六
「あれは……
コンビニで会計をしている人物──
自動ドアを潜り抜けた優哉は、早速さきほど購入したであろうペットボトルの蓋を開ける。ごくごくと美味そうに流し込まれるコーラはラベルが黒色のカロリーゼロタイプ。茶髪にピアスとチャラい外見のくせに人一倍健康に気を使っているのだ。もっとも、真の健康家なら炭酸飲料など飲まないのだが。
「………!んーんー!」
優哉もこちらに気が付いたのか、ペットボトルを口にしたままこっちに手を振る。そしてあろうことか、炭酸を飲みながらこっちに向かって走り出した。
「見えるか? あのコーラがぶ飲みランニングマンは俺の大学の友達の藤村優哉だ。あいつは俺と違って顔が広いから、おかしな奴が居たりすれば何か聞き出せるかもしれない」
雫の顔を見る。何とも言えない深みのある表情だ。分かりやすく言うと、嫌そうな顔をしてる。
「いや、確かにあの手合いは苦手。正直、人間濃度を下げてこのままやり過ごしたい。でも、維澄に協力をお願いした以上仕方ない」
はぁー、と溜息をしながら右手で頭を掻く雫。神様を呆れさせるとは案外あいつも特殊能力を持った異端者なのかもしれない。
「当たり前のように振舞ってたから今更だけど、巫女服のままだな。どうするんだ?」
「あーこれね。
巫女服、と言ったが、ちゃんと名前があるらしい。当然のことだが、全く関心の無い分野だと初歩的な知識さえない。この際、この地域の売りである神話だとか民間伝承についても調べてみようか。
「着替えるってどうやって……うわぁ!?」
空気の流れが変わったかと思った瞬間、突風が辺りを巻いた。落ち葉が舞い街路樹が軋む。叩きつけられた大気の塊に吹き飛ばされないように踏ん張って耐えた。
風はほんの一秒ほどで止んだ。顔を上げると、雫の服が変わっていた。
「えっへへーいいでしょー。たまに街に出たときに人間のファッションを研究してたんだー」
……自慢げに言っているが、フードが付いた紺色の撥水素材ウィンドブレーカーに、裾が絞られた細身のジョガーパンツでは可愛らしさの欠片も感じない。俺が言えたことではないが、人間のファッションを研究して行きついた先がこれならセンスを疑う。いつ雨が降るか分からないうえ、街を歩き回っているこの状況なら実に合理的なチョイスと言えるかもしれないが。
「でもこんな風を起こす必要あったか? ほら、あいつを見ろ」
「うごぉっ、ごほぉお……」
ここに馬鹿が一人。コーラを飲みながら走っていた優哉は突風に驚き、残りを一気飲みしてしまったらしい。もちろんほとんど吐き出してしまい、炭酸の刺激に灼ける喉と胸の痛みに耐えていた。
「それは……維澄、女の子の着替えを直視していいとでも思っているわけ?」
「……失礼しました」
べひゃぁと、聞くに堪えたい呻き声がまた聞こえた。どうやら全部出し切ったらしい。
「維澄ぃ、助けてくれ」
優哉を視る。地面や服に吸い込まれていった赤褐色の液体たちが浮遊して優哉の口やら鼻の中へ戻っていく。それだけじゃない。まき散らされた唾液や鼻水もだ。
少しは憐れむ気持ちもあったが、吐き気を催す光景を目に入れてしまったのでその気も失せた。
「自業自得だろ。お前みたいにみっともないことやってる人間がいるから学生の態度が悪い、なんてクレームがくるんだ。大学からの一斉メール見ただろ」
「読まずに捨ててるから知らん。っておい、そんなことはどうでもいいんじゃい」
優哉は俺の首に腕を絡ませ、道の端にずるずると引きずっていく。どう見ても不良に絡まれている一般人の図である。空手道で鍛えられている百八十センチの巨躯はただ立っているだけで威圧感があるというのに、これではお巡りさんに声を掛けられても弁解のしようがない。
「オイオイ、維澄クンさぁ、ナニコレ?」
「コーラ飲みながら走ってて、強風にびっくりしたから吹いたんだろ」
「ああ、そうなんだよ。全く災難だぜ……っそうじゃねぇって言ってるでしょーが」
ぎゅう、と首が絞められる。本当にお巡りさんを呼んだほうがいいだろうか?
「単刀直入に聞こうか。なーんで女の子と歩いてんだよ?」
あぁ、そうかと合点がいった。どうやら優哉は俺が雫──女の子と一緒にいることが気になっているらしい。この
異性は言わずもがな、同性の友人も数えるほどしかいない俺が女子と夜に街をあるいているなんて。優哉からすれば、この事態は怪談の類といっても差し支えないことだろう。
「あー、ランニングしてたら出会って意気投合したんだよ」
「つい二時間ほど前まで大雨で下は水浸し、今夜にかけて大雨だってのにランニングだと? しかもレインコートで?」
咄嗟に言った嘘とはいえ出来が悪すぎる。そういえば、最近はこの天気のせいで日課にしていたランニングも出来ていなかった。レインコートも上下で分かれた動きやすいタイプだが、これで走っていましたなんて言うのは無理がある。
さて、こいつを納得させるためにどんなエクスキューズをしようか。
「あっあの!」
雫が優哉に声を掛ける。ありがたい助け船と思ったが、雫が優哉を言いくるめられるような作り話ができるとは考えにくかった。
はいーなんでしょう、と俺の首を絞めていた腕をするりとほどいて雫のほうを向く馬鹿。
「いやぁ、先ほどは失礼いたしました。あ、自己紹介がまだでしたね。僕は藤村優哉と言います。この維澄クンの大親友なのです」
「えぇ……よ、よろしく。雫と申します……」
案の定、早くも優哉のペースに飲まれている。こうなったら強制的に会話を弾ませる流れに入る。
「こちらこそよろしくお願いします!で、雫さんは維澄とどういう間柄で? 同じ学科じゃないし、というか大学生?」
「えーっと、実は旅行でこっちに来てて……迷子になっていたところで、たまたま出会った維澄さんに案内してもらっていたんです」
「あぁ、県外の方なんですかぁ。ん? 飛行機も電車も止まっているのにどうやって……? というか日本中大雨なのに旅行……?」
「と、とにかく、維澄さんにはお世話になっています。夜が更ける前に、今からも一緒に街を見て回るのです」
雫は強引に会話を終わらせようと試みているみたいだ。優哉のような人間が苦手なのが良く分かった。雫のためにも、仕事のためにもここはこいつをなんとか振り切ってしまおう。
「そういう訳だ。この辺の美味しい店でも案内しようと思ってるんだが、どこかおすすめはないか、優哉」
「今夜の大雨に備えてほとんどの店は閉めてると思うぞ」
そうだった。俺の勤め先も今日は店を開けてすらいないんだった。
「維澄……」
優哉が目を細めて難しい顔になる。やはり怪しまれているのか。雫が神様で、俺は街を守るために彼女の手伝いをしているなんて正直に言えるわけがない。
「お前んとこの店は?」
「は?」
「だからさ、お前の叔父さんの居酒屋。もう今日は閉めたのか?」
「一応、今日は開けないことになったけど」
「雫さんのために開けてもらえないか」
こいつが馬鹿で助かった。本当に雫が言ったことを信じたみたいだ。これを勝機と、俺はこの話に乗ることにした。
雫に目線を送る。うんうん、と頷いて肯定の意を示した。これでいいだろう。
「そうだな。頼めばいけるかも」
「そんな、わたしのためにわざわざ開けてもらうなんて」
「大丈夫、叔父さん優しいし、観光客には寛容だから。サービスしてもらえると思うよ」
優哉が千切れそうなくらいに首をブンブンと上下に振っている。敵から勝利への道を示してくれるとは思わなかった。彼を傷つけることなく終われそうだし、実に良い結果となりそうだ。
「決まりだな。ありがとう、優哉。おかげで雫さんをがっかりさせずに済みそうだよ」
俺と雫はくるりと回れ右して来た道を戻ろうとする。
が、大きく重たい手が俺の肩を掴んだ。
「……何だよ」
「ちょい、ちょい、本気かよお前」
再び道の端に引きずられる。今度こそ俺も嫌そうな顔をして優哉を睨む。
「お前、怪しいとか思わないのかよ。まぁ、SNSもやらないなら詳しく知らないかもしれないが……『
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