第四話

「それは……」


 答えられない。答えがないのだから当然だ。第一、暗い山の墓地で白い着物の女なんて、安っぽい怪談そのまんまじゃないか。マトモな人間なら近づいたりしない。それを狂ったように追いかけるなんて、自分でもどうかしていると思う。


「深い理由はない。強いて言うなら、そうしたほうがいいと思ったからだな」


「気まぐれもまた人間のさがね。わたしたち神様はそこに居ることが当たり前なの。だから目の前に立っていようが空を飛んでいようがとして処理される。人と神は平行線で決して交わることはない。なのに」


 雫は大きく踏み込んで距離を詰め、俺の真正面で仁王立ちになる。女神なのに。


「維澄はわたしの存在を知覚して、それに違和感を持った。これはとんでもないことなのよ。呪術を修めた人間か、世界も拒絶するマトモな神経をしていない人間かのどっちかよ」


 マトモな神経をしていない──ハッキリ言って、それは否定できない。平凡で凡庸で中庸を自称してはいるが、俺のという力は間違いなく異端だ。


「なぁ、ぶっ飛んでいる話なんだけど……俺は、過去が視えるんだ」


 ぴく、と雫の眉が動いた。


「どういう意味」


「言葉通りだ。例えば、そこら辺の落ち葉をじーっと視てると、拡張現実のように、飛んできた軌跡が逆再生の映像みたいに浮かび上がってくるんだ」


 俺は足元の落ち葉を視ながら言った。この落ち葉はどうやら、東のほうから風に乗ってやってきたらしい。


「驚いたわ……。過去視なんて、神術に片足突っ込んでるわよ。一般人になんでそんなことができるのかは全く分からないけど、それ、どれくらいまで遡って視えるの?」


「ものによってばらつきがあるから何とも言えないけど、最後に何かしらの動きがあってから数十秒ぶんかな。本気を出せばもっと遡れるけど、物凄く疲れる」


「そこは人間並みなのね。過去を視るとは、すなわち神羅万象の記憶閲覧。とんでもなくハイレベルなことよそれ!」


 雫は目をキラキラさせて嬉しそうにしているが、俺はそんな気分にはなれない。


「過去が視えたって面白くも無い。だって今ここにある現実を変えられるわけではないだろ。解り切った結論の過程を知ってどうしろって言うんだ」


 それそれー、と本気の嘆きを無視するように雫が言う。


「犯人探しにピッタリの能力じゃない。それなら些細な証拠でも後を追っていけばゴールが見えてくるかもよ」


 確かにそうだ。大きく遡るためにはかなりの体力を要するが、それに見合うだけの成果は期待できるだろう。正直、気は乗らないが。


「そうだ、俺の能力と俺が雫の存在を認識できたのって、何か関係あるのか」


「うーん、多分無意識に過去視がある程度は働いていて、一般人の見える世界と、維澄の視る世界との間に齟齬が生じたからかも。本来あり得ないことだから、その正体を掴もうと本能が躍起になって、わたしを追いかけてきたのかな」


 それなら合点がいく。あの認識を疑うような感覚はどちらかと言えば恐怖感に近い。未知を許せないのは生物としての基本機能だろう。


「というわーけで、維澄には神様にも対抗しうる能力があります。これはもう、わたしに協力するしかないでしょう!」


「人間は弱いんだから、大事に扱ってくれ。……で、俺は何をすればいい」


 俺と雫の目が合う。永遠にも思える深淵だが、飲み込まれるような恐怖はなく、包み込まれるような安堵があった。


「簡単よ。わたしと一緒にこの土地を回って祟り神の痕跡を見つけるの」


「痕跡って」


「いろいろよ。暗示にかかっておかしな言動をする人間とか、分かりやすいモノだと呪いのお札とか。見つけたあとのことはわたしがやるから安心して。ほんとに危ないのだと近づいただけで腕が吹っ飛んだりするから気を付けてね」


 雫はにこっと笑って手を差し出す。可愛らしい笑みとは対照的に、話の中身は物騒だが。


「じゃあ、俺の仕事は鉱山のカナリアってわけか。もう一度言うけど、人間は弱いんだから、大事に扱ってくれ」


 俺は差し出された手を握る。雫の手は暖かく、それだけで心も温まったみたいだ。

 すっかり忘れていたが、雨に打たれて俺の身体は冷え切っていた。レインコートを着ていたが、全力疾走したせいか中まで雨水が滲んでおり、服が張り付いて気持ちが悪い。


「交渉成立。──よろしくね、維澄。頼りにしているわ」


「ああ、よろしく頼む、雫。神様に頼られるなんて、まったく、何の因果か……」


 頼られるというのは存外いい気分だが、先刻の脅し文句はぞっとしない。それも相手は神様ときた。平穏に生きてきたつもりだったが、人生というのはいろんな意味で思い通りにいかないらしい。

 それにしても、これから自分が積み上げてきたものを打ち捨てることになるかもしれないのに、俺は至って落ち着いていた。自分がどうなるかなんて、神秘の前では些末なことだということか。


「時間が無いから、。今からでも行こう。雨は止んでるけど、おそらく深夜にはまた降り出すわ。わたしだけならいいけど、維澄は雨の中動き続けるわけにはいかないでしょ」


「ごもっともだ。でも、もう日が落ちる時間だぞ」


「そうね。そればっかりはわたしでもどうにもできない。夜の街を歩くことになるけど、大丈夫なの」


「問題ない。家の人には雨が止んだからちょっと遠出した、とでも言うよ」


 俺は一度レインコートを脱ぎ、ずっしりと滴る服を絞る。速乾素材だが、この湿気では大した性能は発揮できない。


「真面目そうに見えて結構大雑把なのね。いや、見ず知らずの女の子を追いかけ回す人が真面目なわけがないか」


 俺は濡れて重くなったままの身体をベンチから起こし、通ってきた山道に向かって歩き出す。濡れたレインコートを着るのは実に不愉快だが、山を歩くのに両手は開けておきたい。


「今日はどこに向かうんだ」


 問題ないと言ったけど、あんまり遠いと帰る時間が心配になる。基本的に放任主義の叔父でも、日付が変わるまで帰らなかったら文句の一つくらい言うだろう。……レポート課題はこの際黙殺する。


「そうね……今日はひとまず、街を見て回りましょう。街のシンボルのような建物が怪しかったりするけど、そこまで露骨なら維澄が過去を視て確認するまでも無くわたしが気づいてる。草の根を分けるような作業になるかもしれないけど、ひたすら歩きましょう」


「土地の象徴っていうなら、あの大きな神社はどうなんだ。それこそ人の手によって神性を持ったものだろう」


 あの神社には一度だけ行ったことがある。こっちに引っ越してすぐのころだ。平日だったから観光客はあまり多くなかったが、それでもその盛況ぶりは確かに、人々が生きているということ示していた。


「あれはわたしの家よ。手を出そうものならとっくに返り討ちにしてるわ」


 失念していた。雫がこの土地の守り神なら、鎮護のやしろの主であるのは当然だ。ということは、ある意味、雫と会うのは今日が初めてとは言えないのかもしれない。


「数少ない観光地がそんな不穏な場所だったとはね……。時間が無いんだろ。行こうぜ」


 俺は出立を促して歩みを進めようとする。

 ふと、出しかけた足を止めて振り返る。日の入りに空は紅く染まっており、灰一色の景色を塗り替えていた。

 混沌に蠢く茜の叢雲は遠大な天を抱き、写す残陽なき水海は照るばかりの丹に甘んずる。

 ことごとくを染め上げる緋色はその身を退き、皓々こうこうたる少女は独り頂にそよぐ。


「ええ──行きましょう」


 守り手はここに宣する。その命を駆れ──と。

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