第14話 危機と決意
最近、すっかり馴染みの店になってしまっている感のあるポルトレーンにて、ノーマン辺境伯家とレーヴェレット侯爵家の会合が持たれていた。
レーヴェレット家からはいつも通りオリヴィアだけだが、ノーマン家側は兄妹三人が揃って参加している。
ソフィアが、あなたも顔合わせが必要でしょう、と言ってヘンリックを引きずって同行したからだ。
少し残念な気もしたが、アルバートは苦笑して同行を許可した。
確かに必要かもしれないと思ったからだ。
なぜ必要かは深く考えない。
「リオン殿下は王位継承権を剥奪の上、謹慎ですか。
まあ、当然でしょうね」
「そうですね。
無能ではないのかもしれませんが、上ばかり見て足元が疎かでは、国王はおろか、どんな家の当主にも相応しくないでしょう」
オリヴィアからリオンに下された処罰を聞き、アルバートは頷いた。
ソフィアは冷たく酷評する。
「とは言え、人の下につくことができる人にも見えないがな。
順当にいけば、次の王位はシャーロット殿下だろう?
私は面識が無いが、お前達はどうだ?」
「わたくしは在校期間こそ重なってはおりますが、親しくしたことはございませんね。
ヘンリックは同い年ではなくて?」
「そうですね。
何度かお話したことはあります。
控えめな方で、人を引っ張っていくタイプではありませんね。
嫁がれるのであれば、夫を立てて静かに穏やかに家内をまとめる、良い奥方になられると思います。
嫁ぎ先が国外であれ国内であれ、王家にとって大事な縁をしっかりと繋いで下さるでしょう。
ただ、頂点に立たれるとなると、向いていらっしゃらないかと。
女性であることを抜きにしても、リオン殿下が大人しく従うとは到底思えません」
「そうですね。
わたくしもヘンリック様と同じ考えです」
「あまり我の強い方でも厄介だが、面倒なことだな」
四人で顔を見合わせ、揃ってため息を吐いた。
「公爵家が動くかもしれないな」
公爵家はアルスター王国においては王家の分家だ。
順位は低いが王位継承権も持っており、万一の時には王家を繋ぐ役割を持っている。
次期王が頼り無しとなれば、名乗りを上げる可能性はある。
「一番上位はローレン家でしたよね。
兄上はお会いしたことがありますか?」
「挨拶程度だがな。
プライドの高そうな人柄に感じられた。
オリヴィア嬢はどう思われますか?」
「社交に積極的でない家ですので、わたくしも多くは存じません。
今シーズンも王都にいらっしゃらず、領地に留まっていらっしゃるようです。
ただ、女王の下につくことを良しとする方では無いように感じられます」
「……本気で国が割れかねませんね」
ローレン公爵が国王に反旗を翻した時、国王は国をまとめきれるか。
ショーンの代は乗り切れたとしても、シャーロットの代にはどうだろうか。
現在のところショーンの健康に問題は無いが、もう若いと言える歳ではない。
また、その寿命を縮めようとする策謀も当然考えられる。
「外国からもちょっかいがかけられるのではございませんか?」
「少なくともドローニスは嬉々としてかけてくるだろうな」
「父上も仰ってましたね」
ギルバートから届いた書状に関しては、オリヴィアにも開示している。
事件の当事者に対する工作があるとすれば、オリヴィアやレーヴェレット侯爵家もターゲットに含まれていて不思議は無い。
「それと、王子と近衛の動向からも目が離せないな」
「今のところ殿下は自失状態で大人しく謹慎されているそうですが、立ち直られたら何かしらの動きがあるかもしれません」
そこも頭の痛い問題だった。
現在は謹慎中のリオンだが、まさか今回の事件で命まで奪うわけには行かない。
さすがに罰が重すぎる。
過剰な厳罰は、それはそれで公平性を失い、国王の裁決に対する信頼を損なうことになる。
だが、リオンは確実に不満を抱くだろう。
それが周囲にどういった反応をもたらすか。
大きな不安要素だった。
「オリヴィア嬢。
身辺にはお気をつけください。
ドローニスやローレン家、近衛が何か仕掛けてこないとも限りません」
「ありがとうございます。
ですが大丈夫ですわ」
オリヴィアは自信ありげに笑う。
「当家は宮廷侯爵。
皆様と違い、城の外で戦う術はございません。
ですが、この王都の中であれば話は別でございます。
密偵の探り合いでも、暗がりや夜闇の中の暗闘でも、『病死」『事故死』の仕掛け合いでも、遅れを取る気はございませんわ」
どこか凄みのある笑顔で言って、傍らの侍女をチラリと見やる。
侍女もニコリと、主とそっくりの笑顔で頷いた。
王都の中には、貴族は領軍の兵士を連れて入ることは許されていない。
王都に来る際の護衛兵は、城外の駐屯地に留められることになっている。
だから、王都内の武力集団は近衛隊と、少数の城壁警備兵だけだ。
だが、それはあくまで表だった武力は、ということか。
「……伊達に王都の政争を潜り抜けて、宮廷貴族のトップを占めているわけではないということですね」
「ええ。
ですが、心配してくださったことは嬉しゅうございますわ」
今度はふわりとオリヴィアが微笑んだ。
アルバートはなんとなく気恥ずかしくなって、話を変える。
「さて、それで調査の結果が出たとのことですが」
「はい。
驚きました。
確かに異常事態でございましたわ。
詳しくはこちらに」
オリヴィアは文書を差し出す。
アルバートは受け取ると、一枚ずつ弟妹と回し読みを始めた。
調査の結果は、驚くべきものだった。
平野部の中小貴族が、嫡男以外を宮廷学校に通わせていないというのだ。
そもそも、嫡男以外に「七歳の披露」を受けさせていないケースも多いらしい。
だから王宮では「嫡男以外に子どもがいない」と認識していた。
平野部の中小貴族の多くの家で、だ。
異常と言えた。
なぜ今までそれに気づかなかったのか。
宮廷貴族を弁護するならば、何かが「無い」ことに気づくのは難しい。
「嫡男が入学した」ことにはすぐに気が付くが、「嫡男以外が入学していない」ことに気付くためには、ある程度の期間、疑問を持って見続けなければならないからだ。
詳細な戸籍があるわけでもなく、成長途中で命を落とす子供も多い社会である。
そもそも「七歳の披露」でお披露目があるまでは、王宮にとっては「存在しない」子どもだ。
ましてや重要度の低い中小貴族。
「三歳の披露」を迎えたと噂で聞いた子どもが「七歳の披露」に現れなくても、病気か何かで亡くなったんだなとしか思わない。
「七歳の披露」で入学予定者に名前が載った子どもでも、いつ入学するかは各家の自由。
今年は入学しないんだな、で流してしまっても仕方が無い。
一家一家を個別に見るならば、異常とは言えないのだ。
だが、これが平野部の中小貴族の多くで起こっている、となると話が変わってくる。
出生数自体が極端に異なるとは考えにくい。
家を安定して存続させるためには、成長途中で亡くなることを想定して、ある程度の人数の子どもが必要だからだ。
となれば、生まれた子どもを「七歳の披露」で王家に届け出ていない、または宮廷学校に入学させていないことになる。
それでは、その子供は貴族として生きることができないにも関わらず。
明らかな異常だ。
そうして詳しく調べた結果、見えてきたもの。
それは、中小貴族の経済的な困窮だ。
没落寸前と言って良いほどの。
宰相にとってすら、それは余りにも意外なことだった。
アルスター平野は肥沃な穀倉地帯だ。
王国として統一されてからは大規模な灌漑も行われ、ショーンの代になってからは三圃式農業も定着し、生産力はさらに高まった。
もともとこの地の有力者である王家や、その統治の実務者である宮廷貴族からしてみれば、収穫が増えれば豊かになるのが当たり前なのだ。
だが、前世の記憶を持つアルバートには、別の視点がある。
彼から見れば、収穫量の増加が富の増加に直結しないのは、むしろ当然のことだった。
経済は需要と供給のバランスで成り立つ、という原則が当然のものとして染み付いているからだ。
もともと肥沃な穀倉地帯で、収穫量がさらに増えた。
結構なことだ。
だが、多産多死の社会では、収穫量ほどには人口が増えなかった。
供給ほどには需要が増えない。
となれば、価格が下がる。
アルバートからすれば当然のことだが、この世界の知識にその原則はまだ存在しなかった。
少なくとも王家や宮廷貴族の知識には。
経済的に行き詰まる中小貴族だが、彼ら本人に危機感が薄いのも問題を助長している。
何しろ、農地の経営は順調なのだ。
収穫は多く、領民たちも食べ物に困るわけではないから、特に不満を持つでもない。
危機感を持つのは難しい。
貴族の独立性の高さも仇になった。
彼らにとって自分の家の内部事情は、王家にすら触れて欲しくない領域だ。
貴族としての見栄もあり、金に困っている、などとは言い出せるものではない。
ましてや、学費が払えないから嫡男以外は学校にやれない、などとは。
一方で、その平野部の主である王都は繁栄していた。
王家の居城だけに、経済の中心地であり文化の発信地だ。
大きな取引はここで行われるし、新たな流行もここから生まれる。
貴族が集まるから、彼らに売り込むために商人が集まり、職人が集まる。
増えていく人口を周囲の穀倉地帯から流れ込む安い食料が支える。
消費者が増え、その消費をあてこんで、さらに商工業者が増える。
穀倉地帯の中にあって、王都は近隣の領地とは全く違う様相となっていた。
だが、基本的に王都の第一城壁の中で暮らす王族や宮廷貴族は、そのことに気づかない。
近隣の領地も、王都と同じような活況にあると思い込んだ。
こうした結果、王宮が認識しないまま、最も豊かなはずの平野部の貴族たちは没落しかかっていたのである。
馬鹿みたいな話ではあるが、少なくとも日本人には笑えない。
江戸時代の末期がまさに似たような状況だったのだから。
江戸時代の幕藩体制において、藩という行政単位は非常に小さいものだった。
それは戦後日本の都道府県が四十七なのに対して、江戸時代の藩は幕末期に二百七十もあったという事実からも分かる。
四〇〇万石と言われる広大な幕府直轄地があり、その残りを二百七十の藩で分けていたのだ。
しかもその頃は北海道も沖縄も無い。
その小さな行政単位で独立性の高い運営を強いられ、その上参勤交代などの支出は莫大。
また、農業偏重の思想から、商工業の育成が憚られるという事情もあった。
その事情を乗り越えて商工業を奨励しようにも、薩摩や長州などのいわゆる雄藩以外は、領内にそのための経営資源が無いという有様である。
そのくせ、農業は奨励されるため米はどこの領地でも作っており、需要が概ね満たされていて、どれだけ上手く作っても利益は小さいのだ。
幕末にはいくつかの雄藩を除いて、ほぼ没落状態だったというのも頷ける話である。
さて、この状況で怖いのは、農業の異常だ。
凶作であればまだ良い。
これだけ収穫があるのだから、食料の備蓄はあるだろう。
王家も貴族も認識しているリスクだろうから、経済的にも心理的にも備えはあるはずだ。
むしろ需給バランスが調整されて良いかもしれない。
問題は豊作だ。
平野部全体で豊作になるようなことがあれば、アウトである。
爆発的な供給の増加が、作物の価格の暴落を招き、ただでさえ困窮している中小貴族の家計にとどめを刺すだろう。
一気に高まった不平不満は、ちょうど不祥事を起こしている王家に向かい、「あいつらが悪い!」となる。
大規模な内乱が発生してもおかしくない。
「どーすんだよ、これ」
思わず雑な言葉が口から溢れた。
頭を抱えたくなる。
対策を取るのもなかなか難しい。
要はモノカルチャーになってしまっているのだから、根本的な解決策は産業を多様化することである。
言葉で言うのは簡単だ。
だが、それが言うほど簡単にできるのであれば、前世の多くの発展途上国は困っていない。
アルスター平野は広大な穀倉地帯だが、裏を返せば、平野部の中での地形の多様性が乏しい。
代々の有力者たちが良かれと思って、一生懸命森を切り開いて農地にしてきたのでなおさらだ。
地形の多様性が薄いということは、資源の多様性が薄いということで、産業を多様化しようにもそのための材料が無いという状況だ。
前世でもアメリカの中西部が似たような問題を抱えていたように思う。
ましてや、資源の輸送が難しい時代なのでなおさらだ。
輸送技術の問題もあるが、各地の貴族が領地ごとに関税をかけていたりするので、それがコストに乗ってくるのも痛い。
こうなるともはや、根本から変えるしかないだろうな。
アルバートは覚悟を決めた。
レーヴェレット家との会合を終えたその夜。
「兄上」
夕食の席で、ヘンリックはアルバートに声をかけた。
「どうした?」
穏やかに問い返してくる。
幼い頃から変わらない、敬愛する兄の姿だ。
幼い頃から優秀な人だった。
年齢差を脇に置いても、ヘンリックよりはるかに優秀だった。
素養もそうだが、熱意が凄かったと思う。
自分がこの領を支え、もっと良くするのだと、一時も努力を惜しまなかった。
その理由も教えてくれた。
いつだったか連れて行ってもらった、正式な名の刻まれていない、小さな墓標の前で。
「三歳の披露」を迎えることのできなかった、自分の二人の兄。
その仮の名を、まだ小さかった手でなぞりながら、言っていた。
この二人に誓ったんだ、と。
家族を守り、領地を守り育て、こんな思いをする人が少しでも減るように、と。
そう、悲しそうに言っていた。
優しくて、優秀で、少し変わっている兄だった。
……少しではないか。
ともかく、自慢の兄だ。
ノーマン家の相続は序列ではなく実力で決まる。
ヘンリックにも資格はあったが、競う気にはなれなかった。
兄よりも優れた領主になれる気が、まるでしなかったからだ。
自分の全てが劣っているように思えたこともあった。
そんな時に母が言ったのだ。
「アルバートはとても優秀よ。
でも、だからこそとても苦労すると思うわ。
それを傍で支えてあげて欲しいの」
と。
その時は兄が苦労すると言うのは想像できなかったが、徐々に分かっていった。
兄も姉も、何をするか分からない。
ヘンリックにも分からないが、他の人にはもっと分からないだろう。
分からないということは、怖いことだ。
それは時に、不安や不信を生む。
保守的な人にはその傾向が強い。
ノーマン領ではそういう気質の人は少ないが、いないわけではない。
他領ではむしろ保守的な人の方が多い。
王都を含めて、農業主体の中部では特に。
そういう人たちが兄達のやることを理解して、安心してくれるようにする、「通訳」が必要なのだ。
自分は常人だ。
アルバートとソフィアと自分を比較して、そう思う。
卑下しているわけではなく、事実としてそうなのだと。
だがだからこそ、兄と姉の突拍子も無い考えを、常人に伝える役割ができるはずだ。
……たまに挫けそうになる時があることは否定しない。
ソフィアほどではないが自分だって兄のことが好きなのだ。
もちろん姉のことも。
精一杯、支えていきたいと思う。
ヘンリックは表情を引き締め、居住まいを正す。
「私は、兄上がどのような決断をしても、ついて参ります」
「わたくしもです」
即座にソフィアが追随した。
兄は少し考えた後、頷いた。
「……今、考えていることがある。もう少しまとまったらお前達にも話す。少し時間をくれ」
「承知しました」
「畏まりましたわ」
兄の頭から、今度はどのような案が飛び出してくるのか。
不安と緊張もあるが、それと同じくらい、不思議な楽しみもあった。
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