第三話

「この土地の神様だって……」


 そんな冗談受け入れられるはずがないが、現に先ほどの超常現象を目の当たりにした以上信じるほかない。


「その通り。この地に住まう皆さんが安心して暮らしていけるように自然の調和を図るのがわたしの務めなのです」


「だったらここ最近の大雨は何なんだ。お前がその務めとやらを果たしていないからなのか」


 自称神はむすっとした表情をして抗議の声を上げる。


「さっきの見たでしょう!わたしの祈祷で雨が止んだじゃないですかぁ。それにお前だなんて失礼な方ですねぇホントに。わたしはこの土地の守り神である雫。さっき名乗ったんだからちゃんと名前で呼んでよ」


 む、これは確かに彼女の言う通りだ。初対面でお前呼ばわりは流石に失礼か。


「ところで、あなたは誰なの。見たところ、ただの人間みたいだけれど」


 ただの人間。当然の事実なのだから、神様に面と向かって言われてもたじろいだりはしない。自分が特別でも何でもない人間だなんて、あたりまえじゃないか。


「俺は……維澄。生憎どこにでもいるただの学生だよ」


「なるほど。じゃあ自然の猛威に対して無力なくせに維澄はここになにをしに来たの」


 漂う空気は年相応の少女のそれであるのに、神であるが故の上から目線に俺も心が折れて追及を諦めた。この少女があのヒトであるかはもう判らない。少なくともあのときの得も言われぬ情動がないということはまだ人間の触れ合える相手ということだろう。しかし、まだ大人になり切れていない境界人は目的の喪失にささやかな反抗を示した。


「そんなの教える筋合いはない。雨だろうが風だろうが俺の勝手だろ。というか神様なんだろ、なんでも知っているんじゃないのか」


「神様なのは違いないけれど、種類が違うの。さっきも言った通りわたしはこの土地の神様で、その役目は鎮守。維澄の想像する神様ってゼウスみたいな全知全能の神様とかでしょう。わたしの持っている力は自然を司ることだけでそれ以外の事象に干渉することはできない」


「日本の神様からギリシャ神話の主神の名が出てくるとは夢にも思わなかったよ。他の神話の神なんて雫たちの存在と……なんというか、コンフリクトを起こしたりしないのか」


「それなら問題ないよ。神話の数だけ世界は存在するから。世界というのは宇宙全体、神羅万象を内包する総体としての意味と、神話のようにそこだけで通用するルールで形作られる物としての意味があるの。ま、いわば神話は狭義での世界の法則。世界の法則、すなわちルールはその世界に相対化されるの」


 敢えてカタカナ語を入れてみたが返り討ちにされた。よくわからないけど、つまりは住んでいるところが違うから会うこともないってことか。


「本来なら様をつけて臣下の礼を取ってほしいところだけどね。一応ルールだし。でも維澄はなんだか面白いからいいや。神様に無礼を働いたら殺されても文句言えないわよ。感謝してね」


「おい」


 今なんと言った。


「何かしら。あぁ、別に本当に殺すつもりがあったわけじゃないよ。あくまでもののたとえ。神様って基本的に人間で言う上下関係?に厳しいからわたしみたいな神様じゃなかったら首をすぱーんってされてたって話」


「人間を守るのが雫たち守り神の仕事だろ。じゃあなんで人間を殺すなんて話がでてくるんだ」


 殺す。それは他の生命を奪い取ることだ。それは野性的な獣ではなく知性のある社会的生物にとってもっとも恥ずべき事である。未来を一方的に破壊するその行為は何よりも罪深い。それがたとえ同種によるものでなくとも。


「いい、維澄」


 雫は俺に向き直って静かに言う。


「世界にはルールがあると言ったでしょ。神様は人間を超越し、彼らを守る──監視と言ってもいいわ。祟りとか呪いって聞いたことあるでしょ。どんなに人間が頑張っても世界は神様のもので、その絶対的事実を覆そうとした者には世界が制裁を下すの。それが祟りとか呪いとして不届き者を誅するのね」


「神様をお前呼ばわりなんて、無礼討ちにされても文句は言えないな」


「そういうこと。わたしは優しいからいいけど、他の神様にやっちゃダメだよ」


「神様とそんなにポンポン遭遇してたまるかよ……」


 弁解を放棄した俺は山頂に設置してあるベンチに腰掛ける。一見木製のように見えるが、実際はコンクリートに木目調の塗装がされたもので、木特有の柔らかさは一切ない。ところどころ風化して内部が顔を見せており、手入れをする者も既にいないことが伺える。

 腰を下ろして一息付けたので、辺りを再び見渡してみる。よく見れば、雑草が生えていないのはもともと踏み固められていたベンチ周辺だけで、それ以外は俺を囲うように伸び放題だ。

 灰色の空の下に敷かれた灰色の街を見下ろす。深緑の壁で隔たれた街は仙人の隠れ里のようで、自然を侵す鉄の森もただの風景としてならば良いものだと思ってしまった。

 ど田舎とは言ったが駅と県内唯一の国立大学を中心に都市が形成されており、学生が暮らすぶんには不自由することはないだろう。ただ、いずれ大人になってしまった者は多くを求め始める。生きていくだけならば此処で十分なはずなのに。何もかもを欲したところで何一つ手に入らないはずなのに。


「全てを内包する世界にとって、人間を苦しませるのはどういう意味があるんだ」


「わたしたちが相手にしているのはさっきの話で出た広義での世界よ。人間たちがどう思おうが台風や地震は世界にとって当たり前のこと。ほら、手があれば物を掴めるでしょう。動くこと、使えること、出来ること……その事実そのものに深い意味などないの」


「初めからそのように設計されているから、か。もっとも、その世界とやらが何を考えて造られたのかは俺たちの与り知らぬことってわけね」


「原理不明ということは事後的な対応しかできないということ。自然という一方的で理由の無い暴力に対抗するためには防衛に徹するしかなかった。そこで、土地の力を源に戦う神様が生み出される」


「それが雫たち」


「ええ、日本列島各地に散らばった守り神たちがその地を守り続けてきた」


 雫は俺の隣に座る。ただ座っただけだが、その所作は無教養な俺でも美しいと感じるほど洗練されたものだ。五百年の時を経た神様というのは伊達じゃないらしい。


「でも、現存する守り神はもうほとんどいない」


「どうして」


「単純に、世界の力に勝てなかった守り神もいたわ。でも、その任を捨てた守り神もいた。土地の力を源にしているということは、土地が残り続ける限りその神様も存在し続け、使命も永遠に続く。きっと、終わりのない守り神としての責務に耐え切れなくなったのね」


 雫はベンチの剥き出しの鉄筋を撫でる。俺は視界の遠くに佇む水鏡を睨む。


「なあ、この空に青を取り戻せないのか。雫の力でも」


 そうだ。一番聞かなくてはいけないことだ。自然を操り天候すら変えられるこの地の守り手。先ほどは雨を止めただけだったが、その気になれば雲を散らすことだって出来るんじゃないのか。


「昔は出来ていたけど、今のわたしにはできない。この土地だけでなくこの国全体の力が弱まっていて、世界に抵抗するだけの力がないの。せいぜい雨を一時的に止めるので精いっぱい」


「どうして力が弱まっているんだ。人間を、土地を守らなくちゃいけないのに。……守り神の数が減ったからか」


 雫はその瞳に空を映したまま小さく頷いた。


「そうか……じゃあこの雨は止められないのか」


「ううん。そんなことはないよ。本当なら今も残っている守り神たちだけでも維持できるの。数が減って弱体化してるとは言っても神様の力は強い。各地の社が襲撃されて地脈が壊されているだけだから、修復できれば元通りになるはずよ。まぁ、何せ数も多いし、その全てが深刻な傷を負っているから時間はかかりそうだけど」


「襲撃って……自然災害のことか。でも、それこそ雫たちの戦う相手だろ。それにその言い方はおかしい。まるで災害を想定していなかったみたいじゃないか」


「ええ、想定外の出来事だったの──守り神が裏切るなんて」


 雫は堅く口を結ぶ。先ほどまでの明るさは風に霧散し、冷然たる翳りに身体が縮む。


「それが任を捨てた守り神なのか」


「いいえ、守り神でなくなったら土地の支援を失うから、能力も使えなくなるの。そのまま行方不明になるわ。人々の信仰も無くなるってことだから、存在が薄れてしまったり消えたりしまうのでしょうね。…………だから、なぜ祟り神に堕ち、しかも力を行使できるのか分からない」


 心臓を鷲掴みにされたような感じがした、肺も圧し潰されたように空気を吸い込むことを忘れる。守り神の裏切り。さきほどの雫と同じような力を持つ守り神が全国に何柱もいるのだろうけど、自然の矛先が自分たちに向いていると考えただけで身震いする。


「裏切ったのがどこの守り神かは分からないけど、一柱による単独犯行だってのは断言できる。地脈から各地の情報を集めていたけど、どこも同じものを感じたから」


「土地から出たら力が使えないんだろう。どうやって日本中に災いをもたらしているんだ」


「それも分からない」


「守り神以外の神様が暴走している可能性はないのか」


 古来より災害は神の怒りだと言われてきた。有名どころだと菅原道真の天神様だろう。疫病や天変地異を起こし御所に雷を落とした道真公は雷神として祀られた。これが天神様となった所以である。生前学問に秀でていた彼は鎌倉時代以降詩文の神として信仰されるようになり現代では学問や芸能の神として伝わっている。

 過去の例があるのだから、なんらかの要因で守り神に匹敵する力を持った者が誕生してもおかしくない。それに、土地に立脚していないなら全国展開できる理由にもなるだろう。


「それがあったのは江戸時代末期までかな。人間の科学技術が発達してこの世のたいていことは説明がつくようになってしまったから、神様だとか祟りだとかを本気で信じる人がいなくなってしまった。だから、現代では無念の死を遂げた人間が祟り神になったりはしない」


「他に自然を操れる神様はいないのか」


「世界に抗い土地に手を加える特権は守り神だけのもの。錫杖で地面を叩いただけで水が湧き出したっていう僧の伝説もあるけど、あれは土地の神様が許した聖人に衆生しょうじょうのためならばと力の一部を貸していただけに過ぎないわ」


「信仰の消えた今じゃそれも無いな」


「人間は人間が守るようになってしまったからね」


 雫は立ち上がり、数歩進んで生い茂る雑草を見下ろす。


「ここも人の手が入らなくなって久しい。今まで自分たちを守ってくれていた者たちがいたことを忘れてしまったのかしら。……維澄はどうなの。毎日ご飯を食べて家では家族と過ごす。そんな日常が続くのが誰かのおかげだって考えたことはあるの」


 誰にも感謝を伝えられることもなく、自らが守り続けたこの地を背に守り神は問う。陽の光さえあればいい絵になるのに、などと俗な感想が浮かんだことを申し訳なく思いつつも事実を伝える。


「ごめん、ないよ。今日があるなら明日も当然やってくるものだと思ってた。しかも、世界がどうなろうと俺は俺のままだなんて考えていたんだ。俺は都会で育ったから、毎日のように景色が変わる忙しい世界しか知らなくて、でもそれがなんだか嫌で、自分は自分で在ろうと思った」


「都会だってその機能を維持している誰かがいるから存在しているのでしょ。それはこの街でも同じことで、円滑な社会の運営には不可欠な者たちよ」


「そういった当たり前を守る人ってのは得てして表に出ないんだ。こういう言い方が良くないのは分かっているけど、社会的評価が低いって扱いを受ける」


「やっていることはある意味わたしたち神様と同じなのに、おかしな話ね」


 そう嘆息して、神様は軽快な足取りで俺の前に立つ。少女に見下される趣味はないが、不思議と心地よく思え、悪い気はしなかった。


「よし、決めた。維澄には祟り神の調査を手伝ってもらうわ」


「今までの話の流れでなぜそうなる。無力な人間には何もできないんだろ」


「一人では無力なのは当然でしょう。いい、神様は信仰があるから存在するの。だから土地を捨てた──いえ、土地に見捨てられた神への信仰が全国規模で発生している可能性がある。そして、この土地にも大災害の予兆があるということは、人々の間に何かしらの信仰が広まっているのかもしれない」


 よくよく考えればその通りだ。信じてくれる者がいるから神様がいる。翻って、災害が起こるということはつまり……それを望み、祈る人間がいるということか。


「それは、噂話みたいなものか。世界滅亡が近いだとか荒唐無稽なやつ」


「そんな分かりやすいものはなかなかないよ。まじないとしてのレベルが低すぎる。噂話もそうだけど、お城みたいな町のシンボルとして、人間の無意識に訴えかける物もある」


「そういった物理的に存在しているものなら違和感の一つでも持ちそうなものだけど」


「無意識に訴えかけるんだから気づきようがない。普通の人間なら本人の知らないうちに影響下に置かれるわ。でも、維澄は違うみたい」


「どういうことだ」


「じゃあ聞くけど、なんでわたしを追いかけてきたの」

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