第26話 陽動
王都を発つ前、アルバートの元にはギルバートの行軍計画が届いていた。
予定によれば、ノーマン領軍一千はすでに渡河を終え、こちらに向かって疾走していることだろう。
となればアルバートの役目は、遅滞戦闘と陽動ということになる。
ギルバートの隊が完全な形で奇襲を行うために下準備だ。
アルバートは細かく斥候を出しながら、ローレン公爵領方面へと北上する。
近衛隊の現在地の特定と、地形の探索のためだ。
ギルバートの隊が合流しても敵の兵力はこちらの約三倍。
合流前には約三十倍である。
射程と機動力で優っているとは言え、油断して良い相手ではない。
相手をするには可能な限りの工夫が必要だ。
そして二日が過ぎた三日目。
アルバートは小さな丘があるのを見つけた。
非常に良い感じだった。
そろそろ接敵してもおかしくない頃合いだ。
ここを暫定の狩り場として、百騎長やリデルと作戦案を相談する。
ノーマン領軍において指揮官は脳であり、百騎長は運動神経だ。
一人一人の兵士に行動させる責任者は百騎長なのである。
指揮官がどんなに優れているように思える作戦案を考えても、百騎長ができないと言えばできない。
それだけの権限を持っている。
百騎長が同意するのとほぼ同時に偵察隊が戻り、少し先に近衛隊がいることも分かった。
その情報を踏まえて、作戦内容を調整する。
それがまとまるとノーマン領軍は馬を進め、その姿を近衛隊に見せた。
近衛隊もこちらを見つけたのだろう。
慌ただしい様子が見てとれた。
とは言え、その整然とした行軍は大したものだ。
まずは一撃。
様子見の初撃だ。
百騎長の号令で、ノーマン領軍が走りだした。
ノーマン兵の射撃は、アーチェリーや弓道の射撃とはだいぶ異なる。
流鏑馬とも違う。
そもそもノーマン兵は、弓に矢を番えた状態で狙いをつけるということをしない。
一射ずつ丁寧に射るようなことはしないのだ。
引いたらすぐに放つ。
それも数本の矢をまとめて矢筒から引き抜き、文字通り矢継ぎ早に次々と射る。
その速度は一分間に五射から、多い者だと十射にもなる。
それで当たるのかと言えば、当たるのだ。
ノーマン兵の射撃をイメージするなら、案外合いそうなのが、野球のイチ⚪︎ー選手のバックホームでは無いかと思う。
実戦で重視されるのは、まず早さだ。
捕球してすぐに投げることが最重要である。
その上で、正確に捕手のミットに収まらなければならない。
だが、野球の送球に照準器のようなものは無い。
ではその精度をどうやって出すのか。
経験則としか言いようが無いものによってだ。
膨大な練習量で、早さと精度を無理やり両立させるのである。
さて、野球の例えを続けるなら、ノーマン兵の弓の有効射程はホームランの飛距離くらいだ。
だが、対重装騎兵の「鎧貫きの矢」を使う時には、もっと近づく。
「鎧貫きの矢」の鏃は、通常の鏃よりも硬く、鋭く、そして重く作られている。
そのため貫通力は高いものの、重量バランスが悪いため、射程がかなり短くなる。
ホームランの飛距離だったものが、セカンドベースより少し遠くまで、くらいになる。
だが、それでも重装騎兵を相手にするなら十分だ。
何しろ、相手はそもそも遠距離攻撃が出来ないのだから。
さて、ここで問題である。
二塁の少し後ろから、イチ⚪︎ーの送球の一・五倍の速度で飛来する矢。
それは正面から見れば、ボールより遥かに小さな点でしか無い。
発射から到達までの時間は一秒にも満たない。
これを回避や防御することができるだろうか。
この速度で飛来した大きな錐のような物体を、鎖帷子で防ぐことができるだろうか。
一斉に響く弦音。
次いで鈍い金属音。
カルミスの視線の先で、先頭の兵たちがまとめて落馬するのが見えた。
ノーマン領軍は近衛隊の右手を、矢を射かけながら駆け抜ける。
そのたびに近衛兵たちが馬から射落とされていく。
「……な……!」
予想外の光景に言葉が出ない。
ノーマン領軍は近衛隊の最後尾まで走り抜け、今度は後ろから矢を射かけているようだ。
重武装の分、ノーマン兵よりも馬の荷物が重い近衛兵は、すぐには方向転換ができない。
だが、近衛兵も訓練を積んだ兵士である。
攻撃を受ける最後尾の者たちは、即座に反転し、ノーマン領軍に向けて駆け出す。
ノーマン領軍はそれを避けるように後退する。
そして後退しながらも、矢を放つ。
地球の歴史ではパルティアン・ショットと呼ばれた技術だ。
馬を駆けさせながら、馬上で体を大きく捻り、後方への射撃を行う。
地球の遊牧民由来の騎兵がそうであったように、ノーマン兵は走行しながら前後左右のどちらに対しても射撃が可能なのだ。
近衛隊の追撃も虚しく、ノーマン領軍は離れて行った。
隊列を離れた近衛兵の多くは、二度と戻って来なかった。
「カルミス殿。
これはどういうことだ?」
エリオットの顔が青い。
一撃を食らっただけとは言え、近衛隊は反撃もできずに一方的に殺されたのだ。
敵の少なさから数としての被害は小さなものだが、心理的な動揺は免れない。
一旦離れていったとは言え、ノーマン領軍は近衛隊の様子を伺うように、視界の中にいる。
カルミスにとっても想定外だった。
近衛隊での実験で、弓で鎖帷子を貫けなかったのは確かなのだ。
タルデント弓兵のように人の背丈ほどもある長弓を使っているのであればともかく、見た限り弓の大きさは実験で使ったものと大差無かった。
だが、現実にノーマン兵の矢は近衛兵の鎧を貫いている。
考えるカルミスに、リオンが口を開く。
「不可解だが、奴らの弓は我らの鎧を貫ける。
そのことは受け入れざるを得まい。
その上でどうするかが問題であろう」
毅然とした口調に、カルミスは気持ちを切り替えた。
その通りだったからだ。
「我らの選択肢は三つだ。
逃げ帰るか、無視して王都へ突き進むか、叩き潰すか、だ。
逃げ帰るなどというのは言語道断。
無視しても良いが、纏わりつかれて近衛の者たちに被害が出るの業腹だ。
ならば、叩き潰すしかあるまい」
力強いリオンの言葉に、カルミスは頷く。
「左様でございますな。
奴らの防具は見たところ粗末な革のようでございました。
田舎者にはそれが精一杯なのでしょう。
となれば、直接ぶつかり合えば我らの敵ではございませぬ。
一見三百ほどいるように見えますが、馬が多いだけで兵は百ほどしかおらぬ模様。
鎧袖一触に捻り潰せましょう」
「うむ、その通りだ。
次に奴らが仕掛けてきた時を、奴らの最期にしてやろう。
油断せずに全力で迎え撃て」
「はっ」
リオンの命令にカルミスは力強く頷くと、伝令を走らせ、部隊の陣営を整えていく。
だが、エリオットは不安を拭えなかった。
なるほど、ぶつかり合えば近衛隊が勝つだろう。
しかし、そのようなことはノーマン兵も承知のはず。
しかもこの兵力差である。
奴らにまともにぶつかり合う気があるのだろうか、と。
近衛隊が心の落ち着きと整然とした隊列を取り戻し、進軍を再開する。
カルミスには成算があった。
ノーマン領軍は近衛隊の右手を駆け抜けて行った。
近衛兵は右手に剣、左手に盾を装備している。
その馬上盾は細長い形状で、足までを効果的に防御できるようになっている。
それだけに、体の右側を咄嗟に防御するのは難しい。
つまり、矢に対する防御は、右手側が薄いのだ。
だからこそ、奴らは同じように近衛隊の右手側を狙ってくるだろう。
その確信があった。
やがて再び、ノーマン領軍が接近してきた。
カルミスも近衛隊を緩めに駆けさせ始める。
急速に彼我の距離が縮まる。
タイミングを見計らう。
「今だ!」
カルミスの号令に従い、近衛隊が右前方に進路を変えて速度を上げる。
ノーマン領軍の進路を塞ぐように。
ノーマン領軍は、ちょうど近衛隊の右側面を取ろうと進路を変更するところだった。
それが、驚いたように進路変更を取りやめる。
射撃しようとしていたのをやめて、近衛隊との接触を嫌うように、左手側に急旋回を行った。
それを成功させた馬術は見事と言って良いだろう。
だが、苦し紛れに放たれた矢は、ほとんどを盾で防ぐことができた。
カルミスは声を張り上げる。
「今だ!!
全軍突撃!!
田舎者どもを叩き潰せ!!」
約三千騎の近衛隊が、全力で百騎のノーマン領軍めがけて走り出した。
「うーん、練度は高いと言えば高いんですよねえ」
アルバートの隣で、リデルが呑気とさえ言える口調で評した。
「伊達に近衛は名乗っちゃいないさ。
日々真面目に訓練に励んでたことは間違い無いだろう」
アルバートの答えも落ち着いたものだ。
自軍の三十倍の敵に追われている悲壮感は一切無い。
二人とも会話をしながらも、周囲の兵と同様に時折振り返っては矢を放つ。
とは言え、それはほとんどが盾によって防がれる。
それが分かっているから、「鎧貫き」は誰も使わない。
あれは高いのだ。
走っているうちに目星をつけていた丘が近づいてきた。
「手筈通りに!」
「はっ!」
アルバートの号令に百騎長が答え、十騎長たちに命令を伝達する。
その間に、アルバートは若干疲労の見え始めた馬から、隣の馬へと飛び移った。
追いつけない。
カルミスは、そのことに気づきつつあった。
双方の馬の速度差は同等か、ノーマン兵の方が若干速い。
一直線に走って速度を乗せられるならともかく、ノーマン領軍はこまめに蛇行して近衛隊を完全にスピードに乗らせないようにしていた。
その蛇行で馬にかかる負荷も、ノーマン兵の方が軽い。
ノーマン兵は金属鎧でない分、身が軽いからだ。
その上、馬の疲労度が違う。
単純に武装の重さの差だけではない。
視線の先で、ノーマン兵が走りながら馬から馬へ飛び移っているのが見える。
そして、何事も無かったかのように矢を射かけて来る。
宮廷学校で、ノーマン貴族が馬術の講義を「アルスターで教わることは無い」と言って参加していなかったのを、自信過剰な奴らだと思ったことを思い出す。
だが、あんな芸当はアルスターでは馬術の教授でも出来ない。
近衛兵の馬は各自一頭。
それに対してノーマン兵は三頭の馬を戦いながら乗り換えている。
短距離ならともかく、ある程度の距離を走るのであれば、歴然とした持久力の差が生まれる。
放たれる矢は基本的に正面から来るため、盾で防げており、大きな被害は無い。
だが、このままでは拙い。
永遠に走り続けることはできないのだ。
追いつくことができなければ、刀槍を振るうことすらできない。
カルミスの胸に焦燥が満ちていく。
と、その時。
一丸となって走っていたノーマン領軍が、三つに分かれた。
大きな一隊はそのまま逃げ続け、分かれた十騎ほどの小さな二隊がそれぞれ左右に旋回し、逆走しながらすれ違う近衛兵に射かける。
少し小さくなった大きな一隊は、さらに左右に小さな隊を分離していき、最終的に分離した小さな隊と同じ大きさになった。
大きな隊が敵の本体と見て突撃してきたのに、今や十騎ほどの小さな隊が十個、近衛隊の周りをぐるぐる回りながら射かけてくる状態だ。
三千騎近い近衛隊からすれば、的が小さすぎて、どれに突撃すれば良いかわからない。
それは、熊がスズメバチの群れにたかられているような様相だった。
全力疾走の限界に達したこともあり、近衛隊は立ち止まってしまった。
突撃の衝撃力が最大の武器である重装騎兵が、足を止めてしまったのである。
百騎長が直率する十騎隊と共に、近衛隊の周りを回ることしばし。
隊に帯同する軍用犬が吠えた。
隊長に何かを伝えるように。
着いたか。
アルバートの口元に笑みが溢れる。
十騎隊ごとに二頭連れている軍用犬には、いくつかの役目がある。
その内の一つが、連絡だ。
人間よりも遥かに優れた感覚を持つ彼らは、匂いや遠吠えで仲間の存在を察知すると、隊長にそれを報告するように訓練されている。
例えば、視線を遮る丘の向こうに、味方の援軍が来ていることを伝える、などという使い方だってできるのだ。
戦場の喧噪で人間には聞こえなかったが、彼らには仲間の遠吠えが聞こえたのだろう。
百騎長の号令で、十騎隊ごとに分かれていた部隊が再び集合する。
集合地点は近衛隊の南側。
突撃する的を見つけた近衛隊は、揃ってこちらを向く。
彼らが背を向けた北側には、小さな丘。
起死回生を狙う近衛隊が走り始めようとするその時。
丘の稜線上に、太陽と月の軍旗が姿を覗かせていた。
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