第16話 蒙昧

 ローレン公爵エリオットは、昔から不満だった。




 ローレン公爵家。

 それは先王の弟であった父が、臣下に下る際に興された家だ。

 公爵には領主公爵と宮廷公爵があるが、当時は領主公爵がもう一家、宮廷公爵が二家あった。


 領主公爵家の役目は、王都のすぐ近くに領地を持ち、いざという時の王都の守りとなることだ。


 ローレン公爵領も、王都にほど近い。

 小さな領地だ。

 さすがに下位貴族ほどではない。

 だが、伯爵家には及ばない領地だ。


 公爵家は王家の分家なのだから、下位貴族程度ではさすがに権威が無い。

 だが、反乱を起こされては困るから、伯爵ほどの領地は与えられない。

 そんな王家の意図が見える。


 この扱いをしておいて、いざという時は王家の藩屏として王都を守れ、などと言われてもな。

 それは初代公爵であった父にも、エリオットにも共通する思いだ。




 しかも、そんな領地しか与えられていないにも関わらず、格式は最上位。

 当然ながら、張らなければならない見栄も大きい。


 王都に近いということは、アルスター平野の穀倉地帯の真っ只中ということだ。

 当然、農業以外にたいした産業など無い。

 周りの領地から抜きん出るようなことなど、できる領地ではない。

 所詮、伯爵にも劣る弱小領主なのだ。


 王都との距離そのものもマイナス要因だった。

 仮に何か特色を出そうとしたところで、王都の下位互換にしかなれないのだ。




 いつしか、領地経営に夢も希望も抱けなくなった。

 こんな領地を守って何になる。

 そんな思いがある。

 王都での社交にも、いつからか行かなくなってしまった。

 行ったところで、格式に伴う見栄のせいで苦しくなるだけなのだ。


 王都の繁栄を見るとイライラするというのもある。

 親が少しばかり生まれたのが遅かっただけでこの違いだ。

 うんざりだった。


 父にもその思いはあった。

 だが表に出すことは無かった。

 もう一家の領主公爵家は、その不満を表に出して潰された。

 残った三家の公爵家は、王家の顔色を窺いながら、息を潜めて生きている。




 そんな日々を過ごしているところに、王都からの報せが来た。

 第一王子のリオンが、王位継承権を剥奪されたというのだ。


 宰相の娘との婚約を破棄し、辺境伯家を侮辱した。

 なるほど、当然の措置だろう。


 そして、気づいた。

 王位継承権保持者の中で、成人ではエリオットが最上位であることに。

 第一位に繰り上がった第一王女のシャーロットは未成年で、卒業までまだ数年はかかる。

 他の子供たちは妾腹の上、もっと幼い。

 公爵家の中では、領主公爵は宮廷公爵よりも格上とされている。



 シャーロット王女の姿を思い出す。

 控え目な少女だった。

 王女としてどこかに嫁ぐなら良いが、女王となるのはいかにも頼りない。

 他の王の子は、どうせみな庶出だ。

 であるならば。


「俺ではならん理由がどこにある」




 シャーロットでは誰も納得するまい。

 そこでエリオットが名乗り出る。


 ノーマン辺境伯のギルバートは中央には無関心だ。

 今も怒ってさっさと領地に戻っていることが、それを示している。

 メンツを潰されたことに怒っているだけで、それ以上に関与する気はあるまい。

 メンツさえ立ててやれば、元通りノーマン領に引き篭もって不干渉を貫くだろう。


 レーヴェレット侯爵家のフェリクスは有能な宰相だ。

 味方につけておきたい。

 婚約破棄された娘を、息子の妃として拾ってやるのはどうだろうか。

 自分が王位を継ぐことになれば、息子はその次の王。

 相手が変わるとは言え王妃となれるのだ。

 リオンとの仲はむしろ悪いと言えたし、文句は無いだろう。


 気をつけなければならないのは、宮廷公爵の二家だ。

 王都に住んでいるだけに動きは早いだろう。

 出し抜かれないように先手を取る必要がある。




 そうして、ローレン家はこの牢獄のような領地から解放されるのだ。

 次の住処はあの煌びやかな王都だ。

 見るのも嫌だった王都だが、自分がその主となるのであれば話は別だ。


 エリオットはしばし、その空想に酔いしれた。




 エリオットは追い詰められていた。

 追い詰められた者の行動は、古今東西を問わず、極端になるのが常であった。


 そうして慌ただしく人が出入りするようになった公爵邸を、商人に扮したレーヴェレット家の使用人が、じっと観察していた。








 リオンは謹慎させられている自室で、鬱屈とした思いを抱えていた。

 どう考えても理不尽だった。


 何が「現実が見えていない」だ。

 現実ぐらいわかっている。

 アルスターは停滞している。

 畑を耕して麦を植えるだけの生活に留まっている。

 それしかしていないから、国の中には麦が余っている。


 父上はそのことが見えていない。

 余っている物をさらに上手く作ったところで、何の意味があるのか。




 ユヴェールではそうではない。

 肥沃な農地を持つことはアルスターと同じだ。

 だが、活かし方が格段に上手い。

 そこに麦だけを植えているわけではないのだ。


 麻や亜麻のような布や紙も作るための作物も植えている。

 果実を食すための作物もあれば、酒を作るための作物もある。

 その作付けは、最も効率が良くなるように王が決めている。

 だから、作物が無駄に余るようなことが無い。


 貴族たちにそれぞれの領地に好きなように作付けをさせてはならないのだ。

 それでは結局、今のように麦ばかりを植えるだけだ。

 国が豊かになるためには、もっと多様な作物が必要なのだ。

 そのためには全ての農地への作付けを、王が管理すべきなのだ。

 逆らう貴族には武力を用いてでも!




 そうだ。

 領地などいっそ没収すれば良いではないか。

 国の領地を全て王が管理するようになれば、最も効率的な運営ができる。

 ユヴェールではそうではないか。


 貴族たちに、領地での作付けを指示する。

 逆らえば潰して領地を没収する。

 それが良い。


 


 何が「王たる資質が無い」だ。

 王たる資質が無いのは父上の方ではないか。


 お祖父様は仕方がない。

 建国王陛下がまとめたばかりの国内を落ち着かせる必要があっただろう。


 だが、すでに国内は落ち着いている。

 なのに父上のやったことと言えば、今ある領地を少しばかり富ませただけ。


 もっとできることはあるではないか。

 それなのに貴族の顔色を窺って、大業を成そうとしない。


 貴族を抑えて、大きく国を富ませる。

 そして兵を揃え、他国へ打って出るのだ。


 もう父上には任せておけぬ。

 私がアルスターを導かねば。




 それを口に出すことはしない。

 だが、爛々と瞳を輝かせ、部屋の中を歩き回る。

 特に唇を噛み締め、不意に笑みを浮かべる。




 その姿を、ある宮廷貴族の令息である侍従が、部屋の隅に控えながらじっと観察していた。








「お労しいことだ」


 近衛隊長のカルニスは、沈痛な表情で呟いた。

 大きく息を吐いて、背もたれに体を預ける。

 鍛え上げた体を執務室の椅子が受け止め、ギシリと鳴った。


 第一王子リオンが、立太子を目前にして王位継承権を剥奪され、謹慎処分となった。


 聞いた時は訳が分からず混乱したものだ。

 たかが婚約を破棄しただけで、これほど重い処分を下す必要があるのかと。

 だが、王宮内で近衛隊長が国王を批判するようなことは言えない。

 不満が胸の内に溜まっていく。




 カルニスは王都周辺の中小領地の一つを治める子爵家に、次男として生まれた。

 次男だったので、万一の場合の予備として学校に行かせてもらえたが、危ないところだった。

 三男だったら行けなかったし、家が男爵でも行けなかった。

 そして、もう一代後でも行けなかった。

 おかげで貴族として生きる資格は得られた。


 だがそれだけだ。

 家は苦しく、予備をいつまでも飼っておく余裕など無い。

 入学した二年後、兄が卒業した。

 無事成人を迎えたことでカルニスはお役御免となり、卒業後は自力で身を立てるよう言われた。


 実際、他に方法は無かっただろう。

 家はさらに苦しくなっていた。

 家を継いだ兄は、長男しか学校に行かせられなかったようだ。




 自力で身を立てるとなると、選択肢は兵士か官吏かと言うことになる。

 カルニスは武術が得意だったので、近衛隊に志願することにした。


 それを言った時、武術の教授に喜ばれたものだ。

 カルニスの腕は学生時代から見込まれていて、剣術でも槍術でも馬術でも、学校では負け無しだった。

 在学中の時点で、教授からも三本に一本は取れたほどだ。


 精強と言われるノーマン貴族にも、剣術でも槍術でも勝つことができた。

 馬術に関しては、ノーマン貴族は「教わることが無い」などという理由で誰一人受講していなかったから、競う機会が無かったのが残念だ。

 もしいれば、目に物を見せてやれただろう。


 卒業してすぐに近衛隊に志願し、無事採用された。

 それからしばらくして、リオンの指南役に取り立てられたのだ。




 そこからだ。

 自分の人生が上向いてきたのは。


 指導の中で、リオンとは確かな師弟の絆を結ぶことができたと思う。

 素養も熱意も十分な生徒だったから、おべっかを使う必要も無く、それが良い方に働いたこともあるだろう。

 リオンはあからさまな追従は嫌う性格だ。


 それからリオンの後押しを受けて近衛隊で出世を重ね、ついには隊長まで登り詰めることができたのだ。

 入隊時は二千名だった近衛隊の兵数も、リオンの尽力で三千まで増員できた。




 確かその頃、兄に言われたのだ。


「お前から、我々の窮状を陛下や殿下に伝えてはくれないか」


 と。

 兄だけではなく、近隣の領地の連名での訴えだった。

 当然だが、拒絶した。

 近衛隊長の地位を、そのような私的な繋がりで利用することなどできない。


 兄は、それなら取り次いでくれるだけでも良い、と食い下がったが、ダメなものはダメだ。


「お前だって、領地の貧しさに苦しんだ者の一人だろう!」


 そう言われたが、心は動かなかった。

 王家に任された領地を治めるのが領主の務めだ。

 領地に問題が起きているのであれば、領主が解決すべきなのだ。

 王家の方々を煩わせるべきではない。


 兄はカルニスを恨めしげに見た後、肩を落として帰って行った。

 それ以来、兄とは会っていない。

 領地がどうなったのかも知らない。

 それは兄が考えるべきことであり、自分とはもはや関係が無いのだ。




 自分の判断が間違っていたとは思わない。

 カルニスは近衛であり、王家の方々をお守りし、その敵を打ち払うのが務めなのだ。

 その近衛が、国王や王子の足を引っ張るようなことをしてはならない。

 ましてや私情でなど、言語道断だ。


 今、近衛隊は王家の剣として磨き上げられつつある。

 自分が専心すべきはそのことだけだ。

 余計なことに関わっている暇は無い。

 そして、この剣が完成した時、それを手にするのがリオンとなるはずだった。


 リオンは国王に相応しい覇気のある人物だ。

 この方ならば、近衛の力を存分に使ってくれるだろうと確信していたのだ。




 畏れ多いことではあるが、建国王アルフレド陛下でさえ、近衛の力を使い切れていたとは思えない。

 何しろ、ノーマン遠征では近衛隊はほぼ戦っていない。

 無論、戦場には赴いた。

 だが、王の身辺を固めるのが優先であったため、前線に出て敵兵と戦うことは無かった。

 だから負けたのだ。


 ノーマン兵の矢が鎧を貫いたなどという話も聞いたが、おおかた、貴族たちが自分たちの恥を糊塗するために大袈裟に言い立てたのだろう。

 鎖を編んだ鎧は確かに切る攻撃よりも刺す攻撃に弱くはあるものの、槍は刺さっても矢が刺さることはまず無い。

 近衛隊でも実際に検証したのだから間違いない。

 ましてや背中側まで貫通したなど、大袈裟に騒ぐのも大概にして欲しいものだ。


 ノーマン軍も強くはあったのだろう。

 だが、主な敗因は貴族の軍が不甲斐なかったことだ。

 近衛が戦っていたら無様に負けることはなかった。




 リオンが即位すれば、近衛に活躍の場を作ってくれただろう。

 だが、これで不当な扱いが続くことになる。

 王宮の警備をするだけの日々だ。

 こんな働きしかできないのならば、城壁警備兵と何が違うのか。

 あの城門の通行を見張るだけの無駄飯食らいどもと。


 うんざりだった。




 その姿を、ある宮廷貴族の令嬢である侍女が、茶を淹れ替えながらじっと観察していた。



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