第17話 ノーマン家の苦労人
ヘンリックは頭を抱えていた。
原因は手の中の羊皮紙の束だ。
先に読んだソフィアは、キラキラと輝く瞳で、これを渡してきたアルバートを見つめていた。
「さすがお兄様ですわ!
素晴らしい案です!」
兄はやや苦笑気味に笑っている。
「まあ、ソフィアはこうなると思っていたよ。
ヘンリックはどう思う?
常識担当の意見を聞きたい」
「こんなもの、どうやって常識で評価しろっていうんですか!」
ヘンリックは思わず叫んだ。
すかさずソフィアに睨まれる。
「そこを何とか意見を出しなさい。
常識担当でしょう」
「だから荷が重いって言ったんです!
援軍!
援軍を要請します!
オリヴィア様を常識軍の援軍に呼んでください!」
心底からそれを願った。
こんなものをどう評価しろと言うのか。
「そうだな。
次はオリヴィア嬢に話すのが良いと、俺も思う。
だがその前に、ノーマン家の中でできるだけ案を磨いておくべきだろう」
「泣き言を言っている暇があったら考えなさい。
あなたもお兄様をお支えすることを誓ったではありませんか」
「誓いましたけど!
その思いに変わりはありませんけど!
予想外すぎて言葉が出ないんです!」
よほど興奮しているのだろう。
ソフィアがいつも以上に厳しい。
改めて目を通す。
数日で書かれたとは思えないほど、細部まで作り込まれた案だった。
兄の頭はどうなっているのか、本気で分からない。
姉のことも分からないが。
もう、そのことは気にしないことにする。
どうやって考えたのかなど、気にするだけ無駄だ。
自分が考えるべきなのは、実務者の視点で、実行する際にどのような障害があるか、だ。
これが成功した場合に訪れるであろう未来には賛成できるのだ。
であれば、自分がするべきなのは、自分の視点で見ることだ。
兄や姉と同じ視点で見ることは不可能だし、求められていない。
とは言え、読んですぐにパッと意見ができるほど頭の回転が早いわけではないし、何よりこの案は複雑すぎた。
ヘンリックはこの場で意見を出すことは諦めた。
「ちょっと、これはすぐには何も言えません。
少し考える時間をください」
「分かった。
だがあまり時間が無いことも事実だ。
明日か明後日には意見を聞きたい」
「承知しました」
翌日、ヘンリックはいつも通り学校に来ていた。
少しばかり寝不足だが、その程度で体調を崩すほどやわな鍛え方はしていない。
いつも通り講義を受け、いつも通り派閥の集まりに顔を出す。
こうした集まりは、空き教室を使って行うのが一般的だ。
「ヘンリック様。
少しお疲れのようですが、何かございましたか?」
ノーマン家配下の子爵家の令嬢が、心配げに声をかけた。
他の学生たちも、少し心配そうにヘンリックを見ていた。
「いや、ちょっと兄上の無茶振りがね……」
「「「「「ああ……」」」」」
苦笑気味に笑いながらヘンリックが言うと、学生たちは納得したように吐息を漏らした。
アルバートとソフィアの奇想天外さは領内では有名である。
そしてヘンリックがそれに振り回されていることも。
「ご無理をなさってはいらっしゃいませんか?」
別の男爵家の令嬢が気遣わしげに言う。
先ほどの令嬢と視線が交錯し、火花が散ったようだった。
ちなみにヘンリックはモテる。
正直、アルバートやソフィアよりモテる。
ノーマン領内では王に等しい辺境伯家の、嫡出の次男である。
辺境伯家を継ぐことは無くなったが、今の立ち位置からして兄を支える重臣となるのは確実だ。
その上、日頃から振り回されているからか、苦労人でとっつきやすい。
どんなにヘンリック自身の考えや価値観に合わない話でも、まずは最後まで聞いてくれるのだ。
そして、聞いた話を決して頭ごなしに否定しない。
アルバートやソフィアも、人の話を遮ったり頭ごなしに否定したりなどしないのだが、普段のイメージからそもそも相談するハードルがとても高いのだ。
アルバートのことは自分たちの世代の主君として大変尊敬している令嬢たちだが、妻として支えることを想像すると、多少どころではなく荷が重く感じるのも事実だった。
あまりにも独創的すぎる。
「上」にいてくれる分には非常にありがたいが、「隣」にいられるのはちょっと、と言ったところか。
その点、ヘンリックなら安心である。
兄や姉とのバランスを取るような立場を自覚しているからか、価値観は割と保守的だ。
兄や姉が敬遠されがちなことを認識しているため、下の意見を吸い上げる役目を意識的に担っていることもある。
その一方で、女性を下に見る態度を取ることも無い。
ソフィアがすぐ近くにいたら、そんな態度が身につく余地は無いだろう。
要は、将来が安泰で、お付き合いに負担が無さそうで、手の届くところにいる、身近な王子様である。
この場にはいないが、ノーマン家に対する偏見の無くなった、ルガリア流域の令嬢たちからも熱い視線を向けられているのだ。
「流石に今回はことが大き過ぎて、少し挫けそうになっているけど、何とかするよ」
そう言って表情を引き締めると、学生たちを見回した。
「これから、この国は大きく動くことになる。
昨日伺った兄上のお考えから、それは確実だと思う。
細部はこれから詰めなければならないが、実現すればノーマン領にとっても、王国にとっても大きな利となるものだった。
私としても概ね賛成している。
当家を信じてついてきて欲しい」
その姿には、辺境伯家に相応しい威厳があった。
兄と姉に振り回されて悲鳴を上げている一方で、こういう頼れそうなところを見せるのも、モテる一因なのではないだろうか。
ギャップがあるし、何だかんだ言っても、辺境では「強さ」や「頼りがい」は最強のステータスだ。
「「「「「承知しました」」」」」
学生たちは信頼を込めて、恭しく一礼した。
「ヘンリック様」
講義が終わり廊下を歩いていると、呼び止める声がかかった。
男子学生だ。
振り向くと、あまり付き合いの無い人物だった。
確か、王家に近しい中部の子爵家の子息だったか。
公式の場であれば、目下の者から声をかけるのはマナー違反なのだが、学校に限らずこういった日常の中にまでそれを持ち込む者はほとんどいない。
日常的なやり取りが非効率になり過ぎて現実的ではないからだ。
「キュリウス殿、どうされましたか?」
ヘンリックは足を止めてにこやかに答えた。
呼びかけた男子学生は、少しホッとしたように歩み寄ってくる。
そして、周囲に視線を配った。
ああ、これはあれか、とヘンリックは納得する。
「……実は、内密の相談があるのです」
予想通りだった。
ヘンリックはその人柄からか、こうして相談を受けることが時折あった。
とは言え、その相手はノーマン領内の貴族か、せいぜいルガリア流域の貴族から。
中部の貴族からと言うのは珍しかった。
「構いませんが、当家は貴家とはあまり付き合いがございません。
乗らせていただいても、お力になれるとは限りませんが……」
「……いえ、その、実は私からではないのです」
そう言って、周囲を憚るように耳打ちされた名前に、ヘンリックは流石に驚いた。
そして、ある意味で納得もした。
「承りました、とお伝えください」
「ありがとうございます」
ホッとしたように礼をしたキュリウスが去って行く。
「最近、当家だけであの店を何度利用したのやら」
ヘンリックは呟き、指定された待ち合わせ場所、ポルトレーンへと足を向けた。
ポルトレーンで待つことしばし、部屋の外からノックがあり、店員が待ち人の来訪を告げる。
ヘンリックは入室を許可すると、立ち上がり、扉の方へと頭を下げる。
扉が開き、閉じる音。
「顔を上げてください。
わたくしが相談する立場なのですから」
言われて顔を上げる。
シャーロット・ヴェスタ。
兄の失権により王位継承権一位となった王女が、そこにいた。
シャーロットが席に着き、ヘンリックも促されて座る。
「この度はお声がけいただきまして、大変光栄でございます」
「いえ。
急な呼び出しに応えてもらい、嬉しく思います」
「ですが、私でよろしかったのですか?
王家には他にも頼りになる方々がお仕えになっておいででしょう」
「……そうですね。
みな、頼りになる者たちだと存じております」
シャーロットの言葉は歯切れが悪い。
よほど言いにくいことがあるのだろうか。
ヘンリックは、シャーロットの言葉がまとまるのを待った。
「……みな、大変よく仕えてくれています。
女王となることになったわたくしのために。
ですが、どうしても不安なのです。
……わたくしに、国王など務まるのでしょうか」
恐る恐る、という口調で、シャーロットは言った。
なるほど。
確かに王家に忠実な家臣にこそ、聞きにくいことだろう。
聞かれた方も困るに違いない。
そして、内心がどうであっても、務まります、としか答えられないのではないだろうか。
「それで、私を呼ばれたのですね。
最後まで王家と戦っていたノーマン家の私を」
「はい」
シャーロットは頷いた。
その瞳は、不安そうではあっても、真っ直ぐにヘンリックを見ていた。
「それでは、正直なところを申し上げさせていただきます」
「はい。
それを望んでいます。
どの様に申しても、罰することはないと誓いましょう」
「承知いたしました。
シャーロット殿下は国王陛下のような王になることはできないでしょう。
先王陛下のようにも、建国王陛下のようにもなれないでしょう。
殿下が即位されるのであれば、歴代の陛下とは異なる王となられる必要があります」
「異なる王、ですか」
「はい。
歴代の陛下は、強き王であろうとされていらっしゃいました。
リオン殿下もそうです。
ですが、シャーロット殿下が強き王となられるのは不可能かと存じます。
そのような王の形を目指されるのであれば、務まらないと申し上げざるを得ません」
シャーロットは、唇を噛み締めた。
顔を伏せ、数度、大きく呼吸をする。
再び顔を上げ、ヘンリックを視線を戻した。
「続けてください」
「殿下が即位されるのであれば、弱くとも王たり得る形を模索しなければならないでしょう」
「そのような王に、国をまとめることはできるのでしょうか。
他でもない其方達ノーマン家は、それを認めることができるのですか?」
「……少し、当家を誤解されておいでかと存じます。
当家はアルスター国王に、強い王であることを求めたことはございません」
「……そうなのですか?」
シャーロットは驚きに目を丸くしていた。
「しかし、ノーマン領では、主君に強さを求めると聞きました。
辺境伯たる者、太陽神ニルスのようでなければならぬと言われている、と」
「はい、それは間違いございません。
ですが、それは厳しい辺境の地で民が生き抜くためには、強い領主が必要である、というだけでございます。
アルスターの国王陛下は、別にノーマンの地を直接治められるわけではないのですから、そのような素質を求めたことはございません。
直接聞いたことはございませんが、これは歴代の当主も、兄も同様の考えかと存じます」
ヘンリックは自信を持って頷く。
ノーマン家がアルスター国王に強さを求めたことなど一度も無い。
アルフレドの遠征だって、軍事的には何度来ても撃退できる自信があったと、従軍した祖父から聞いている。
ノーマン家からしてみれば、アルスター国王は最初から「弱い王」なのだ。
「では、弱い国王をノーマン家は認められるのですか?
それを認めずにアルスターから離れるようなことは無いと?」
「それは無いと断言いたします。
兄からもはっきりと聞いたことがございます。
ノーマンはもはやアルスターを失うことはできない、と」
「アルスターを失う、ですか?」
「はい。
ルガリアの北岸は、現在ではノーマン領内には貴重な安定した農地となっております。
南岸との協力体制がなければ、この農地の経営はできません。
また、ルガリアの水運を利用した交易は、ノーマンに多くの富をもたらしてくれます。
これらはアルスターとの関係が終われば失われてしまいます。
そして、アルスターにはノーマンには無い多くの農作物と、それに支えられた多くの人々が住んでおります。
ノーマン領は商工業にて栄えておりますが、これは買い手たるアルスターの王、貴族、民がいて初めて得られるものです。
そのことを決して忘れるな、と言うのが兄の教えです」
シャーロットはぽかんとした顔で聞いていた。
想像もしなかった視点なのだろう。
まあ、王家や王都の貴族は商工業に疎いから、仕方ないかもしれない。
「……では、ノーマン家は何を求めているのですか?」
「豊かさでございます。
アルスターに属することで、ノーマン領はそれまでに無い豊かさを得ました。
アルスターに属する前は、こんなに安心して冬を迎えることなどできなかった、と祖父から聞いたことがございます。
それまでのノーマン領では、冬を越えると村が一つ丸ごと消えている、などということも珍しくはなかったと聞きます。
今では、一人の死人も出さずに冬を越えられる村まで出て参りました。
以前視察に訪れた村の古老は、喜びに泣いておりましたよ。
兄も今、どうにか関係を壊さずに、この難所を乗り切る方法を模索しております。
私も微力ながら、それをお手伝いさせていただいております」
シャーロットには想像も付かない話だろう。
だが、ヘンリックの話を聞いて、懸命に想像し、理解しようとしている様子が見て取れた。
「そうですね。
こう考えて頂けますでしょうか。
ノーマンがアルスターに求めているのは、主であることではなく、伴侶であることなのだと。
ノーマンとアルスターは確かに以前は敵対しており、関係は良くありませんでした。
ですが、和解のために政略で婚姻を結んでみたところ、思った以上に大きな利がございました。
相性もそれほど悪くございません。
大いに満足しており、こちらから離縁する気は全くございません。
今回の事件では侮辱されましたので、正当なる反撃として引っ叩きはいたしましたが、それが思った以上の傷となってしまったようで、困惑しながらも心配しております。
このまま亡くなってしまうようなことになっては、大変な損失でございます。
ですから、当家のメンツが立つのであれば、きちんと仲直りいたしますし、看病だって進んでするつもりでございます」
「そう……なのですね」
シャーロットは胸に手を当て、瞼を閉ざし、何度か深く呼吸をした。
「ありがとう存じます」
そして、瞼を開いて微笑み、ヘンリックに感謝の礼をしたのだった。
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