第25話 出陣

 ローレン公爵エリオットは不本意だった。

 一体、なぜこんなことになってしまったのか。

 晩餐の席だが、そんな思いを押し殺しながらでは、せっかくの料理も味がしない気がした。


「ローレン公爵、受け入れを感謝する」


 上座から声がかけられる。

 身だしなみを整え、さっぱりとした様子のリオンが笑顔で言った言葉だった。


「いえ。

 殿下のお役に立てたようで、光栄でございます」


 エリオットはにこやかに答えつつも、内心では頭を抱えていた。




 原因はこの日の朝に遡る。


 日も上りきらないうちに、領都にやってきた集団があった。

 煌びやかに武装した集団。

 近衛兵である。


 通常、このような武装集団は街の外門で留められ、そこで入門の許可を求め、領主であるエリオットの許可があって入門できるものだ。


 だが悪いことに、この時の門番は半端に知識を持っていた。

 ローレン公爵家は王家の分家であり、近衛隊は本家である王家の直属の家臣だ。

 それも木っ端役人などではなく、かなり高位の家臣である。

 これを城門の外に留めては、後々とんでもないお咎めがあるのではないか、と思ってしまったのだ。


 しかも、彼らは非常に急いでいるようだった。

 夜を徹して駆けてきたかのような疲労が見て取れた。

 近衛兵ともあろう者たちが、隊列も組まずに三々五々とやってくるというのは只事ではない。


 そうこうしているうちに、近衛兵は後から後からやってきて、門前の集団は百人を超える数になっていた。

 その権威の恐ろしさと、直接的な武力の恐ろしさに、門番は屈してしまった。

 許可を得る前に、外門を開いてしまったのである。




 近衛兵たちは、粛々と門内に入っていった。

 戦々恐々としていた門番は、その中に顔を隠した王子がいたことに気づかなかった。

 気づいたとしても、止めようが無かったかもしれないが。


 ともかく、街に入った近衛兵は乱暴狼藉を働くようなことは無く、門番はほっとしたらしい。

 そのため、その後も次々とやってくる近衛兵を、それ以降は素通しにしてしまった。


 彼らの代表者として、王子リオンと近衛隊長カルニスが公爵の居館に来たのは昼過ぎ。

 面会を申し込む前に、宿を取って、最低限の身なりを整えてから申し込んできたらしい。

 その時には、街に集まった近衛兵の人数は一千人にもなろうとしていた。




 エリオットが気づいた時には、すでに排除しようとしてもできない状態だったのだ。

 一千人と言ったら、エリオットが農民を限界まで徴用してようやく集められるほどの兵力である。

 常備している兵士など、百人程度のものだ。

 その兵士とて、近衛兵ほどの訓練を積んでいるわけではない。

 実質的に、すでに公爵領の領都は近衛隊に占拠されていた。


 救いは、彼らに武力で街を占拠したという認識が無いことか。

 彼らは無邪気に、ローレン公爵ならば王家を正道に戻すための戦いに協力してくれると信じているのだ。

 彼らの意に沿わない行動を取れば、どうなるのか。

 名実ともに「占領軍」となることは明らかだった。




 エリオットはショーンに反旗を翻す気など、全く無かった。

 彼が狙ったのは、あくまでも穏当に、ショーンの次の国王の座を得ることである。

 それには、リオンが王位継承権を剥奪されていることが前提となる。

 リオンとはむしろ、利害が対立する立場にあるのだ。


 だが、この状況でリオンの味方ではないなどと言えるものでは無かった。

 結果的に、エリオットはリオンと呉越同舟するしかなくなってしまったのだ。




 こうなった以上は、もうリオンに成功してもらうしか無い。

 そして娘をリオンの王妃に押し込み、最低限の利益を得る。

 自分が王になることは無理そうだが、孫を王にすることで妥協するしか無いだろう。

 そう決めたのは良いのだが、頭の痛いことはまだまだ続く。




「リオン殿下、ご出立はいつ頃になりますでしょうか?」


 エリオットは恐る恐る尋ねた。

 目下、最大の心配事はそれだった。


「お急ぎになられた方が良いのではございませんか?

 どこからか邪魔が入らないとも限りません。

 特に、国外からの横槍が入っては厄介なことになりましょう」


 表向きの理由を出して、暗に早期の行動を促す。

 本心を言うなら、早く出て行ってくれ、の一言に尽きる。

 理由は単純にして明快。

 これほどの軍が駐留できるような準備など、公爵領のどこにも無いからだ。




 リオンを歓待している間にも近衛兵は増え続け、とうに一千人を超え、二千人に迫る。

 すでに街の宿泊施設では収容しきれていない。

 リオンにそのことを訴え、今は街の外に野営地を定め、そこに集まってもらっている状態だ。


 元々ローレン公爵領は豊かな領地ではない。

 そこに二千人近い人間と二千頭近い軍馬という無駄飯食らいが押し寄せてきたのだ。

 たった一日でも、すでに過大な負担となっている。

 一刻も早く出て行ってもらわなければならない。




「そうだな。

 カルニス、どう思う?」

「それでは、明日の昼の出立でいかがでしょうか。

 いつまでも待つことができないのは事実。

 忠義の近衛兵であれば、それまでにはこの地に辿り着きましょう。

 それまでに馳せ参じなかった者は、内応のために王都に残った者たちを除き、裏切り者と判断せざるを得ないかと」

「うむ。

 それで良かろう」


 リオンはエリオットに視線を移す。


「聞いての通りだ。

 明日の昼には出陣する。

 公爵にも同行してもらいたい。

 論功行賞で大いに賞賛せねばならぬからな。

 婚約の発表も必要だ。

 その準備も先んじて進めておいて欲しい」

「承知いたしました」

「カルニス。

 近衛隊にも伝達をせよ」

「はっ」


 エリオットはホッと一息吐いた。

 あと半日。

 その程度ならどうにかなりそうだった。

 それさえ乗り切れば、国王の義父としての立場を得られるのだと、そう思うことができた。 






 リオン、カルニス、エリオット。

 誰にしたところで、彼らの中に「戦争」という意識は無かった。


 これから近衛隊とともに王都へ進軍する予定になっているが、彼らにとってそれは「戦争」では無く、「軍事パレード」という認識だ。

 それも仕方無いのかもしれない。

 実際のところ、王都近郊どころか王国中部に、彼ら以外に千人規模の軍の姿は無いのだ。




 この時点では、まだ。








「アルバート様」


 オリヴィアが馬を駆けさせ、ノーマン辺境伯邸に辿り着いた時、ちょうど門からアルバートが出てくるところだった。

 間に合ったようだ。

 オリヴィアは乗馬はそれほど上手くなく、貴族女性の嗜みとして、横乗りで多少走らせることができる程度だ。

 だが、それでも徒歩よりは速い。

 出発の時刻は聞いていたから、間に合うかどうか分からなかったため、珍しく馬で来たのである。




 アルバートは見慣れた貴族としての姿ではなかった。

 騎兵としての鎧姿だ。

 とは言え、オリヴィアが鎧と聞いて思い浮かべる鎖帷子とは違う。

 大部分は硬く鞣した革で、胸などの要所を鋼板で補強しているようだった。

 腰に下げた剣も、アルスターで一般的に使われる真っ直ぐの物ではなく、シミターと呼ばれる反りのある物だ。


 ノーマン騎兵の最大の特徴と言われる馬上弓は持っていない。

 王都への持ち込みを禁止されているからだ。

 そのことが、なぜか少しだけ残念に感じられた。


 見慣れない姿であるのに、とてもしっくり来る姿だった。

 鉄兜に包まれた顔がオリヴィアに向く。

 いつものように優しげな笑みが浮かぶ。

 だが、その瞳の中に、いつもは無い激しい熱を感じた。

 戦に向かう、戦人の姿だった。




 鼓動が跳ねた。


 思うように落ち着いてくれない心臓を宥めつつ、言葉を続ける。


「ローレン公爵領に潜入している者より、鳩が届きました。

 リオン殿下が出陣されたとのことです」

「左様でしたか。

 良かった。

 これで攻城戦などということをしなくて済みます」


 ニコリと笑うその表情が、牙を剥く狼のように見えた。

 怖いはずなのに、どうしようもなく惹きつけられるのを感じた。


「貴家の協力無くしては、このように上手くは運ばなかったでしょう。

 感謝いたします。

 あとは、我々が勝つだけです」

「いえ。

 貴家のお力無くしては、この国そのものがただではすまなかったでしょう。

 ご武運を」


 礼を交わし、すれ違う。


 オリヴィアは、その背中が見えなくなるまで、じっと見つめていた。








「今のが、若の佳い人ですかい?」

「……まだ違う」


 轡を並べて馬を進める隣の男、リデルの問いに、アルバートはそっぽを向いて応える。

 アルバートと同い年のリデルは、アルバートの最も忠実な腹心と言って良い。

 ヘンリックの次くらいにアルバートに振り回されてきた人物でもあるが、ヘンリックと違って、ノリノリで楽しんできたタイプだ。

 強い信頼関係のある主従であると同時に、気安い友人でもある。


「まだ、ね。

 まあ、戦に向かうノーマンの兵を怖がらないってのは、ウチに向いてると思いますよ」


 くくく、と含み笑いをしながら、からかってくる。

 そして、表情を改めた。




「能力的にも信頼できる方かと思います。

 搦め手に強い方が来てくれるのであれば、当家としてもありがたいですね」

「そうだな」


 その点に関しては、アルバートも確信を持って頷く。

 アルバートがこの時までリデルなどと共に邸宅に留まっていたのは、万一に備えてのことだ。

 リオンや近衛隊の幹部は王都を脱出したが、一部の者が短慮を起こして、ノーマン家やレーヴェレット家の邸宅を襲撃してこないとも限らない。

 念の為に、それに備えていたのだ。


 だが、実際にはそのようなことは無かった。

 レーヴェレット家の指揮で、宮廷貴族は近衛に協力をするふりをして噂を撒いたらしい。




 ノーマン家が将軍になれば、必ず近衛を抑えにかかるだろう。

 それどころか、近衛を解体したり、人員を全てノーマン貴族で入れ替えたりするかもしれない。

 そんな暴挙は防がなければならない。

 大義はリオン殿下にあるのだから、リオン殿下の元に馳せ参じるべきだ。


 一方で、リオン殿下は規律に厳しい方だ。

 近衛の指揮系統から外れるようなことをすれば、厳しく罰せられるだろう。

 すでに近衛隊長はリオン殿下と共に行動している。

 指揮系統から言っても、単独行動は慎み、隊長の元に一丸となって殿下をお支えするべきだ。


 聞くところによると、近衛の中にも裏切り者が出ているらしい。

 下手に王都に残って動けば、最悪、裏切り者と間違われて処断されるかもしれない。

 そんなことになっては目も当てられない。

 他の近衛兵と共に動くべきだ。




 そんな噂だ。

 見事なもので、これらの活動によって、近衛兵の実に九割が王都を脱出している。

 残った者は流石に信用して良いだろうし、何らかの行動に出たとしてもレーヴェレット家の手の者や城壁警備兵で対応できる範囲だ。

 安心して出陣することができる。




 逆に言えば、その分ノーマン領軍が戦う相手が増えたことを意味するが、アルバートとしてはむしろありがたい。

 戦後処理の問題だけでなく、この戦い自体でも有利に働く。

 数が増えれば、その分相手の補給に負担をかけられる。


 ローレン公爵家はそれほど豊かなわけではないので、三千騎の騎兵は大きな負担だろう。

 数日であっても、その兵を養うのは難しい。

 準備不足でも何でも、急いで出兵せざるを得ない。

 戦う準備が出来ていない軍がどれほど脆いものか、少し歴史を学べば分かることだ。




 考えながらも馬を進め、王都の外へ。

 少し離れたところに、ノーマン領軍の駐屯地はある。


 領主貴族が王都に来る際には、当然ながら護衛の兵を伴う。

 だが、王都内にその兵を入れることは許されていない。

 そのため王都の郊外には、そういった護衛兵を駐屯させるために、家ごとに指定されたスペースがあるのだ。


 そこで、アルバートはノーマン領軍と合流する。

 わずか百騎隊が一個という少数の兵力。

 だが、これからの作戦行動には十分だ。

 すでに全員が馬上にあり、今や遅しと命令を待っている。


 部下が連れてきてくれた、残り二頭の愛馬とも合流し、愛用の弓を手にする。

 それで完全にスイッチが切り替わる。

 「貴族」から「戦人」へ。

 太陽神ニルスの如くあれと育てられる、ノーマン家の長へ。 




「軍旗を掲げよ!」


 アルバートの号令に、旗手が高々と軍旗を掲げる。

 意匠化された太陽と月が、アルスターの平野を渡る風にたなびく。

 天の軍神たる太陽神ニルスの武勇と月神セルナの軍略を意味するそれは、北の草原では知らぬ者無く、はるか東のシノンまでその勇名は響く。

 だが、近隣諸国では知られ始めたばかり。




「行くぞ!!」

「「「「「応!!」」」」」




 後にアルスターを東西に駆け巡るその旗を、アルスターの平野が初めて目にした日であった。



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