第18話 歴史に学んで

 すっかり恒例となった感のあるポルトレーンでの会合に、オリヴィアは出向いていた。

 今日はノーマン家側は兄妹三人が揃っている。


 今回の会合は、今まで以上に重要だ。

 今後の動きを決めたいと思う、という申し出だったからだ。


 その申し出があったと報告した際は、フェリクスも緊張感を露わにしていた。

 今日の会合の内容次第で、アルスターの命運が決まる可能性もあるのだ。




 もはや気心も知れた仲である。

 全員の前に茶が行き渡り店員が部屋を辞すると、挨拶もそこそこにオリヴィアは切り出した。


「父とも相談したのですが、ノーマン家の皆様は中央の政治に関わることに、何か忌避感がございますでしょうか?」

「いえ、特にそのような気持ちはございません」


 アルバートが意外そうに答えた。


「何か、そのように思われることがございましたか?」

「ノーマン家の皆様は大きな力をお持ちですのに、中央の政局には関わりになられず、社交にも消極的でいらっしゃいます。

 何か中央に隔意があってのことかと心配になったのです」

「ああ、そういうことですか。

 それは単に手が回らないだけなのです。

 王都は遠いですし、ノーマン領の統治に直接影響を及ぼすことはあまりありませんので、どうしても後回しにしてしまっております。

 申し訳ないとは思っているのです」


 アルバートは少し眉尻を下げた。

 ほっとした。


「左様でございましたか。

 それでは、この難局を乗り切るために、中央に積極的に関わっていただくことは可能でしょうか」

「もちろんです。

 先日、ヘンリックもシャーロット殿下に似たようなことを申し上げたと聞いております。

 当家の意思として、その点に偽りはございません」


 アルバートが頷く。

 本番はここからだ。

 オリヴィアは気持ちを落ち着かせ、切り出した。




「ヘンリック様のお話は伺っております。

 シャーロット殿下から国王陛下にもご報告されたと伺っております。

 それゆえ、陛下から父へのご下問もあったようです。


 ノーマン家がアルスターを伴侶と思ってくれているのであれば、いっそ本当に縁戚になってはどうか、と。

 具体的には、ヘンリック様をシャーロット様の王配に、と」

「え?」


 ヘンリックが、思わずと言った驚きの声を上げる。

 想像もしていなかったらしい。


「陛下は、外戚の力が強まるのもこの際やむを得ないのではないかとお考えのようです。

 ノーマン家よりヘンリック様をシャーロット殿下の王配にお迎えする。

 それを以って、ノーマン家を辺境伯から侯爵へと陞爵。

 侯爵となれば、アルスター王国の全軍を統括する将軍職に任命することができます。

 ノーマン侯爵を将軍に任命し、すでに宰相の任にあるレーヴェレット侯爵との二本柱で国を支える。

 その際、その……わたくしがアルバート様に嫁ぎ、絆を確かな物とする。


 以上が、陛下と父の案でございます」


 アルバートの反応を窺う。

 アルバートは難しい表情で、しばし考え込んだ。




「それは、やめた方がよろしいでしょう」


 考えた末にアルバートが言った。

 その答えが、思った以上にオリヴィアの胸を抉った。


「……なぜでございましょうか」

「他の貴族が納得しないでしょう。

 特に侯爵家は反発するはずです。

 権力がレーヴェレット家とノーマン家に集中する状態は望ましくありません。


 ノーマン家の軍事力で不満を抑える、というお考えであれば、なおのこと危険です。

 今は良くても、将来当家の力が弱まったり、他家の力が強まった際に、抑え付けた分だけ強く跳ね返るでしょう。

 不満は解消すべきものであって、抑え付けるべきものではございません」


 正論である。

 この案は、王家への不信や経済的な不安、不満を、とりあえず一度抑える、というものでしかない。

 その間に解決策を模索するにしても、その解決策が見つかっているわけではない。

 問題を先送りにして、その分を未来の危険の種にしているだけと言われれば返す言葉も無い。




「当家でも、現状を乗り切る案を用意しました」


 俯いたオリヴィアに、アルバートが声をかけた。

 オリヴィアが顔を上げると、アルバートの手元に、どこからか取り出したのであろう冊子があった。


「正直に申し上げて、荒唐無稽に思われる案かと存じます。

 当家の中で披露した際にも、ソフィアはともかく、ヘンリックには非常に困惑されました。

 ですが、実現性はあり、根本的な解決にも繋がる案になっていると自負しております。

 まずはご一読いただけますでしょうか」


 オリヴィアは渡された冊子に目を落とす。

 表紙にはこう書いてあった。




『貴族共和政体案』






 これが遥か後世にまで伝わることになるとは、この時のオリヴィアには知る由も無い。







 アルバートに促され、オリヴィアは冊子を開いた。




「……は?」




 目が点になった。

 思わず視線を上げて、発案者たちを見やる。


 三人がオリヴィアを見ていた。

 アルバートは真剣に、ソフィアは楽しそうに、ヘンリックは気の毒そうに。


 再度、文章に目を向ける。

 一ページ目の内容はこうだ。




『アルスター共和憲章』


 第一条 アルスター共和国国王は、国民の統一と共和の象徴として君臨すれども、統治の権を持たず


 第二条 アルスター共和国国王は、血統によらず、国民の中から国民の意志と選択によって選出す


 第三条 アルスター共和国の統治は、国民の衆智を集め、万機を公論に決す


 第四条 アルスター共和国の国民は、法の下に平等にして、法と国益に反しない限りの自由を有す


 第五条 アルスター共和国の領土は、全て共和国そのものが所有する国民共有の財産であり、国民全てに利益をもたらすために用す


 第六条 アルスター共和国の国民は、領民を導き、共和国を発展に導く義務を負う




 正直に言って、どこから何を言えば良いのか分からない。

 頭を抱えそうになって、踏み留まる。

 アルバートに対して、みっともないところは見せられない。




 まず、最初の一条で思考が数秒止まった。

 それは王と言うのか。


 二条目もそうだ。

 『国民』とやらに選ばれる王は王と言えるのか。


 そもそも『国民』とは何だ。

 アルスターにそんな言葉は無い。

 『領民』は分かる。

 領地に属する平民だ。

 だが、国に属する民とはどういうことだろう。


 余白に注釈があることに気づいた。

 『国民』は「宮廷学校またはそれに相当する学校を卒業した者」とあった。

 なるほど、つまりは貴族か。




 イメージが湧いた。

 貴族を「国に属する民」と定義する。

 『万機を公論に決す』というのだから、その合議制で国を運営するということか。

 国王を選ぶことすら、その内ということだろう。

 有力者の合議制で運営される国、というものであれば、周辺国の歴史の中にあったから、まだ理解しやすい。


 だが、その「有力者」を明確に定義した国は無かったはずだ。

 注釈によると、それを「地方議会で国民に選出された者」と明確に定義するようだ。

 選出された者を「議員」として、「共和国議会」という場で議論するとある。


 つまり、「有力者」はその地方の貴族の互選によって選ばれるわけだ。

 誰が地方を代表する「有力者」か、という点において、地方ごとに合意が取れている状態で、「共和国議会」は運営できることになる。

 ならば、そこでの決定に効力を持たせるだけの正当性はあるだろう。


 貴族が国王の政治に不信を抱いているなら、政治の担い手を信じられる者に替えれば良い。

 では、誰に替えるか。

 それを自分たちで選べる。

 そういう制度にするということなのだろう。




 全ての領土は国のものとする、とあるが、領主から領地を取り上げるということではないようだ。

 注釈に、「領主が望めば統治権は引き続き認める」とある。

 実質的には現状維持だ。


 そして、国の領土の一部である領地の統治権を与えられた貴族は、領民を率いて、国を発展に導く義務を負う、と。

 これも現状でも漠然とした認識はあることだから、それを明文化した形だろう。




 とりあえず、理解はできた、と思う。

 注釈は他にもかなりの量があるが、ほとんどがヘンリックの字であるようだった。

 自分の理解が及ばないところを一つ一つ尋ねて、噛み砕いて、記載していったのだろう。


 何と言うか、お疲れ様です。

 視線を上げると、ヘンリックから同情を多分に含んだ視線を向けられていた。

 非常にシンパシーを感じる視線であった。




 次いで、視線をアルバートに向ける。

 変わらず、真剣な瞳でオリヴィアを見ていた。


 本気、が伝わってきた。

 このとんでもない案を本気で実現できると考え、本気で実行しようとしているのだ。


 ならば自分も、本気でこれを検討しなければならない。

 荒唐無稽な空想などではなく、実現可能な構想なのだという前提で。




 冊子はまだページが続いている。

 ここから先は実行にあたっての具体的な計画のようだ。

 気合いを入れ直して、ページをめくった。








 アルバートの視線の先で、オリヴィアが真剣な表情で冊子のページをめくっている。

 まずは感情的に拒否されなかったことにホッとした。

 そういう人ではないと評価してはいるが、この世界の常識からあまりにも外れている内容だ。

 反射的に拒絶される可能性は十分にあった。

 だが、その第一関門は突破できたらしい。


 今は実行プランのパートを読んでくれている。

 宮廷貴族としての視点で、実行可能かを真剣に検討してくれているようだ。

 ありがたい話だ。

 頭を振り絞って書いた甲斐があるというものだ。




 アルバートがこの難局を乗り切る方法を考える際、まず真っ先に除外したのは、ノーマンが軍事力でアルスターを支配するような形だ。

 長期的に上手く行くはずが無いと思ったからだ。

 どうせ叩き出されることになる。


 脳裏にあったのはロシアのウクライナ侵攻や、モンゴル等の遊牧民の歴代中華帝国への侵攻だ。

 ロシアのウクライナ侵攻は結末を見る前にこちらに転生してしまったが、どうなったのだろうか。

 アルバートの記憶にある範囲では、同じ民族の国にすら嫌われるようになったり、仮想敵国のNATOがかえって強化される逆効果になったりと散々な状態だったように思う。

 ああなるのは避けなければならない。




 それよりは融合していくような形が望ましい。

 そこからポーランドとリトアニアの合併が頭に浮かんだ。

 ポーランド王国とリトアニア大公国の合同による国家、すなわち「ポーランド・リトアニア共和国」だ。




 ポーランド・リトアニア共和国とは、中世後半に東ヨーロッパで大きな勢力を誇った大国だ。

 某歴史シミュレーションゲームのプレイヤーには、コモンウェルスという名で知られているかもしれない。

 二十一世紀の日本での知名度は非常に低いが、実は政治史において非常に重要な国である。


 近代的な民主制、立憲君主制、連邦制や法によって保証された宗教の自由と言った概念は、この国で芽が出たと言って良い。

 これらの思想が育って根付くのは西ヨーロッパでのこととなるが、この国が無ければ、その後の政治思想や政治体制が全く違った物になっていた可能性は否定できないだろう。


 勢力圏は二十一世紀で言えばポーランド、リトアニアに加え、最大時にはベラルーシ、ウクライナの大部分に及んでいた。

 バルト海から黒海までをほぼ縦断するような国土だ。

 ロシアの前身であるモスクワ大公国とは歴史的に対立していたが、モスクワを占領統治していた時期すらある。

 それでいてオスマン帝国とも戦っていたのだから、その広大な版図が想像できるのではないだろうか。


 当時のヨーロッパで最大クラスの広大な領土の上、農業適地が多いため人口も最大クラス。

 さらに、民族、宗教の多様性でも当時のヨーロッパで最上位だった。

 だからこそ、法の支配や宗教的寛容といった思想も発生したのだろう。


 また、この国に「貴族」はいても「爵位」は無かった。

 貴族同士の序列というものが無いのだ。

 もちろん実質的な勢力の大小はあったが、大貴族も小貴族も、法律の上では平等だった。


 そしてこの国には、共和国だが国王がいた。

 現代的な「共和国」の定義から見れば矛盾しているのだが、時代が違うのだから仕方ない。

 この国王は血統に依らずに選挙で選ばれ、王権は「セイム」と呼ばれる議会によって厳しく制限されていた。

 この議会を通じて参政権を持つのは「シュラフタ」と呼ばれる貴族達だった。

 これが「貴族共和国」とも呼ばれる所以だ。

 「貴族が」「共に」「和する」国だったのだ。


 そう言うと、ごく少数の貴族たちが馴れ合うような姿を想像するかもしれないが、人口に対してシュラフタ、つまり参政権者の割合は十パーセントにも達した。

 共和国の人口は最盛期には一千万人を超えたと言うから、有権者は百万人以上いたことになる。

 当時のヨーロッパには、議会のある国はあっても、参政権者は一パーセント以下というのが当たり前。

 比較的高いイギリスでも三から五パーセント程度だったという。


 フランス革命までは世界一民主的な国だったと言って良い。

 フランスでルイ十四世が「朕は国家なり」などと言い出す少し前の時代に、こんな国があったのである。


 残念ながらこの国は、「拒否権」というたった一つの制度的な欠陥があまりにも致命的だったり、産業が農業頼りだったり、プロイセン、ロシア、スウェーデンなどの強大化に押されたりといった要因で衰退してしまったが、黄金期の輝きは素晴らしい物だったと思う。




 さて、これをアルスターに置き換えてみる。

 アルスターとノーマンの連邦制のような形になるだろう。

 ポーランドとリトアニアでは、両国の君主をポーランド王が兼任する同君連合という形を取ったが、アルスターとノーマンの関係の場合、ここはパスして良い。

 すでにノーマンはアルスター国王を王と仰ぐことに抵抗は無い。


 ノーマン家としては、ノーマン領の統治において現在と同レベルの自治が行えるのであれば、何も問題は無いと言って良い。

 アルスターの統治に関しては改善点が見えているので、この案の後半に記載してある。

 宰相に検討を手伝ってもらいたいところだ。


 制度上の欠陥に関しては、制度の導入をアルバートがリードできる状態を保って、未然に防がなければならない。

 何しろこの世界には、ギリシャやローマにあたる先駆文明が無いようなのだ。

 正真正銘、世界初の国家レベルの民主主義制度と言える。

 導入の過程でどんなトラブルが起こるか分からない。


 憲章の文言を「貴族」ではなく「国民」としたのも、もちろんわざとだ。

 現状、国政レベルの議論ができるだけの水準で教育を受けているのは貴族だけだ。

 だが、将来はそうではなくなる。

 歴史がそれを示している。

 そうなった時に、新しい力を国政に取り込みやすい形にしておく必要がある。


 産業の多様化に関しては、これまでノーマン領で育んできた知見をアルスターに応用することで防げるはずだ。

 生き残るために必死で商工業を磨いてきた、ノーマン家の力の見せ所だ。


 周辺国の強大化に関しては、不確定要素が大きいし、心配していることもあるが、ノーマン家の軍事力が大きな役割を果たせるはずだ。


 地球のポーランド・リトアニア共和国は、名目上は対等だったが実態としては、ポーランドが主でリトアニアが従の関係だった。

 アルスターとノーマンは、それよりも対等な互助関係に近い連邦制の共和国として再構築できるのではないだろうか。




 ページを行きつ戻りつし、時に手を止めて考え込んだりしていたオリヴィアが、冊子を最後まで読み終えたようだった。

 冊子を閉じて、大きく息を吐いた。


「信じがたいことですが……実現できる可能性はあるように思います。

 それも決して低くないかと」


 知らずに詰めていた息を、ほっと吐き出す。


「ありがとうございます。

 中央に疎い私たちの間での検討では、中央の方々から見てどうか、という点はどうしても計りきれませんので」

「もちろん、抵抗はございます。

 特に、王家の方々が割を食う部分が多いことに。

 未知の部分が大き過ぎて、尻込みする気持ちもございます。

 ですが上手くいけば、現在抱えている問題の多くを解決できる見込みはあるかと存じます。

 そして……」


 冊子の表紙に落としていた視線を、アルバートに向けた。


「現在の状況を打破するために、考えられる限り最善の案であるかと存じます」


 思わずガッツポーズしかかったのを抑える。

 オリヴィアに対して、みっともないところは見せられない。


「それでは……」

「こちらの提案に、ご協力させて頂きたく存じます」

「ありがとうございます!」


 少し語気が強くなってしまったが、そう言って頭を下げる。




「それでは、詳細をさらに煮詰めなければなりませんね。

 オリヴィア様としては、大枠でご同意されても、細かい部分で仰りたいこともございますでしょう?」


 ニコニコしながら、ソフィアが言った。


「はい、それはもちろん。

 できればこの場で可能な限り解決して、父のもとに持ち込ませて頂きとう存じます」

「まあ、それは素晴らしいですわ。

 時間の猶予はそう多くございませんものね」


 早速、と言った様子で、ソフィアがオリヴィアと話し始めている。

 その横で、ヘンリックが諦めたような表情で書記を担っていた。


 自分もそこに加わらなければならない。

 だが、あと少しだけ、達成感に浸っておきたかった。



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