されていた。記憶に新しい某市長襲撃未遂事件以来、公安警察だとか公安調査庁が監視しているとか。話が大きくなり過ぎていて、本当に笑えない。

 そういった警察にお世話になる系の話は自分で言うのも何だが、そこそこ真面目に生きてきた俺には関係ないと思っていた節がある。身近でそういった事件が起こっているのなら、俺も少しは関心を向けるべきだろうか。


「とういか、なんでそういう連絡に限ってちゃんと確認するんだよ」


「維澄クンよ、こいつは事件の香りですぜ。大学に蔓延する悪しきカルト宗教団体!こいつを撲滅すれば俺たちは英雄よ」


「その情熱を毎日の講義に充てられないのか? ……で、雫さんをどうするつもりだ」


「お前一人じゃ言いくるめられる可能性が高い。コミュ力の低いお前のことだから、ちょっと相手が優しかっただけでべらべらと饒舌になっていらんことまで言っちまうだろ」


 かなり失礼な指摘だが否定できない。積極的に他人と関わることを避けてきた俺は、恥ずかしながら会成人した今でも話が苦手だ。親身になってくれる人だとすぐに心を許してしまう。相手が自分のことをそこまで親しいと思ってくれていないのに数年来の友人のように接して困惑させてしまうことがある。

 優哉とは入学してすぐのオリエンテーションに一緒に遅刻して、それがきっかけで親しくなったのだった。


「つまりよ、この俺も維澄と一緒に叔父さんの店に行くのよ。俺も夕飯がまだだったからちょうどいい」


「図々しい奴め、それが本当の目的だろ。この前来た時は唐揚げ三人前も食いやがって。こっちとしては売り上げに貢献してくれて嬉しい限りだけどな。俺は身内だから社員割りの対象外だが、お前なら次から友人枠でサービスするって言ってたぞ」


 チッチ、と人差し指を立てて左右に振る優哉。


「お前の鈍感具合には呆れるぜ。確かに、本日のディナー如何は重要なファクターだけど、お前は雫さんを見て何も思わないのか?」


 俺と優哉は雫のほうを見る。雫は退屈そうに電柱にもたれかかっているが、目は俺を睨んで「早くしてくんない?」と訴えかけている。


「怪しさなんて微塵もない旅行者だ」


 実は神様なんです、なんて言えるわけない。


「お前はとことんズレてるな。その目ぇ見開いてちゃんと見ろ、すげぇ美人だぞ? 独り占めする気かよ」


 こいつは雫が神様だと知ったら、どんな顔するんだろうか。雫はこのチャラ男に目をつけられたと知ったら、どんな顔をするんだろうか。

 というか、雫がもし雨守だったら真っ先に篭絡されるのは優哉だろう。


「俺はそんなつもりじゃない。単に親切心でやってるんだ。それに俺みたいな冴えない人間がなにやったってああいう人は靡かない」


「そうそう。で、俺のような益荒男が知恵と力を振るってこそ……」


「お前の場合は大男総身に知恵回りかね、だろ。頭が空っぽなのか? それとも脳まで筋肉か?」


 普段から軽口を言い合う仲だが、今日は本気で苛ついている。

 正直俺だって雫の件はまだ半信半疑な部分がある。それでも、確かに雨を止ませた彼女がどこぞの馬の骨とも知れない連中と同類扱いされるのは腹立たしかった。


「珍しく口が悪いぞ、維澄。やっぱりお前も雫さんに……」


「いい加減にしろ。雫さんを困らせているのが分からないのか?」


 そう言って、優哉の手を振りほどく。

 優哉はかなり驚いた様子だったが、申し訳なさそうに小さくなった雫を見て落ち着きを取り戻した。彼はこれでも根が真面目なのだ。


「あー……いや、困らせて申し訳なかった。うん。それでは行きましょうか」


 優哉そそくさと歩き出す。猫背になったその後ろ姿からは、巨漢の持つ威厳は一切感じられない。縄張り争いに負けた猛獣、落ち武者のような寂しさだけがあった。


「仕方ないな、店まで戻るか。俺にとってはただの帰宅だけどな。で、優哉よ、何食うつもりなんだ。明日も開けられるか分からんから、仕込んでないのも結構あるぞ」


「そういうとこだぞお前。まずは俺じゃなくてお客様からだろーが」


 優哉に言われて振り返る。トコトコと小走りで雫が付いてきていた。俺は一旦優哉から離れて、雫に近づき小声で話しかける。


「すまん。結局俺もあいつのペースに飲まれちまった。ここ変な勘違いをされても困るし、ここは素直に流れに身を任せる。でも、このままだと俺の家まで行くことになるし、飯まで食うとなると調査が再開できるのは雨が降り出してからになるが……大丈夫か?」


 雫は口に手を当てて少し考える。


「雨の中動くのは少し面倒になるけど、最初に維澄が言ったように、彼からなら色々な話が聞けるかもしれないわ。ここは一つ、一緒にご飯でも食べながら話を聞きましょう。維澄、今夜は空いてるでしょ。夕食が終わってからでも時間はあるし、明日すぐ世界が終わるわけでもないから、地道でも確実に情報を集めましょう」


 どうやら神様の機嫌を損ねずに済んだらしい。俺も予定外に動き回ったせいか、かなり空腹だ。店を開けてないなら、まかないはどういう扱いになるのだろうか。いや、ここは甥へ食事を用意しただけだと通してもらおう。


「雫、普通に飯を食うのか? というか神様が飯食う必要あるの?」


「力は土地から供給されるから別に必要ない。でも、『美味しい』を感じられたほうが幸せでしょう。だから和菓子をちょくちょく買いに行くって言ったじゃない。心の栄養剤よ」


「おーい、二人とも何ヒソヒソ話してるんだ。食うものは決められたのかよ。楽しい話なら俺も混ぜてくれ」


 優哉が水を差してきた。面倒と思いつつも、これからの調査の重要参考人として丁重に扱おうと思った。


「いや、一度全部のメニューを見てもらってからにするよ。さ、雨が降り出す前にさっさと戻ろう」


 俺は二人の背中を押し、この夜に備えるため帰路に就くことにした。

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