第27話 屍の街道
突然、カルニスの後方から馬蹄の響きと断末魔の悲鳴が上がった。
何事かと振り返り、目を疑った。
背後の丘の上から、騎兵の軍団が駆け下りながら矢を射かけて来ていた。
一千はいるだろう。
どう見てもノーマン領軍の新手だ。
なぜ?
どこから?
どうやって?
混乱する間にも状況は進む。
陣容を薄く横に広げた新手は、中央は丘の上の高所から矢を撃ち下ろし、両翼の部隊が近衛隊の左右へ駆ける。
拙い!
背筋が冷える。
「突撃!
正面に向けて突撃だ!
包囲されるぞ!」
正面に向けての突撃を準備してしていた近衛隊は、すぐにはそれ以外の行動が取れない。
となれば、それを完遂して突破口を切り開くしかない。
近衛隊が走り出す。
その間も左右と背後からは矢が飛び、先ほどまでとは比べ物にならない被害が出る。
近衛兵たちは、文字通り死に物狂いで走る。
だが、正面のノーマン領軍は、近衛隊が進んだ分だけ退く。
先刻までと同じ追いかけっこが始まった。
決定的に違うのは、すでに半ば近衛隊を包囲した敵兵の存在だ。
必死で走る。
だが、重装騎兵の突撃が全速力を維持できるのは、せいぜい二十秒でしかない。
先ほどの突撃ではスピードを落とせた。
だが、追い立てられている今は、それができない。
限界を越えればどうなるか。
速力が落ち始める。
馬の疲労が限界に達したのだ。
それでも全力で走らざるを得ない。
結果、減速では済まない馬が現れた。
足がもつれ、ついには転倒する。
重装騎兵が密集する突撃隊形では、それは周囲を巻き込まずにはいられない。
連鎖的な転倒。
投げ出され、大地に叩きつけられる騎手。
多くはその衝撃で絶命し、運良く生き延びた者も、あるいは転倒する馬体に押し潰され、あるいは後続の馬蹄に踏み躙られる。
重装騎兵にとって最も忌むべき物である、突撃中の転倒事故の発生だ。
それをノーマン領軍は冷静に見据えながら、淡々と矢を打ち込んでくる。
このような光景を、すでに見たことがあるかのように。
これが、意図した物であるかのように。
明らかに、重装騎兵の軍との戦いに慣れていた。
ギルバートは丘の中腹に留まり、全体の戦況を俯瞰していた。
ノーマン領軍において、兵達の中にあって細かい指示を出すのは百騎長の仕事だ。
指揮官は、可能であればこのような場所で、全軍の大きな動きをコントロールするものだった。
各百騎長から次々と伝令が来ては帰って行く。
ギルバートは自らの目と伝令の報告で状況の推移を読み取る。
順調だ。
近衛隊と戦うのは初めてだが、重装騎兵はドローニスとの戦いで何度も相手をした。
端的に言って、相性の良い相手、と分析していた。
何らかの戦術的な工夫で距離を詰められたり、機動力を発揮できない場所に追い込まれたりしない限りは、ほぼ被害を出さずに勝てる相手だ、と。
ましてや、今回はこちらが奇襲をかける側。
地形としても、アルスター中央部は多少の凹凸はあってもほぼ平らだ。
耕作を妨げるほどの急な高低は存在しないに等しい。
それは王都との行き来をする中で、自分の目で見て知っている。
眼下では、近衛隊の突撃が停止していた。
馬の疲労が限界に達したこと、中央部で大規模な転倒事故が発生したことで、突撃を続けることができなくなったのだ。
固まって盾で身を守ろうとしているが、ノーマン領軍はそれを苦もなく射落として行く。
盾という物は、向けている方向からの攻撃しか防げない。
オロスデン領軍の重装歩兵のように、全身を覆い隠せるほどの方形の盾を隙間なく並べるならともかく、重装騎兵の馬上盾では隙間だらけだ。
盾に隠れていない部分を狙うことは可能だし、斜めから見ればさらに隙だらけである。
アルバートの隊を含めても一千と百しかいないノーマン領軍だけに、包囲はごく薄いものだが、問題無い。
完全に停止した重装騎兵が再度突撃するには、助走距離が不可欠だ。
走り始めようとした兵は優先的に潰すように、周知徹底されている。
それでも前に出る敵部隊がいれば、包囲陣がその部分だけ下がって距離を維持し、処理後に元の場所に戻る。
軍制の高度な組織化と、百騎隊ごとの徹底した集団行動の訓練が、その柔軟な運動を可能にしていた。
このまま包囲して殲滅できるのであればそれでも良いが、仮にも近衛隊である。
もう一足掻きくらいはしてくるだろう。
窮鼠猫を噛むという言葉もある。
『囲師は欠くべし』
シノンの軍略家が言ったとされる格言を、ギルバートは知識としても経験としても知っていた。
なぜ、このようなことになった。
リオンは半ば自失状態で自問した。
ここは近衛隊の集団の中心部。
十重二十重に近衛兵に守られ、戦闘の様子の詳細は見えない。
だが、状況が悪いのは分かる。
いや、悪いなどという言葉では済まない。
これは戦闘ではなく、一方的な虐殺だ。
近衛隊に反撃の手段は無く、ただ弓の的になっているだけだ。
最初は三千名近くいた近衛兵も、今や二千名を超えるか否かというところだろう。
ノーマン領軍の方に、損失はほぼあるまい。
刀槍を武器とする近衛隊が、武器を振るうことはできていないのだから。
近衛隊は、武術指南役になったカルニスと出会って以来、自分の代のアルスター軍の主力と考えていた部隊だった。
ユヴェールから取り入れた冶金技術で質を高めた武装を配備し、厳しい訓練で練度を向上させてきた。
リオン自身、その訓練には何度も参加させてもらったことがある。
王子だからと言って手加減は要らぬ、という命令に従って容赦無く課された訓練は、実戦さながらの厳しさで、訓練後に何度も吐いた。
訓練の中で死者が出ることすらあった。
それだけに精強な軍団に仕上がっていた。
リオンとの絆も深く、お互いに主従であると同時に戦友のような感情を持っていた。
だから、現国王であるショーンに反旗を翻したリオンについて来てくれたのだ。
彼らが共にあれば、どんな強敵も打ち破れると信じていた。
それがどうだ。
あれほど鍛えた刀槍の技術は、発揮する機会すら与えられない。
国内随一であろうと自負していた馬術は、軽々と上を行かれる。
何物も寄せ付けぬかと思えた鎧は、易々と貫かれる。
敵に一兵の損害も与えられないまま、ただ近衛兵の屍が積み上がっていく。
不意に、幼い頃に一度だけ会った、先々代の将軍のことが思い出された。
アルフレド王のノーマン遠征に従軍していた人物だ。
『良いですか、殿下。
ノーマン軍と戦ってはなりません。
あやつらはアルスターの軍とは全く違います』
『もしどうしても戦わねばならぬのであれば、決して馬に乗らせてはなりません。
アルスターの兵でノーマンの兵に勝てる時があるとすれば、それは馬に乗っておらぬ時だけです』
ノーマン遠征を経験した最後の人物、と言われていた人だった。
父はその意見を重視していたが、あまりにもノーマン軍を恐れるため、煙たがられていた人だった。
平和になって、アルスター王国軍が編成されることもなくなり、今では将軍という職自体が有名無実の名誉職となっている。
そのことを嘆きながら亡くなった。
これではノーマン軍をアルスターの力として取り込むことができぬ、と。
リオンは、彼の進言を退け、いつしか忘れ、近衛隊を重用した。
それが、間違っていたというのだろうか。
リオンは頭を振って、浮かんだ思考を振り払う。
今はこのようなことを考えている場合ではない。
この場をいかにして切り抜けるか。
そこに集中しなければならない。
「カルニス。
何か切り抜ける方法はあるか?」
リオン、カルニス、エリオット。
この時、この軍の首脳部を形成する三人のそれぞれの頭の中には、「降伏」という言葉があった。
だが、三人ともが他の二人を憚って、それを言い出すことができなかった。
それが、最悪の結果を生むことになる。
「何とかして囲みを破り、撤退するしかありませぬ」
現在の戦況は絶望的だ。
これを覆す方法はあるまい。
ノーマン領軍には、余裕はあっても油断は無い。
ならば、わずかな可能性に賭けるしか無い。
「身を隠せる場所は見える範囲にはございません。
ならばいっそ、街道を進むべきでございましょう。
少しでも速く、少しでも長く走り、どこぞの集落でも見つけて駆け込むのです」
「分かった。
そのようにせよ」
「はっ」
カルニスはリオンに答えると、敵の布陣が見える位置へと移動する。
見たところ、王都へ向かう街道の方向は、敵の包囲網が薄い。
どう見ても罠にしか見えない。
だが、他の方向ではさらに望みが無いだろう。
「敵の包囲を突破する!
目標は王都方面!
敵中を突破し、リオン殿下を王都へ送り届けることを至上とせよ!
全軍進め!」
そうして、近衛隊は進軍を開始した。
神々の視点から見れば、それはレミングの群れの行進に見えたかもしれない。
近衛隊の進軍に合わせて、ノーマン領軍は道を明け渡す。
命を賭けて包囲を維持する意味など無い。
どうせ、近衛隊にはノーマン領軍を振り切る足など無いのだ。
近衛隊と並走しながら矢を放つアルバートに、リデルが馬を寄せてきた。
「ところで若」
「何だ?」
「そろそろアイツ殺して良いですかね?」
リデルが指した先に視線を向ける。
遊牧民の生活に極めて近い軍務を送るノーマン貴族は、総じて非常に目が良い。
アルバートも前世の視力検査を受けたら、二・〇は余裕で見える自信がある。
その目には、一際豪奢な鎧に身を包んだ男がはっきりと見えた。
周囲の近衛兵と比べて、明らかに身分が高いのが見て取れる姿だ。
兜で顔はよく見えないが、間違いなくリオンだろう。
隣には近衛隊長やローレン公爵らしき人物も見える。
先ほどから、狙おうと思えば狙えたのである。
それを生かしておいたのは、近衛隊の動きに方向性を与えるためだ。
下手に頭を潰してしまい、それぞれの兵士が個々の判断でバラバラに動くと、予測がしにくくなる。
「予想外」を発生させる要素は少ないに越したことは無い。
その点、一度「包囲を破って撤退する」という方向で動きが定まり、動き出してしまえば、それを変えるのは難しい。
どんな組織でも、一度決めたことを覆すには、決定者というモノが必要である。
理想を言えば、全軍が動き始めた少し後に決定者が死ぬという形が望ましい。
そうすれば、あとは近衛隊は逃げるだけの集団になるだろう。
「……もう少し待て。
敵の全体が走り始めて三十数えたらヤって良い」
「了解です」
満足気にリデルが頷く。
それを周囲の兵達もしっかりと聞いていた。
ノーマン領において、リオンは有名人である。
もちろん悪い意味で。
「ソフィア様を侮辱した」
「ソフィア様の卒業式をぶち壊した」
「ソフィア様をノーマン領から奪おうとした」
それらの噂は商人を通じてノーマン領にもたらされ、ギルバートもマリアもそれを肯定した。
ソフィアはノーマン領において、変人と思われる一方で愛されているし、多くの功績も知られている。
許可があるなら報復したい、と思うノーマン兵は多かった。
近衛隊の最後尾の部隊が走り始めると、リデルは楽しそうに、大声で、数を数え始める。
先ほどの会話を聞いていなかった兵が、駆けながらも何事かと近くの兵に尋ねている。
その伝言ゲームが、アルバートの周辺から広がっていった。
苦笑しながら、アルバートは自身も矢を取り出し、準備をする。
彼とて、リオンに対しては幾らかの私怨がある。
ソフィアと同時にオリヴィアのことが脳裏に浮かぶ。
十年に及ぶ彼女の献身を、リオンは裏切ったのだ。
そのおかげでアルバートとオリヴィアの間に縁が生まれたのも確かだが、それはそれ、これはこれである。
最後の機会に私怨をぶつけさせてもらうことにしよう。
リデルのカウントダウンが終わった瞬間。
数十本の矢が、宙を駆けた。
その後の戦いは、戦いと呼べるモノではなかった。
ノーマン領軍は、近衛隊を後方と両側面から追い立てつつ、矢を射かけ続けた。
あまりにも一方的なそれは、事情を知らない者が見れば、訓練にすら見えたかもしれない。
実際、ノーマン領軍にとっては、何度かドローニス王国軍に対してやったことの繰り返しに過ぎない。
例えば、逃れようとする者、一か八かで反撃に出ようとする者は優先的に射殺したり、敵の隊列の幅が狭くなってきたら、左手側の部隊は下がり、味方の流れ矢に当たらないようにしたり、といった細かいノウハウまで蓄積されている。
『挙兵した反乱軍を殲滅せよ。
一人も残す必要は無い。
共和政への移行に反対する者の心胆を寒からしめよ』
ノーマン領軍は、ショーンの最後の王命を忠実に実行した。
かくして、ローレン公爵領から王都への街道は、近衛兵の屍で舗装された。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます